小熊英二、樋口直人編『日本は「右傾化」したのか』

 ここ最近話題になっている「右傾化」の問題。「誰が右傾化しているのか?」「本当に右傾化しているのか?」など、さまざまな疑問も浮かびますが、本書はそういった疑問にさまざまな角度からアプローチしています。

 実は、国民意識に関しては特に「右傾化」という現象は見られないが、自民党は以前より「右傾化」しているというのが、本書の1つの指摘でもあるのですが、そのためか、執筆者に菅原琢、中北浩爾、砂原庸介といった政治学者を多く迎えているのが本書の特徴で、編者は2人とも社会学者であるものの、社会学からの視点にとどまらない立体的な内容になっていると思います。

 

 目次は以下の通り。

総 説
 「右傾化」ではなく「左が欠けた分極化」  小熊英二
第I部 意 識

1 世論
 世論は「右傾化」したのか  松谷満

2 歴史的変遷
 「保守化」の昭和史――政治状況の責任を負わされる有権者  菅原琢

第Ⅱ部 メディア・組織・思想

1 マスメディア
 政治システムとの強いリンクがもたらした構造的「右傾化」  林香里・田中瑛

2 ネットメディア
 ネットメディアの伸長と右傾化  津田大介

3 草の根組織
 政治主導の右傾化  樋口直人

4 天皇神道思想
 神聖天皇国家神道からみた日本の右傾化  島薗進
第Ⅲ部 政 治

1 政党
 自民党の右傾化とその論理  中北浩爾・大和田悠太

2 地方政治
 地方議会における右傾化――政党間競争と政党組織の観点から  砂原庸介・秦正樹・西村翼
3 政策アウトプット
 島根県の「竹島の日」条例制定の経緯  ブフ・アレクサンダー

おわりに  樋口直人

 

松谷満「世論は「右傾化」したのか」

 「右傾化」というと、まずは「右・左」とは何かということが問題になります。

 まず、「左-右」の自己認識を尋ねる質問では、ここ30年ほど日本人は「左傾化」しています(ただし「革新(左)」のイメージが変わっている可能性はあり、遠藤/ジョウ『イデオロギーと日本政治』も参照)。

 次に、社会文化的価値、ナショナリズム、政治的争点の3つを見ると、政治的争点に関しては有権者の右傾化は確認できません、また、社会文化的価値においても、伝統的な性役割意識・家族観、少数者への不寛容さといったものは低下して生きています(ただし、移民や外国人労働者は「近所に住んでほしくない」と思う割合は上昇している(45p図7参照)。

 ナショナリズムに関しては、「愛国心」は強まっていませんが、「日本についての優越感」はここ10年ほど増加傾向です(49p図10参照)。また、外国人一般に対する排外意識は薄れる傾向にありますが、韓国人への排外意識は強まる傾向にあり(52p図11)、「反中国・反韓国を主張する市民団体」に対するマイナスイメージも強くありません(「米軍基地反対を主張すつ市民団体」と同程度にしか嫌われていない(54p図13参照)。

 

 また、日本についての優越感を持つ層を分析すると、以前は中学・高校卒の学歴層が優越感を持ちやすかったのに対して、現在では学歴差がなくなってきています。また、「テレビを見る」ことが生活に欠かせないという人々の間でも優越感は高いです。

 韓国人に対する排外意識では、高年齢層ほど拒否反応が強いですが、ここでも大卒層の排外意識が強まったことが全体の排外意識を押し上げています。

 

菅原琢「「保守化」の昭和史――政治状況の責任を負わされる有権者

 「そもそも「右傾化」と騒ぎ立てることに意味があるのか?」という根本的な問いを、戦後の「保守化」という言葉の使われ方から論じた非常に面白い論文です。

 「右」というのは「保守/革新」の「保守」に位置づけられますが、「青年の保守化」については早くも60年代半ばから論じられていました。池田勇人内閣が安定的な支持を集め、一方で社会党の勢力が伸び悩む中で「青年の保守化」が指摘されるようになったのです。特に63年7月の朝日新聞世論調査で20代の若者の支持で社会党自民党に逆転されたと報じられたことがこの議論を広めることになりました。ただし、他の設問から保守的な意識が広まったわけではないことも確認されています。

 しかし、60年代後半に自民党支持が低迷し、社会党支持が伸びると、「青年の保守化」論争は下火になります。本論文では、「保守化」の指摘が社会党支持が低迷下敷きと重なっていることも示されており、若者の社会党に対する「迷い」のようなものが「保守化」と名付けられた側面が強いのです。

 

 70年代は保革伯仲の状態が続き、革新自治体も誕生しますが、80年の衆参同日選では自民党が圧勝します。そして、この時期に再び「保守回帰」の議論が盛り上がります。

 ここでもこの言説は選挙や政党支持の説明として使われていて、読売新聞では78年に京都府知事選で革新系首長蜷川虎三の後継者が敗北すると、「保守回帰」の記事が多数掲載され、79年衆院選で自民が伸び悩みと姿を消し、80年の同日選のあとは再び「保守回帰」が叫ばれるようになります。「保守回帰」というと長期的なトレンドのように見えますが、実際には目先の選挙結果の解釈のために使われています。

 

 80年代になると、自民党の支持は安定していきますが、そこで持ち出されたのは「生活保守」という考えです。「一億総中流化」と呼ばれる中で、イデオロギーではなく保身化に基づいた自民に対する「弱い支持」が広がったことが、ときによって左右される自民党への脆弱な支持へつながったというのです。

 ただし、詳しいデータと見てみると、自民が不調に終わった79年と83年の衆院選において、自民支持層だけが棄権に回ったわけではありません。他の政党に投票していいた人も同じように棄権しています。

 本論文では、自民の獲得議席の増減は「弱い支持」の動きではなく、中選挙区制のもとで、前回勝った(効率的に複数の当選者を出せた)選挙区は、必然的に次回は負けやすい(効率的な議席の獲得に失敗しやすい)ということを示しています。

 これはなかなか複雑な議論なのですが、その複雑な議論に代わって語られたのが「保守回帰」というわかりやすい解説なのでしょう。

 「保守化」あるいは「若者の保守化」は、選挙結果の裏にある複雑なメカニズムをスキップして、わかりやすい話に落とし込むために使われたマジックワードのようなものなのです。

 

林香里・田中瑛「政治システムとの強いリンクがもたらした構造的「右傾化」」

 この論文では日本の伝統的メディア(特に新聞やテレビ)について論じています。

 まず、近年日本の伝統的メディアは縮小しつつあります。新聞の発行部数は1997年の5376万部から2018年には3990万部に落ち込んでいます。そうした中で産経新聞のように右に振れるような動きもあります(こうした動きは雑誌でも見られる)。一方、テレビの視聴時間も減りつつあり、そうした中で「危ない橋を渡らない」風潮が強まりつつあります。

 

 メディアに期待される役割として「権力の監視」がありますが、これは比較的新しいもので19世紀終わりから20世紀のはじめにかけてアメリカで確立していきました。それまでは政党紙が中心でしたが、これ以降あらゆる出来事を公平にカバーすることを目指すようになったのです。

 特に日本では新聞社の規模が大きく、通信者やNHKも豊富なリソースを持っています。そこで「記者クラブ」などを中心に政治制度全体をカバーする緻密かつ広範囲の取材体制が出来上がりました。その一方でジャーナリストの職能団体のようなものはなく、横のつながりは弱いです。

 そのため、日本のメディアシステムは全体的に政治システムに内包されるような形になっています。各社はそれぞれ政治家や政府機関に食い込んでいますが、だからこそ全体として政治によって分断され、操られているとも言えます。

 

 そして、このすべてを「公平」に報道しようとするマスメディアの姿勢が、日本人のニュースに対する態度にも現れているとも言えます。今やもっとも見られるニュースは比較的無害で話題になりそうなネタをヘッドラインにもってくるヤフー・ニュースです。

 こうした現状を受けて、著者らは次のように述べています。

 市民にとって、政治は、「ケンカネタ」か、あるいはせいぜい学習する教養の一部であり、それについて主体的に意見をもつべきだとイメージされていない。ましてや、政治がその本来の役割である「よりよい生活のためにある」というイメージはゼロに近かった。そうした市民のイメージは、日本のメディア組織が、「公平性」を追求するという大義のもとに、細かな事実を網羅する仕事に力を入れるあまり、社会のために論争したり意見したりすべきでないという姿と重なるところがある。(146p)

 

津田大介「ネットメディアの伸長と右傾化」

 ネットにおける「フェイクニュース」の問題や、好みに合わない情報を遮断してしまう「フィルターバブル」などの説明から始まり、日本における「ネット右翼」やオンライン排外主義の実態、さらには2ちゃんねるまとめサイトという流れ、近年の自民党のネット戦略などを手際よく解説しています。

 基本的にはほぼ知っていることでしたけど、手短によくまとまっていると思います。

 

樋口直人「政治主導の右傾化」

 ここでは右寄りの草の根組織について論じられています。

 右翼的な団体というと、まず街宣右翼がありましたが、これは冷戦の終結とともに急速に衰えています。

 次に旧軍人関連団体、宗教右派などの右派ロビーですが、こちらも軍人遺族の高齢化、宗教団体の信者数の現象などによって、その力は徐々に衰えています。

 一方、今世紀に入って勢力を拡大しているのが「在日特権を許さない市民の会在特会)」などの排外主義運動です。インターネットを使ってそのコミュニティを発展させましたが、2010年頃から会員数は伸び悩みました。ただし、在特会の会長の桜井誠が党首になっている日本第一党は一定の支持を集めており、排外主義は一定程度定着したと言えるのかもしれません。

 このように草の根組織の主導で右傾が進んでいるとは言えない状況ですが、活動の中心がネットに移ったことで、既成の秩序に服さない断片化が進み、その結果噴出する行動が「右傾化」を印象づけている側面はあります。また、やはり安倍政権は右派ロビーなどと親和的であり、政治の側から草の根組織の「右傾化」を促進するような動きがあったとも言えます。

 

島薗進「神聖天皇国家神道からみた日本の右傾化」

 「日本会議」などの話から始まって国家神道の思想的な動きみたいのを探っているんですが、あんまり興味を持てませんでした。

 

中北浩爾・大和田悠太自民党の右傾化とその論理」

 谷口将紀『現代日本の代表制民主政治』でも指摘されているように、日本の有権者は右傾化していないのに自民党には右傾化の徴候が見られます。一般的には政党は得票増を目指して有権者の多いゾーンに移動すると考えられがちですが、自民党民主党との対抗のために右傾化し、それが続いているのです。

 この自民党の右傾化について詳しく見ていくと、まず、以前のような「清和会は右、宏池会はリベラル」といった派閥ごとの違いは見えにくくなっています。どちらかというと農村出身の議員は右傾化しておらず、都市部出身の議員が右傾化する傾向もあります。また、当選回数の多い議員ほど右派度が高い傾向が見られます。「小泉チルドレン」や「安倍チルドレン」が右傾化を引っ張っているわけではないのです。

 自民党は野党に転落した09〜12年にかけて、民主党との差異を作り出すために外交・防衛政策を中心に右傾化しました。これは有権者の選好とはややずれていますが、有権者が重視するのは主に経済政策や社会保障政策であり、このずれが大きな問題になることはありませんでした。

 ただし、この右傾化は安倍政権になってから少し落ち着きを見せました。戦後70年の談話、従軍慰安婦問題などで安倍政権は必ずしも右寄りの立場に固執したわけではありません。ただし、党を結束させるための手段として「右」のポジションを簡単に捨てることはないだろうというのが著者らの見立てです。

 

砂原庸介・秦正樹・西村翼「地方議会における右傾化――政党間競争と政党組織の観点から」

 近年、一部の地方議員の中に極右的とも言えるような言動が見られます。本書でもさんざん指摘されてきたように有権者が右傾化していないのにも関わらずです。

 本論文では、日本の地方議会の選挙制度、単記非移譲式投票の中選挙区制がその原因の1つになっていることを明らかにしています。具体的には、右寄りと見られる大阪維新の会が大々的に参入した大阪の政令指定都市以外の地方議員の言動を分析することで、そのメカニズムを探っています。

 極右言説の需要側ではなく、供給側の問題について分析したものと言えます。

 

 仮説としては、右寄りの既成政党(自民党)がある中で、新規の右寄り政党(維新の会)が参入すると、既成政党の所属議員は右寄りの言説を強めるというものです。特に日本の地方議会は選挙は個人の力で勝ち抜く要素が強く、執行部の力も強くありません。こうした中で自民の議員は個人として維新に対抗することを迫られるのです。

 本論文ではこの仮説を検証するために、議会での議事録から「日本人」「外国人」「生活保護」「人権」といった言葉に注目しています。

 その分析の結果、自民党の議員は「日本人」について発言することが多く、さらにライバルとなる自民党の議員、維新の会の議員が多いほど「日本人」について発言する傾向が強まります。また、「生活保護」についても自民党議員が多いと発言する傾向が強まります。一方で共産党の議員も「生活保護」について発言しますが、共産党議員が増えたからといって発言の頻度が高まることはありません。

 つまり、自民党の議員は同じ自民所属の議員や維新の会の議員といった右寄りのライバルが増えると、より右寄りの発言を強めて自らの存在をアピールする傾向があるのです。一方、政党としてのまとまりが強い共産党、さらには維新の会にもそういった傾向は見られません。

 こうしたことから右翼的言説の増大の背景に、政党間組織や政党組織の問題があることがわかります。分権的な自民党の地方組織が議員同士の競争の中で右傾化し、それが国会議員にも影響を与えている可能性もあるのです。

 逆に、日本の地方議会では「左寄り」の政党が弱いために、「左傾化」の言説が広まらないとも言えます。

 

ブフ・アレクサンダー「 島根県の「竹島の日」条例制定の経緯」

 2005年に島根県で制定された「竹島の日」は韓国の大きな反発を呼び起こし、日本の右傾化と国家主義の再興として捉えられました。一方、日本では99年の新日韓漁業協定で大きな打撃を受けた地元の漁業者の反発がその背景として語られました。

 しかし、本論文ではそうした双方の見方を斥け、「竹島の日」制定の背景を小泉政権下での地方軽視の動きへの反発に求めています。

 

 竹島の問題は戦後からずっと続く問題ですが、日韓基本条約で李承晩ラインが廃止され竹島周辺が共同規制水域になるとこの問題はそれほどとり上げられなくなります。島根県からは北方領土を念頭に、政府に対して竹島の問題に積極的に動くように働きかけがなされますが、具体的なアクションにはつながりませんでした。

 80年代になると韓国の水産業が成長し、日本近海での操業が活発化します。99年の新日韓漁業協定はそうした中で結ばれたものでしたが、98年に小渕首相と金大中大統領の間で日韓パートナーシップの共同宣言が出された後ということもあり、日本側が韓国側の要求を柔軟に受け入れる形で妥結します。この協定は隠岐の島の漁業には大きな打撃を与えましたが、島根県全体の水産業への影響はそれほど大きなものではなく、これが「竹島の日」に一直線に結びつくものとは言い難いとのことです。

 では、「竹島の日」条例の制定に島根県自民党(条例は自民党所属議員の主導で成立した)が動いたのはなぜか?ということになり、著者はそれに対して、「「三位一体改革」と郵政民営化で大きな打撃を受けた島根県の反発」という答えを提示します。

 この答えや、竹島の日制定は島根県の中央に対する「クーデター」という見方は面白いのですが、その論証に関してはやや弱いような気もしました。状況証拠は出ていますが、決定的な証拠は出ていないように思えます。

 

 このように、本書では様々な角度から「右傾化」が論じられています。

 自分が政治学の本をよく読んでいるせいもありますが、菅原論文、砂原・秦・西村論文は特に面白く感じましたし、伝統メディアを扱った林・田中論文も面白いと思いました。いずれも、有権者(国民)が「右傾化」しているわけではないのに、なぜ「右傾化」が言われるのか? 政治やメディアで「右」の言説が目立ってみえるのはなぜなのか? という問題に1つの答えを与えています。特に菅原論文は「右傾化」、特に「若者の右傾化」などを語りたい人に「まず読め」と言いたい論文ですね。

 また、冒頭の小熊英二による「総説」が各論文を手際よくまとめているので、時間がない人もまずは手にとって「総説」だけ読んで、そこからどれを読むか決めてもいいかもしれません。