松永伸太朗『アニメーターはどう働いているのか』

 酒井 正『日本のセーフティーネット格差』とともに、第43回労働関係図書優秀賞を受賞した本で、その受賞で本書の存在を知って読んでみましたが、なかなか面白い本です。

 まず、単純にアニメーターたちがどんなふうに仕事を行っているのかという点も興味深いですのですが、さらに、その働き方にも特徴があります。

 アニメーターは基本的にフリーランスですが、本書がとり上げているのはそうしたアニメーターが集まっているスタジオです。そこで、「なぜ、フリーランスでいいのに会社に所属しているのか?」、「なぜ、家でも作業はできるはずなのにスタジオに集まっているのか?」という疑問が浮かぶのですが、それに対する答えが本書ではいくつか示されています。

 アニメーターというのはやや特殊な働き方ではあるのですが、そこから「なぜ企業は存在するのか?(すべて市場取引ではだめなのか?)」というロナルド・H・コース『企業・市場・法』で検討された大きな問題に接続して考えることもできますし、さらにテレワークの導入とともに浮上してきた「オフィスは必要なのか?」「オフィスはどうあるべきなのか?」という問題に対するヒントを見出すこともできます。

 

 手法としては参与観察とエスノメソドロジーの技法が用いられています。エスノメソドロジーというと会話分析のイメージが強く、「アニメスタジオでそんなに会話が拾えるのかな?」とも思いましたが、本書ではオフィスの空間とその空間の用いられ方に注目しながら、個々のアニメーターたちの行為を解釈しています(だからこそ、オフィスの問題を考えるときのヒントになる)。

 「エスノメソドロジー」と聞くと身構える人もいるかもしれませんが、記述は平易ですし(エスノメソドロジーを知らないとややまだるっこしく感じるかもしれませんが)、比較的読みやすいのではないかと思います。

 

 目次は以下の通り。

00 序章:アニメーターの労働への新しい見方
  集まって働くフリーランサー

01 アニメーターの労働をめぐる諸前提

02 X社というフィールド

03 生産活動
  作画机の上での協働と個人的空間

04 労務管理
  仕事の獲得・不安定性への対処・協働の達成

05 人材育成
  技能形成の機会

06 個人的空間への配慮と空間的秩序の遂行

07 終章:本書の要約とインプリケーション

 

 まず、アニメーターというと思い浮かぶのは「低賃金」であり、いわゆる「やりがい搾取」的な仕事の典型例というイメージを持つ人をいるかもしれません。

 ただし、それだけを強調するだけでは、アニメーターたちは適切な判断能力を失って、「働かされている」ということになりかねません。

 

 本書が研究対象としているX社は調査を行った2017年時点で40年以上の歴史をもつ老舗的な作画スタジオで、アニメ制作の中では下請け制作会社に位置します。X社には40名ほどのアニメーターが在籍していますが、他のスタジオに出向しているスタッフも多いです。

 社長の小笠原(仮名)は現役のアニメーターでもあり、演出家としても活躍しています。マネージャーと経理以外のスタッフは基本的にアニメーターになりますです。

 アニメーターたちは基本的に作画などの作業量に応じて賃金を受け取りますが、作品の主要スタッフ担った場合などは出向という形で、他のスタジオに常駐することになります。この場合でも、賃金は一旦X社に振り込まれた上で、手数料を差し引いた上でスタッフに支給されます。

 

 ここまで説明したところで、「中抜き!」「搾取!」という言葉が頭をよぎった人もいるかもしれません。実際、現在の社長の小笠原も以前、他の作画監督のギャラの話を聞いたときに自分のギャラが結構抜かれていることに気づいたと言ってますし、実際にそれで辞めた人もいるとのことなのですが(67p)、それでもX社のスタッフの多くがこのやり方に納得し、X社が長年存続しているというのが、本書が解き明かしていくれる謎になります。

 

 X社のスタジオで行われている作業の多くは原画の作成で、絵コンテをもとに画面を設計し、演出の要求する動きや演技を絵に描いていく作業です。近年では絵コンテからレイアウトを作成するレイアウトラフ原画(LOラフ原画(第一原画ともいう))、ラフに描かれたレイアウトを清書する第2原画に分かれている場合が多く、作業の難易度はLOラフ原画が上で、収入のより高くなります。

 原画は1つ1つのシーンや動きのまとまりである「カット」を請け負う形になっており、2009年の日本アニメーター・演出家協会のまとめた資料だと、原画は1カット1500〜20000円で平均1カット3966円、第2原画は1000〜2500円で平均1カット1720円となっています(46p表1−2参照)。

 一口にアニメの仕事と言ってもその担当する仕事や技量によって収入は随分違うようで、54p表2−2の「X社の人員構成」に2016年の年収も載っているのですが(無回答とアンケートを取れなかった人もいる)、100万円台から総作画監督をやって1000万を超えている人までいます(ただ、1000万超えは例外的な感じで経験のあるベテランで600万前後という感じでしょうか)。

 

 スタッフへのインタビューを読むと、基本的にX社に所属している理由は、「技術が向上できるから」、「個人で仕事を探す必要がない」、「X社というネームバリュー」といったものがあげられています(66p表2−2参照)。

 本書ではそうした声が本当なのかということが、実際に観察された場面なら検討されていくことになります。

 また、実際にスタジオに集まって作業することのメリットも検討されることになります。本書の第2章では女性スタッフがアダルトもののアニメを担当したときに周囲の目が気になってストレスから病院に通うことになったという話が紹介されていますし(68p)、個々人の作画机というパーソナルスペースをかなり尊重している様子もうかがえます(電話を取るときもわざわざ遠い電話まで移動したりしている)。それにもかかわらず、集まって働くメリットはあるのか? ということです。

 

 まず、X社に所属することは「仕事を得る」という点で大きなメリットがあります。

 近年のアニメ作品は放映期間が3ヶ月のものが多く、長期にわたって同じ作品の仕事をすることが難しくなっています。つまりアニメーターたちは現在の作業をしつつ、次の仕事を探す必要があるのです。

 しかし、X社ではマネージャーがこの手の仕事を取り仕切っています。マネージャーは他社から来た注文に対して手が空いているものを紹介し、さらにギャラの交渉まで行います。例えば、92pに拘束で月35万という相手方の条件に対してマネージャーがそのスタッフは子どもがいるので35万では厳しいと述べ、別の会社から月40万円という話があると持ち出して、報酬を40万に引き上げることを呑ませています。

 さらに、マネージャーは「誰か起用できるスタッフはいないか?」との要求に社内のスタッフを紹介しています(94p)。

 他にも手が空きそうな(仕事が途切れそうな)スタッフからの相談を受けて、仕事を紹介するなど、X社ではマネージャーが大きな役割を果たしています。

 「仕事を探す」「ギャラの交渉をする」というのはアニメーターにとってかなりコストのかかる(人によっては苦手な)ものだと思いますが、X社に所属することでそのコストを大幅に軽減できるのです。

 

 さらに突発的なトラブルにも組織的に対応できます。スタッフの1人が体調不良で仕事をこなせなくなったケースでは、マネージャーが中心となり、社長の小笠原の意見も聞きながら社内のスタッフにカットを割り振っています。これによって締め切りを守り、「X社というブランド」という価値を守っているのです。これが個人で請けていたケースだと、締め切りを守れなかったことでその個人の評判が毀損されることになったはずで、これが「X社のネームバリュー」という評価にもつながっているのでしょう。

 

 次に「技術の向上」という点ですが、これについては第5章で具体的にいくつかのアドバイスの場面がとり上げられています。

 そのうちの1つは、若手のアニメーターが描こうとしているカットに対して社長の小笠原が、「テレビでしょこれ・全部原画になってカロリー高くなっちゃう」(107p)、「ギャラに見合ってない。下にも迷惑がかかる。のでTVシリーズでやる演技ではない。ヤマだったら別だけど」(109p)といったアドバイスをしているものです。要するにTVアニメでやるには手間のかかりすぎる作画になっているということなのでしょうが、こういった知識は学校などでは教えられない現場ならではの知識と言えるでしょう。単純に自分の労力だけではなく後工程のことも考えた実践的なアドバイスになっています。

 他の場面では、先輩のアニメーターが後輩に対して、この2人の位置関係だと1人が持っている杖がもう1人に当たってしまう、小柄な女性のキャラクターが重そうな杖を地面と平行な形で持つのは違和感がある、といったアドバイスがなされています(119p)。さらにこの指導に続いてX社以外ではこのような指導が少なくなってきていると語られています、若手のアニメーターにとってX社に所属するメリットがよくわかる場面となっています(さらにこれが「X社のネームバリュー」を担保している構造になっている)。

 

 また、X社には上り棚と呼ばれる仕上がった原画を置いておく場所があります。原画は袋に入っているために展示されているわけではないのですが、スタッフはこの原画を見ることができます。

 あまり堂々と見るべきものではないような雰囲気ですが(見ているのは周囲に人がいないときにほぼ限られている)、それでもこうした形で他者の原画を参考にすることができるようになっているのです。

 

 第6章では、スタジオ内でのさまざまな雑談がとり上げられています。

 特徴の1つは、できるだけ作画机の個人スペースを侵さないような形で雑談がなされている点です。社外の人の情報をちょっと聞きたいと言ったケースでも、聞く側は相手が離席したタイミングを見計らって話しかけたりしていますし、作画机で寝ているスタッフがいたら、聞きたいことがあっても起こさないといった場面が見られます。

 また、雑談から仕事上の問題点が解決するケースも見られ、基本的に1人で作業しつつも、周囲に仲間がいることで、いろいろな知恵が出てくる様子もうかがえます。

 仲間のテリトリー(作画机)を侵さないというスタイルが労働時間を伸ばすことにつながっている可能性もありますが、個人の作業がメインでありながら、やはり集団で働くことの意義もあるといったことがわかります。

 

 このように本書は「集団で働くこと」の意味を改めて問い直すような内容にもなっています。

 ネットによって取引費用が低下する中で、フリーランス、あるいはギグ・ワーカー的な働き方は今後ますます増えていくと考えられますが、本書読むと、ネットの出現によって低下した取引コストというのは、実はフリーランスの個人に転嫁されているだけではないか? という疑問も浮かびます。そして、取引コスト以外の技能形成のコストなども、フリーランスの場合は個人で負わざるを得ません。

 本書は、一見すると集まって働く必要がないと思われるアニメーターの働き方を詳しく観察することによって、組織や「集団で働くこと」の意義を再認識させてくれます。

 

 エスノメソドロジーを使った分析に関しては、過剰な解釈ではないかと感じる人もいるかもしれませんが、基本的にはわかりやすい議論がなされていると思いますし、アニメに興味がある人だけでなく、フリーランスの働き方、あるいは企業という組織について興味がある人にとっても面白い内容を含んだ本になっています。