『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

 今さらながら見てきました。

 ついに興行成績が過去最高になったわけですが、結果論的に言うと、TVシリーズを欲張りせずに中途半端なところで終わらせて、このエピソードで劇場版を作った戦略の勝利という感じですかね。

 TVアニメの「鬼滅の刃」をスタートさせたときに、どんな目論見があったのかはわかりませんが、TVシリーズは「那田蜘蛛山編」で盛り上げたあと、柱の登場と修行で終わるというやや中途半端な終わり方です。「次のシリーズは人気次第」のような姿勢だったら、無理して無限列車編までTVシリーズでやったのではないでしょうか?

 最初から「TVシリーズの第一期で終わらせるようなことはしない」という覚悟が制作陣に合ったのでしょう。

 

 この「無限列車編」自体も、見終わってみれば映画化するにはベストなエピソード。

 コミックを読んだときは「遊郭編」のほうが面白く読んだような記憶があるのですが、この「無限列車編」は最期に煉獄さんVS猗窩座の戦いがあることで、もう一段の盛り上がりがありますし、この戦いに『鬼滅の刃』全体を貫くテーマというか思想が現れています。

 以下、もはやネタバレなんて関係ない作品でしょうが、ネタバレを含みます。

 

 本作のキーになるセリフは煉獄さんの「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ死にからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ」というものでしょう。

 このセリフは弱者を毛嫌いし、共に鬼になって最強の存在を目指そうと煉獄を誘う猗窩座という鬼に対して発せられています。

 悪役が人間の弱さをあげつらって、それに対して主人公がさまざまな迷いや経験を経て、こうしたセリフを言うというのはけっこうよくあることだと思います。

 しかし、本作では煉獄さんが一部の迷いもなくこのセリフを放ちます。闇堕ちの誘いに全く動じないのが、煉獄杏寿郎というキャラの特徴であり、それが清々しいかっこよさを生んでいます。

 近年、『ダークナイト』のジョーカーをはじめとして「絶対悪」的なキャラの造形が流行していたようにも思えますが、煉獄さんは逆に「絶対善」的です(『鬼滅の刃』では鬼になった理由に関しては理由づけされていることが多く、このあたりはあらゆる理由を拒むジョーカーと対照的)。

 

 また、TVシリーズもそうですが、アニメとしての動きもダイナミックで迫力があり、CGと手書きの部分をうまく組み合わせながら、新しい表現を生み出していますね。

 ジャンプ漫画では主人公たちの必殺技は名ばかりで具体的にどんなことをしているのかわからないケースが多いですが(代表はもちろん『聖闘士星矢』)、すべての技がダイナミックに再現されているのは気持ちがいいですね。