「折りたたみ北京」でヒューゴー賞を受賞した中国の作家による自伝体小説。
著者のことはケン・リュウ編『折りたたみ北京』と『月の光』という中国のSFアンソロジーを通じて知っていたので、本書もSF的な要素があると予想して読み始めました。タイトルの「1984年」は、当然オーウェルの『1984』から来ているものと考えられますし、早い段階で「They are watching you.」という言葉も登場します。
ところが、これが純文学と言ってもいいような作品なのです。
1984年に生まれた軽雲(チンユン)という女性と、その父で娘の軽雲が生まれてすぐに姿を消した沈智(シェンチィ)という2人の人物の人生を交互に語ることで、1984年〜2014年にかけての中国の激動と、その激動の並にもまれる人々が描かれています。
「1984年」という年も、もちろんオーウェルのことも意識しているわけですが、本作では中国における「会社元年」、つまり改革開放が本格的にスタートし、今までの上からの命令をこなす時代から、自分の運命を自分で切り拓かねばならなくなった転換の年として意味づけされています。
ただ、ちょっと曲者なのが「自伝体小説」という部分で、あたかも自伝のように書かれていますが、そのイメージは最後にひっくり返されることになります。
冒頭では父の沈智の文革の経験が書かれています。この文革から始まるというのは劉慈欣『三体』と同じで、やはりこの世代の文革の経験は大きいのだと改めて感じますし、また、文革の経験があるからこそ、沈智が知り合いに唆されるように深センへと向かう列車での開放感や高揚感といったものが伝わってきます。
その後、沈智はイギリスを皮切りに海外へと渡り、各国を転々とするのですが、その父の謎を追って物語はもう1度文革に回帰することになります。
娘の軽雲の世代は、まさに中国が豊かになっていくのとともに成長した世代になりますが、時代の追い風を受けているからこそ、「何者かになりたい」という想いに追われています。
主人公は自らが凡庸であることを自覚していて、どちらかと言えば「何者かになりたい」ではなく「自分は何者なのか」という問題に悩む人物なのですが、親世代とはまったく違った悩みを抱える世代と言えるでしょう。
主人公の紆余曲折に関しては、ぜひこの小説を読んでほしいのですが、最初はこの世界のあるべき姿を考えるものとして政治学(政治哲学)に興味をもった主人公は、社会に出たあとに統計と関わるようになります。
もちろん、中国の統計には怪しい部分もあり、それは本書にも書かれているのですが、それでも真の姿を記録として残そうとする人もいます。このあたりは、清の時代の揚州大虐殺について書かれた本が日本に伝わって記録として残ったということを描いたケン・リュウ「訴訟師と猿の王」(『母の記憶に』所収)を思い出しました。
ある種の「記録」が倫理と結びつくというのは中国でこそよく感じられることなのかもしれません。
「折りたたみ北京」のような、度肝を抜くようなアイディアはありませんが、近年の中国の激動と、作者の巧さを感じさせてくれる小説ですね。良い小説だと思います。