スーパークレイジー君の当選によせて

 2021年1月31日の埼玉県戸田市の市議会議員選挙(定数26)において、2020年の都知事選でもそのパフォーマンスが話題なったスーパークレイジー君こと西本誠氏が25番目の912票の得票で初当選しました(政治家としてもスーパークレイジー君として活動するとのことなので、以下もスーパークレイジー君で)。

 都知事選では「百合子か、俺か」のキャッチフレーズやそのパフォーマンスからイロモノ候補かと思っていたのですが、政見放送を見たら非常に真面目な主張をしていて驚いた記憶があります。

 今回の当選を受けて、マスコミでも話題を集めていますが、今回のスーパークレイジー君の当選には「驚いた」「ウケる」といった要素だけではなく、日本の選挙や民主主義を考える上での重要な問題が含まれていると考えるので、以下、2つの面から考えてみたいと思います。

 

1. 日本の地方議会の選挙制度の問題

 

 今回の戸田市議会議員選挙の結果は以下の通りになります(画像では32位までしかありませんが全部で36人が立候補しています)。投票率は38.88%でした。

 

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 スーパークレイジー君が獲得した票は912票。これは戸田市有権者数110824人の0.82%ほどです。

 まず、この程度で当選できてしまう選挙の仕組みがおかしいと考える人もいると思います。日本の市町村議会選挙は政令市などを除いて基本的には大選挙区制、より専門的には複数当選・単記非移譲式投票(SNTV)とも呼ばれています。定数は複数ですが、有権者は一人の候補者のみを選ぶスタイルで、獲得票数の多い順に当選が決まっていきます。

 この仕組みだと政治家は幅広い支持がなくても当選できます。日本の市議選などではだいたい有権者の1%の票を獲得すればいいわけで、特定の支持層さえ固めれば当選できてしまうのです。そして、こうした制度のために政治家に責任を取らせる(落選させる)ことが難しくなります。

 

 この問題を地方議会の選挙制度の問題を取り上げているのが砂原庸介『民主主義の条件』です。

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 本書でも指摘されているように、この制度では個人で一定の票を固めれば当選できるので、組織をつくって行動しようという誘因ははたらかなくなり、議員がそれぞればらばらに行動するようになり、結果的に首長に対抗するまとまった力にもなりにくくなります。

 また、上の戸田市議選の結果をよくみるとわかるのですが、公明党共産党がうまく票割りをして、みうらのぶお氏とうちやえみこ氏に上位候補から200票ほど回せていたらスーパークレイジー君の当選はありませんでした(みうらのぶお氏の票に小数点以下のものがあるのは、同じ公明党の三浦よしかず氏との按分票と思われる)。

 公明党は票の配分が上手い組織として知られていますが、それでも失敗しています。もし比例代表であれば、難しいことを考えなくても良かったでしょう。

 このようにスーパークレイジー君の当選は問題を孕んだ地方の選挙制度が生み出したものとも言えるのです。

 

2. 政治参加における格差を埋めるものとしてのスーパークレイジー

 

 世界を見渡すと、高学歴層の投票率が高く低学歴層の投票率が低いという傾向が見られます。

 ところが、日本は1970〜90年頃まで、むしろ低学歴層の方が政治参加のレベルが高いという状況がありました。これは相対的に学歴の低い農村部では農協が、都市部では低学歴層を公明党が中心となって「動員」したからです。そして、これが結果的に「一億総中流」の社会を生み出したとも言えます。

 ただし、現在この図式は崩れています。このことについて詳しく分析しているのが、蒲島郁夫/境家史郎『政治参加論』です。

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 90年代になると、農協が一枚岩で自民党を支持する構図は崩れ、非正規雇用が増えるにつれて労組の組織率も落ち、「動員」されない人びとが増えていきます。

 こうして、日本も高学歴層の投票率が高く低学歴層の投票率が低いという「普通の国」になりました。

 

 では、「普通の国」になって起こる問題は何か? それは「逆リベラル・モデル」と言われるものです。

 建前としては「一人一票」という平等が実現していますが、実際に選挙に投票するのが高学歴層中心であれば、政治の場に入力されるのは高学歴層(そしてこれは高所得層と重なる)の意見です。

 以前は、政治参加の拡大が格差の縮小や経済発展をもたらしていましが、90年代以降の日本ではバブル崩壊後の不景気も相まって、「社会経済的発展の減速→政策的選択肢の減少→政治参加の縮小→社会経済的不平等の拡大→社会経済的発展の減速」という悪循環を繰り返しているのです(『政治参加論』211−212p)。

 日本以外の国では、デモなどの政治運動が投票率の低下を補っている部分もあるのですが、日本ではデモなどへの参加が低調で、単純に政治参加のレベルが低い国となっています。

 

 こうした状況を変えるには、低学歴層の投票率を上げて、低学歴層の声を政治の場に反映させる事が必要です。投票率を上げるには、義務投票制を導入なども考えられますが、そう簡単には実現しないでしょう。

 ですから、何らかの形での「動員」や「啓蒙」が必要だと考えられるのですが、そのことに関して個人的に興味を持ったのが、畠山理仁氏による「踊らない! 歌わない! 戸田市議会議員選挙で、スーパークレイジー君はなぜ当選できたのか?」という記事の次の部分です。

 

 もちろん候補者本人もビラを配った。一人ひとり、丁寧に手渡した。求められればビラにサインも書いた。2ショット写真も撮った。LINEも交換して一人ひとりとつながった。

 候補者本人からビラを受け取った人たちは「イケメン!」「こんなに気軽に話せる政治家はいなかった」「真面目で驚いた」「頑張って」と次々に声をかけていく。すると、スーパークレイジー君はすかさず決め台詞を言う。

期日前投票、すぐそこでできます。投票所入場券が手元になくても手ぶらでできます。明日になると忘れちゃうかもしれないから、時間があるなら今から行きませんか。ほんの2、3分で投票できます」

 若い女性が「私、これまで一度も投票したことがないんです」と戸惑うと、期日前投票所までの道順を丁寧に伝えた。その後も駅前でビラ配りを続けていると、先の女性が戻ってきて嬉しそうに報告した。

「初めて投票してきました。本当にすぐでした。こんなに簡単にできるんですね!」

 私はこうした光景を短時間に何度も見た。

 

yomitai.jp

 

 おそらく「投票する」ということに対してものすごく高いハードルを感じている人、特に若者は多いはずで、このやり取りに出てくる女性もスーパークレイジー君がいなければほぼ選挙権を行使することなく過ごしたのかもしれません。

 労組や地域の団体が弱まった現在、このように手取り足取り「政治」の場へと案内してくれる人はなかなかいないでしょう(もちろん、以前は労組や地域の団体による組織票こそが政治を歪めているという議論もあったわけですが、「動員=悪」という図式が政治の活力を奪ってきたような面もあるはず)。

 政治から疎外されている人びとの声をどうやって政治の場に届けるのかということを考えた場合に、このスーパークレイジー君の選挙は1つの方法を示しているようにも思えます。

 

3. まとめ

 

 現在の地方議会の選挙制度には問題点があり、スーパークレイジー君の当選はその問題が表面化した1つの例とも言えます。

 一方で、現在の選挙制度だからこそ、スーパークレイジー君が当選して、政治から疎外されている人びとを政治の場に連れてくる1つの方法を示してくれたとも言えます。

 

 結局、何が言いたいんだ? という感じですが、個人的にはまずスーパークレイジー君の今回の選挙運動については高く評価したいと思います。現在の有権者教育が、「あなたの大切な一票、よく考えて投票しましょう」というメッセージを連呼することによってかえって投票のハードルを上げてしまっているのではないかと中で、「なんか面白そうなやつがいる!」という興奮を票に結びつけたのは見事だと思います(N国のようなシニシズムがないのもいいですね)。

 

 次に選挙制度に関してですが、砂原庸介『分裂と統合の日本政治』が指摘するように日本の地方選挙の制度は国政のあり方にも影響を与えており、何らかの改正が必要だとは思うのですが、それが第2のスーパークレイジー君の出現を阻んでしまうかもしれません(このあたりは木寺元「誰がための選挙制度改革?――「街灯の下で鍵を探す」議論にならないために」(『都市問題』第109巻第5号所収)も参照)。

 理想は政党がスーパークレイジー君のような候補をリクルートすることなんでしょうけど、今の感じだと難しいかもしれません。

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 今回のエントリーで触れた本