『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)でサントリー学芸賞を受賞した著者による、子育て支援の政策を分析した本。
『「家族の幸せ」の経済学』も面白かったのですが、個人的にはマッチングサイトや離婚の話などは置いておいて、もっと著者の専門である子育て支援政策の分析に絞ったほうが良かったのでは、という感想も持ちました。そうした意味では個人的には待ち望んでいた本です。
本書は『経済セミナー』の連載をもとにしたものであり、新書である『「家族の幸せ」の経済学』に比べると、研究の方法・技法の紹介に大きく紙幅を割いています。「この研究によるとこういった効果がありますよ」と紹介するだけではなく、「この研究は問題を明らかにするためにこういった技法が使われており、それによるとこういった効果がある」という形で研究のやり方が妥当であるのかということも含めて検討されています。
中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』や伊藤公一朗『データ分析の力』といった因果分析のやり方を紹介した本にも通じる内容です。
このように書くと、なかなか難しそうな本に思えるかもしれませんが、テクニカルな部分は巻末の付録に回してありますし、基本的には読みやすいと思います。
また、日本の子育支援政策、特に保育園をめぐる政策が、その政策による効果が最もあると考えられる低所得・低学歴の母親層に届いていないのではないか? という指摘は非常に重要なものだと思います。
目次は以下の通り。
第1章 なぜ少子化は社会問題なのか?
第2章 現金給付で子どもは増える?
第3章 保育支援で子どもは増える?
第4章 少子化対策のカギはジェンダーの視点?第2部 子育て支援は次世代への投資
第5章 育休政策は子どもを伸ばす?
第6章 幼児教育にはどんな効果が?
第7章 保育園は子も親も育てる?第3部 子育て支援がうながす女性活躍
第8章 育休で母親は働きやすくなる?
第9章 長すぎる育休は逆効果?
第10章 保育改革で母親は働きやすくなる?
第11章 保育制度の意図せざる帰結とは?付録 実証分析の理論と作法
まず、第1章では「なぜ少子化は社会問題なのか?」「なぜ政策介入が必要のなのか?」ということが論じられていますが、親は子育ての費用を負担するが、現代の先進国では子どもの稼ぎを自分のものにすることはできないから、子どもが生み出す便益は社会全体で共有されてしまう。子どもが育ち社会の一員になることには正の外部性を持つ(社会全体のプラスになる)ので、政策的介入が正当化されるという議論がなされています。
いかにも経済学的な論の運びですね。
第2章では現金給付の効果が検討されています。子育て支援策には現金給付、保育所などを整備する現物給付、税制上の優遇措置などが考えられます。
その中でも現金給付は一番人びとのインセンティブを刺激しそうではありますが、現実にはそうストレートに効くわけではありません。ゲイリー・ベッカーが言うように子育てには「量」(人数)と「質」のトレードオフがあるかもしれず、経済的な余裕は「質」への投資(習い事をさせるなど)につながり、子どもの人数を増やすことにはならないかもしれないからです。
では、実際にどうやって現金給付の効果を測定するかというと、本書ではカナダのケベック州のケース使って差の差分析(DID)を行った研究が紹介されています。
カナダのケベック州では1988年に所得制限のない新生児手当が導入されました。これは第1子と第2子には500カナダドル、第3子以降には3000カナダドルを支払うというもので、92年には第2子1000カナダドル、第3子以降には8000カナダドルに増額されています。
そして、ポイントはカナダの他の州では実施されなかったことです。つまりケベックを介入群、他を対照群とみなせます。もし、ケベック州の出生率が他の州に比べて大きく伸びるのであれば、それは現金給付の効果だとみなせるのです。
その分析の結果を見ると、それまで他の州に比べて低かったケベックの出生率がほぼ他の州と並んだことがわかります(26p図2.5参照)。
こうした研究は各国で行われており、多くのケースで現金給付は出生率を引き上げています。ケベックのケースでは給付金に対する出生率の弾力性は0.107、つまり給付金が1%と増えると出生率が0.107%増えると分析されています。また、ケベックでは第3子以降に手厚い給付をしていますが、給付金額あたりの効果では第2子に最も効果が出ているそうです(36−37p)。
では、現物給付、保育所の増設はどうでしょうか?
2000年代半ばの旧西ドイツ地域における保育改革では、1歳以上の子ども保育所に入所する法的な権利が付与されるようになり、保育所の定員は改革前の3倍に増えました(保育所の整備に関しては旧東ドイツ地域の方が進んでいた)。
このときに保育所の整備が進んだ地域と遅れた地域を比較することで、保育所の整備が出生率に与える影響を探った研究があります。この研究によると、保育所の定員率が10%ポイント上昇すると、出生率が1.228%ポイント、あるいは2.8%上昇することがわかったそうです(54p)。
では、先程の現金給付と比べて出生率が引き上げる効果が高いかどうかと言うと、多国間データを用いた過去の研究によると、児童手当に対する出生率の弾力性は0.16であり、これがドイツにも当てはまるとすれば、ドイツはおよそ400億ユーロの児童手当を使っているので、4億ユーロで出生率を0.16%引き上げることになります。
一方、同額を保育所の増設に回すと5万8823人分の保育枠が生まれ、これは出生率を0.82%上げると考えられます。つまり、児童手当と比べて、5倍以上効果的だということです(55p)。さらに保育所の増設は働く女性を増やすことで税収増も望めます。
ただし、日本だと、児童手当に対する出生率の弾力性を同じく0.16と想定した場合、ドイツほど、保育所の増設との差は出ません。
現金給付にしろ保育所の整備にしろ、子育て費用の低減が少子化対策の1つの手段となるわけですが、子育てのコストが夫婦でどのように分配されるのかも考える必要があります。
先進国では、男性の家事・育児負担割合が高いほど出生率も高い傾向がありますが(67p図4.1参照)、これはあくまでも相関関係で因果関係を示しているとは言えません。ただし、子どもを持つかどうかで夫婦の考えが一致しておらず、しかも妻が子どもを持ちたくない形で不一致となっている国は出生率も低いとのデータがあり(69p)、さらにこの不一致は男性の家事・育児負担割合が高いほど低くなる傾向にあります。
以上が第1部。つづいて第2部では、子どもの発育という立場から子育て支援策が分析されています。
まず、最初にとり上げられているのが育休の延長です。育休の延長は子どもの成長にプラスの影響を与えるのでしょうか?
本書では回帰不連続デザイン(RDD)という手法を使った研究を紹介しています。育休の導入や延長はある時期を境に行われますが、その直前と直後を比較することで、育休が子どもの成長に与える影響を測ることができるというわけです。
ドイツでは大きな育休改革が3度行われています。1979年に行われた育休を2ヶ月から6ヶ月に伸ばすもの、1986年に行われた6ヶ月から10ヶ月に伸ばすもの、1992年に行われた18ヶ月から36ヶ月に伸ばすものです。いずれも29歳時の教育年数や進学高校卒業率は特に大きく変化しておらず(89p図5.4、90p図5.5、図5.6参照)、育休の延長が子どもの長期的な成長に特に影響を及ぼすものではないことがわかります。
一方、ノルウェーの1977年に行われた育休改革は高校中退率を2%ポイント引き下げ、30歳時点の労働所得を5%上昇させたといいます。これは当時、ノルウェーには2歳未満の子どものための保育所がなく、仕事をする女性は祖父母に子どもを預けざるを得なかったことが原因だと考えられます。
つづいて幼児教育の効果です。ヘックマンの研究などから幼児教育が子どもの非認知能力を高め、それが大人になってもプラスの影響を与えるという話が知られるようになっていますが、実際のところはどうなのでしょう?
アメリカではランダム化比較試験(RCT)を使った社会実験プログラムが行われています。一番有名なのはペリー幼児教育プロジェクト(PPP)ですが、ここでは1962〜67年にかけて3〜4歳の黒人家庭の子どもたちをランダムに選び、1〜2年の幼児教育と1、2週に1回の家庭訪問を行い、40歳までデータを取り続けました。
この他、アメリカではいくつかのプログラムが行われています。いずれも5歳時のIQを引き上げましたが、このIQへの効果は小学校入学後2、3年で消えてしまいます。しかし、高校卒業率を20〜50%引き上げ、30〜40歳の就業率や労働所得を増大させました。これはプログラムによって攻撃性や多動性などが改善され、自身の感情や行動をコントロールする非認知能力が高められたためと考えられています。
ただし、これらのプログラムはいずれも低所得の家庭に対して行われており、すべての子どもに同様の効果を与えるかは不明です。また、PPPの行った1,2週に1回の家庭訪問を全国一律で導入するのはコスト的に相当難しいものでしょう。
幼児教育の一般的な影響を明らかにしようとする研究も行われており、それは保育所の整備が進んだ地域と遅れた地域を比較する差の差分析や、保育所に入れた子どもとぎりぎり入れなかった子どもを比較した回帰不連続デザインなどの手法が使われます。
各国の研究によると、幼児教育はテストのテストの点数を引き上げ、これは中学頃までつづくとのことです。また、非認知能力の1つである「社会的情緒能力」を改善させるとの研究もあります。一方、イタリアのボローニャでは裕福な家庭の子どもに負の影響を与えたとの研究もあります。恵まれた家庭では、保育所以上の教育を提供できている可能性もあるのです。
第7章では著者の厚生労働省「21世紀出生児縦断調査」を用いた研究が紹介されています。日本において保育所の利用がどのような効果をもたらしているのかを調べた研究です。
これによると、保育所利用は言語的な発達を促します。また、多動性と攻撃性を減少させる結果も出ていますが、統計的にあまり確かなことは言えないようです。ただし、母親が高卒未満の場合、保育所の利用は多動性と攻撃性を大きく減少させます。
また、保育所の利用には、高卒未満の母親のしつけの質を改善し、ストレスを減少させ、幸福度を上昇させる効果もあります。これは、恵まれない環境の家庭では母親の余裕がなく、子どもに望ましい環境を提供することが難しいが、保育所の利用によって母親に余裕が生まれ子どもの環境も良くなるということなのでしょう。また、子どもとの接し方を保育士から学んでいるとも考えられます。
なお、この分析は137pの表7.2と139pの表7.3にまとめられていますが、有意水準を示す星(*)がついていません。著者は「星をつけてしまうと、その視覚的な印象に引きずられ、結果を有意・非有意の2分法で解釈することに陥りがちだからだ」(138p)と述べています。
第3部では働く女性の就業支援という立場から子育て支援策を検討しています。
まずは育休です。オーストリアでは1990年に育休期間を1年から2年に延長する変更がなされました。この制度変更の時期の前後で比較する回帰不連続デザインの研究が行われていますが、それによると育休の延長は育休の取得期間を伸ばし、3年以内の仕事復帰率を低下させました(148p図8.1、8.2参照)。仕事への復帰のタイミングはやはり遅くなったのです。ただし、中長期的な雇用への影響は少ないようです。
以前、安倍首相が「3年間抱っこし放題」と名付けて育休を最長3年まで伸ばすことを提言していましたが(実現はしなかった)、育休を伸ばせば出生率は上がるのでしょうか?
この仮定の問題に構造推定アプローチを使って取り組んだのが第9章です。これを解説するのは難しいので詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、出産後に母親が働く確率は育休が1年でも3年でもあまり変わらず、出生率に対する影響もわずかであると分析されています。
本章では、出産手当金を支給した場合のシミュレーションも行われており、確かに大きな金額を出せば出生率は上がるものの、女性の就業率や所得を低下させることも示されています。
第10章のテーマは保育所の増設が女性の就労を促進するかです。
日本の女性の末子が6〜14歳時の就業率は72%で、OECD29カ国の平均73%とほぼ同じです。しかし、末子が0〜2歳時の就業率は47%でOECD29カ国平均の53%を大きく下回っています(175p図10.1参照)。
保育所の増設を中心とした保育改革は、アルゼンチンやカナダのケベック州、スペイン、ドイツなどで大きな就業促進効果をもたらしたとされる一方、スウェーデンやフランス、オランダ、ノルウェーなどでは大きな効果を持たなかったといいます(183p)。前者の国はもともと女性の就業率が低かった国が多く、そうした国では保育所の不足が女性が働く上での制約要因になっていたと考えられるのです。
保育所の増設が単純に女性の就労増加に結びつかないのは、今まで祖父母やベビーシッターなどに子どもを預けて働いていた人が保育所を利用するようになるケースもあるからです。この場合、保育所の定員が増えても女性の就労率はあがりません。
こうしたことを踏まえて最後の第11章では日本の保育制度の問題点が指摘されています。
日本では親が保育所に入所させたいと考える子どもの数よりも保育所の定員が少ないことが多く、利用調整制度という希望者を順位付けし、絞り込む仕組みがとられています。多くの人はご存知でしょうが、フルタイム勤務や一人親世帯などに高い点数が与えられ、パートや休職中だと点数が低くなります。
都道府県別に母親の就業率と保育所定員率を関係を見ると、きれいな相関が見られます(205p図11.1参照)。これをみると、保育所の整備が母親の就業率向上につながると考えてしまいます。
ところが、そういった因果関係があるとは言い切れません。例えば、女性が働く気風がある地域では、女性の就労率は高いでしょうし、その前提のもとで保育所の整備も進んでいると考えられるからです。
実際、2005〜10年の保育所定員の伸び率と母親就業率の伸びをプロットすると明確な相関関係はなくなってしまいます(206p図11.2参照)。これは保育所の整備によって子供の預け先が祖父母から保育所に置き換わる減少が起きているからだと考えられます。公的な保育が私的な保育を押し出してしまうクラウディングアウトが起きているのです。
今まで見てきたように、保育所の利用は、より恵まれない家庭の子どもの能力を引き上げ、母親の子育てやストレスなどを改善します。ただし、恵まれない家庭の母親がフルタイムの正社員であることは少なく、結果的に点数も低く、子どもを保育所に預けられないということが起きています。場合によっては、祖父母の支援も期待できる恵まれた家庭の子どもが恵まれない家庭の子どもを押し出していることも考えられるわけです。
著者は、複雑ね利用調整の仕組みを改めて、年齢や家計所得によって優先順位を決めるのも一案だとしています(213p)。また、保育無償化よりも家計所得に応じて適切な料金を徴収し、できるだけ多くの家庭が保育所を利用できるようにするべきだとしています。
このように、本書は方法論に注目しながら子育て支援に関するさまざまな研究を紹介しつつ、同時に日本の保育の問題点も指摘するという、学術的でなおかつアクチュアルな本になっていると思います。
ちなみに、これは余談ですが、本書と同じようなタイトルで『子育て支援の社会学』という本があります。同じ社会科学の本で、タイトルも2文字しか違わないのに、テーマも方法論も何から何まで違う(けど両方とも面白い)本なので、興味が湧いたら以下の紹介記事を読んでみてください。