リン・マー『断絶』

中国が発生源の未知の病「シェン熱」が世界を襲い、感染者はゾンビ化し、死に至る。無人のニューヨークから最後に脱出した中国移民のキャンディスは、生存者のグループに拾われる……生存をかけたその旅路の果ては? 中国系米国作家が放つ、震撼のパンデミック小説!
6歳のとき中国からアメリカに移民したキャンディスは、大学卒業後にニューヨークへとやってくる。出版製作会社に職を得るも、やりがいは見出せない。だがそんな日常は、2011年に「シェン熱」が中国で発生したことで一変する。感染するとゾンビ化し、生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、有効な治療法はない。熱病はニューヨークへも押し寄せる。恋人や同僚をはじめ、人々が脱出していくなか、故郷のない彼女は、社員の去ったオフィスに残る。機能不全に陥った街には、もはや正気を失い息絶えた熱病感染者と自分しかいない―ある日、彼女はついにニューヨークを去る決心をする。そして脱出の途上で、ある生存者のグループに拾われ、安全な〈施設〉へ向かうという彼らの仲間に入れてもらうのだが、それはキャンディスにとって、新たな試練の始まりだった……。

 

 これがAmazonのページに載っているこの小説の紹介文。

 中国発の伝染病でニューヨークが無人化するなんて、まさに新型コロナウイルスの感染を受けて急遽書かれたような話にも思えますが、この小説が発表されたのは2018年です。つまり、未来を予見したような小説なのです。

 

 本書に出てくるシェン熱は、中国の深センで初めて感染が確認された伝染病で、真菌の胞子を吸い込むことで感染します。予防には屋内では換気が重要で、N95マスクをつければ感染のリスクは低減されます。

 それでも感染は広がり続け、小説の中で、アメリカは東アジアからの外国人の入国を拒否するようになっています。

 このように、本書は新型コロナウイルスによるパンデミックを思い起こさせる設定となっています。

 

 ただし、このシェン熱は、感染が進行すると生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、感染者はさながらゾンビのようです。

 そのため、この小説はパンデミック小説でありながら、同時にゾンビ小説でもあります。

 生き残った人びとと行動をともにするようになって主人公のキャンディスは、人気のない街で、店や住宅などに入って生活に必要なものを手に入れていくのですが、そこで出会うシェン熱の患者はまさにゾンビであり、本書にはホラー小説の味わいもあります。

 

 しかし、本書の読みどころはそれだけではありません。

 本書は、郝景芳『1984年に生まれて』と同じく、中国人の家庭における夫婦や世代間のギャップを扱った小説でもあります。

 主人公の父は1988年にアメリカ留学のチャンスを掴んだ中国福建省出身の人間であり、ソルトレイクシティのユタ大学に幼い娘を残して妻とともにやってきます。そして、天安門事件をテレビで見て、アメリカで生きる決意を固めます。

 一方の妻は福建省の故郷を懐かしがり、アメリカには馴染めません。

 そして、主人公のキャンディスは6歳までは福建省で祖父母に育てられていましたが、アメリカに呼び寄せられ、そこで成長し、大学を卒業してニューヨークで暮らすようになります。

 

 この故郷を離れようとする父と、故郷にとどまろうとする母の組み合わせは『1984年に生まれて』と同じであり、主人公と両親の世代間のギャップがせり出してくるのも『1984年に生まれて』と同じです。

 

 主人公はさまざまな趣向をこらした聖書を制作する仕事に就いているのですが、その聖書がつくられていくのが中国・深センの工場です。主人公は顧客の注文に応じて、ニューヨークと深センを行き来しながら、中国の工場に指示を出し、品質や納期を管理しています。

 本書は現代のグローバル・バリュー・チェーンを描いた作品でもあり、また、中国のことをあまり知らない中国系アメリカ人が中国本土で、居心地の悪い感じを覚えるところなども描いています。

 

 作者のリン・マーも1983年に中国で生まれて幼い頃に渡米し、その後一貫してアメリカで暮らすという、主人公のキャンディスとほぼ同じ経歴をたどっているのですが、本書はリン・マーのこれまでの経験が書き込まれていると考えていいでしょう。

 本書は、パンデミック小説、ゾンビ小説でありながら、同時に自伝的な小説でもあるという、めったに無いような小説なのです。

 

 最後の展開については少し走りすぎたような気もしますが、とにかくさまざまな要素がこれでもかと詰まった小説であり、作者のすべてが投入されているような作品となっています。 

 

 

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