ジェフリー・ヘニグ『アメリカ教育例外主義の終焉』

 タイトルからはなかなか内容が見えてこない本で、かなりマニアック内容ではないかと想像させますが、意外に日本の教育をめぐる政治を考える時に役に立つ本です。

 

 アメリカでは、教育は伝統的に学区によって運営されてきました。学区は公選の教育委員会などによって運営されますが、基本的には教育行政の専門家や教員組合などの影響力が強いです。

 このためアメリカの教育は通常の政治とはかなりちがった形で運営されてきました。教育は学区という単一目的政府のもとにあり、連邦政府、州、市といった一般目的政府の影響力は限られてきたのです。

 これがタイトルにある「アメリカ教育例外主義」というものです。

 

 しかし、近年になってそれは変わりつつあります。市長、州知事、そして大統領までが熱心に教育改革を口にするようになり、実際に教育の姿を変えています。

 なぜ、どのように教育例外主義に変化し、終わりを告げたのかというのが本書のテーマになります。

 ちょっとイメージがしにくいテーマかもしれませんが、冒頭に政治学者による待鳥聡史による本書の紹介があり、問題意識はつかみやすいでしょう。

 また、監訳者は今年出た新書の『文部科学省』中公新書)が面白かった青木栄一であり、充実した訳注がついているなど、日本の読者にもわかりやすい工夫がしてあります。

 

 目次は以下の通り。

日本語版への序文
多面的な教育政策を多角的に考えるために―政治学の観点から―(待鳥聡史)
第1章 教育と単一目的ガバナンス
第2章 新しい教育首長
第3章 議会と裁判所の役割拡大
第4章 変容するアクター・イシュー・アイデア
第5章 教育例外主義の終焉―将来にむけた含意

 

 アメリカにおいて教育は基本的に地方の事務であり、その中でも学区という非常に小さい単位でその運営が行われていました。

 ところが、1960〜70年代になると、まずは南部の州知事たちが経済発展の手段としての教育に着目しはじめ、これが全国の知事へと広がっていくのです。

 さらに大統領選挙でも教育が重要な争点になっていきます。そして、2002年にブッシュ(子)大統領によって署名された「落ちこぼれ防止教育法」は教育における連邦政府の役割を急拡大させました。

 

 また、この教育改革では、公共部門から民間部門へと流れもあります。アメリカではバウチャーやチャータースクールなどが改革の焦点となりました。

 もともとアメリカの教育は、家庭や宗教団体から教育の権限を奪ってきたという側面もあり、そのことに対する反発が底流のようなものとしてあるのですが、80年代半ば以降になると、この底流が表に出てくることになります。

 

 本書のいうアメリカの単一目的政府には学校以外にも、病院、交通、住宅・地域開発などさまざまなものがありますが、職員数でいうと初等中等教育の学区が圧倒的に多く、こうした大きな部門が州知事や州議会、市長、市議会の監督外にあるということも問題とされるようになってきています。

 一方、単一目的政府を置く理由としては、「教育から「政治は除外されるべきである」という信念」(19p)がありました。

 

 この単一目的政府から一般目的政府へという流れの背景について、著者は次のようにまとめています。

 アメリカの教育例外主義の終焉が意味するものは、教育に関する提言も他の国内政策と協調すべきであるという圧力が強まっているということ、専門的知識を主張する教員に対する敬意が低下していること、教育の擁護者と他の政策アクターの間で競争が強まっていること、そして、就学年齢の児童生徒がいない人々や「どのくらいコストがかかるのか」「それが本当に主張されているとおりに機能するのかどうやってわかるのか」といったことを気ぜわしく訊ねてくる人々に訴えかけて味方につける必要があるということである。(35p)

 

 第2章では教育の分野に介入してきた首長について、その歴史をたどっています。

 まず、初期の段階で教育に介入してきたのが70年代の南部の州知事たちです。それは例えば、ラーマー・アレクサンダー(共和党テネシー州、1979年就任)、ビル・クリントン民主党アーカンソー州、1979年就任)などです。

 知事たちは、教育政策を積極的に語るとともに州教育委員会に対する任命権限を強めるなどして教育への介入を強めました。

 

 遅れて「教育大統領」が現れます。レーガン政権期にアメリカの教育の危機を訴えた『危機に立つ国家』が発表されたことによって、教育における連邦政府の役割に中おm句が集まるようになり、ブッシュ(父)大統領は、1989年に「教育サミット」のために知事を集めるなど、教育について熱心に語りました。

 ビル・クリントン州知事のところでも名前が出たように教育について多くを語りましたし、ブッシュ(子)大統領は「落ちこぼれ防止教育法」を制定しました。

 

 市長も教育に介入し始めます。ボストン、シカゴ、ニューヨークといった市で教育に対する市長の権限が強化されました。

 特に、2002年からのニューヨークのブルームバーグ市政では、教育局長と13人いる市の教育委員のうち8人を市長が任命できるようにするなど、市長の権限を大幅に引き上げる改革が行われました。

 

 こうしたことの背景には、政治家のリーダーシップだけではなく、教育委員会と教育官僚制への反感がありましたし、また、バウチャーやチャータースクールなどの新しいアイディアを持った人々にとって、それを実現する可能性は教育委員会や教育官僚制よりも公選首長に見いだされたということがありました。

 さらに南部で教育に関与しようとする知事があらわれた理由として、南部では人種問題から学校をめぐる問題が政治化していたということもあります。

 

 第3章では議会と裁判所の教育分野における役割の拡大が述べられています。

 まず裁判所ですが、ここでも人種問題が1つのきっかけとなっています。有名なものは人種によって通う学校を区別する「分離すれども平等」という考えは違憲である結論づけた1954年のブラウン判決ですが、ここから裁判所が学区の自治に介入していくことになりました。

 また、ここでは割愛しますが、議会もまた、首長に呼応する形、あるいは首長に抵抗する形で教育への介入を増やしていったのです。

 

 第4章の冒頭では、2011年にオバマ大統領が主宰した教育円卓会議に、コリン・パウエル国務長官や企業経営者などが呼ばれる一方で、教員や教員組合の代表者、教育委員会の委員、大学人が呼ばれなかったことが紹介されています。

 日本でもそうですが、かつて教育について論じていたのは教育の専門家や教員の代表などでしたが、それがすっかりと様変わりしているのです。

 アメリカでは教育に関するアドボカシー団体(政策提言団体)が次々とつくられており、さまざまなアクターが教育というアリーナに参加するようになっています。

 

 アメリカで近年において関心が高まっているのは「卓越性」についてです。今までの教育の専門家や教員は過度に「水平化」にこだわっており、それを新しいアクターが批判し、乗り越えようという構図です。

 160pの図4.2では、「委員会類型別にみた政策課題」として連邦議会の教育関係の委員会と代替的な委員会でどのようなイシューがとり上げられたかが比較されていますが、教育関係の委員会が「貧困」を問題にしているのに対して、代替的な委員会がとり上げるのは「卓越性」となっています。

 

 アメリカの教育を大きく変えるきっかけとなったのがチャータースクールの誕生です。

 1991年にミネソタ州で初めてチャータースクール法が成立し、2011年までに8州を除いてチャータースクール法が制定されています。

 チャータースクールは、新しい政策に対して基本的に敵対的であると考えられる学区を出し抜くことができる制度で、特に共和党知事のもとで広がっていきました。

 チャータースクールの特徴は柔軟性とアウトカムに対するアカウンタビリティで、このアウトカムの測定のためにテスト産業も発展してくことになります。こうした利益も関係するようになると、チャータースクールに関するロビイングも活発になりました。

 

 今まで教育をめぐるアクターは地域限定的でしたが、そこにテスト業者や出版社、あるいはマッキンゼーなどのコンサルタント、ビル&メリンダ・ゲイツ財団などの全国レベルの財団、さまざまなアドボカシー団体が絡んでくるようになったのです。

 そして、資金も今までの学区ではなく、チャータースクールなどの新しい学校にながれこむようになっています。

 

 このように書いていくと、著者は「教育例外主義の終焉」を嘆いているようにも思えるのですが、第5章では著者はこの現象に対して一定の評価しています。

 アメリカの公教育は政治から距離をとり、できるだけローカルなまとまりを維持しようとしましたが、「小さなコミュニティというのは同質化しやすいか、支配的多数派をつくって紛争を沈静化させている可能性が高い」(202p)です。

 

 それでも、著者は教育により柔軟なアイディアが持ち込まれ、学校以外の要因にも注意を払うさまざまなアクターが教育に関わることを歓迎しています。

 確かに専門性の低下や政治の場で不利に扱われている低所得者層やマイノリティが教育の場でも不利に扱われる可能性はあります。また、将来、教育への人々の関心が低下してしまうことも考えられます。

 それでも、教育の場に新しいアイデアエビデンスが持ち込まれ、より包括的なアプローチが可能になるかもしれないのです。

 

 このように本書はあくまでもアメリカの特殊な教育制度とその変化を論じた本ですが、本書で指摘されている首長の教育への介入は日本でも見られることですし、また、教育に対して教育の専門家以外のアクターが発言力を持つようになっている点も同じです。

 そういった意味で日本の教育、教育行政に対してもさまざまな示唆を含んだ本と言えるでしょう。