キャス・サンスティーン『入門・行動科学と公共政策』

 副題は「ナッジからはじまる自由論と幸福論」。著者はノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらとともに「ナッジ」を利用した政策を推し進めようとしている人物であり、オバマ政権では行政管理予算局の情報政策及び規制政策担当官も務めています。

 サンスティーンの本は1回読んでおかなければと前々から思っていたのですが、非常に多作な人物であり、「一体どれから読もうか?」などと考えているうちに今に至っていました。

 

 そんな中で手にとったのがこの本。コンパクトな入門書のシリーズであるCambrige Elementsの公共経済学シリーズの1冊であり、本文140ページほどの中にサンスティーンの考えがコンパクトにまとまっています。

 サンスティーンによる、自らの考えへの入門書と言えるでしょう。

 

 目次は以下の通り。

第1章 イントロダクション

第2章 行動科学革命

第3章 自分で選べば幸せになれるのか?

第4章 政 府

第5章 誤 り

第6章 判 断

第7章 理論と実践

第8章 厚 生

第9章 自 由

第10章 進むべき道

 

 「私の主な目的な、本書をコンビニエンスストアにすることである」(9p)とあるように、本書は行動科学がもたらす知見がいかに使えるものであり、どのように実装できるのかということを紹介するものとなっています。

 ここにでてくる行動科学とは認知心理学社会心理学行動経済学という重なり合う3つの分野を指すもので(10p)、これによっていかに人々の厚生を改善できるのかが本書のテーマとなります。

 

 人は理性的ではありますが、同時にめんどくさがり屋でもあります。善いとわかっていることでも、ついつい後回しにしたり、やらずに放置していまいます。

 そこで登場するのがナッジです。ナッジは「肘でそっと押す」といった意味であり、ちょっとした工夫で人々を望ましい行動に誘導します。

 例えば、グリーンエネルギーが善いとわかっていても人々はなかなかそれを選ばないわけですが、例えばドイツでは、最初からグリーンエネルギー計画に加入することにしておき、いやならオプトアウト(=脱退)するようにしたところ、グリーンエネルギーに加入する世帯が飛躍的に増えました。

 

 ここでのポイントはグリーンエネルギーを強制しているわけではないことです。オプトアウトの自由を確保していることがポイントです。

 そこからこのナッジは、リバタリアンパターナリズムとして理解されます。一種のパターナリズムではあるけど、自由は確保してあるというわけです。

 

 ですから、刑罰や税金、補助金等はナッジに含まれないわけですが、人々の「損失回避バイアス」を利用するレジ袋有料化のような少額の負担であれば、著者は自由を排除することにはならないと考えています(19p)。

 そして、このナッジの背景にあるのがダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で展開した速い思考(システム1)と遅い思考(システム2)の考えです。システム1は速いですが、ときに近視的で衝動的です。これをナッジによって修正しようというのです。

 

 自由主義者は「自分のやりたいことは自分が一番知っている」という理屈で自由を擁護するわけですが、著者によれば、人はしばしば自分の厚生を裏切るような判断をしてしまいます。後悔するのにカロリーの高いものを食べたりするわけです。

 また、物事の一面のみにこだわり、人間が変化に適応するものだということも忘れています。痛みの長さよりもその終わり方によって印象が変わるなど(ピークエンドの法則)、記憶というもの曖昧なものです。

 さらに比較対象によっても、そのものへの評価は変わってきます。ポテトチップはチョコレートの横にあるときよりもイワシの缶詰の横にあるときのほうが魅力的だといいます(42p)。

 ですから、自分の判断というのは当てにならないことも多いのです。

 

 そこでナッジには政府も注目しています。人びとの行動を低コストでそれほど反発を受けずに変えることができる可能性があるからです。

 多額の税金が医療に使われているのであれば、人々が自らの健康に気をつけてタバコや酒を控えたり、野菜を多く摂ったりすることは税金の節約につながります。ナッジにはこれらを後押しする力があるかもしれません。

 

 初期設定をどのようにするかも非常に重要であり、年金やヘルスケアについて初期設定を自動登録にしておくことで(チェックを外せば脱退できる)、加入者を大きく増やすことができます。

 また、政府は情報開示を義務付けることで、消費者の選択を手助けすることもできます。ただし、あまりにも多い情報は人々を賢い選択から遠ざける可能性もあり、情報の出し方のデザインも重要になります。

 

 そうはいっても政府が個人の選択に介入することを問題視する人もいるでしょう。著者がそれに答えているのが第5章以降です。

 「自分のことは自分が一番よく判断できる」というのは説得力のある意見であり、自由を擁護する根拠にも使われてきました。一方で、他人に代わってよかれと思って選択をすることはパターナリズム(父権的温情主義)として批判されていきました。

 

 しかし、著者はパターナリズムを手段パターナリズムと目的パターナリズムに分け、ナッジは前者の手段パターナリズムだとし、これは選択能力を向上させるもので、選択を強制するものではないとしています。

 さまざまな行動バイアスが排除されてはじめて、「自分のことは自分が一番よく判断できる」と言うのです。

 

 ただし、ハードなパターナリズムは選択を強制するのでわかりやすいですが、ナッジのようなソフトなパターナリズムは見えにくく、それが故に濫用される可能性もあります。

 これに対して著者は、まずはすべてを透明化することによって対処できるし、ナッジに対しては従わなかったり、元に戻したりできるということを指摘します。例えば、店の奥に陳列されたチョコレートバーを探すことはできますし、年金の積立を途中でやめることも可能だからです。

 また、ナッジを設計する公職者が誤りを犯すケースも考えられますが、ナッジが誤りに基づいていればそれは無視されたり退けられたりするので、命令よりも危険性はないと考えています。

 

 このように、本書はナッジがどのようなものかを説明しつつ、その正当化を試みています。

 文章はわかりやすいですし、価格、ボリュームともに抑えめなので、サンスティーンの入門書としてはいいのではないかと思います。

 

 一方、やはり最後のほうの議論が引っかかったのも事実で、例えば、ナッジによるパターナリズムはやり直しがきくというけど、一生に何回もないような買い物(車や家)の場合、ナッジに誘導された選択をやり直すことはこんなんですし、ナッジの気付かれにくさと、誤ったナッジは無視されたり退けられたりするだろうという予測がどのように両立するのかということは気になりました。

 

 ただ、とにかく読みやすい本なので、まずは本書を読んでからいろいろと考えてみるといいと思います。