松林哲也『政治学と因果推論』

 新しく刊行が始まった岩波の「シリーズ ソーシャル・サイエンス」の1冊。このシリーズは筒井淳也『社会学』も読みましたが(本書のあとに紹介記事を書く予定)、どちらも面白く期待が持てますね。

 

 ここ数年、因果推論に関する本がいくつも出ており、基本的には中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』、伊藤公一朗『データ分析の力』あたりを読めば近年の進展はわかるのですが、両書とも経済学の人間が書いた本になります。これに対して本書はタイトルに「政治学」とあるように政治学者の書いたものであり、題材も政治に関するものとなっています。

 因果推論における近年の進歩といえば、まずはRCT(無作為化試験)が思い浮かぶわけですが、政治の世界ではこのRCTがしいくいです。このため本書ではRCT以外の手法の紹介に紙幅が割かれています。

 また、自己選択バイアスの説明が非常に丁寧であるのも本書の特徴でしょう。

 

 目次は以下の通り。

第1章 政治学と因果推論

第2章 因果効果の定義と自己選択バイアス

第3章 統制に基づく比較の限界と自己選択バイアスの克服

第4章 無作為割り当てを利用する比較:無作為化実験

第5章 偶然の割り当てを利用する比較:自然実験

第6章 カットオフ周辺での割り当てを利用する比較:不連続回帰デザイン

第7章 偶然が引き起こす連鎖反応を利用する比較:操作変数法

第8章 経時的変化を利用する比較:差の差法

第9章 因果推論のはじめかた

第10章 因果推論のゆくえ

 

 政策は一般的に何らかの効果をあげるために行われますが、実際に効果があがっているのかわからないときもあります。例えば、小学校で道徳が教科となりましたが、「それによって子どもたちの道徳心を向上しているのか?」と聞かれれば、「よくわからない」と答えるしかないのではないでしょうか。

 それでも、やはり何らかの検証が必要なわけで、そこでさまざまな因果推論、つまり原因と結果を取り出す手法が生み出されているわけです。

 

 まず、問題となるのが自己選択バイアスです。

 例えば、「新聞を読むと政治に関する知識が向上するのか?」という疑問があったとき、大抵の人は「東スポとか以外なら向上するんじゃない?」くらいに考えると思いますが、厳密にこの因果関係を証明しようとすると大変です。

 例えば、「新聞を購読しているか否か?」と「政治に関する知識をどれくらいもっているか?」を調べて、「新聞を購読している方が政治に関する知識がある」ことを示せても、「新聞を購読している人はそもそも学歴が高い」という事実があれば、その知識は新聞のせいではなく学歴のせいかもしれません。

 学歴が「新聞購読」と「政治に関する知識」の両方に影響しているかもしれないのです。このとき学歴を交絡変数と言います。

 また、そもそも学歴が高い人が新聞を購読しやすい傾向もあるかもしれません。これを自己選択バイアスと言います。

 

 この自己選択バイアスというのはなかなか厄介で、例えば、「女性議員が増えると育児政策に関する予算が増える」という仮説があり、それを検証した結果、女性議員比率が高い国々は女性議員比率が低い国々に比べて育児関連予算が増えるということがわかったとします。しかし、それでも女性議員比率が高い国は、もともとリベラルで大きな政府志向であるという自己選択バイアスがあることが考えられるのです。

 

 こうした問題を乗り越えるために、先程の「新聞購読と政治に関する知識」では学歴を統制することが考えられます。大卒と非大卒に分けて分析すればいいわけです。

 しかし、これでも不十分です。「新聞購読」と「政治に関する知識」はともに所得の影響を受けているかもしれませんし、もともと政治に興味があるから新聞を購読しているということも考えられるでしょう。自己選択バイアスを取り除くのは難しいのです。

 

 そこで考えられるのは対象を無作為に選ぶという方法です。新聞を購読していないん人を無作為に選んで一定期間新聞を購読してもらって、購読前と購読後で政治に関する知識を測れば、新聞購読が政治に関する知識に与える影響がわかるわけです。

 

 これがRCTで、原因と結果の関係を明らかにするために有効な手段なのですが、この実験を行うのは大変です。お金もかかりますし、一定の期間フォローしていくのも大変でしょう。

 また、「経済学部に行った場合と文学部に行った場合でどれだけ年収が変わるか?」といったテーマの場合、興味深いかもしれませんが、人の人生を左右してしまうわけで今度は倫理的な問題が浮上します。

 

 第4章でRCTの手法が詳しく紹介されていますが、例としては倫理的な問題をあまりはらまないようなものが紹介されています。

 1つ目はサーベイ実験と呼ばれるもので、「世論調査において調査者によい印象を与えたいと思って嘘を言う人がいるというがどれくらいるのか?」ということが調べられています。これについて面接方式(PAPI方式)とコンピュータによる自己回答方式(CASI方式)に対象者を無作為に割り付けて比較することで明らかにしようというのです。

 面接では相手によく思われようという感情がはたらきますがコンピュータ相手ならそうはならないだろうというわけです。実際、「選挙で投票する」は面接方式が高めに出て、「役所に相談する」は面接方式で低めに出ています(66p図4.3参照)。

 「選挙では投票すべき」「役所に相談するのは恥ずかしい」という規範があって、これが回答のバイアスを生んでいると考えられます。

 

 もう1つがフィールド実験で、対象者に無作為に何らかの情報等を与えた上でその行動を観察します。

 ここではアメリカで行われた「啓発活動は投票率を高めるか?」ということを調べた実験がとり上げられています。コネティカット州で行われた対象者が3万人という大規模なもので、戸別訪問、電話、はがきの効果が調べられています(戸別訪問は投票率を10%ポイント高める効果があった)。

 他にも政治家が白人有権者と黒人有権者の問い合わせにどれほど応えるかという実験も紹介されています(共和・民主に限らず白人議員は黒人有権者に対する応答が悪い)。

 

 このようにRCTは強力なツールですが、実験できるものは限られています。そこで登場するのが第5章で紹介されている自然実験です。これは人間が左右できない外部の力による偶然の割当を利用するものです。

 とり上げられている例は、「雨あふると投票率は下がるのか?」というものですが、確かに天気は人間が左右できるものではないです。

 

 具体的には2017年の衆院選における台風の影響が調べられています。投票日は10月22日でしたが、ちょうど21日から22日にかけて台風21号が日本に上陸・縦断したのです。

 この台風の影響を用いて降水が投票率に与える影響を調べようというわけですが、降水量の多い地域は関西や東海に多く、このあたりを補正しながら調べます。

 分析の結果、降水量が1mm増えると投票率は0.05%ポイント下がり、1時間10mmの雨が投票時間中ずっと振り続けると投票率が6.5%ポイント下がるという推定されます。

 

 他にもイタリアのベルルスコーニが率いる会社の傘下にあるテレビ局が視聴できることがベルルスコーニの率いる政党フォルツァ・イタリアの支持に与える影響が調べられています。電波状況によって視聴できる地域と視聴が難しい地域があったためです。

 この結果、視聴できる地域ではフォルツァ・イタリアの得票率が高く、その影響は放送開始当時に10歳以下と55歳以上に顕著だったという分析結果が出ています。

 

 第6章では不連続回帰デザインが紹介されています。これはある基準によって分割されてしまう事象を利用してその効果を調べようというものです。

 例えば、日本の小学校は35人や40人といった基準を超えるとクラスが分割されますが、そのギリギリ分割されたクラスとギリギリ分割されなかったクラスを比較することで少人数教育の効果が測れるのではないかというわけです。

 

 本書では現職が選挙で優位になる「党派的現職優位効果」がどれほどあるのか? ということを調べる研究がとり上げられています。

 ただし、これを調べるのはなかなか困難です。例えば、自民党議員について調べようと思っても「そもそも自民が強い選挙区」なども存在し、現職優位効果のみを取り出すことは難しいのです。

 そこで衆議院小選挙区制において、自民がギリギリ勝った選挙区とギリギリ負けた選挙区の次回の得票率を見ていきます。現職優位効果があるなら、ギリギリ勝った選挙区はギリギリ負けた選挙区に比べて次回の自民の得票率に違いが出てくる、つまりギリギリ勝った選挙区の得票率がジャンプするはずなのです。

 分析結果を見ると、この「党派的現職優位効果」はほとんど出てないのですが、この要因として日本の衆議院選挙制度では比例復活があることがあげられます。小選挙区で負けても現職議員となるケースは多いのです。また、接戦の選挙区には野党が重点的に資源を投入してくるといった要因も考えられます。

 

 この不連続回帰デザインについては応用例も含めてもう少しわかりやすい例があってもよかったと思います(選挙の勝ち負けは偶然の産物なのかという疑問がある。例えば、政党はかなり戦略的に動きそうですし、途上国であれば不正の存在なども考える必要がありそうですし)。

 

 第7章は操作変数法です。偶然性によって生み出された変化が、連鎖的な反応を引き起こすさまを分析します。

 第5章では降雨が投票率を引き下げることを明らかにした研究が紹介されていましたが、投票率の低下は特定の政党に有利になるのでしょうか? 一般的に組織票を持った政党は投票率の低下が有利になると言われていますが、それが本当かどうかを検証しています。

 ここでは組織票が強いとされる、自民・公明・共産の比例での得票率が分析されています。投票率が1%上昇すると、自民の得票率が約0.3%ポイント、公明の得票率が0.35%ポイント下がり、共産の得票率は0.2%ポイント上がるとの分析結果が出ていますが(141p表7−2参照)、統計的には有意ではありません。

 他にも、いくつか独特な操作変数を使った事例が紹介されています。

 

 第8章は差の差法です。ある時点において何らかの介入がなされたグループと介入がなされなかったグループを比較します。

 本書では日本の女性議員の少なさに関する研究がとり上げられています。日本の小規模な自治体の地方議会選挙では、かなり少ない票数で当選できるため、地縁や血縁で票を固めることができる候補者が当選しやすいです。そして、こうした地縁や血縁は男性の方が女性よりも利用しやすくなっています。

 ところが、大規模な自治体になれば地縁や血縁だけでは当選できず、政党の組織力などが必要になり、女性にも当選のチャンスが広がります。

 

 しかし、一般的に小規模な自治体は地方にあり大規模な自治体は都市部にあるため、両者を比較しても単純に風土を比較しただけになってしまいます。

 そこで市町村合併というイベントに注目します。合併が行われると有権者が増え、地縁や血縁に頼った選挙は難しくなります。そこで、市町村合併の前と後で女性議員増加のトレンドを見ることで、有権者数の拡大が女性議員の増加に与える影響を見ようというのです。

 このとき、比較の対象になるのが合併しなかった自治体です。合併しなかった自治体の増加傾向と合併した自治体の増加傾向を比べて、合併した自治体の増加傾向が合併を機に屈折して上がっていれば、有権者の増加が女性議員を増やすはたらきをすると言えるわけです。

 実際、合併のあった自治体は合併を機に女性議員増加のトレンドが上振れしています(159p図8.3参照)。

 

 さらに本章ではイベントスタディと合成統制法という差の差法を発展的に利用した手法も紹介されています。特に合成統制法は比較の対象となるものを合成して作るというもので、歴史的事象などを分析するときに使える技法です。

 ここでは、コンゴ内戦が森林破壊に与えた影響を熱帯林の面積が大きい国22カ国と比較して明らかにする研究が紹介されており、内戦が森林破壊を進めたことが示されています。

 

 第9章では親切にもどのように因果推論の研究をすべきかということを教えてくれています。

 さらに第10章では因果推論の抱える問題や、今後の日本の政治学のあり方にも言及しています。

 

 第9章なんかは特にそうですが、全体的に分析のステップが親切に示されており、これから因果推論を使った研究をしていきたいという人には非常に良いのではないかと思います。

 また、最初にも書きましたが、この手の本は今まで経済学者によって書かれていたので、政治学を学びたい人にとってはやはりこちらのほうが自分の知識に引きつけて考えることができるでしょう。

 

 政治学者の書いた因果推論の本といえば、久米郁男『原因を推論する』があります。本書と『原因を推論する』を比較すると、本書のほうが最新の手法を丁寧に紹介していてより先端的な手法を学ぶことができます。 

 政治学(特にポリティカル・サイエンス)を勉強するのだと決めた人には本書がお薦めです。

 

 ただ、「ちょっと政治学に興味がある」くらいの人は『原因を推論する』のほうがいいかもしれません。本書に出てくる例、「新聞を読めば政治に関する知識が増えるか?」「雨が降れば投票率は下がるのか?」という問いは、多くの人にとって「まあそうじゃないの」で終わる話だからです(もちろん、それを実証することに価値があるのですが)。

 一方、『原因を推論する』のほうが素人にも興味を引く例をあげていますし、政治学のブックガイドにもなっています。

 というわけで、本書はある程度政治学に足を突っ込んだ人向けの本ということになると思います。

 

 

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