『クライ・マッチョ』

 クリント・イーストウッド、91歳にして監督と主演を務めた作品。

 舞台は1980年、かつてはロデオ界のスターだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれた年老いたカウボーイのマイク(クリント・イーストウッド)は、かつての雇用主で恩人でもある人物に「メキシコで元妻と暮らす息子のラフォを連れ戻してほしい」と頼まれ、メキシコに向かうが、その元妻は想像以上にひどくて、ラフォは家を出て路上で闘鶏をしながら暮らしているような状況。そのラフォをアメリカまで連れ戻すというロードムービーになります。

 

 イーストウッドが主演なわけですが、さすがに91歳でやる役ではないというのはあって、途中でイーストウッドが荒馬を馴致するシーンがあるのですが、もはやあの足取りでは危険すぎますよね。脚本的に65〜70歳のくらいの役者がやるべきだったのではないでしょうか。

 ただし、一方でイーストウッドのようにカウボーイであり、なおかつチャーミングな老人というのもなかなかいないのかもしれません。

 立ち寄った街で、レストランを経営する50代くらい?の女性に好意を持たれるシーンがありますけど、イーストウッドなら納得です。

 

 イーストウッドが少年に対して自らの生き様を見せるという点では『グラン・トリノ』と共通するのですが、イーストウッドが枯れたぶん、もっとあっさりしていて、その分、身も蓋もなくイーストウッドだという感じがあります。

 

 まず、「家族」に対して一貫して冷ややかな視線を向けているイーストウッドですが、今作も露骨にそう。

 ラフォノは母親はフォローしようがないほどひどいですし、父親だって碌なものではありません。「家族」こそが怖いもので、問題含みなものなのだというトーンはこの映画でも際立っています。

 この「家族」に対するスタンスがイーストウッドを単純な「保守派」から区別するものなんでしょうね。

 

 そして、本作のテーマはマッチョイズムの否定でもあるわけですが、「マッチョイズムの有害性」をことさらに描いたり、それを象徴するようなシーンを特につくりこまずに、あっさりとイーストウッドの口から「俺はわかったんだ」と言わせて終わらせるところが味わい深いです。

 このあたりは脚本的に物足りないと感じる人もいるかも知れませんが、「マッチョイズムを否定するマッチョイズム」という罠もありますから、個人的にはこれでいいんじゃないかと思います。

 

 『運び屋』に比べると、主人公の年齢とイーストウッドの年齢があってない、ストーチートして弱いといった欠点はありますが、それでも個人的にはいい映画だったと思います。