渡辺努『物価とは何か』

 ここ最近、ガソリンだけではなく小麦、食用油などさまざまなものの価格が上がっています。ただし、スーパーなどに行けば米や白菜や大根といった冬野菜は例年よりも安い価格になっていることにも気づくでしょう。

 このようなさまざまな商品の価格を平均化したものが本書のテーマである物価です。

 著者はまず、物価を蚊柱、個々の商品の価格を個別の蚊に例えています。個別の蚊はさまざまな動きをしますが、離れてみると一定のまとまった動きが観測できるというのです。

 本書は「個別の蚊の動きを追っても蚊柱の動きはわからない」という前提を受け入れつつ、同時にスーパーなどの商品のスキャナーデータなどミクロのデータも使いながら、「物価とは何か?」、さらには「日本の物価はなぜ上がらないのか?」という謎に挑んでいます。

 ジャンルとしては経済エッセイということになるのでしょうが、理論と実証を行き来する内容は非常に刺激的で面白いですね。

 

 目次は以下の通り。

第1章 物価から何がわかるのか
第2章 何が物価を動かすのか
第3章 物価は制御できるのか――進化する理論、変化する政策
第4章 なぜデフレから抜け出せないのか――動かぬ物価の謎
第5章 物価理論はどうなっていくのか――インフレもデフレもない社会を目指して

 

 日本におけるインフレというと第一次石油危機の1974年の物価上昇があげられます。この年のCPI(消費者物価指数)は23%上昇しました。

 このインフレは原油価格の上昇→ガソリンや石油関連製品の上昇→CPIの上昇という形で説明されることが多いと思います。

 しかし、この説明はわかりやすいが違うと言います。当時、固定相場制から変動相場制への移行の中で日銀がドル買いを行っており、また政府は「列島改造」を掲げて財政資金をばらまいていました。この貨幣供給がインフレの主犯だったのです。

 

 もちろん、ガソリンの価格は家計にとっては痛いです。ただし、ガソリンの価格が上がれば基本的には他の商品への需要が減り、他の商品の価格が下がるはずです。結果的に個別の商品の値動きは物価にそれほど影響を与えないのです。

 

 では、物価は何によって決まるのでしょうか? 本書でまず提出される考えは「貨幣の魅力」という考えです。

 ビットコインと日本円を比べると日本円の方が価値が安定しています。これに多くの人々が日本円の価値を信用しているからです。この信用の源泉についてはいろいろな考えがあるでしょうが、クリストファー・シムズのFTPLでは政府の徴税能力に注目しています。これが紙幣の信用を担保してるのです。

 

 一般的に日銀が買いオペを行って市中の貨幣量を増やせば物価が上昇すると考えられていますが、FTPLでは貨幣量が増えても市中の国債は減っている、つまり子会社の債務(日銀券)は増えたけど、親会社の債務(国債)は減っているので、貨幣の魅力は落ちません。結果として物価は上がらないのです。

 FTPLによれば、日本は政府が巨額の債務を抱えているため、金融緩和は貨幣量を増やすとともに政府の利払いを小さくし貨幣の魅力を引き上げてしまいます。ですから、物価を引き上げるためには減税などで徴税能力を引き下げることが必要です。ところが、安倍政権は消費税増税によって貨幣の魅力を高めてしまったので、金融緩和をしても物価が上がらなかったのです。

 

 次に物価をどう測定するのかという問題があります。

 物価の出し方にはラスパイレス指数、パーシェ指数、フィッシャー指数、トルンクビスト指数などさまざまなものあがりますが、日本のCPI指数などでも使用されているのはラスパイレス指数です。

 ラスパイレス指数はどの商品にどの程度の重みをつけるのかを過去の消費者の消費ウェイトを使って算出します。そのため消費者の節約行動、「牛肉が高くなったから今日は牛肉の消費を抑えよう」を折り込めません。

 一方、パーシェ指数は今日を基準に昨日を評価するもので、その折衷がフィッシャー指数やトルンクビスト指数になります。

 

 著者らは「東大日次物価指数」(東大指数)というものを公開してきましたが、これはレジでバーコードをスキャンしたデータを使い、トルンクビスト指数のやり方で出したものになります。

 データの利活用が遅れていると言われている日本ですが、このスキャナーデータについては1989年から30年以上の蓄積があり、有用なデータとなっています。

 

 例えば、これを使えばアベノミクスの中で物価への上昇寄与度と下落寄与度の大きな企業といったものもわかります。ちなみに上昇寄与度が大きかったのは雪印メグミルクや明治などの乳製品メーカーや酒税の引き上げがあったアサヒビールキリンビールなどのビールメーカー、下落寄与度が大きかったのはライオン、アサヒ飲料カルビー、キリンビバレッジ、伊藤園、P&Gなどであり、日用品や飲料で価格競争があったことが見て取れます(55p表1−2参照)。

 

 このデータを見ると意外なこともわかります。実は地域によって価格差のある商品がけっこうあるのです。

 例えば、「デルモンテ トマトケチャップ」は最高値の四国では全国平均との対比で1.721、最低値の東海は0.619と大きな差があるのです。他にも「ミツカン 料理酒」、「ホクト エリンギ」などにも大きな価格差が見られます。

 これらは売る側の事情で起こっていると考えられ、価格の高い地域では供給が絞られています。

 

 ネットなどの普及によって価格は収斂していくとも考えられていましたが、実際にはそうなってはいません。

 安い店があってもそこに行くにはコストがかかります。アメリカではリタイア世代のほうが安い価格で買っているというデータもあります(ただし日本ではそうなってはいない(71p図1−10参照)。

 

 第2章で、著者は89〜96年にかけて高率のインフレが発生したスーダンからやってきた留学生の話をしています(最高で年率165%、ハイパーインフレの定義はつき50%以上なので厳密にはハイパーインフレではない)。

 さぞかし経済活動が無茶苦茶になっただろうと思われますが、メーカーや店舗は横並びで値上げをし、また賃金も引き上げていったことから一定の安定感があったといいます。

 

 人々のインフレ・デフレの予想が物価に大きな影響を与えると考えたのがミルトン・フリードマンです。このスーダンの例も人々の予想が共有されていたと言えます。

 一方、アーサー・オーカンは「予想」よりも強い「ノルム(社会的規範)」という言葉を使っています。物価や賃金について社会に共有された相場観があるというのです。

 経済学の世界では基本的に「ノルム」は「予想」にとって代わられたわけですが、著者は日本の状況を説明するには「ノルム」が適当ではないかと考えるようになったとも述べています。

 

 物価の変化には「予想」が重要だということで採用されるようになったのが、中央銀行によるインフレターゲティングです。中央銀行が物価目標を定めてそれを目標に金融政策を行うのです。実際に、20%近いインフレに苦しんでいたニュージーランドは89年に中央銀行法を改正しインフレターゲティングを導入したことで、インフレ率を安定させることに成功しました(103p図2−4参照)。

 

 ただし、デフレに対しての対応は難しいです。人々のインフレの予想に対しては利上げで潰すことができますが、強固なデフレ予想を潰すには巨額の買いオペが必要であり、さらにそれでも十分ではないということもあり得るのです。

 いわゆるケインズの言う「流動性の罠」ですが、これが日本が陥った状況です。

 

 ただし、本書ではその前に、インフレが続いた60年代〜80年代前半から80年代後半以降のインフレ率が安定した時代にどんな形で研究が進展したのかということが述べられています。

 まず、1958年にアルバン・ウィリアム・フィリップスによって発見されたのが賃金上昇率と失業率がトレードオフの関係にあるという「フリップス曲線」です。賃金上昇率を物価上昇率に置き換えても成立することがわかり、インフレ率と失業率がトレードオフの関係にあることが示されたのです。

 

 ところが、この関係は1970年代に入ると迷走を始めます。失業率の上昇とインフレ率の上昇が同時に起こるスタグフレーションとなり、迷走するフリップス曲線は「スパゲッティ曲線」とも言われました(126p図3−3参照)。

 これを解きほぐそうとしたのがフリードマンらの自然失業率仮説です。物の値段はそう頻繁に改定されるわけではなく、実際の貨幣量の伸びに対して人々のインフレ予想の変化は遅れがちになります。

 

 基本的にインフレは実質賃金の低下を通じて失業率を押し下げますが、同時に賃金の上昇圧力も生みます。

 賃金はすぐに改定されるわけではないので、最初は実質賃金が下がったぶん失業率が下がりますが、しばらくして賃金が上昇すればその効果は消えます。結局、長期的に見ると失業率低下の効果は消えてしまい、インフレだけが残るというのがフリードマンらの見立てでした。

 

 こうした流れを受けて、各国の中央銀行は物価の安定を重視するようになり、人々の予想に働きかけるためにさまざまな発信を行うようになります。

 金融関係者は中央銀行の発言に注目するようになり、中央銀行のスタンスを折り込みながら予想を更新するようになります。ただし、消費者は中小企業の経営者は必ずしも中央銀行の言うことを聞いていないということも近年の研究でわかってきています。

 

 では、個人のインフレ予想は何の影響を受けているのか? その1つは世代だといいます。

 1980年ごろ、アメリカはインフレに苦しめられていましたが、このころ40歳未満のほうが40〜60歳や60歳以上の世代よりも高いインフレ予想を持っていました(195p図3−12参照)。

 これは、上の世代が低インフレの時代を長く経験したのに対して、若い世代は人生の中でインフレ率が高かったときが多かったからだと思われます。

 

 では、日本ではどうなのでしょうか? 著者らが年代別のインフレ予想を調べたところ、若年層ではインフレ予想が低く、シニアになるにしたがって高くなることがわかりました(203p図3−13参照)。

 さらに日本に住んでいる外国人のインフレ予想と比べてみると、40歳を超える世代では外国出身者とそれほど変わりがないのに、20代・30代では日本人のインフレ予想は外国出身者に比べて低くなっています。

 やはり、日本の若い世代はデフレ気味の時代に生きてきたためにインフレ予想が低くなっていると考えられます。「インフレを知らない子供たち」(206p)というわけです。

 

 そして、いよいよ「日本がなぜデフレから抜け出せないのか?」という話に入ってくわけですが、まず最初に「バブル期に物価が上がらなかったのはなぜか?」という謎をとり上げています。

 バブルと言えば土地や株の価格がかなりの勢いで上がっていったのですが、CPIはあまり上がらず、株価がピークを付けた89年12月でもインフレ率は2.9%です。また、バブルがはじめた92年春でもインフレ率は2.5%程度であり、あまり変化がありません。

 結果として、日銀の引き締め、緩和ともにタイミングが遅れることになりました。

 

 その後のデフレ停滞でも経験することになりますが、物価は動かないときは動かないのです。

 ここで出てくるのが価格の硬直性の問題です。需要と供給のグラフでは需要超過や供給超過は素早く解消されるのですが、現実はそうではありません。

 メーカーや店は毎日価格を見直すということはせず、一定期間は同じ価格を維持しようとします。

 

 著者の研究によればインフレ率の変化に影響を与えるのは価格更新の頻度だといいます(A)。長期的な価格の変化をもたらすのは、価格の変化の「幅」(何%上がったか・下がったか)と価格の更新の「頻度」ですが、頻度がポイントだというのです。

 インフレ率が高いときは価格の更新が頻繁に起こります(B)。アルゼンチンのデータを見るとインフレ率が1000%近いときはほぼ1週間に1回価格が更新されていますが、100%のときは1ヶ月に1度、10%のときは4ヶ月に1度といった具合です(229−230p)。

 そして、直近の価格更新から時間が経過するにしたがって価格更新の確率(頻度)は小さくなります(C)。定番商品は価格が変わりにくくなるのです。

 

 では、なぜこのようになるのでしょうか? メニューを書き換えるのにコストがかかるので価格の更新は頻繁に行われないのだという「メニューコスト仮説」では(A)と(B)は説明できますが、(C)はうまく説明できません。

 原材料の価格動向や同業他社の出方がわからないので価格がすぐに変えられないという「情報制約仮説」でも、これは同じです。

 

 また、個々の商品の価格変化の傾向を見ても、マクロで見たときの物価の硬直性は説明できません。「全体は部分の総和」とは必ずしならないのです。

 ここで著者が注目するのは相互作用です。80年代のアメリカでは金融引き締めを行ってもなかかな賃金上昇率が下がりませんでしたが、これは各労組がバラバラの時期に労使交渉を行っており、過去の交渉に引きずられたからだと考えられます。現時点での賃金水準が80だとしても他の労組がそれまでに100で妥結していれば、そう簡単には譲れないというわけです(日本の春闘方式だとこれが起こりにくい)。

 

 需要の曲線が屈折しているケースが物価の硬直性をもたらすこともあります。255p図4−8でそうしたケースが紹介されていますが、例えば、原材料価格の高騰によって20円値上げしたくても、その20円の値上げによって売上が大きく減少してしまうのであれば、企業は我慢して価格を維持するでしょう。

 

 いよいよここからが日本の物価についての検討です。

 まず、日本のデフレは緩やかかつ執拗です。物価下落はすでに四半世紀近くに及んでいますが、下落幅は大きいときでも2%で均せば1%弱です。

 また、フリップス曲線は横に寝ているような形になっています。つまり貨幣量を増やすと失業率は改善するが、物価は上昇しないという70〜80年代前半の当局者にとっては信じられないような状況です。

 

 日本の個々の商品の価格を見ると、多くの変化率は0%近辺にあります。一方、アメリカは2.25〜2.75%のあたりの上昇を示す商品が多くなっています(263p図4−11参照、2014年のデータ)。

 つまり、アメリカでは年2%ちょっと値上がりする商品が標準的なのに対して、日本では価格が変化しない商品が標準的です。

 この日本固有の変化は1995年頃から始まったといいます。99年には価格がほぼ変化しない品目が55%になり、現在までその状況が続いているのです。

 

 90年代後半は日本が金融危機などに見舞われ物価が大きく下落してもおかしくない時期でしたが、ここでは価格が下方硬直的でした。これが大規模なデフレを不正だとも言えます。

 しかし、いつのまにか価格は上方硬直性も持つようになります。例えば、日本では2%のインフレであっても他国に比べて多くの商品の価格が据え置かれているのです(267p図4−12参照)。

 

 こうした状況が「1円の値上げも許さない消費者」を生みます。

 いつもいっている店が値上がりしたとき、他国なら「まあこんなものか」と思って買うのに、日本だと別の店に行ってしまうというのです。実際に、日米で行われたアンケートでは10%の値上げに対して、アメリカ人の多くが受け入れるのに対して、日本人は受け入れようとはしません(270p図4−13参照)。

 実際に、2017年10月に全品280円から全品298円へと値上げをした「鳥貴族」では客数が大きく落ち込みました。他が鳥貴族の値上げに追随しなかったこともあって、値上げは失敗したのです。

 

 では、日本の企業は人件費や原材料費の値上げにどう対処しているのでしょうか?

 答えの1つは商品の小型化です。お菓子などによく見られますが(カントリーマアムとかキットカットとか)、近年のお菓子は段々と小さくなっています。

 この動きは2008年と2013年以降で目立っています(279p図4−16参照)。2008年はエネルギー価格や食料価格が高騰した年、2013年には日銀の異次元緩和が始まっています。

 異次元緩和は2%のインフレ率を目指して始まりましたが、メーカーが選んだのは値上げではなく商品の小型化でした。そして、そこに多くの労力が投入されたのです。

 

 ウォーレン・バフェットは「その企業が投資に値するよい企業かそうでないか見抜くカギは、価格支配力の有無」(284p)と述べました。グリーンスパンもデフレの問題点として、この価格支配力が失われることを指摘しています。

 

 価格支配力を失った日本企業の特徴の1つが新商品の多さです。例えば、キットカットは多い年には70種類ものラインナップがあったといいます。アメリカやイギリスではせいぜい10種類程度です。

 シャンプーを見てみると、シャンプーそのものの単価は安定しています。しかし、同じ銘柄の値動きをみると一貫して下落しています(292p図4−17参照)。つまり、シャンプーの世界では、新商品が登場→価格の下落、再び先代が発売されたときと同じ程度の価格の新商品が登場→価格の下落ということが繰り返されているのです。

 商品の寿命には長いものと短いものがありますが、短いものは速いペースで値を下げ、長いものはゆっくりとしたペースで値を下げて、採算が取れなくなると退出していきます。

 これが日本の緩やかで執拗なデフレの背景にある個々の商品の動きです。

 

 さらに最後の第5章では、デフレを打ち破る政策として、シムズのFTPL(徴税能力の毀損)とケインズのマイナス金利(一定期間たったお札は有料の印紙を貼らないと無効にすることでマイナス金利を実現する)があげられています。

 いずれも理論的には妥当性がありそうですが、実行するとなると前者は財政当局に物価安定の責任を負わせることになりますし、後者は人々が反発するでしょう。

 

 また、グリーンスパンは物価安定の定義を「経済主体が意思決定を行うにあたり、将来の一般物価水準の変動を気にかけなくてもよい状態」(314p)と述べましたが、ある意味で物価がほぼ変化しない日本はこれを実現しています。

 もはや「予想」を超えて「ノルム」となった観のある日本のデフレをいかに打ち破るかは難しい問題であり、本書でも答えは出ていません。

 

 このように本書は日本のデフレを打破する答えを持った本ではないですが、理論と実証を往復する流れは非常に面白く、日本のデフレを考える上でもさまざまな新しい視点を与えてくれます。

 また、ミクロの価格を積み上げてもマクロの物価の動きがわからない点などは、これからのミクロ経済学マクロ経済学の関係を考えていく上でも参考になるのではないでしょうか。