呉濁流『アジアの孤児』

 1900年、台湾に生まれ、日本の植民地支配の中で育った著者の手による日本語の小説。植民地支配の中で教育を受けたものの、日本人と同じようにはなれず、一方で大陸に渡れば警戒され、下に見られるという台湾生まれの知識人の悲哀を描いた内容になります。

 本書は1943〜45年6月にかけて執筆されたといい、日本の植民地支配が終わろうとする中で、それをなんとかして記録しようとした小説とも受け取れます。

 

 基本的には胡太明という著者と重なる人物の人生を描いた小説で、知識人である自分と周囲との軋轢など、日本の近代小説と似ている部分もあります。

 また、女性の描き方は非常に古臭く、このあたりも日本の戦前の小説を思い起こさせるものです。

 

 というわけで、やはり読みどころはまさに「アジアの孤児」ともいうべき台湾の位置づけになるのだと思います。

 主人公が生まれた頃はまだ日本の植民地支配が始まってまもなくのときですが、しだいに台湾は「日本化」されていきます。主人公も最初は読書家だった祖父の影響で私塾で漢学を学びますが、のちに日本式の公学校に入ります。

 

 そして、教師になるのですが、ここで日本人との立場の違いを実感させられます。

 特に児童の日本語のアクセントが悪いのは本島人教員のせいだという話になったときに、その本島人教員の曾訓導が日本人教員の訛りを指摘するシーンは印象的です。

 読んでいる方がスカッとするシーンではあるのですが、中央-周縁という権力関係があらわになるシーンでもあります。

 

 その後、太明は日本に留学しますが、ここでは中国人の集まりにでかけて、台湾出身だと名乗ると、あきらかに軽蔑され、「スパイかもしれない」と言われます。

 その後、太明は曾訓導に導かれる形で大陸へと渡りますが、行く途中に曾訓導から「われわれはどこへ行っても信用されない。宿命的な畸型児のようなものだ」(150p)と言われます。

 大陸でも台湾出身者は異邦人なのです。

 

 その後、台湾に戻った太明は大陸に行ったということから日本の官憲から監視を受けることになりますが、日中戦争が始まると台湾でも戦時の色が濃くなっていき、強引な形で志願兵が募られます。

 太明も軍属という形で大陸に送り出され、精神的な傷を負って帰国します。

 そして、太平洋戦争が始まると、台湾社会にもさまざまなものを供出するようにと圧力が高まっていくのです。

 太明の兄は「皇民化」していくのですが、太明はそれにも乗れず、戦局の悪化とともに悩みを深めていくのです。

 

 敗戦前で物語は終わるので、今に至る台湾アイデンティティがいかに形成されていくのかということまでには入っていかないのですが、台湾の植民地支配の記録として、そして中途半端に同化せざるをえない知識人の問題を扱った作品としての面白さはあると思います。