『すずめの戸締まり』(ダイジンの正体について)

 『君の名は。』で明らかに東日本大震災のイメージを見据えた映画を作った新海誠が真正面から東日本大震災を描いた作品。

 これを少女がイケメンと出会ってそのイケメンが椅子にされて、椅子とともに全国を旅するロードムービーに仕立てるというのが、まずは良い点だと思います。

 今までは東京にしろ、地方にしろ、美しい風景を描いてきた新海誠ですが、今作では廃墟が1つのポイントになっており、衰退しつつある日本を巡礼するようなつくりにもなっています。

 

 「今ある風景が失われてしまうかもしれない」というのは、『君の名は。』にも『天気の子』にも共通するモチーフですが、本作ではすでに失われてしまった風景を通じて、かつての人々の生活に思いを馳せるという形になっており、このあたりも一歩踏み込んだ感じです。

 

 ただし、震災を真っ向から描いただけに、トリッキーなラストはつくりにくく、『君の名は。』や『天気の子』のラストにあった「こう来たか!」みたいな感じはないですね。

 その分、映画を見終わった後の高揚感はやや弱いかもしれません。

 あと、個人的な願望を言えば、東日本大震災の実際の地震のシーンをアニメーションでやってほしかったというのはあります。震災後の風景はありますが、震災の揺れや津波を直接描いたシーンというのはありません。

 また、一般の観客からすると「ダイジンとは一体何者だったのか?」という疑問が残る脚本ではあるでしょう。

 

 それでも、エンタメ的な部分もしっかりと入れ込みつつ、東日本大震災という巨大な傷に向かい合おうとするこの映画の試みは買いたいと思います。

 

 そして、これ以降は個人的に考えた「ダイジンとは何者か?」ということをネタバレ含みで書いていきます。

 

 

 

 まず、草太がやっている「閉じ師」ですが、誰にも知られずに特別な力を使って日本を災害から守っているという点で想起されるのは天皇です。

 すでに指摘されているところですが、「閉じ師」は「裏天皇」みたいなものであり、国民からは見えないところでさまざまな祭祀を執り行って日本の安寧を祈っている天皇の姿が重ねられていると言っていいでしょう。

 東京の地下にある要石は皇居の地下のあたりにありますし。

 

 では、ダイジンという猫の姿をしたものは一体何なのか?

 「ダイジン」というネーミングを素直に受け取れば、やはり政治家ということになります。後半には「サダイジン」も出てきますし、本来ならば政治を司るべき者なのでしょう。

 

 ダイジンの特徴を列挙すると以下のようになります。

 

・ すずめが好き

・ 無責任

・ 子どもっぽい

・ 露出好き(SNSに写真が大量にあがっている)

・ 人に取り入るのがうまい(神戸のスナックのシーン)

・ すずめを扉に導く

・ 最後に元に戻る

 

 このうち、「無責任」、「子どもっぽい」、「露出好き」、「人に取り入るのがうまい」というのはポピュリズム時代の政治家の特徴であり、やはり、ダイジンは「現代の政治家」のメタファーともとれると思います(サダイジンが環さんに「ホンネ」を語らせるのは、「ホンネ」こそがポピュリズムの時代にウケるものだから)。 

 

 となると、本作のストーリーは「ポピュリズム時代の政治家が責任を天皇に押し付けて、同時に国民(すずめ)を導いて過去の開発の後始末をさせ同時に自助努力で防災もさせようとするが、最終的には自らの責任を自覚して元に戻る」というふうにまとめられます。

 こうなると、最後にダイジンを力づくで要石にするのではなく、ダイジンが自発的に要石になるというのが重要で、もしすずめ(国民)と草太(天皇)が力づくでダイジンを排除するとなると、いわゆる「君側の奸」の考えに限りなく接近していまいます。

 

 以上は極めて牽強付会な読みですが、単純なオカルトではなく、こういった解釈の余地も残しているところが本作の面白い点の1つではないでしょうか。