額賀美紗子・藤田結子『働く母親と階層化』(とA・R・ホックシールド『タイムバインド』)

 今回紹介する本はいずれも去年に読んだ本で、去年のうちに感想を書いておくべきだったんですが、書きそびれていた本です。特にホックシールドの本は非常に良い本だったのですが、夏に読了した直後にコロナになってしまって完全に感想を書く機会を逸していました。

 というわけで額賀美紗子・藤田結子『働く母親と階層化』を簡単に紹介しつつ、そこでやや疑問に思った部分をA・R・ホックシールド『タイムバインド』の議論につなげてみたいと思います。

 

 まず、額賀美紗子・藤田結子『働く母親と階層化』です。いわゆる日本の女性に降りかかる仕事と子育ての両立という負担を分析した本です。

 現在の日本では、家事や子育ては母親中心とされながら、同時に母親には外で稼ぐことも求められているような状況です。これを三浦まりは「新自由主義的母性」の称揚と位置づけましたが、本書もそうした問題意識をもって、母親たちがどのように家事・育児と仕事というダブル・バインド状態にいかに対処しているかを明らかにしようとしています。

 

 同時に本書は階層に注目することで、母親たちが置かれている状況の違いについても注意を払っています。

 今までの両立問題の本や新聞記事などでは、どうしても高収入層の女性かシングルマザーというように両極端なケースがとり上げられる傾向が強かったので、広い階層にアプローチし、階層ごとの違いを明らかにした本書の分析は貴重です。

 

 本書では0〜6歳までの未就学児が少なくとも1人はいる首都圏在住の20〜40代の母親55名に対してインタビューを行っています。

 学歴や職業の多様性確保に努め、対象は四大卒以上32名、短大卒4名、専門卒11名、高卒8名となっています。保育所などを拠点に声掛けを行って集めたそうですが、やはり大卒以外の学歴の母親に話を聞くのは苦労したそうです(補章206−207p)。

 

 目次は以下の通り

序 章 働く母親と階層化[額賀美紗子・藤田結子]

第Ⅰ部 育児・家庭教育[額賀美紗子]

第1章 母親意識と時間負債──母親業と仕事を織り合わせる 

第2章 家庭教育へのかかわり方と就業意欲──「親が導く子育て」と「子どもに任せる子育て」

第3章 家庭教育における父母の役割分担──4つの類型

第Ⅱ部 仕事・家事[藤田結子]

第4章 大卒女性の稼ぎと職業に対する意識

第5章 非大卒女性の稼ぎと職業に対する意識──日常生活のリアリティ

第6章 愛情料理は誰のため─写真にみる家庭の食卓

終 章 仕事と子育ての不平等是正に向けて[額賀美紗子・藤田結子]
補 章 フィールド調査の方法[藤田結子・額賀美紗子]

 

 まず第1章に出てくる「時間負債」という言葉ですが、これはホックシールドの提唱したもので、仕事をしている女性が子どもと過ごす時間が少なくなってしまうことの後ろめたさを表しています。

 本書でとり上げられている母親たちも、専業主婦と比べて子どもと過ごす時間が少ないことに後ろめたさを感じています。

 また、発達が遅かったりすると「愛情不足では?」と感じてしまうこともあるようで、育児については母親が自分を犠牲にしてでも責任を持つべきだという考えを持っている人も多いです。

 

 ただし、「絶対仕事のほうが楽なので。仕事に行って、大人と会話して、平常心を保っているというか」(43p)と話す母親もおり、育児と仕事が単純な二重の負担になっているわけではなく、仕事が育児のストレスを軽減していると考えている人もいます。

 

 保育所についても、一緒に過ごす時間が少ないことに負い目を感じつつも、保育所に預けたことによって親子だけで過ごすよりも良い経験ができていると考える人も多いです。

 ただし、保育所でも「育児に責任者は母親」という形で対応されることに違和感を感じている人もいます(パパが保育所から怒られることはないが、ママはある)。

 

 第2章では、育児について「親が導く子育て」、「子どもに任せる子育て」という類型を導入して分析を行っています。前者は、親が学習習慣を身に着けさせ、いろいろな習い事などを経験させて子どもの見聞を広めることを重視しており、後者は、小さいうちはのびのびさせ、習い事なども本人がやりたいと言ったらやらせるスタンスです。

 

 この2つのスタイルとは母親の学歴とも関係があり、「親が導く子育て」は大卒女性14名に対して非大卒女性9名、「子どもに任せる子育て」は大卒女性9名に対して非大卒女性14名となっています。

 統計調査をしたわけではないですが、本調査からは学歴が高いと「親が導く子育て」、低いと「子どもに任せる子育て」になりやすい傾向がうかがえます(ただし、大卒女性の中にも子どもを管理しすぎることに抵抗を示す人はいます)。

 

 ただし、高い学歴を望んで例えば小学校受験をさせようとすれば、自分が仕事を続けることが難しくなり、就業意欲にブレーキが掛かります。一方、「子どもに任せる子育て」には時間負債を緩和させる効果があります。

 日本は高学歴女性の就業率が他国に比べて低いのですが、その要因の1つが「親が導く子育て」へのめり込んでしまうことかもしれません。

 

 第3章では、父親についても分析に含め、「母親に偏った「親が導く子育て」」、「父母協働志向の「親が導く子育て」」、「母親に偏った「子どもに任せる子育て」」、「父母協働志向の「子どもに任せる子育て」」という類型を取り出して分析しています。

 

 まずは「親が導く子育て」ですが、「父母協働志向」であってもやはりイニシアティブをとっているのは母親で、母親が父親を巻き込むような形で習い事などが決められています。一方、「母親に偏った」ケースでは、父親がそもそもほとんど習い事をしておこなかった、父親が高卒など、父親の育った文化が影響を与えているケースが多いようです。

 

 「子どもに任せる子育て」では、「父母協働志向」のケースは両親の教育的関心は高いものの、明確な意図を持って「子どもに任せる」としているケースもありますし、るりさんのケースのように父親は「親が導く子育て」的志向を持っているケースもあります。一方、「母親に偏った」ケースでは、父親がそもそも育児に関心がない、母親がやるものだと思っているといったケースが見られます。

 

 階層ごとに見ると、両親とも大卒だと「父母協働志向の子育て」になりやすく、両親だと非大卒だと「母親に偏った子育て」になりやすいです(108p図3−2参照)。さらに、その中でも「母親に偏った「子どもに任せる子育て」」が多いです(109p図3−3参照)。

 

 第4章では大卒女性の職業意識を探っています。

 就業しても、就業に対する意識はそれぞれ違います。生計維持分担意識が強い人もいれば、低い人もいますが、本書でとり上げられている大卒女性を見ると、やはり生計維持分担意識が強い人が多いです(20名中、強い者が17名、弱い者が3名)。

 ただし、夫との比較でいうと「自分が主な稼ぎ手」が3名、「2人がほぼ同等の稼ぎ手」が4名、「夫が主な稼ぎ手」が13名と、夫が主な稼ぎ手と考える人が多いです。

 

 さらに彼女たちの語りから、「キャリア」型(ライフワークとして仕事に取り組み、高いレベルのコミットメントを持っている者)と「ジョブ」型(社会参加や家計補助のために収入を得ることが目的のもの)という類型を取り出して分析しています。

 「キャリア」型のふゆみさんは、週に1回はベビーシッターを頼んで働いており、管理職を目指しています。

 また、わかなさんのように仕事と子育ての両立が大変で契約社員になったが、キャリアを形成する機会を失ったしまったと感じた人もいます。

 家事負担については、大卒フルタイム共働き夫婦であっても妻の家事負担が大きくなる傾向があります。

 

 第5章では非大卒女性の職業意識を探っています。

 対象は17名で、生計維持分担意識が強い者が8名、低い者が9名と、大卒女性に比べると生計を担おうという意識は弱いです。

 

 注目すべきは同じ非大卒であっても高卒と専門卒では意識が違うことで、今までの調査では非大卒で高卒と一括されることが多い専門卒ですが、生計維持分担意識を高める傾向があるようです。

 本書を見ると、専門卒で生計維持分担意識が高いのは、看護師、福祉士、歯科衛生士などの資格職で、こうした資格の有無が影響しているとも考えられます(ただし、福祉士のケースでは同じ福祉職の夫の給与が低いことが理由になっている(136−137p)。高卒女性で唯一生計維持分担意識が高い者も介護福祉士の資格を持っています)。

 

 高卒女性の場合、本書でとり上げられているのは、ネイリスト、介護職など、長時間労働が必要とされる職種についていたため、子育てとの両立が難しかったために辞めざるを得なかったケースです。

 

 先ほどの「キャリア」型、「ジョブ」型の類型でいうと、専門卒では半々という感じですが、例えば、しおりさんは美容の専門学校を出て美容師になったものの、職場のブラックさによってパートの美容師となっています。本来ならば「キャリア」型を志向したが条件的に「ジョブ」型に落ち着かざるを得なかったケースと言えます。

 高卒女性だと「キャリア」型を志向しているのは、介護士のうららさんのみで、他は正社員だったもののマタハラを受けて退職し、非正規になってしまったなど、職場の不安定さがキャリア志向を難しくさせています。

 

 夫との家事分担では、大卒にあった妻と夫が同程度というタイプがなく、非大卒ではすべての回答者で妻が全部、または夫よりも2倍程度家事を負担しています。理由としては夫が長時間労働であること、固定的なジェンダー意識を持っていることなどがあげられます。

 

 第6章は「愛情料理は誰のため」というタイトルで、調査対象者に撮ってもらった写真も使いながら料理について分析しています。

 料理の負担はどうしても女性に偏りがちですし、特に日本では「手作り規範」とも名付けられる手作りを称揚する雰囲気があります。

 

 では、そうした手間が誰に向けられているかというと基本的に子どもです。もちろん、夫の要求などを重視している人もいますが、誰を重視するかでは16名中、「子ども」が9名、「子どもと夫」が3名、「自分と夫」が2名、「子どもと自分」が1名、「自分」が1名です(169p、「夫」単独の選択肢はあったけど選ばれなかったのかな?)。

 

 「手作り=愛情」という考えに肯定的な人は16名中13名ですが、ここでも愛情の対象は基本的には子どもです。

 例えば、朝食に子どもには絵皿を使うが、大人は皿洗いの時間を節約するために食パンをティッシュの上に乗せるだけといったケースもあり、子どもにきちんとした食事をさせたいという規範は強いです。

 そして、この食事における「子ども中心主義」は就業形態や職業、学歴、世帯収入による違いはなく見られるものだといいます(179p)。ただし、看護師などの専門職では手作り規範の相対化が行われやすい傾向があり、世帯収入が高いほど調理済み食材やサービスや家電の購入などで時短を図る傾向があるそうです。

 

 このように本書は、今まで大卒女性中心に論じられることが多かった女性の仕事と育児・家事の両立問題に対して、非大卒の語りも取り入れることで、「階層」の問題を含めて考察している貴重な研究です。

 最後の食事の問題もさらにここから分析を深めていきそうで面白いと思います。

 

 ただし、第6章で日本の家庭における「子ども中心主義」に行き着いたのであれば、前半の章での書き方をもうちょっと見直しても良かったのでは? と思う部分もあります。

 

 例えば、第3章では子どもの習い事に対して次のように書かれている2つの部分があります。

 1つ目は、3歳児に水泳だけではなくピアノも習わせようとしているせいこさんのケースです。夫にピアノを習わせる意義を理解してもらえないことを嘆いています。

 

せいこさん:ピアノをやったところで、別に何も身に付かないって。

 ー なるほど。それに対して何か言いましたか?

せいこさん:私はピアノをやることで、右手と左手で、右脳と左脳を同時に使うから、結構いい、今後使えるようになるって言ったんですけど。別に、ピアノ習ってても自分たちと変わらないような生活をしたりとか、ピアノを引けるからといって別にすごい人になってるわけじゃないみたいな。(94p)

 

 2つ目は子どもの習い事に熱心に取り組む夫についての記述です。

 

 たとえば、わかなさんの夫は水泳教室、そのこさんの夫は卓球教室に子どもたちを熱心に通わせていた。習わせようと考えたのは夫で、教室を探したり、うまくなるための練習に付き合ったりするのも夫だった。かれらがこれらの習いごとに特化して興味を示すのは、自らが経験し、過去に打ち込んできたものだからである。大和ら(2008)は、父親の育児参加が増えてきたとはいえ、父親は育児を「子どもと楽しいことをする」こととしてとらえがちで、「育児にレジャー化」が進んでいるという見解を示している。これを踏まえると、父親の習いごとへのコミットは、母親たちのように子ども中心的な意識を背景とした行動ではなく、自己充足的な意味合いが強い。家庭教育の「楽しい」部分を父親が引き受け、しつけや教育にかかる手間ひまは母親が背負うことになっていた。(107p)

 

 他にもこの章では、子どもの習い事に対して興味を示さない父親に対する母親の不満が紹介されていますが、この章を読むと、やはり育児の中心は母親であるべきと感じてしまいます。

 なぜなら、父親の育児は「自己充足的なレジャー」に過ぎないのに対して、母親の育児は「美しき自己犠牲」だからです。

 

 というのは言い過ぎにしても、例えば、せいこさんが子どもの頃にピアノをやっていたとしたら、それは自己充足なのでしょうか?

 一応、「親がやらせたいもの」と「子どもの立場に立って将来に役に立ちそうなもの」という分け方はできそうにも見えますが、卓球とピアノでどっちが子どもの将来のためになるかというのは誰にもわからないことでしょう。

 

 第6章の食事についての分析を見ればわかるように、日本の母親に負担を強いているのは「子ども中心主義」でしょう。

 育児と仕事の両立のためには、この「子ども中心主義」の相対化が必要だと思うのですが、第3章の議論は、父親への「滅私奉子ども」の要求であり、「子ども中心主義」を強化するものになってしまっています。

 ここは小さいうちの習いごとなんて親のエゴに過ぎないと割り切ったほうが母親も父親も幸せになれるのではないでしょうか?

 

 

 おまけですが、A・R・ホックシールド『タイムバインド』は、「なぜ両立支援の整っている職場で長時間労働が蔓延しているのか?」という疑問に対して、「家庭よりも職場のほうが居心地が良いからだ」という見方を示した本になります。

 評価されることの少ない育児に比べて、成果に対してきっちりと評価が出て、しかも仲間がケアしてくれる職場の方が居心地がよく、子どもを愛していないわけではないが、職場にとどまってしまうというものです。

 

 日本では家庭の権威の中心が子どもにあり、それが「子ども中心主義」を生み出すと同時に、育児に対する評価のようなものも生み出しているのではないかと思います。

 「子ども中心主義」は相対化されるべきだと思いますが、なくなれば家庭からの逃避が起きてしわ寄せが子どもに行きかねないわけで(ホックシールドアメリカの状況をそのように捉えている)、難しい問題です。

 

 とりあえず、今回紹介した2冊の本は仕事と育児の問題について、さまざまなことを考えさせてくれる本です。