副題は「その言説に根拠はあるのか」。税制をめぐるもっともらしい言説を実際のデータで検証しようとした本になります。
冒頭はいわゆる「年収の壁」をとり上げていて非常にタイムリー。「働き控え」をしている人にはぜひ読んでほしいですし、同時にあまりに複雑すぎる仕組みを見て政治家や官僚にはなんとかして欲しい(必ずしも控除額を引き上げるというわけではなく、普通の人にも理解できる仕組みにして欲しいという意味で)という思いも湧いてきます。
それ以外にも「企業減税は経済成長を促進するのか?」「消費税の軽減税率は役に立っているのか?」など、興味深い問いが並んでおり、税制を語る前にまず読むべき1冊となっています。
目次は以下の通り。
第1章 「年収の壁」と配偶者控除―配偶者控除は就業調整を引き起こすのか
第2章 課税と労働供給―労働所得税は勤労意欲を削ぐのか
第3章 課税と再分配―税は格差の縮小に貢献できるのか
第4章 企業課税と経済活力―企業減税は経済成長を促進するのか
第5章 消費税と今後の税制―軽減税率は役に立っているのか
終章 「きちんと考える」ということ
第1章は、今一番ホットな話題とも言える「年収の壁」の問題です。
この「年収の壁」の問題は「103万の壁」とも言われています。サラリーマンの夫がいる家庭で妻がアルバイトやパートなどの収入が年103万円の超えると、配偶者控除が受けられなくなるために、年収103万円を超えない範囲で働いている人が多いという問題です。
しかし、以下の18p図表1−6のグラフを見ればわかるように、度重なる制度改正のおかげもあって、103万円を超えると収入が減ってしまうというケースはありません。

後述する社会保険に加入するか否かの壁はありますが、実は税にまつわる配偶者の直面する「103万の壁」というのは存在しないのです(だからこそ、国民民主党は主婦ではなく学生のアルバイトの問題を前面に出しながら「年収の壁」の引き上げを求めているのでしょう)。
それでも既婚女性の給与収入の分布を見ると、95〜100万円のところが崖のようの競り上がっており、ここに大きな壁が存在していることがわかります(19p図表1−7参照)。
以前は、企業が社員に配偶者手当を支給する際に103万円を基準としていることが多かったのでその影響も考えられますが、103万円を基準とする企業は2015年の40.4%から2023年には20.6%にまで減少しています(25p図表1−10参照)。
ただし、100万円付近には配偶者特別控除の基準だけでなく、所得税の課税開始の基準、個人住民税の課税開始の基準などが集まっています。本書の複雑な説明を読むと、多くの人が制度を理解することをあきらめて昔ながらの「103万の壁」という基準を使い続けている可能性も見えてきます。
配偶者控除はたびたび問題となっており、女性の社会進出を阻害しているとの声もあります。
しかし、著者は現在のデータを見る限り、配偶者控除がなくなったとしても、「103万の壁」が「130万の壁」に変わるくらいではないかと見ています。103万を超えても年収が減らない状況でも「103万の壁」が意識される続けているのであれば、配偶者控除がなくなることで急に労働時間を大幅に増やすという選択は考えにくいからです。
ちなみに時給の上昇によって働く時間を短くせざるを得ない状況に対して、著者は「インフレに合わせて閾値を上げれば良い」(35p)と考えており、国民民主党の主張をバックアップするものと言えるかもしれません。
第2章は「労働所得税は勤労意欲を削ぐのか」という問題です。
もし、所得に100%の課税がなされれば人々は働く気をなくすでしょう。そういった素朴な考えから、ラッファー曲線のような税率を上げるとかえって税収が減るといった考えも生まれてきました。
ラッファー曲線における、税率を引き下げると税収が増えるという議論については、これはこれで現実味がない気もするのですが、実際のデータからはどんなことが言えるのか?というのが本章の内容です。
過去の研究からは、「①税率変化(税引き後賃金変化)に対する就労者の労働時間の反応は、女性や高齢者では比較的大きいが、働き盛りの男性では極めて小さい。②税率変化(税引き後賃金変化)が就労参加に与える影響は、労働時間に与える影響よりは大きい」(46p)ということがわかっています。
ただし、日本的雇用の場合、税率によって働く時間を変えるということは考えにくいので、税率の変化は労働供給に影響を与えることはないと考えられてきました。
最高税率が税収に与える影響も検討されています。
最高税率引き上げの対象者はわずかであり、また、最高税率を引き上げれば金持ちたちはそれを回避する行動を取るためにそれほどの税収増は望めないという議論があります。
米国では2013年に資本所得に対して約9.5ポイント、労働所得に対して約6.5ポイント最高税率が引き上げられました。この引き上げについてサエズが分析していますが、それによると行動的税収減が機械的増収増に占めル割合は2割程度で、政府の税収増に十分な効果があったとしています。
アメリカでは連邦政府の最高税率が引き下げられるのを補うような形で、8つの州で高所得者に対する所得課税が強化されました。
ニュージャージー州は最も早く累進課税を強化した州で、2004年に50万ドル超の高所得者の最高税率が6.37%から8.97%に引き上げられました。その結果、該当する納税者が州外に流出したことが確認されましたが、その規模は小さく、税収の観点からは年平均10億ドルの税収増につながったといいます。
国境を超えた移動についてはヨーロッパにおけるサッカー選手についての研究や、OECD加盟国内での花形技術者・発明家についての研究があります。これらの研究では、外国人選手や技術者と国内出身の選手や技術者の弾力性(どれくらい税に反応して移動するか)は小さくなっています。
日本人の場合、欧米よりも海外移住の金銭的・心理的コストは高いと考えられ、最高税率の引き上げが富裕層の大幅な海外流出をもたらすことは考えにくいと言えます。
本章の最後では、低所得者向けの政策、、ベーシックインカムや負の所得税についての分析も紹介されています。
ベーシックインカムについては、フィンランドで行われた実験が興味深いです。ベーシックインカムと失業給付を比較した場合、特に労働供給に違いは見られなかったそうです。また、求職活動が条件とされている失業給付に比べてベーシックインカムの方が精神的なストレスが少なかったという結果が出ています。ただし、ベーシックインカムについては全国民を対象とする長期にわたる導入の効果は実験によっては見通せないという問題があります。
負の所得税はアメリカで「勤労所得税額控除」という仕組みで導入されており、貧困削減と片親家庭の労働参加率の向上などをもたらしたとされています。ただし、還付を受け取るには確定申告が必要であり、日本で導入する場合は税務署の体制強化などが必要になります。
第3章は再分配について、「課税によって格差を縮小できるのか」ということが検討されています。
税によってどれだけ格差が縮小しているのかを計測するのはなかなか難しいのですが、複数の研究について、1981〜2017年の効果を見たところ、2005年以降、税の再分配効果がほぼゼロになっているという状況があります(90p図表3−3参照)。
この背景としたあげられるのが、日本の所得税が労働所得については累進的になっている一方、資本所得については20%で一律であるためです。
資本所得への課税が大きいと貯蓄→投資の流れが阻害され、結果的に経済成長を阻むということから資本所得への軽い税率は正当化されますが、高所得者は株式などからの所得が多いために(94p図表3−4)、所得再分配の効果は弱まります。
また、高所得者の多くは株式の譲渡益(キャピタルゲイン)が中心であり(95p図表3−5参照)、このキャピタルゲインのへの課税をどのように行なっていくかが格差を縮小させるための1つのポイントになります。
格差については資産の世代間移転の問題があります。ただし、この計測も難しく、日本の移転資産の割合はについては、15.8%〜90%と依拠するデータによってバラバラな数字が出ています(99p図表3−6参照)。ただし、親から子への資産移転の規模は1984〜2014年の年平均で80兆円にも上り、しかも年々増加傾向にあるといいます。
さらに、この移転については、単純に財産を残すだけでなく、教育などの投資によって子の稼得能力を高めるというはたらきもあります。
こうなるとやはり資産への課税が必要だという議論も出てきます。資産に対する課税には、資本所得課税、資本所有課税(日本だと相続税)、資産移転税(日本だと贈与税と相続税)がります。
Blanchet(2022)によると、米国をモデルにした場合、世代間移転に税率100%の課税を行うことで資産集中を抑制する効果は、保有資産に毎年3%の課税を行うことで達成できるそうです。
ただし、毎年、資産を明らかにして課税するためには技術的なハードルやコストの問題があります。
そこで、現行では相続税の強化がポイントになりますが、2015年の相続税改定(控除額の引き下げが行われた)の際にメディアに「相続税大増税」との見出しが踊ったように、相続税に対する反発は強いです。
しかし、実際の課税の水準を見ると、子ども2人が相続する場合ならば基礎控除は4200万円、遺産が1億円であっても法定相続人一人当たりの納税額は385万円であり、2人の合計で770万円、相続額に対する相続税の割合は7.7%に過ぎません。
そもそも相続税の控除額はバブル期に土地が急騰した際に引き上げられた経緯があり、その後の土地価格の沈静化においても引き下げられていなかったのです。
第4章は企業への課税を扱っています。近年、日本では国際競争や経済成長を促進するためとして法人税の減税が行われてきました。平成の初頭には40%あった基本税率は、平成の終わりには23.2%にまで引き下げられています。
法人税については他にも地方法人税などがあり、これらを考慮した総合法定税率は現在では29.74%となっています。
一般的に法人税減税は投資を増加させ、それが生産能力を向上させて経済成長を促進すると考えられています。また、研究開発費の伸びは生産性の向上につながると期待されます。
しかし、Gechert and Heimberger(2022)が今までの研究のメタ分析を行ったところ、法人税の法定税率の引き下げは短期的には経済成長を阻害し、長期的には経済成長に貢献するが、長期的効果もほぼゼロに近く、Gechert and Heimbergerは法人課税は経済成長に影響を与えないと結論づけています。
確かに法人税減税によって投資が増える可能性はありますが、そのために政府支出が減ることも考えられますし、代わりに別の税を増税すれば労働供給が減る可能性もあります。法人税減税の効果は簡単には見通せないのです。
さらに本章では、譲渡所得税とスタートアップの関係や相続税と事業承継の問題についても検討しています。
第5章では消費税について軽減税率を中心に分析しています。
一般的に経済学者には評判のよくない軽減税率ですが、効率性や社会厚生関数の視点からは複数税率が正当化されるといいます。
しかし、複数税率の導入にはさまざまなコストがかかり、対象商品をめぐって政治的な争いになることもあります。
軽減税率は低所得者向けの対策として打ち出されることが多いですが、消費課税の逆進性に対応するためには、軽減税率ではなく、単一税率の消費課税で得られた税収の一部を所得税制を通じて低所得者に還付するという方法も考えられます。
横山(2016)によれば、単一税率の消費税の徴税コストは税額100円あたり0.46円と、所得税の税額100円あたり6.73円に比べて非常に低く、取りやすい税ではあります。
所得税の還付に関しては、現在の体制では難しい面があり、そのためのコストもかかりますが、これによって生活保護の費用などを抑えることができるかもしれません。
最後に社会保険料を消費税で代替することの是非も検討しています。
社会保険料のメリットは目的がはっきりしていることもあって引き上げが容易なところです。一方、デメリットとして未納の問題があります。年金では未納になった人たちは生活保護に流入する可能性が高く、将来的にこの負担が大きくなる可能性があります。
社会保険料を消費税に置き換えれば未納の問題は起こりません。しかし、柔軟な負担率の変更は難しくなり、現実には消費税への置き換えは難しいと著者は見ています。
このように本書は税についてのさまざまな俗説を問い直しており、「年収の壁」問題以外でも非常に興味深い内容となっています。
「法人税が増税されれば投資が減って経済成長が鈍る」というのはわかりやすいロジックですが、本当にそのロジックが成立するかどうかはエビデンスに当たってみなければいけないわけです。
気になった章を読むだけでも十分勉強になる本です。
