向山直佑『石油が国家を作るとき』

 石油は政治学においても注目されている資源で、マイケル・L・ロス『石油の呪い』は石油の存在が民主化の進展や女性の政治参加を阻害し、内戦などが起こりやすいことを明らかにしました。

 

 これに対して本書が注目するのが植民地の独立と石油の関係です。

 ブルネイカタールバーレーンといった国は小国ですが、産油国であるために豊かです。本書はこのような小国がなぜ存在するのか? という問題を提起しています。

 第2次世界大戦後に世界で約600ほどの植民地単位がありましたが、そこから誕生した独立国が150ほどで、多くの植民地が合併される形で主権国家となっています。

 そうした中で、なぜブルネイカタールバーレーンは小国のまま独立できたのか? というのが本書が解こうとする謎になります。

 

 この問題については、「宗主国が石油の権益を維持するために小国を独立させたのでは?」と考える人もいるかもしませんが、こことり上げられているケースは、いずれも宗主国(イギリス)がもっと大きな単位での国家形成を目論んだものの、それに失敗したケースになります。

 

 本書はケースこそ少ないとはいえ、非常にしっかりとした形で論証がなされており、脱植民地化や国家形成について今までにはなかった知見を教えてくれます。

 また、本書の知見は「石油の呪い」「資源の呪い」について改めて問い直すことを要請しており、この点でも興味深いものです。

 

 目次は以下の通り。

 

序章

第1章 単独独立の理論

第2章 ボルネオ島における石油と脱植民地化――ブルネイの単独独立

第3章 ペルシャ湾岸における石油と脱植民地化――カタールバーレーンの単独独立

第4章 他地域における単独独立とその不在――クウェート西インド諸島、南アラビア

第5章 天然資源の多様な影響――歴史と比較の観点から

結論

 

 本書が小国が独立するキーとしてあげるのが石油という資源と、保護領制度という仕組みです。

 保護領とはイギリスが植民地支配のためによく用いた手法ですが、国内統治に関する内的主権は現地の支配者に認めるものの、外的主権については宗主国に委ねるという支配のやり方です。

 つまり、保護領の支配者は、国内統治については主体的に行うものの、外交や安全保障に関しては宗主国に委ねるということになります。宗主国保護領が他国と独自に協定などを結ぶことを阻止するとともに、それを保護する責任を責任を負ったのです。

 

 イギリスは世界中に植民地をつくりましたが、その維持コストを抑えるために、多くの地域で現地の支配者を支援して、その支配を継続させる保護領というスタイルを取りました。

 インドでも重要な地域を直接支配しつつ、それほど重要ではない地域には藩王国を残しています。

 本書がまず取り上げるブルネイも同じで、1888年に隣接するサラワク、北ボルネオとともにイギリスの保護領となっています。石油が発見されるまではイギリスはこの地域に特に価値を見出していませんでしたが、植民地獲得競争の中で他に取られないために版図に加えたのです。

 この構図はペルシャ湾岸も同じで、インドへとアクセスを確保するためにこの地域を保護領として版図に加えています。

 

 石油は19世紀後半からアメリカで商業生産が始まり、20世紀になると自動車や航空機の登場とともに重要な資源となっていきます。

 ヨーロッパの国々は新たにアジアや中東に石油の供給源を求めるようになり、オランダ領東インドや中東での石油開発が進みます。

 ちょうどこの石油の開発と植民地の独立の前後関係がその地域の歴史に大きな影響を与えているというのが本書の主張です。

 

 宗主国は植民地の独立が避けられなくなった際に、一定の規模が必要だと考え、連邦の形成に動きました。マレーシアやアラブ首長国連邦などがそうした連邦にあたります。

 しかし、そうした宗主国の意向に逆らって単独独立を果たしたのが、ブルネイバーレーンカタールというわけなのです。

 

 石油は資本集約的でグローバルな産業であるため、規模の経済を考える必要がありません。つまり、小国であっても十分に成り立ちますし、さらに石油の富の分配ということを考えれば小国である事は好都合です。さらに石油の富によって周辺地域よりも豊かになっており、近隣諸国と一緒になることで富が奪われるという意識がはたらきます。

 支配者にとっても、他の地域と一緒になることは複数の支配者の1人になることを意味します。

 

 問題となるのは独立後に他の国から侵略を受けることですが、それを防ぐのが宗主国の保護であり、その保護を引き出すための石油です。

 近代国家にとって石油の確保は不可欠であるために、その地域は重要性を帯び、独立にあたっての交渉力も強くなります。この交渉力が宗主国の当初の意向に逆らっての単独独立を後押しするのです。

 

 これが本書の基本的な枠組みですが、これを第2章以下で実際の歴史の沿って見ていきます。

 まずはブルネイです。ブルネイのあるボルネオ島は19世紀に4つの植民地単位に分割されました。ブルネイ、サラワク、北ボルネオ、オランダ領ボルネオです。

 このうち、ブルネイだけが単独で独立し、サラワクと北ボルネオはマレーシアに、オランダ領ボルネオはインドネシアの一部となりました。

 

 19世紀末、ブルネイのスルタンはサラワクや北ボルネオの圧迫を受け領土を失っており、そうしたこともあってブルネイはイギリスの保護領となりました。ただし、同時期にサラワクや北ボルネオもイギリスの保護領となっており、保護領となってからもブルネイはサラワクに領土を奪われるなど、その勢力は退潮していました。

 

 こうした状況を変えたのが1903年ブルネイにおける石油の発見です。産出量はわずかだったものの、さらに石油が眠っている可能性が出てきたこともあり、ブルネイの重要度は大幅にアップします。

 1906年にはイギリスとブルネイの間で新たな条約が結ばれ、イギリスが参事官を派遣してブルネイの行政を助けることになりました。ただし、政治はスルタンの名で行われたためにブルネイのスルタンの国内的権威は高まりました。

 

 1960年代に脱植民地化の波がボルネオにも押し寄せると、イギリスは英領ボルネオの統合を模索し、さらにはシンガポールとマラヤの合併にボルネオを加える案を考えます。

 イギリスはシンガポール共産主義者支配下に置かれたり、インドネシアに吸収されることを危惧しており、それにはマラヤとの合併が適当だと考えました。ところが、シンガポールを受け入れることでマレー人が多数派で亡くなることを嫌ったマラヤはこれに反対しており、これを解決する策としてさらにボルネオを合併することが考えられたのです。

 

 この案に対して、当初ブルネイは乗り気でしたが、連邦におけるブルネイの代表権やスルタンの序列をめぐって対立し、さらには石油収入の分配をめぐって対立し、けっきょく、1963年にマレーシア連邦ブルネイ抜きで成立します。 

 

 しかし、当時のブルネイの安全保障は脆弱であり、独立を保つには何らかの外部からの保護が必要でした。そこでブルネイがあてにしたのが旧宗主国のイギリスです。

 一方、地域の安定のためにブルネイをマレーシアに参加させることが至上命題だと見ていたイギリスですが、石油権益のためにブルネイを見捨てることはできませんでした。

 さらに1963年にブルネイで新たな油田が見つかったことも、ブルネイの交渉力を高めました。イギリスはブルネイを軍事的に保護することになり、1984年にブルネイが完全に独立した後も、スルタンの費用負担でイギリスのグルカ連隊は駐留しています。

 石油がブルネイに独立のインセンティブとイギリスによる保護をもたらしたのです。

 

 一方、サラワクや北ボルネオにはブルネイの石油に匹敵するような資源はなく、単独で発展できる財源はありませんでした(北ボルネオは独立を目指す正統性を持った支配者もいなかった)。

 また、オランダ領ボルネオでは石油が出たものの、オランダの政策によって石油収入は現地のスルタンには入らないようになっており、最終的にはオランダから独立したインドネシアに吸収されました。

 

 続いて湾岸諸国です。湾岸諸国については「石油が出るアブダビアラブ首長国連邦に入っているではないか?」という疑問が浮かぶかもしれませんが、著者によればポイントになるのは石油生産が始まった時期です。

 単独独立を果たしたバーレーンが1932年、カタールが1940年に石油が発見されていたのに対してアブダビで石油が発見されたのは1958年と遅れています。

 

 この地域ではイギリスがサウジアラビアイラク、イランといった地域大国の拡大を抑止する政策を展開しており、湾岸南部の各首長国が独立した植民地単位として存続したのはイギリスによるところが大きいです。

 イギリスは1つの国が石油を独占して生産することを望ま図、そのために小規模な首長国を保護しました。

 

 イギリスは第2次大戦後も湾岸地域を維持することを考えていましたが、さまざまな理由から限界を迎え、1968年にウィルソン労働党政権は71年にイギリスがペルシャ湾から撤退することを発表します。

 これは湾岸諸国にとっては寝耳に水でしたが、イギリスはバーレーンカタールを含めた湾岸の9首長国で構成される連邦を理想的なシナリオとしつつ、この地域の独立を模索していきます。

 

 9首長国のうち主要な国は、アブダビ、ドバイ、カタールバーレーンの4者であり、残り5つは弱小でほとんど影響力はありませんでした。9つの首長国のなかで最大で最も裕福だったのはアブダビで、連邦の構想もアブダビ中心に進んでいきます。

 しかし、カタールバーレーンは早くから石油を生産していたために他の地域よりも発展していたという事情がありました。そこで両者はアブダビの下に立つことをよしとしませんでした。

 

 カタールバーレーンが単独独立を目指す上でネックとなったのが、カタールにとってサウジアラビアバーレーンにとってイランからの脅威です。

 この問題を解決したのが石油でした。石油によって両首長国はイギリスからの安全保障を取り付け、また、支配者としての地位も認めさせていきます。

 イギリスにとってのベストなシナリオは9つの首長国による連邦であっても、石油という資源の存在もあって決定権はむしろカタールバーレーンの支配者にあったのです。

 

 一方、同じように単独独立を目指したラアス・アル=ハイマは、当初、アラブ首長国連邦への参加を拒否していたものの遅れて連邦に参加します。

 ラアス・アル=ハイマでも石油発見の見込みがあり、そのために首長はアブダビの下に立つことを拒否していましたが、結局、石油は見つかりませんでした。交渉力を失ったラアス・アル=ハイマは連邦に加盟するしかなかったのです。

 

 連邦構想があったわけではありませんが、石油の力によって独立を保ったのが同じ湾岸諸国のクウェートです。

 クウェートでは比較的早くから独立運動が盛り上がったこともあり、1961年6月19日に独立します。しかし、このクウェートへの領土的な野心を隠さなかったのがイラクでした。61年6月25日、イラクの首相はクウェートは自国の一部であり、その全領土を領有すると発表します。

 この危機に対処したのがイギリスです。クウェートが当時のイギリスにとって最大の石油供給国だったこともあり、イギリスは軍を派遣してクウェートの危機を救いました。

 

 トリニダード・トバゴ産油国でありながら、そのタイミングが植民地からの独立に遅れたために、西インド諸島連邦への参加→単独独立となったケースです。

 イギリスは第2次世界大戦後に西インド諸島自治を検討し始め、ジャマイカトリニダード・トバゴ、バルバドス、ウィンドワード諸島リーワード諸島を合わせた西インド諸島で連邦を結成することとし、1958年に西インド諸島連邦が発足します。

 

 しかし、構成単位同士の不和などもあり、この枠組みで独立まではいきませんでした。

 まずは、連邦を維持するための財政的な負担を嫌ったジャマイカが、ついでトリニダード・トバゴが、最後にはバルバドスが連邦から離脱して独立することでこの構想は崩壊します。

 本書の今までの主張からすると、産油国であるトリニダード・トバゴはなぜ最初から単独独立を目指さなかったのか? という疑問が出てきますが、ポイントは保護領制度の有無です。

 トリニダード・トバゴは現地の支配者ではなくイギリスの直接統治下に置かれており、そのために独立の主体となる勢力もいませんでしたし、石油の利権を交渉のカードに使うこともできなかったのです。

 

 南アラビアでは、イギリスはアデン植民地、西アデン保護領、東アデン保護領という3つの行政単位をつくりました。

 1950年代、イギリスはこれらの地域を連邦化することを検討し始めます。1960年代になるとアデンの軍事的な価値が高まり、1963年にイギリスはアデンを周囲の保護領で構成されていた南アラビア連邦に加盟させます。

 

 しかし、この動きは民族主義社たちを刺激し、民族解放戦線(NLF)によるテロが盛んになります。イギリスはこの動きを抑えることができず、イギリスは67年にこの地域から撤退することを決めます。結局、この地域は南イエメン人民共和国となります。

 カタールバーレーンにあってこの地域の保護領になかったのは石油でした。同じ保護領ではあったものの石油がなかったためにイギリスから有効な保護を引き出すことができなかったのです。

 

 では、独立をもたらすような資源は石油だけなのでしょうか? 第5章では、石炭、金銀などの貴金属、天然ガスを検討しています。

 石炭は重要な資源ですが、世界的に分布しており、イギリスの自国産の石炭を使っていました。また、石炭は石油に比べて労働集約的な産業で、石油ほどの富を国庫にもたらすことはできませんでした。

 金銀は石油に匹敵するような富をもたらしますが、石油よりもはるか昔から知られており、金銀が発見されればすぐに収奪の対象となりました。そして、その富を支配者から見て効率よく収奪できる統治システムもつくられたのです。

 天然ガスの場合、ネックとなるのが輸送方法です。20世紀後半に液化天然ガスLNG)が開発されるまで世界的な市場は形成されにくかったのです。つまり、植民地が独立する段階では十分な富を保証してくれるものではありませんでした。

 

 ただし、アチェインドネシアからの分離独立運動天然ガスが発見されてから盛んになったといいます(それまでは自治を求める運動だった)。

 アチェの独立派は、独立すれば自分たちはブルネイのようになれると豊かになれると主張して独立運動を盛り上げようとしました(実際は独立しても一人当たりのGDPブルネイの1/10以下に過ぎなかったと見られている)。

 しかし、脱植民地の波が終わった後の独立のハードルは高く、アチェ独立運動は2005年に大幅な自治権を獲得する形で終結しました。

 

 このように本書は国家の成立について、今まであまり考えて来られなかった類型を理論的に提示しており、興味深いものとなっています。

 

 また、本書は「資源の呪い」「石油の呪い」とも呼ばれる理論を問い直しものともなっています。

 マイケル・L・ロス『石油の呪い』によれば、産油国では民主主義が発展しにくいといいます。産油国では国家財政の多くは石油収入で賄われており、徴税するために必要なアカウンタビリティーが発展しないのです。こうした国家の典型が、カタールクウェートバーレーンブルネイです。

 ところが、本書の考えによれば、こうした国々は産油国だから民主化しなかったというよりは、石油がなければそもそも存在しなかった国です。

 また、石油のために宗主国が現地の支配者を保護したために民主化が発展しにくかったという面もあり、「石油の産出→民主化が進展しない」というロジックについて問い直しを迫る研究と言えるでしょう。