五十嵐彰『可視化される差別』(新泉社)

 著者の五十嵐先生と編集部から御恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 

 副題は「統計分析が解明する移民・エスニックマイノリティに対する差別と排外主義」。本書は、この副題が表している通りの内容になります。

 しかし、「差別」と「統計分析」というのは基本的には相性の悪いものです。人々の平均身長を知りたいならば測ればいいわけですが、社会全体の差別の強さのようなものを知りたいと考えた時に「何を測ればいいのか?」というのは難しい問題です。

 

 例えば、移民に対する差別の実態を知りたくて、「あなたは移民に対して差別的な考えを持っていますか?」という質問をしたとして、その答えはその社会の移民に対する差別的な態度をそのまま反映していると言えるでしょうか?

 これは本書と同じ新泉社から刊行された中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』でも指摘されていたことですが、世間体などから、本当は差別的な考えの持ち主であっても調査にではそうした考えを表に出さないことが考えられます。高学歴者は特にそうなることが予想されます。

 つまり、人々の差別心を測るには、何らかの形でその考えを表に引き出す必要があるわけです。

 

 本書はこうした問題意識をもとに、これまでさまざまな実証を積み重ねてきた差別研究のレビュー本になります。

 とり上げられている差別は基本的に移民や人種・エスニックマイノリティに対する差別で、差別とは何か? という問題から始まり、具体的な差別の実態、それが与える悪影響、さらには差別をもたらす排外主義についての分析を紹介しています。

 とにかく分厚い研究の蓄積が紹介されており、その中には意外なものもありますし、「そういう方法もあるのか」と唸らされるものもあります。

 

 日本でも外国にルーツを持つ人々が増えており、また、川口市クルド人問題など排外主義の萌芽が見られる中で、本書のとり上げる移民や人種・エスニックマイノリティに対する差別は非常に重要な問題になってくると思います。

 さらに本書を読むことで、社会科学の手法の進化、研究の蓄積といったものを知ることもできます。

 

 目次は以下の通り

 

序章

第1部 差別とは何か
第1章差別の理論と検証

第2章どんな場面で差別が起こるか

第3章差別が人々に与える影響

第2部 排外主義の要因
第4章排外主義とその研究史

第5章排外主義の要因

第3部 差別と排外主義は減らせるか
第6章差別や排外主義を減らすために

終章

 

 本書の性格上、すべてを紹介することは不可能なので個人的に面白く感じたポイントを中心に紹介したいと思います。

 

 何らかの属性によって不利な処遇がされることが差別ですが、どのような処遇が差別になるかは社会によって変わってくる可能性があります。例えば、教室で白人と黒人の席を分けることは特に具体的な害をもたらすわけではありませんが、人種隔離の歴史のあるアメリカでは差別として強く反発されるでしょう。

 

 差別については、嗜好にも基づく差別と統計的差別があるといいます。

 嗜好に基づく差別は、個人が持つある属性に対する否定的な態度や感情に基づく差別です。ここでの「態度」とは行動に影響する心的要因といった意味で、好き嫌いや良し悪しの評価といった具合です。

 採用担当者や雇用主が移民を嫌っているので移民が採用されないといったものが典型的な例です。経済学者のアローはこうした不合理な採用を行う企業はやがて淘汰されていくと考えていました。

 

 ただし、こうした個人的な態度がそのまま行動に反映されるのか? という問題もあります。

 ラピエールは1930年代に中国生まれのカップルと3人で旅行をし、カフェやレストラン、ホテルで、自分は離れたところにいて中国人カップルの2人に「利用できるか?」と尋ねさせました。251施設のうち断れたのは1施設でしたが、後から「中国人を利用させるか?」と質問用紙を送ったところ、92%が中国人には施設を使わせないと答えたそうです。

 このように態度と実際の行動は違ってくる可能性があります。

 

 統計的差別は、集団に対するイメージに基づくものと、その集団の情報の質をもとにしたものがあると言います。

 前者は、個人に関して手に入る情報が不完全である場合、例えば「白人に比べてアフリカ系アメリカ人は生産性が低い」といったイメージに基づいて採用しないようなケースです。また、採用されたとしても重要な仕事は任されず、結果的にそのマイノリティ労働者の生産性が低迷するということも考えられます。

 後者は、個人に対する情報が限られているときによく知っている属性を持つ人を評価し、よく知らない属性を持つ人を低く評価するといったことです。

 例えば、白人労働者の50%がサボりがちで、アフリカ系アメリカ人の80%がサボりがちだというデータがあった場合、統計的差別は合理的になります。しかし、このせいで真面目に働く20%のアフリカ系アメリカ人も仕事が得られないことになってしまいます。

 

 さらに近年ではペイジャーが制度的差別という概念を提唱しています。これは会社などの組織や法律によって行われる差別です。

 例えば、アメリカやヨーロッパでは自分の知り合いを通じて新入社員を会社に紹介するリファラル入社という制度がありますが、既存の会社が白人中心だった場合、白人の伝手がないとその会社に入社しにくいということになります。

 

 ただし、冒頭にも書いたように差別を測定するというのは独特の難しさが伴います。

 そこで、本書では「対人監査」、「一致監査」と呼ばれる2つの手法(2つ合わせて「監査調査法」というを紹介しています。

 

 対人監査は対面での面接などを使って実験する手法です。具体的には、それほど経験の必要ない仕事に白人、アフリカ系アメリカ人、ラテン系の3人を応募させて誰がどのくらい次の面接に呼ばれるかを確かめるというものです。

 そのために履歴書も同一なものに揃えるとともに、見た目や仕草の似た人間を集め、さらに演技指導も行います。ペイジャーらがこうした実験を行ったところ、白人の応募者の31.0%が採用されたり次の面接に呼ばれたりしたのに対して、ラテン系は25.1%、アフリカ系アメリカ人は15.2%にとどまったそうです(71p)。

 

 一致監査では、実際に人は用意しませんが、人種ごとの履歴書を用意してそれを企業に送付して、面接に呼ばれるかどうかなどを確かめます。

 人種については、履歴書に写真を貼ることを禁止する法律があったり、メールなどでは写真を用いることができないために、人種やエスニシティごとの名前の付け方の違いを利用します。白人でよく使われる名前やアフリカ系アメリカ人でよく使われる名前をつけ、相手の反応を見るわけです。

 

 ただし、対人監査には本当に人種以外同じ印象を持たせる人間を用意できるのかという問題がありますし、対人監査にしろ一致監査にろ採用担当者は実験の参加に同意しているわけでもなく、また、余計な手間をかけているとも言えるので、そういった面からの批判もあります。

 また、名前が人種だけを表しているのかという問題もあります(名前から人種やエスニシティではなく社会経済的地位を読み取っている可能性もある)。

 

 他にも完全に架空の履歴書を用意して企業の採用担当者に判断してもらうサーベイ実験もあります。これはネットの調査会社に登録している採用担当者などに行うもので、必ずしも実際の判断と異なってる可能性がありますが、同時にその人の持つ人種やエスニックマイノリティに対する態度を聞くこともできるのが利点です。

 

 本書の第1章では、こうした手法を用いて嗜好的差別や統計的差別の実態を明らかにしようとした研究がいくつか紹介されています。

 面白い研究がたくさんあるので、詳しくは本書を読んで欲しいのですが、例えば、嗜好的差別は本人の態度だけではなく第三者の態度も先取りしたような形で行われることがあります。過去に行われた研究では顧客に関わる仕事で差別がより頻繁に検出されており、ドイツ、オランダ、スペインで行われた一致監査ではヒジャブを被った写真のムスリム女性が顧客に関わる仕事で特に差別されることがわかっています(85p)。

 

 統計的差別に関しては、情報が更新されれば(特定のカテゴリーの人でも他と変わらないことがわかれば)なくなっていくはずです。

 企業についての研究では時間が経ってもあまり改善されない(あるいは実際に雇ってみて失敗したか)のですが、難民認定を行う審査官に関しては、1年目ではキリスト教徒の難民に対して甘く、イスラム教徒の難民に対して厳しい傾向がありましたが、経験年数が増えるにつれその差は縮小していくといいます(91−92p)。

 

 第2章ではどんな場面で差別が起こるかが紹介されています。

 労働市場、住宅や金融などの経済活動、警察や裁判所の公的機関、政治、日常の場面のそれぞれについてみていっています。

 ここも大量の研究が紹介されているので、興味深かったいくつかに絞って紹介しておきます。

 

 まず、労働市場においての日本でも観測されます。著者らが採用担当者に行ったサーベイ調査では、外国人への評価は概して低く、特に中国人移民、韓国人移民への評価が低くなっています。韓国人の2世ともなれば日本社会に馴染んでいそうですが、1世も2世もあまり関係なく低いです。最も好意的にみられるアメリカ人移民でも、例えば大卒に対する高卒の評価よりも低く評価されています(104p図表3参照)。

 また、アメリカ人移民だと採用担当者のアメリカ人に対する個人的な態度との関連が薄いのですが、韓国人だと個人的な態度が採用への評価に直結する傾向があるといいます(106p図表4参照)。

 

 この他、アメリカではアフリカ系アメリカ人は不利なシフトを入れられやすく、解雇さえ安いといった研究も紹介されています。また、人種・エスニックマイノリティや女性がトップに据えられるのは会社の倒産リスクが高まっている時が多く、その後に白人男性に取って代わられることが多いといいます。

 

 住宅についての差別は海外にも日本にもあり、日本では賃貸住宅の内見について、韓国人風、中国人風の名前だと、返信が来る確率も内見を承諾する割合も低くなるといいます(118−119p)。

 金融でも差別はあり、これは統計的差別の表れと考えられることが多いですが、インドで行われた研究ではムスリム系住民の暴動が起こると、暴動があった地域のヒンドゥー系の銀行員はたとえお得意様であってもムスリム系の顧客への融資を減らしたという研究もあり(122p)、嗜好的差別が顔を覗かせていると言えます。

 

 次に公的機関の行う差別です。BLM運動のきっかけとなったジョージ・フロイド氏の殺害事件に見られるようにアメリカでは警察がアフリカ系アメリカ人を不必要に拘束していると言われており、また、日本でも外国籍住民が頻繁に職質を受けるという問題があります。

 こうした差別は統計的差別の一環だと考えられていますが、アメリカでは白人の方がアフリカ系アメリカ人よりもスピード違反の時に切符を切られにくく、警察の対応も好意的だという研究もあり、嗜好的差別がここでも顔を覗かせています。

 

 裁判においても差別は観測されるそうで、アメリカで行われた研究では、2006〜08年の判例についてみると、さまざまな特徴を統制した上でもアフリカ系アメリカ人の懲役は白人に比べて1.75倍長かったそうです(130p)。

 さらにヨーロッパでは、移民は国外逃亡の恐れがあるために長く勾留される→それが裁判官の心象を悪くし懲役も長くなるというメカニズムが働いているといいます。

 

 社会運動に関しては、公民権法が制定される以前に座り込み運動が盛んだった地域では公共施設やホテル、レストランでの隔離をやめるようになっており、公民権運動が盛んだった地域では、公民権運動への態度がより好意的になり、50年以上だった現代でもそうした態度は維持されているといいます(142p)。

 

 日常的差別についてもいろいろな研究が行われており、例えばドイツでは、ムスリム移民の女性がわざとレモンを落としてそれを周囲の人が拾ってくれるかどうかを調べた研究がありますが、直前に電話でみんなに聞こえるように「女性も外で働くべき」などと言っていると周囲の人が拾ってくれる確率が高く、「女性は家庭を守るべき」などと言っていると拾ってもらえる確率が低いそうです(147−149p)。

 

 第3章では差別が人々に与える影響が分析されています。差別は悪いとされていますが、どのように悪いのでしょうか?

 本書では危害説、差別は差別された側に悪影響をもたらすから悪いという立場に立っています。差別がなければ差別された人物はより良い状態にあったはずだと考えるのです(もちろん、いくつかの反論が考えられますが、この検討については本書をお読みください)。

 

 実際の悪影響についてはさまざまなものがありますが、例えば、賃金が低かったり、差別的な企業が存在するために人種・エスニックマイノリティは、より広い企業や職種に応募せざるを得なかったりします。

 教育の場でも、差別は自尊心の低下、心理的健康状態の悪化、飲酒、薬物使用などの問題行動を引き起こします。警察官による人種差別があると、警察官による殺人が起きた地域ではアフリカ系アメリカ人に限って欠席の増加、成績の低下、高校の卒業率と大学進学率の低下をもたらすといいます(174p)。

 

 当然ながら、差別は移民のナショナル・アイデンティフィケーション(居住国の一員だと思うことや居住国に対する愛着の度合い)を阻害します。

 移民がナショナル・アイデンティフィケーションを持つと、国民はその移民に対する社会保障を支持し、その移民集団の権利を支持し、好意的に接するようになるといいますが、差別はこうした好循環を壊してしまいます。

 また、差別が警察や政府に対する一般的な信頼を低下させることがあり(アフリカ系アメリカ人の警察に対する態度を考えるとわかりやすい)、それがワクチンへの懐疑論などにつながることもあります。

 

 第4章では差別を生み出す排外主義(レイシズム)が紹介されています。

 1920年代には人種によって知能に差があるという研究が報告され、人種差別が科学的な装いを持っていましたが、30年代に入るとこうした知能の差は否定され始め、1964年の公民権法の制定によってアメリカにおいて人種差別は間違ったものだったという評価が定着しました。

 それでも人種的偏見は残っています。例えば、差別はすでになくなったのにアフリカ系アメリカ人が社会的経済的に不利な立場に置かれているのは彼らが勤勉に働かないからであると考える象徴的(現代的)レイシズムや、「人種にこだわりすぎるべきではない」と考えるカラーブラインド・レイシズムなどです。

 

 では、なぜ人々は人種・エスニックマイノリティに対して排外的になるのでしょうか? 排外主義の要因を探っているのが第5章です。

 その1つは集団脅威というものです。自分が所属している集団を内集団、所属していない集団を外集団と考え、外集団によって内集団が脅かされていると考えるのです。

 こうした内集団と外集団の区別というのは少年のサマーキャンプなどでも生まれるとされており、その後もさまざまな研究が進んでいます。

 

 例えば、外国人労働者によって自分たちの職が奪われる、賃金が低迷するといった認識もこれにあたるでしょう。

 ただし、近年の研究では移民を「高スキル/低スキル」に分けて聞いた場合、自分たちと競合するはずの高スキル労働者も高スキル移民を好ましく思い、低スキル移民を嫌がる傾向があり、必ずしも職の競合といった観点ではなく、社会全体への貢献といった評価がなされていることがうかがえます(237−238p)。

 

 日本で著者らが行った研究では、自己責任論を支持する人ほど低スキル移民に対してより排外的であり、高スキル移民に対して好意的な傾向にあり、移民が福祉にただ乗りするような事態が警戒されていることがわかります(243-244p)。

 

 また、本章では文化的な脅威を見るためにアメリカで2015年に行われたリスト実験が紹介されていますが(リスト実験の説明については中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』の記事を参照)、ムスリム移民に市民権を与えるかでは直接質問とリスト実験でほぼ差が出ず、キリスト教移民に市民権を与えるかでは差が出たというのは興味深いです。つまり、ムスリム移民に市民権を与えないというのは口外しても問題ないこととして認識されている可能性があります(248−250p)。

 

 移民の割合が増えれば、それだけ脅威を感じることになりそうですが、一方で実際に移民と接触することで移民への脅威が低下する可能性もあります。

 これについては地域をどの程度の広さで取るかという問題もあり、結論はまちまちですが、日本で行われた研究では移民の割合が高くなると排外主義が強まる傾向が確認されています。ただし、移民割合が10%を超えると排外主義が減少に転じるというデータもあり、一定の閾値を超えると変わってくるようです(258−259p)。

 

 排外主義はナショナリズムとも関わりますが、ナショナリズム→排外主義という単純なものではなく、例えば、アメリカに対するアイデンティフィケーションが高いアメリカ人はより排外的になる一方、カナダに対するアイデンティフィケーションが高いカナダ人はより排外的ではないといいます(266p)。

 

 一般的に教育年数の長さや高い学歴は排外主義の傾向を低下させるといいます。これには、もともと知識が豊富で排外主義的傾向のない人が高い教育を受けるのではないか? といった批判も寄せられていましたが、自然実験では偶然による教育年数の延長が排外主義的傾向を弱まえるとの結果が出ています(ただし、全ての国に当てはまるものではないという(294p))。

 日本では学歴の高さがブラジル人やアメリカ人に対する排外的な態度を抑える一方で、中国人や韓国人に対する態度とは関連がないとの研究もあります(296p)。

 他にも本章では、メディア、SNS、地域の歴史的な出来事など、さまざまなものと排外主義の関連がとり上げられています。

 

 では、差別や排外主義は減らすことができるのでしょうか? この問題をとり上げているのが第6章です。

 まずは集団間接触です。これは外集団の構成員との接触によって、その集団全体に対して好意的になるというものです。

 これに対しては元から外集団に対して好意的な態度を持っている人が接触するからではないか? という異論もありましたが、大学の寮の部屋がランダムに決まる仕組みを利用した研究によると、すべてが変化するわけではありませんが、移民に対する信頼性が向上したりする効果はあったそうです(312−313p)。

 ただし、マイノリティがマジョリティに接触することで不平等な現状を変えようと思わなくなり、社会運動への参加が低下するといったことも言われており(318−319p)、必ずしも万能ではありません。

 

 内集団と外集団があるといいますが、この境界は変動することがあり、これが排外主義的な動きを和らげる可能性があります。例えば、インドでヒンドゥー教徒に対して、イスラム教徒は同じインド国民であるという共通内集団アイデンティティを提示すると、イスラム教徒に対する寄付額が増えるといいます(321p)。

 日本における研究でも、企業に対するアイデンティティが高いと低い場合よりも外国人従業員らと協力しやすくなるというものがあります(322−323p)。

 

 また、誤認識が修正されることで排外主義が抑えられる可能性もあります。移民によって犯罪率が上がるという事実はほぼないにもかかわらず、多くの人は移民が犯罪を増やすと思い込んでいます。こうした認識を修正できれば移民に対する偏見は解消されるかもしれません。

 実際、正しい情報によって排外主義が低下するという研究はあります。ただし、実験では人々に研究者が正しい情報を伝えることができますが、現実にはなかなかそういう機会を利用しないという問題があります。

 

 排外主義は政府の政策によって高まったり、逆に低くなることもあります。ドイツでは移民を社会に統合するような政策が取られた地域で右翼政党への投票が減ったという研究があります(340p)。

 逆に政治家の発言が排外主義を高める場合もあります。トランプがメキシコ人は犯罪者だと名指しで批判した直後にアメリカ人の移民に対する態度が短期間であるものの悪化したり、トランプが最初に当選した直後にヨーロッパにおいて移民に対する態度が悪化したケースがあります(343p)。

 フランスでは2004年にヒジャーブ禁止の政策が導入され後、非ムスリム系の女子生徒に比べてムスリム系女子生徒の成績が下がり、高校の卒業率も低下しました。さらに失業率も上がるなど長期的影響もあったといいます。ヒジャーブ禁止によってより差別に直面するようになったことが原因だと考えられます(351−352p)。

 

 終章はまとめですが、最後に紹介されている日本では「日本に働きにくる外国人の受け入れを制限すべきだ」という文言に対する反応を普通の調査とリスト実験でやってみたときに、差が見られないどころか、むしろ普通の質問の方が高く出ているというのは興味深いです。

 この文言に対する反応が必ずしも排外主義をストレートに示しているとは限らないと思いますが(不景気で労働力が余っているという認識なら排外主義がなくても上記の文言に賛成すると思うので)、排外主義を隠した方が良いという規範が欧米に比べて弱い可能性は十分にあります(363−364p)。

 

 このように本書は膨大な研究が紹介されています。ここでもかなりの例を挙げましたが、ここで紹介しきれなかったものもたくさんあります。

 その中には必ずしも同じ結果になっていない研究や相反するような研究もあるのですが、それをひっくるめて紹介しているところが本書の特徴と言えるでしょう。

 研究のデザインについてもきちんと紹介してくれているので、「差別」という領域においてどのような研究手法が駆使されているのかというカタログ的な面白さもあります。

 

 「差別」というものは、「あってはならない」ものだけに見えにくく、「これは差別ではない」と言い逃れがなされます。

 本書はこうした「差別」を明るみに出し、これを軽減する研究者たちの苦闘の積み重ねを教えてくれる本です。