岡本信広『人々の暮らしぶりから考える 中国経済はどこまで独特か?』(白桃書房)

 著者の岡本信広先生より御恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 

 タイトルは長いですが、中国経済の概説書になります。

 特徴は2つあって、まずタイトルの前半部分にある「人々の暮らしぶりから考える」という部分で、世代も性別も境遇も違う5人の人物(著者の現地の知り合いや、さまざまな記事などからつくり上げられた架空の人物)を登場させ、彼らにライフヒストリーを語らせながら、中国経済の歴史的変化の大きさや、立場によってどのような恩恵を受け、また、苦労をしてきたかということを示しています。中国経済による時代による大きな違い、同時代での地域や職業による違いが際立つような仕掛けです。

 

 もう1つは後半の「中国経済はどこまで独特か?」という部分で、章ごとに経済学の用語を示しながら、中国経済にはどこまで当てはまり、どこからが当てはまらないのかということを明らかにしています。

 中国経済の特殊さ(あるいは普遍さ)と、一般的な経済学の考えが同時に分かるような構成になっています。

 

 また、共産党という政治組織の影響力があまりにも大きいことから、経済を見ているだけでは経済を語れないのが中国の特徴ですが、共産党の政策が中国経済にいかなる影響を与えてきたのかということもよくわかるようになっています。

 ジン・クーユー『新中国経済大全』に比べると、経済学の知識や近年の経済情勢についての知識がない人にとってもわかりやすく、読みやすいものになっています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 中国経済を理解するために「政府と市場のせめぎ合い」に注目することがなぜ重要か?
第2章 社会主義市場経済とは何か?──現代中国経済変遷の歴史から探る
第3章 国有企業は市場の競争にさらされているのか?──民間・外資系企業とのせめぎ合い
第4章 中国はどのようにして経済発展してきたのか?──経済発展モデルの変遷
第5章 中国経済は国際経済にどんな影響を及ぼしているのか?
第6章 なぜ中国の経済格差は大きいのか?──原因と改善の取り組み
第7章 中国は資源の確保と環境保護にどのように取り組んでいるのか?
第8章 人口動態は中国経済にどう影響するのか?
第9章 中国の統治はどこまで強権的か?
第10章 中国経済と市民は今後どうなるのか?──エピローグ

 

 本書のキーとなる用語が「政府と市場のせめぎ合い」です。

 下に載せたのは本書の9pに載っている図ですが、かつては中国経済は左から右へと、つまり計画経済から市場経済へと、そのテンポはどうであれ進んでいくと考えられていました。市場経済化は不可逆な流れだと思われたのです。

 

 

 しかし、この図の上に書かれているのは右方向への矢印(→)ではなく、両矢印(↔)です。

 習近平政権になってからは、政府は市場経済化のテンポをコントロールするだけではなく、時には市場経済化を巻き戻すような形で、いわば経済のつまみを自由にコントロールしようとしている印象があります。

 

 そういったこともあって、中国の共産党政権にはなかなか手放せない経済の手綱というものがあります。

 例えば、第5章の後半でとり上げられている人民元の国際化です。中国の国際経済における存在感は大きくなっており、また、米中対立を考えると人民元を国際化し、人民元による決済も一部で行われています。

 しかし、人民元の国際化、つまり資本の自由化を認めれば、中国企業外資に買収されたり、中国人の富裕層が資金を海外へ移してしまう可能性もあります。そのため、中国は人民元の国際化に慎重にならざるを得ないのです。

 

 第6章では格差の問題がとり上げられています。中国では市場経済の導入とともに格差が問題となってきたわけですが、これに対して政府も対策を打ってきました。

 1990年代の後半から農業の停滞、農村の疲弊、農民の相対的貧困化という三農問題がクローズアップされ、都市と農村の格差が問題となりました。

 これに対して胡錦濤政権や習近平政権は地方政府が農民から取り立てていた「雑費」をなくし、義務教育の無料化、新型農村合作医療制度の普及、インフラの整備などによって格差の解消に努めました。

 結果として農村所得を1とした場合の都市住民所得の比率は、00年代半ばには3を超えていましたが、2010年頃から低下しはじめ、2021年には2.5程度にまで格差が縮まっています(147p図表6−3参照)

 

 一方、都市と農村の戸籍制度による区分はいまだに残っています。

 改革開放までは農民の都市への移動が厳しく規制されており、現在でも北京や上海などの大都市への移動に関しては規制があります。

 農村から出てきた労働者(農民工)たちが中国の経済発展を支えてきたわけですが、彼らは社会保障制度を受けられない(中国の社会保障は戸籍のある政府が行うことになっている)、子どもを公立学校に入学させられないなどの問題がありました。子どもの就学に関しては、98年に在籍費を支払って公立学校に通学できる制度が始まりましたが、高額の費用負担があったり、審査が厳しかったりとさまざまな問題があります。

 中国政府は経済発展の中で、ある程度格差の拡大防止に成功してきたと言えますが、戸籍制度というコントロールを保持するのか、手放すのかというのが今後の課題となるでしょう(戸籍の問題は第8章でも論じられている)。

 

 政府が一定程度のコントロールができている格差問題に対して、今のところまったくうまく行っていないのが第8章でとり上げられている少子化の問題です。

 中国では、まず毛沢東の出産奨励政策によって1949年に5億人ほどであった人口が1980年頃に2倍の10億人まで増加しました。毛沢東は人口増による労働蓄積とそれによる経済発展を狙っていましたが、一人あたりの生活水準を上げることはできず、食糧不足も問題になりました。

 

 そこで、1971年に国務院が計画出産を指示し、さらに1979年から「一人っ子政策」が始まります。

 この政策は効果をあげましたが、それによって人口減少に転じる見通しとなったために2014年に一人っ子政策が廃止され、2016年からはどの夫婦も二人まで子どもが持てることになりました。さらに2022年からは第三子も容認されています。

 ところが、出生数は回復しませんでした。2016年こそ、それまで1600万人台で推移していた出生数が1800万人近くまで増えましたが、その後は急速に出生数が減少し、2020年以降はコロナ禍の影響もあって1000万人を割るペースとなっています。

 

 中国では社会保障制度の整備が追いつかないままに少子高齢化が進行しています。

 今後の経済の影響に関しては、「農村に余剰労働力がどれくらいいるのか?」「高齢化が貯蓄率の低下をもたらすのか?」といったことがポイントになりそうですが、出生に関しては中国政府といえどもコントロールが難しい領域になっています。

 

 第9章では政治の問題にも触れていますが、中国の政治を読み解くうえで重要なのは、共産党の様子を見ると習近平が独裁的な権力を握る非常に中央集権的なスタイルに見えながら、実は地方政府の存在感が大きい分権的な仕組みとなっていることです。

 中国の政府支出全体の中で地方で支出された金額の割合は、1958〜2002年の平均が54%、2014年は85%だったといいます(249p)。つまり、地方政府はかなりの裁量をもっているのです。

 この地方政府の裁量と経済成長で評価される地方の役人のインセンティブが中国の経済成長の1つの大きな要因となりました。

 ただし、同時にこれが過剰生産や地方政府の過剰債務も生んでいます。中央政府と地方政府のバランスは今後も問題となっていくでしょう。

 

 最後の第10章では、中国が抱える3頭の「灰色のサイ」と呼ばれるリスクが紹介されています。その3つとは債務の増大、人口減少、国際関係の悪化です。

 中国の貯蓄率は非常に高く、中央政府の債務も少ないのですが、中国では不動産の値上がりが続いていたために個人も企業も投機的な行動をとってきましたし、地方政府もさまざまなやり方で債務を増やしてきました。不動産市場が変調をきたしている中で、この債務が大きな問題になる可能性もあります。

 

 人口減少については影響が出てくるのはこれからです。著者の分析によれば、2011年までが人口ボーナス期、2011〜28年までが停滞期、2028年〜が人口オーナス期になります(281p図表10−3参照)。

 中国の人口規模からして移民の受け入れでは追いつかないとなると、鍵はロボットなどによる自動化ということになるのでしょう。

 

 最後の国際関係の悪化では、まずは米中の貿易摩擦が頭に浮かびますが、不安定な国際関係と国内での引き締めが中国の富裕層の国外脱出をもたらすという問題もあります。中国政府のなかなか難しい舵取りを迫られることになるでしょう。

 

 ここでは本書の後半を中心に紹介しましたが、中国経済の特徴と今までの発展のあり方について書かれた前半もわかりやすいです。また、最初にも書きましたが、中国経済について学びながら、経済学の基本的な概念を学んでいけるのも本書の特徴と言えるでしょう。

 中国は変化のスピードが早いので、中国について書かれた本の多くは刊行から時が経つにつれてその価値を減らしてしまうことが多いですが、本書は目まぐるしい変化の中でもなかなか変わらない中国経済の基本となる部分をうまく紹介してくれています。