曽我謙悟『21世紀の日本政治』

 「21世紀の日本政治」とはなかなか大きなタイトルですが、そこは『日本の地方政府』中公新書)で日本の地方自治に関して新書サイズで濃密に分析してみせた著者であり、期待通りの読み応えのある分析がなされています。

 副題は「グローバル化とデジタル化の中で」。日本がグローバル化やデジタル化の波に乗り切れいないのはなぜなのか? ということを論じた本になります。

 

 「日本政治」についての本なので、日本のグローバル化やデジタル化の遅れの原因を政治に求めているのですが、以下のように単純に日本の政治が悪かったという本ではありません。

 変えるのか変えないのか、どの方向に変えるのか。それを提示するのは政治に役割である。日本の政治は、人々にこの方向性をめぐる選択を迫ることなく、政権が次々と浮かび上がる課題への対応を行うものになっている。そして、政権が課題解決を一定程度行うことが、社会の方向性についての争点化を抑えてしまう。こうして皮肉にも、政治がよくやっているからこそ、社会の大きな変化が生じにくくなる。(はじめに ⅰ p)

 

 つまり、政治が国民にグローバル化やデジタル化の是非を正面から問うことなく、時の政権が場当たり的に切り抜けてきたので、大きな変化が生じなかったということです。

 最後の第8章で「最悪の政治と最悪の経済結果でもない。及第点は十分に与えられるであろう」(283p)という見方に賛意を示しつつ、果たしてそれで良かったのか? 今後もこれが続けられるのか? というのが本書の問題意識です。

 

 そのうえで本書は、政治がグローバル化やデジタル化の是非を正面から問うてこなかったこと、その背景にある政治の要因を実証的に明らかにしようとします。

 問題があまりに大きいために、実証的な部分については少し不十分ではないかと思う部分もあるのですが、とりあえずこのような大きな問題意識を持った1冊です。

 

 目次は以下の通り。

はじめに——悪くない政治のほどほどの帰結

第1章 なぜグローバル化・デジタル化を論じるのか

第2章 グローバル化・デジタル化を左右するのはいかなる政策か

第3章 労働政策は日本型雇用を変えたのか

第4章 高等教育政策は大学を変えたか

第5章 政党政治はいかに政策を決めるのか

第6章 政治地理学から政党政治はどう見えるか

第7章 なぜ包括的な利益代表が成立しないのか

第8章 日本政治はどこへ向かうのか

 

 本書が取り組むの日本のグローバル化やデジタル化に対する遅れという問題なのですが、これに政治が向き合ったかどうかというのは何を見ればわかるのでしょうか?

 著者によれば、それは雇用政策と高等教育政策だといいます。グローバル化もデジタル化も雇用不安を生み出す可能性があり、この雇用不安に対する政策が必要になります。また、グローバル化やデジタル化に対応するために高等教育の充実や拡充が必要です。

 しかし、基本的にここ30年ほどで大きな政策転換はなかったし、政策的な対立軸にもならなかったというのが著者の見立てです。

 

 高等教育問題はともかくとして、雇用政策についてはここ30年ほどずっと政治的な問題で有り続けていたと思う人もいると思います。

 例えば、民主党への政権交代を生み出した1つの要因は「年越し派遣村」などに見られる非正規雇用の問題だったと思いますし、第2次安倍政権は「働き方改革」を進めました。

 

 ただ、それによって「日本型雇用」が変わったかといえば、変わっていないと考える人が多いでしょう。

 技能形成を行うための雇用保険を原資とした助成制度、女性の活用、残業規制、最低賃金の引き上げなど、さまざまな手が打たれてきましたが、日本型雇用を変えるような包括的な改革、そして改革をめぐる政党間の対立があったかというと、それはなかったと言えるかもしれません。

 どのような産業を重視し、そのためにどのような技能形成を図るのかといった国家的な戦略はなく、メンバーシップ型雇用と呼ばれる日本の雇用慣行を大きく変えるような動きはなかったと言えます。

 

 高等教育についてみると、ここ30年ほどで大学への進学者は増えました。しかし、それは短大進学者が減って、その分大学進学者が増えたためです(132p図19参照)。

 大学の学部で見ると、STEAM分野の拡張が求められていますが、大きなウェイトを占めるのは減少傾向にあるものの「社会科学‐商学・経済学」であり、伸びているのは「保健‐その他」です(135p図21参照)。

 また、修士課程に進むものは2000年代前半まで伸びましたがその後は横ばいで、博士への進学率は減少傾向となっています。専門職大学院もそれほど伸びておらず、高学歴化はそれほど進んでいない状況です。

 

 高等教育政策については、小泉政権下で国立大学の独立行政法人化が決まったものの、どちらかといえば公務員削減が主眼に置かれており、あるべき国立大学の姿が明確にされたわけではありませんでした。

 第2次安倍政権下の有識者会議では大学をG(グローバル)型とL(ローカル)型に分けるアイディアなども示されましたが、これについてもその後明確に政策が進められていったわけではありません。

 科学技術政策では「選択と集中」が進められましたが、こちらも現在のところ大きな効果を上げているとは言えません。

 そういった中で、日本の研究能力の伸びは低迷しています。

 

 相変わらず、「日本の高等教育は就業段階前のメリトクラシーの装置という性格が強」(181p)く、企業と大学での技能形成の分担などはあまり進みませんでした。これは大学のせいだけではなく、企業が求める人材に必要な能力を明確化しなかったからでもあります(メンバーシップ型雇用の存置)。

 

 では、なぜ日本では雇用政策や高等教育政策にについて大きな政策転換が行われなかったのか? 著者はその要因を政党間の競争がうまくはたらかなかったことに求めます。

 著者はまずはグローバル化、デジタル化と中間層の関係について次のように述べています。ここで引っかかる人はいると思いますし、自分もそこまで単純に言えないだろと思いますが、とりあえずは著者の議論を追っていくことにします。

 定義上、中間層は成長から果実を享受できると同時に、成長しなければ貧しい状態に陥る。だからこそ、中間層は成長を強く支持し、成長に必要な公共財を政府が提供することを重視する。そして、現在において成長をもたらすのは、グローバル化とデジタル化である。グローバル化もデジタル化も中間層にとっては正の影響を与える。(190−191p)

 

 中間層の声を反映する政治はデモクラシーであり、業績投票にもとづく政党政治が上手く機能することが必要です。つまり、与党が経済を上手く成長させれば与党に票が入り、上手くできなければ野党に票が入るといった形になることがポイントになります。

 上記の説明は小選挙区制のもとでの二大政党制を念頭に置いていますが、比例代表制のもとでの多党制のもとでも政党間の支持獲得競争がうまくはたらけば、中間層の声を反映するような政治は可能です。

 

 日本でグローバル化やデジタル化がうまく争点化されなかった理由として、本書では選挙制度が混合制であることがあげられています。

 衆議院小選挙区が中心ですが、比例代表の部分があり、また、参議院もあることで業績投票にもとづく政党政治は成立しにくいのです。

 

 政党の競争を見ていくうえで、選挙区制をとっている国では有権者の地理的な分布が問題になります。

 日本でも都市部と農村部を比較して、自民党の農村部の強さを指摘する議論がありました。ですが、都市化の進展とともに農村部中心の政策だけでは選挙に勝てなくなっています。

 実際、参議院選挙の選挙区における自民党の相対得票率と都市化の関係を見ていくと、1965年や80年に顕著に見られる都市化とともに自民党の相対得票率が下がる傾きが、2010年や2022年ではかなり緩やかになっています(227p図33参照)。

 

 JGSSの2017年版と18年版の調査を見ると、大都市中心部や大都市郊外は学歴も高く、同性婚への賛成率が高いなどリベラルで、大都市中心部では経済的な再分配傾向がやや弱いです。一方、農山漁村では高卒の割合が高く、同性婚への反対傾向が強いといった特徴があります(235p図39、236p図40、41参照)。

 このような違いと政党支持がどのような関係にあるかというと、農山漁村自民党支持が高いという傾向は見られますが、それ以外の地域(大都市中心部、大都市郊外、中心都市地域、町村部)で大きな違いは見られません(237p図42参照)。

  

 日本の場合、居住地域の違いによって学歴や文化的なスタンスの違いが見られるものの、アメリカのように政党支持を分断する違いにまでは至っていません。

 日本には製造業の比率が高いものの、その雇用を失いつつあるラストベルトのような地域はありませんし、ハイエンド・サービス業が集中する地域は東京に限られており(ただし大阪は製造業の衰退とハイエンド・サービス業の一定程度の変化を経験していると言える)、都市部と非都市部での政党支持の文化は弱くなっています。

 

 本書では、日本におけるピケティの言う「バラモン左翼」の存在を可視化するために、大卒及び大学院卒で同性婚あるいは外国人労働者に賛成、あるいはどちらかといえば賛成と答えている者を取り出して分析しています。

 それによると日本の「バラモン左翼」は有権者の1割強ほどで、自民党以外に投票する割合が5割を超えますが、自民党にも3割近くが投票しており、それ以外の人々(自民以外40%台前半、自民が25〜30%ほど)と特に差はありません(255p)。

 学歴などによる政党支持の違いも日本ではそれほど大きくないと言えます。

 

 こうしたこともあって、日本では知識経済・社会を明確に推進する政党と、そうではない政党との間での政策論議も成立しませんでした。

  本書が取り上げる雇用問題や高等教育問題について、当然ながら国会でも議論の対象となっているわけですが、例えば、高等教育問題について見てみると、国会審議が盛り上がったのは2019年の入試をめぐる議論で(271p図51参照、この年には英語の民間試験の導入見送りなどがあった)、大学のあり方をめぐって与野党が議論を戦わせたという形にはなっていません。

 

 では、どうすればいいのか? 本書の議論の流れから想定されるのは選挙制度改革ですが、著者は小選挙区制に1本化しようと、比例代表に1本化しようと政党同士の政策議論が機能するようになるとは考えてはいません。

 小選挙区の場合は有権者の地理的分布がはっきりしていないという問題がありますし、比例代表の場合はある種の連立政権的な存在である自民党が割れない限り、連立政権をめぐる交渉が可視化されないのではないか? という問題があります。

 90年代の政治改革がそれぞれの改革の整合性を考えないで進められたこともあって、選挙制度改革だけで政党政治が、そして大きな政策をめぐる議論が機能するようになるとは限らないというのが著者の考えです。

 

 というのが、大きく端折った本書の内容です。個々の分析には鋭い部分があり、このまとめでは取りこぼしている部分もたくさんあります。

 そのうえで引っかかるのは、途中でも紹介した「中間層は成長を支持し、その成長をもたらすのはグローバル化とデジタル化である」という認識だと思います。

 

 ここ30年の政治を見ると、確かに小泉政権は「成長」を志向し、規制緩和を行ってグローバル化を進めたと言えますが、これによって「格差」の問題が浮上し、この「格差」もまた中間層の大きな関心になったのではないでしょうか。

 雇用政策を見ても、第1次安倍政権の「成長」を狙ったホワイトカラー・エグゼンプションなどが世論の批判を浴びて失敗する一方で、最低賃金の引き上げなどの「格差是正」を目指した政策は世論の支持を受けて大きく進んでいます。これは中間層の関心が「成長」から「格差是正」へとウェイトを移したことが1つの理由なのではないかと思います(だから、グローバル化については雇用政策よりも外国人労働者政策の不在を問うても良かったのではないかと思う)。

 

 そうした中で、本来は自民党の「成長」に対して「格差是正」を行うべきだった民主党の経済政策が非常に緊縮的だったために支持を得られず、第2次安倍政権の「成長も格差是正も」というスタンスがある程度成功してしまったことも、(経済面での)大きな政策をめぐる政党間の議論が深まらなかった原因ではないかと個人的には考えています。

 もちろん、この背景には本書が指摘するような構造的な要因があるわけですが、それとともに日本の中間層が「成長」志向の政治に比較的早い段階でブレーキを踏み、それに第2次安倍政権が微温的な「成長と格差是正」の政治で応えたとも言えるのではないかと思います。

 そして、アメリカの状況などを見ていると「成長」(グローバル化やデジタル化)へのブレーキが必ずしも悪いものではなかった可能性もあるかと(もちろん、著者も言うように人口減少が続く中でこういうスタンスがいつまで続けられるかはわからない)。