山口一男『働き方の男女不平等』

 シカゴ大学社会学の教授であり、RIETIの客員研究員でもある著者が、日本の働き方における男女不平等に切り込んだ本。
 計量分析をバリバリに活用した本で、ここで用いられている手法の解説やその是非についてはよくわからないところもあるのですが、さまざまな興味深い知見を明らかにしている本です。


 目次は以下の通り。

第1章 女性活躍推進の遅れと日本的雇用制度―理論的オーバービューと本書の目的
第2章 ホワイトカラー正社員の管理職割合における男女格差の決定要因
第3章 男女の職業分離の要因と結果―見過ごされてきた男女平等への障害
第4章 ホワイトカラー正社員の男女の所得格差―格差を生む約80%の要因とメカニズムの解明
第5章 企業のワークライフバランス推進と限定正社員制度が男女賃金格差に与える影響
第6章 女性の活躍推進と労働生産性―どのような企業施策がなぜ効果を生むのか
第7章 統計的差別と間接差別―インセンティブ問題再訪
第8章 男女の不平等とその不合理性―分析結果の意味すること


 まず、この本が告発するのは次のような問題です。

 1980年代にポストモダニズムが議論されていた日本社会の特性の一部は、実は現代でも未だ近代社会とも呼べない特性を有しているといえる。重要な業績である大卒か否かより、生まれが男性であるか女性であるかが、課長以上の管理職になる可能性の大きな決定要因なのである。(70p)

 
 日本において女性の給与が男性よりも低いことや、女性の管理職が少ないことは広く知られていると思います。
 この理由としては、「女性の方が勤続年数が短いから」、「最近はずいぶん詰まってきたとはいえ、男性の学歴が女性よりも高いから」といったものがよくあげられています。


 これはもちろんまったくの間違いではないのですが、この本では、統計的分析を駆使して、そうした学歴や勤続年数などで説明できる部分と説明できない部分に分解し、学歴や勤続年数でも説明できない、つまり生まれつきの性差でしか説明できない部分が残ることを明らかにしています。
 しかも、学歴や就業経験などの人的資本特性、さらに就業時間などの要因を加味しても男女の管理職差の40%程度しか説明しておらず、管理職差の約60%は男女差によるものだというのです(80p)。
 これは「生まれによって決まる属性」によって社会的機会や報酬が決まっているということであり、それは前近代社会の特徴でもあるのです(69-70p)。


 実際、「課長以上割合が増え始める35−39歳以降一貫して、女性大卒者の課長以上割合は、男性高卒者の課長以上割合の半分にも満たない」(69p)状況になっています。
 「日本でよく「学歴社会」という言葉が使われるが、いったんホワイトカラーの正規雇用者になると、欧米に比べ、日本で大卒と高卒の別の持つ影響は男性の間できわめて小さい。この点では学歴社会とは言えないのである」(70p)と著者が言うように、55−59歳までには6割以上の男性が課長以上になっているに対し、大卒女性は3割以下、高卒女性は2割にも達しません(69pの図2.4参照)(ちなみにここからは、「男性と比べ、女性の中では大卒と高卒の管理職割合に違いははるかに顕著」(70p)ということも言える)。
 仮に学歴や勤続年数がすべて同じになったとしても、男女の管理職差は埋まらないだろうというのが今の日本の現状なのです。


 では、なぜこのような格差が生まれてしまうのでしょうか?
 まず、第3章でとり上げられているのが、男女の職業の棲み分けの問題です。
 専門職をヒューマンサービス系の専門職(看護師、教員、介護、保育など)である専門職2と、ヒューマンサービス系でないエンジニアなどとヒューマンサービス系だが高賃金の医師、歯科医師、大学教授の専門職1に分けた場合、日本の女性は専門職2の割合が高く、専門職1の割合が低くなっています。
 93pの図3.1、3.2、3.3を見ると、大学教員、医師、研究者の3つにおいて日本で女性が占める割合は先進国最低レベルになっており、女性がこれらの分野に進出していない現状が窺えます。また、専門職2の賃金は一般的に低く、100pの図3.5を見ると、女性の専門職2の賃金は男性事務職の賃金を大きく下回っていることがわかります。
 女性の高学歴化は進んでいるものの、なかなか賃金水準で男性に追いつかないのは、大卒の女性の多くがこうした賃金水準の高くない専門職2につくからです。


 また、第7章では「女性は結婚・出産すると離職してしまうので、人材投資は無駄になる」「女性は男性に比べて生産性も向上心も低い」という日本企業の多くの管理職の思い込みが、「予言の自己成就」を招いてしまう問題をとり上げ、分析しています。
 「予言の自己成就」とは、「根拠のない予言が、それがなければ実現しないのに、予言されたことで実現してしまう」というパラドックスで、マートンはこれを銀行が潰れるという根拠のない噂を信じた人が実際に取り付け騒ぎを起こしてしまうという例で説明しています(198p)。
 

 これを日本の働く女性の問題に当てはめると、「日本の多くの企業が女性はいずれ辞めるとみなして、男性雇用者と同等の昇進・昇給機会や訓練機会を与えないから、多くの女性が職場に見切りをつけて育児をきっかけに離職を選択することになる」(200p)というものになります。
 実際、201pの図7.1における「日米の女性の離職理由の差」のグラフを見ると、育児を理由にあげているのはむしろアメリカの女性であり、日本の女性はアメリカの女性以上に「仕事への不満」、「行き詰まり感」といった理由をあげています。
 

 この本ではこの問題を、「ゲーム理論的モデルを用いて、黒人などのマイノリティの雇用者の労働生産性が低いというネガティブ・ステレオタイプについて、それが企業の偏見から生じ、予言の自己成就となる均衡が生まれることを示した」(203p)コートとラウリーの理論を使って掘り下げています。
 コートとラウリーの理論によると、例えば企業が黒人雇用者に偏見を持っている場合、黒人はたとえ自己投資をしても就職できる確率は白人には及びません。すると、黒人の自己投資へのインセンティブが弱まり、結果的に「黒人雇用者は白人雇用者よりも人的資本が低い」という企業の偏見が事実となってしまうのです(204p)。
 ちなみにコートとラウリーの理論によると、アファーマティブ・アクションは企業の行動は変えるかもしれないが、黒人の自己投資のインセンティブが削がれるという状況は変わらず、社会的に見ると必ずしも望ましい解決方法ではないそうです(204ー205p)。


 著者は、この日本の女性の「予言の自己成就」の問題に対して、企業がリスク回避的(減点主義的)な人事を改めること、試験雇用期間などを活用してシグナルの精緻化(その人の能力をより深く見極める)を提案していますが、実際に行おうとするとけっこう難しいのではないかと感じました。


 他にも、長時間労働をしないと管理職になれない傾向は女性において男性よりも顕著であるといった指摘や(第2章)、「性別にかかわりなく社員の能力開発に努めている」か否かの人事方針(GEO(gender equality of opportunity)方針)がないとワークライフバランスを進めても男女の賃金格差は縮まらないという指摘(第5章)など、興味深い知見がいろいろと紹介されています。


 最初にも述べたように、かなり高度な計量分析が駆使されており、自分を含めた素人には理解し難い部分もありますし、その手法の是非なども判断することは出来ないのですが、働き方における男女不平等についてある程度専門的に語っていくためには外せない本になっていくと思います。
 計量分析を使っていない第1章と第8章を読むだけでも、日本の働き方における男女不平等の問題のポイントは見えてくると思うので、とりあえず目を通す価値は十分にあります。


働き方の男女不平等 理論と実証分析
山口 一男
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