パク・ミンギュ『ピンポン』

 「痛い」のにポップ。これは素晴らしい文体であり、小説だと思います。
 著者のパク・ミンギュは『カステラ』という短編小説集で第1回の日本翻訳大賞を受賞しており、名前は知っていたのですが、読んだのはこの作品が初。いじめられている中学生男子が卓球に出会う話ということで、読む前は松本大洋の『ピンポン』を少しイメージしましたが、この小説はスポーツとかそういうことを飛び越えて「人類」にまで話が及ぶもっと全然ぶっ飛んだお話。
 それでいて男子中学生の「痛み」がしっかりと伝わってくる。異常なまでにメタ的な視点を導入したりしつつも、最後まで男子中学生の肉体的感覚が失われないというのがこの小説の優れた点の1つです。


 主人公の僕は、毎日いじめられている中学生男子で、あだ名は「釘」。もう一人の「モアイ」というあだ名をもつ同級生とセットでいじめられています。
 いじめの中心人物のチスは、女子に援助交際をさせるような筋金入りのワルで、容赦のなく僕を殴ります。殴られパシリにされている僕はこんなふうに世界を考えています。

 世界とは、多数決だ。エアコンを作ったのも、いってみれば自動車を作ったのも、石油を掘ったのも、産業革命や世界大戦を起こしたのも、人類が月に行ったのも、歩行ロボットを作ったのも、スペースシャトルがドッキングに成功したのも、すっ、すっと追い越していくあの街路樹たちがあの品種であの規格で、あの位置に植えられているのも、すべて多数の人がそう望みそう決めたからだ。誰かが人気の頂点に立つのも、誰かが投身自殺するのも、誰かが選出されるのも、何かに貢献するのも、実は多数決だ。つまるところそうなんだ。

 いじめられるのも多数決の結果っだ。あるとき、実はそうなんだってわかったんだ。初めのうちは何もかもチスのせいだと思い込んでた。そうじゃない。僕をとりまく41人がそれを望んでいるんだ。(26p)


 そんな僕とモアイの2人は原っぱに置いてある卓球台を見つけ、2人で卓球を始めます。
 ピンポンピンポンとラリーをしている時だけが世界を忘れられるというところから始まった卓球でしたが、実は「卓球こそが人類の歴史である」というふうに話が膨らんでいき、「世界は善と悪のラリーである」とする見方が提示されます。
 そして、最終的に僕とモアイは人類の未来をかけて卓球のゲームに臨むことになるのです。


 こうした荒唐無稽な話しと「痛み」の両立というと、舞城王太郎が思い浮かびます。
 確かに、ぶっ飛んだ設定やポップな文体、そして読者に「痛み」を意識させるというのは舞城王太郎の初期の作品と似ていると思います。
 ただ、舞城王太郎が中短編では巧さを発揮しつつも、長編となるとぶっ飛んだ設定をコントロールしきれなくなることが多いのに対して(『ディスコ探偵水曜日』とか)、この『ピンポン』は最後までコントロールが効いていて、ラストもうまく着地ができています。
 つまり、かなりの傑作だということです。


ピンポン (エクス・リブリス)
パク・ミンギュ 斎藤 真理子
4560090513