パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』

 ここ最近、多くの作品が翻訳されている韓国文学ですが、個人的には、『ギリシャ語の時間』や『回復する人間』のハン・ガンと、『ピンポン』や『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』のパク・ミンギュがちょっと抜けた存在のだと思っていましたが、このパク・ソルメの作品もすごいですね。

 1985年生まれの女性作家で、ハン・ガン(1970年生まれ)やパク・ミンギュ(1968年生まれ)に比べると若いですが、一種の「凄み」を感じさせます。

 

 まず、冒頭に置かれているが「そのとき俺が何て言ったか」という作品ですが、いきなり理解不能な暴力が描かれています。

 カラオケ店のオーナーと見られる男は客の女性に「一生けんめい」歌うことを要求するのですが、その姿は映画『ノーカントリー』でハビエル・バルデムが演じた殺し屋のシガーを思い起こさせるもので、読み手にも異常な圧力で迫ってきます。

 本書は訳者の斎藤真理子による日本オリジナルの短編集となりますが、いきなりガツンとくる構成になっています。

 

 その後、「海満(へマン)」という作品を挟んで、「じゃあ、何を歌うんだ」が来ますが、これは作者自身と思われる主人公が歴史的事件との向き合い方を問われる作品です。

 パク・ソルメは光州の出身です。光州と言えば、何と言っても映画『タクシー運転手』でもとり上げられた1980年の光州事件が思い出されるわけですが、85年生まれの作者は光州事件を経験してはいません。

 それでも、光州出身だと言えば、出てくる話題は光州事件です。主人公はアメリカでも京都でも光州事件の話を持ち出されます。

 そんな中で、自分と光州事件の埋めがたい距離感がこの小説では描かれています。

 

 「私たちは毎日午後に」という作品は、同棲している男が突然小さくなってしまったことから始まります。

 そして、本書で繰り返し出てくるのが東日本大震災福島第一原発事故のことです。主人公は、テレビなどで震災後も日本の人々が「元気にやっている」ことを理解していますが、同時に震災によって自分の知っている日本が消え去ってしまったようにも感じています。

 ある種の連続性が失われているのですが、これが男が突然小人になったこととシンクロしています。

 

 原発事故に関しては、韓国の古里原発の事故も複数の作品でとり上げられています。 2012年2月9日に古里原発の第1号機で全電源喪失という重大事故が起こりましたが、そのことは3月12日まで隠蔽されていました。

 ここにも作者は連続性の危機を見ていて、「暗い夜に向かってゆらゆらと」では、事故が「起こってしまった」後の釜山の様子(ただし大惨事が起こったようにも見えない)が描かれています。

 

 ラストに置かれている表題作の「もう死んでいる十二人の女たちと」は、キム・サニという5人の女性を強姦殺害した後に交通事故で死んだ男が、その被害者である5人の女と同じような事件で殺された7人の合わせて12人の女たちに改めて殺されるという話。

 主人公はチョハンという昔からの友達でありながら今はホームレスをやっている男に、キム・サニが殺された現場を見せられます。

 幻想的な作品でもあるのですが、同時に女性に対する暴力の遍在を告発するような作品でもあり、現実の社会とリンクしています。

 冒頭の「そのとき俺が何て言ったか」とともに、非常に強い印象を残す作品です。

 

 かなり独特な文体で知られる作家だそうですが、そのあたりも含めて訳者の斎藤真理子が上手く訳しているのではないかとも思います。

 その独特の感覚と文体で、読み手にさまざまなことを考えさせる作家で、他の作品も読んでみたくなりました。