林奕含『房思琪の初恋の楽園』

 タイトルに「初恋の楽園」となっており、甘酸っぱい青春小説を想像するかもしれませんが、全然そんなことありません。

 作者の林奕含(リン・イーハン)は台湾の女性でこれがデビュー作ですが、本書の出版して2ヶ月後に亡くなっています。

 本書の扉には「これは実話をもとにした小説である」とありますが、中身はというと、13歳の少女・房思琪(ファン・スーチー)が同じマンションに住む国語の予備校講師にレイプされて、その後も肉体関係を強いられるというものです。

 

 では、なぜそんな話が「初恋の楽園」なのか?

 この小説がどれだけ作者の実体験に基づいているのかあわかりませんが、ここにあるのはレイプしてきた相手を「初恋の相手」と思わないと自分の存在が保てないような状況です。

 

 この小説には房思琪と彼女をもてあそぶ予備校講師・李国華(リー・グォホァ)以外にも、房思琪と同じマンションに住んでおり房思琪と友人の劉怡婷(リュウ・イーティン)が憧れている美人の女性の伊紋(イーウェン)とその夫の銭一維(チェン・イーウェイ)というカップルが登場します。

 エリートと美女という誰もが羨むカップルですが、実は一維は伊紋に暴力を振るっています。

 伊紋は頭の良い大人の女性ですが、そのDVからはなかなか逃れられません。二人の間に「愛」がないわけではないですし、伊紋もなんとか「愛」を見出そうとしています。

 だからこそ、簡単には別れられないのです。

 

 一方、李国華は教え子に次々と手を出しているような男で、彼にとって房思琪はコレクションの1つに過ぎません。彼を動かしているのは基本的には支配欲であり、そこに愛はありません。

 それでも、コレクションされた側が、「コレクションの1つ」という地位を受け入れられるはずがなく、なんとかしてどこかに「愛」はないものかと思い悩む。これがこの小説を貫く痛々しさです。

 レイプは「魂の殺人」であると言われますが、この小説は人の心が壊れてしまう様子を克明に描き出しています。

 

 

 

湊一樹『「モディ化」するインド』

 著者の湊氏よりご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 近年、特に中国に対抗するためのパートナーとしてインドへの注目が高まっています。日米豪印の「クアッド」という枠組みがつくられ、そこではインドは民主主義や法の支配といった基本的理念を共有する国として紹介されています。

 

 しかし、本当にそうなのだろうか? ということを本書は突きつけています。

 インドのリーダーとして、あるいはグルーバルサウスのリーダーとして注目を浴びているモディ首相ですが、本書を読めばその政治スタイルはかなり権威主義的で、インドの民主主義はモディ首相のもとで大きく毀損されています。

 日本はインドと基本的理念を共有しているといいますが、むしろインドが中国と近いのでは? と思わせるような内容です。

 

 目次は以下の通り

プロローグ 大国幻想のなかのインド
第1章 新しいインド?
第2章 「カリスマ」の登場
第3章 「グジャラート・モデル」と「モディノミクス」
第4章 ワンマンショーとしてのモディ政治
第5章 新型コロナ対策はなぜ失敗したのか
第6章 グローバル化するモディ政治
エピローグ 「モディ化」と大国幻想

 

 「世界最大の民主主義国」と称されるインドですが、近年はその実態がやや怪しくなっています。

 世界各国の民主主義についてウォッチしているV-Demでは、2021年にインドのカテゴリーは「選挙民主主義」から「選挙権威主義」へと変更されていますし、フリーダムハウスの報告書でも「中国とインドとのあいだで、価値観にもとづく区別が付きにくくなっている恐れがある」(17p)と述べています。

 

 もともとインドの政界には金や暴力の噂が絶えないような人物がおり、決して理想的な民主主義が行われていたわけではありませんが、モディ政権になってからは「世俗主義」に代わって「ヒンドゥー至上主義」がはびこるようになり、イスラーム教徒を「二等市民」のような立場に追いやろうとする動きが目立っています。

 2022年10月にデリーで行われた集会では、与党BJP(インド人民党)の国会議員が「私の後に続いて言ってください。私たちは奴らをボイコットする! 奴らの店では何も買わない! 奴らに仕事を与えない!」(25p)と呼びかけるなど、政府・与党関係者によるヘイトの扇動が大っぴらに行われているのです。

 

 そして、モディはヒンドゥー至上主義の中心的組織であり、マハトマ・ガンディーを暗殺した人物が所属していた事でも知られる民族奉仕団(RSS)の出身であり、グジャラート州知事時代にも問題を引き起こしたことのある人物なのです。

 

 そのモディはインドを新たな高みに導くという「大きな物語」を人々に信じさせようとしています。

 それによると、インドは「ヒンドゥー文明」の遺産を受け継ぐ偉大な国だが、「外国勢力」やインド国民会議派の腐敗と失政により停滞していた。それを打ち破るのがモディというわけですが、その「外国勢力」の中にはイギリスだけではなく、それに先立ってインドを支配していたイスラーム勢力まで入るといいます。ですから、イスラームの影響力はインドから一掃されるべきだと考えているのです。

 

 モディは1950年にグジャラート州メヘサーナー県に生まれています。モディの一家は、食用油の製造と販売を生業とする「ガーンチ」というカースト集団に属しており、モディ家でも食用油の製造を行うとともに父親は駅でチャイを売る店を営んでいたといいます。

 モディは学業的には平凡でしたが、RSSが各地で開く集会(シャーカー)には熱心に取り組んでいたといいます。

 モディの前半生には謎も多く、10代後半〜20代前半にかけて結婚を前にして家から出奔したりしているのですが、もっぱら語られるのは父を手伝って「チャイ売り」をしていたといった苦労人としてのエピソードです。

 

 その後、モディはRSSの専従活動家となり、組織内で出世していきます。特にグジャラート州で州組織を指導する責任者となると、それまで国民会議派が強かった中でBJPの議席を増やし、1995年には初めて州政権を樹立します。

 この政権は内部対立で崩壊しますが、その後、2001年にモディはグジャラート州の州首相となります。

 

 この翌年に起きたのがグジャラート州暴動です。

 発端とされるのは2022年2月27日におきたゴードラーでの列車炎上事件で、急行列車が炎上し、58人のヒンドゥー教徒が焼死しました(その後ももう1人死亡)。炎上の原因ははっきりしていないのですが、この列車にヒンドゥー至上主義のメンバーが乗っていたこともあり、事件前にはイスラーム教徒との小競り合いも起こしていました。

 この事件に対して、モディはこれは「事前に準備された攻撃」だとの見解を示し、「一つのコミュニティによる一方的で暴力的なテロ行為」だと述べました(70p)。イスラームを名指ししたわけではありませんが、イスラームへの敵意を煽るような発言を行ったのです。

 

 その結果が、イスラーム教徒への大規模な襲撃事件でした。イギリス政府の報告書によると少なくとも2000人が殺害され、多くのイスラーム教徒の女性が組織的にレイプされ、13万8000人が避難民になったといいます。

 襲撃はヒンドゥー教徒が多く住む地域からイスラーム教徒を一掃する目的で組織的に行われており、襲撃目標も事前に共有されていたといいます。そして、州政府からの圧力で警察も対応を抑制していました。

 このイギリス政府の報告書ではこの事件についてはっきりとモディの責任を指摘しています。

 

 しかし、この後の州議会総選挙でBJPが圧勝したことにより、モディの責任は有耶無耶になっていきます。

 モディは州内で暴動が収束すると州議会を解散し、ヒンドゥー教徒の間で高まっていた宗教意識とイスラームへの敵意を利用する形で選挙を勝利に導きました。選挙運動でモディは避難民のためのキャンプを「子作りセンター」と呼ぶなど、イスラーム教徒の人口増加でインドが乗っ取られるというヒンドゥー至上主義の陰謀論的な考えを利用しています。

 

 2014年の総選挙でBJPが圧勝し、モディ政権が誕生します。選挙では西部と中部を中心にBJPが議席を伸ばし、インドが小選挙区制を取っていることもあって、全体的な得票率は3割程度だったものの過半数議席を獲得しました。

 この選挙においてモディが訴えたのが「グジャラート・モデル」と言われたモディのグジャラート州での成功です。モディはこの成功を引っ提げ、インドを発展に導く「強いリーダー」という宣伝を行い、選挙に勝利したのです。

 

 しかし、グジャラート州の成功は宣伝ほどではないといいます。投資促進のイベントにより州政府は39兆5400億ルピーが成立されたとしていますが、実際は4分の1の9兆ルピーほどにとどまったといいますし、海外からの直接投資に関しても他地域を圧倒してたわけではありません。

 手厚い優遇策を示して格安の小型自動車「タタ・ナノ」の生産工場の誘致に成功し、2010年から操業を開始しますが、タタ・ナノ自体が売れずに2019年に生産が停止されてしまいました。

 また、大企業や大規模開発が優先される中で教育や保健などへの投資は軽視され、グジャラート州の子供の学校への出席率、5歳未満の栄養不良の割合、子どものワクチンの接種率などはインドの中でも下位に低迷しています(101p表3−5参照)。

 

 国政を担うようになってからもバラバラだった間接税を統一するなどの前進はありましたが、多くの目標は未達に終わっており、2016年に突如として打ち出した高額紙幣の廃止は社会に大きな混乱をもたらしました。

 そんなモディ製缶が重視していたのが世界銀行が発表する「ビジネスのしやすさランキング」で、100以下に低迷していた順位は2017年から急上昇しました。モディ政権がランキングの算出に有利になるようにロビー活動を行い、モディ自ら各省や各州などに強力に働きかけた成果ですが、このランキングは2020年にデータが不正に改変されていたとして公表停止になり、廃止されてしまいます。もともと中身があやしいランキングだったわけです。

 また、若年層を中心とする雇用問題や農村の経済状況は以前からの問題でしたが、ここでも目立った改善はありませんでした。

 

 こうした状況の中、2019年の総選挙ではBJPはモディ首相個人を押し出した大統領型の選挙キャンペーンを繰り広げました。そして、これが功を奏したのか2019年の総選挙でBJPは圧勝します。

 選挙前には人気俳優によるモディに対するインタビューが流され、モディ政権の功績をなぞるような映画もつくられました。さらに第2次政権以降は、モディそのものをモデルにした映画もつくられています。

 モディの若い頃の苦労話がメディアで盛んに取り上げられ、SNSでは「モディ首相は1日平均18〜20時間働く」「36時間寝てなかった」などのスーパーマン的な情報が投稿されているといいます。

 

 BJPにはSNSプロパガンダ活動する実働部隊がおり、その規模は100万人を超えるとも言われています。この部隊が与党や政府に都合の良いフェイクニュースイスラーム教徒などを標的とするヘイトや陰謀論を拡散しているといいます。

 

 モディ個人については、記者会見を行わないことでも有名です。スピーチはよく行っていますが、質問を受ける形の記者会見を開くことはほとんどなく、外国訪問時でも記者会見で質疑応答が行われたのは2023年の訪米時くらいで、個別のインタビューでも必ず質問を事前に出さなければならないといいます。

 

 モディ政権は主要メディアにも圧力をかけており、テレビ局のNDTVは放送局やオーナー夫妻に対する度重なる圧力の結果、2022年に株式の過半数をアダニ・グループが取得し、オーナー夫妻は取締役を辞任しました。

 2023年1月、BBCが『インド ー モディを問う』というイスラーム教徒を取り巻く状況に焦点を当てたドキュメンタリー映画を放送すると、政府はBBCを批判するとともに、YouTubeTwitterに対してこの番組の動画の削除を命じ、BBCの現地支局に家宅捜索を行って圧力をかけました。

 

 このような強権的なモディ政権ですが、新型コロナ対策は惨憺たる失敗に終わりました。

 2020年の3月から「世界最大のロックダウン」とも言われる厳しい措置に出ましたが、出稼ぎ労働者が路頭に迷うなどの大混乱が起き、用意された特別列車の大混雑が原因でなくなった人もいました。

 経済にも大きな影響が及び、その後のV字回復があったものの、数字に現れないインフォーマル部門への負の影響は大きかったといいます。

 

 その後1度は落ち着いたインドの感染状況でしたが、2021年の3月からはデルタ株の感染が広がり死者が激増しました。

 インド政府の発表ではインドの新型コロナによる死者は48万人ですが、WHOは474万人が亡くなったと推計しています。2021年末までの新型コロナの死者の3分の1近くをインドが占めているというのです。

 

 このように内政では問題含みのモディですが、外交では中国へ対抗するために欠かせない存在ということもあり、インドは大きな存在感を放っています。

 こうした追い風もあり、モディは「大国」の指導者として振る舞っていますが、アメリカや日本と「価値観をともにする」という表現の実態はますます怪しくなっています。

 

 2019年12月に成立した「市民権改正法」は、宗教的迫害から逃れるために周辺国からインドに入国し滞在を続けている宗教的少数派に市民権を付与することが目的とされていますが、適用されるのはアフガニスタンパキスタンバングラデシュからきたヒンドゥー教徒シク教徒、仏教徒ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒キリスト教徒であり、イスラーム教徒は除外されています。 

 これはイスラーム教徒が多数を占める国から逃れてきた少数派を保護するという建前ですが、例えば、ミャンマーで迫害されてるイスラーム教徒のロヒンギャはこれに含まれません。

 この法改正以外にも、モディ政権は「国民登録簿」の作成を進めていますが、こうした中で証拠書類を持たない住民が市民権を拒否されるケースもあるといいます。他宗教の住民には今回の法改正が市民権を得る道も残されていますが、イスラーム教徒にはそうした道も閉ざされているわけです。

 

 「市民権改正法」に対してはイスラーム教徒だけではなく、アッサム州などのインド北東部ではバングラデシュから流入したヒンドゥー教徒に市民権を与えることになると反対運動が起きました。

 モディ首相は抗議活動を裏で操っているのは野党であると批判し、さらに「テレビの映像をみれば、服装から誰が放火しているのかわかる」(204p)と発言し、暗にイスラーム教徒が過激な行動をしているとほのめかしました。

 こうしたこともあり、デリーでイスラーム教徒をターゲットにした暴動が起こり、多数の死者が出ました。デリー警察がヒンドゥー至上主義者による暴動を黙認暑いは支援したことが被害を大きくしたとみられています。

 モディ政権は2019年に人口の多数をイスラーム教徒が占める唯一の州であるジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪しており、ここでもイスラームに対する抑圧が目立っています。

 

 本書は2024年の5月に刊行されたために、6月に議席が確定したインドの総選挙の結果が分かる前に書かれています。

 総選挙では過半数を取る公算が高いとされていたBJPが伸び悩み、与党連合として過半数を確保するにとどまりました。モディ政権は続きますが、今までのようなワンマン政治は難しくなる可能性が高いです。

 BJPの伸び悩みの原因としては経済の不調があげられますが、本書を読むとインドの国民がモディに一定のブレーキを掛けなければヤバいと思ったのではないかと感じます。

 

 途上国の「強いリーダー」というのは往々にして権威主義的であり、モディにも当然そのような面があるだろうことは予想できますが、本書を読むことで、それよりさらに踏み込んでモディがインドの民主主義を大きく毀損してきた存在であることがわかると思います。

 特にヒンドゥー至上主義とイスラームに対する抑圧はかなり危ういものであり、無邪気に「権威主義国家の中国に対抗するために民主主義国家のインドとの関係を深める」などと言得ない状況であることがわかると思います。

 現在のインドの状況を理解するために必読と言える本だと言えるでしょう。

 

 

 

『マッドマックス:フュリオサ』

 面白かったですし、やはり画がいいですね。

 ディメンタスが最初にタンクローリーを襲撃するシーンをロングショットで見せるところとかは最高ですね。

 それ以外にも砂漠の風景を活かしたロングショットがバシバシ決まっていて、やはりジョージ・ミラーはいい画を撮るなと改めて思いました。

 

 ストーリーとしては『怒りのデスロード』の前日譚で、『デスロード』のフュリオサがいかにして生まれたかという話になります。

 映画が各章に分かれており、全体の構成としては叙事詩っぽいつくりにもなっているのです、例えば完全に叙事詩という趣のある『DUNE 砂の惑星』と比べる圧倒的なスピード感があります。

 これはもちろん、疾走する車やバイクのシーンが多いということもありますが、タンクローリーをバイクで引っ張るパラグライダーで襲撃するとかのケレン味がてんこ盛りなとこが要因なんでしょう。

 『怒りのデスロード』に引き続いてウォーボーイズも登場しますし、B級っぽいところはしっかりと残っています。

 芸術的なショットとB級さがちゃんと同居しているのが、ジョージ・ミラーのすごいところですね。

 

 ストーリーとしては、前作はひたすらアクション→アクション→アクションで引っ張ったのに対して、こちらはフュリオサの過去を説明しなけれなならないという制約があるので、『怒りのデスロード』よりは説明的ですが、それでも例えばジャックとの関係の見せ方は変に引っ張るところがなくていいと思います。

 最後はあえて復讐のカタルシスを手放しで感じさせない流れになっており、このあたりは切れが悪いとも言えますが、ここ最近の国際情勢などを見ると、「復讐だから正当化される」とは言い難い状況なので、これが今風の決着の付け方なのかと思います。

 あと、フュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイも子役のアリーラ・ブラウンも両方良かったですね。

 

クラウディア・ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか』

 2023年にノーベル経済学賞を受賞したゴールディンによる一般向けの書。

 ここ100年のグループを5つに分けてアメリカの女性の社会進出の歴史をたどるとともに、それでも今なお残る賃金格差の原因を探っています。

 世代についての叙述も面白いですが、ここでは現在の賃金格差の原因となっている「どん欲な仕事」についての部分を中心に紹介したいと思います。

 

 目次は以下の通り。

 

第1章 キャリアと家庭の両立はなぜ難しいか―新しい「名前のない問題」
第2章 世代を越えてつなぐ「バトン」―100年を5つに分ける
第3章 分岐点に立つ―第1グループ
第4章 キャリアと家庭に橋をかける―第2グループ
第5章 「新しい女性の時代」の予感―第3グループ
第6章 静かな革命―第4グループ
第7章 キャリアと家庭を両立させる―第5グループ
第8章 それでも格差はなくならない―出産による「ペナルティ」
第9章 職業別の格差の原因―弁護士と薬剤師
第10章 仕事の時間と家族の時間
エピローグ 旅の終わり―そしてこれから

 

 簡単に世代の話をすると次のようになります。

 第1世代は1878〜1897年に生まれた世代で、この世代の傑出したキャリアをもった女性は多くは独身で、「結婚かキャリアか」という選択を迫られていました。

 第2世代は1898〜1923年に生まれた世代で、「仕事のあとに家庭」というキャリアの人が増えました。学校卒業後仕事につく人が増えたのですが、大恐慌の時期に女性が職場から追われたことで彼女たちのキャリアは中断しました(日本だと「虎に翼」のモデルになった三淵嘉子がこの世代になりますね)。

 第3世代は1924〜1943年に生まれた世代で、若くして結婚した女性が多いですが、その後に教師や事務職などについた人が多いといいます。

 第4世代は1944〜1957年に生まれた世代で、ピルの普及もあって自分で妊娠や出産をコントロールできるようになり、キャリアを積んでから結婚しました。

 第5世代は1958年以降に生まれ、1980年頃以降に大学を卒業した世代です。この世代になると「キャリアも家庭も」同時に持つことが追求されるようになりました。

 

 この世代についての記述はエピソードも豊富で面白く読めるのですが、ここでは割愛して現在の賃金格差の問題をとり上げている第8章以降の部分を紹介します。

 

 以前はあからさまな差別もありましたが、現在では仕事を始めたときの男女の賃金格差はなくなりつつあります。

 ところが、男女が年齢を重ね、結婚し、子どもを持つと賃金格差は拡大していきます。

 これについては、上司が女性の部下に対して偏見を持っている、女性は男性に比べて賃金の交渉をしたがらない、賃金の高い職業につく女性が少ないなどの要因が指摘されています。

 特に賃金の高い職業につく女性が少ないという要因はよく言われますが、著者は格差がほぼすべての職業に存在し、しかも高学歴のほうがこの格差が大きいことから、これが男女の賃金格差の主犯ではないと考えます。

 

 女性と男性の年間収入中央値の比率を見ると(207p図8.1)、全労働者でみても大卒の労働者でみても、女性の男性の収入に対する割合は1960〜80年までは6割程度にすぎませんでしたが、90年に7割程度まで改善します。さらに全労働者では2017年には8割を超えているのですが、大卒の労働者で見ると70%ちょっとで頭打ちになっています。

 

 この大卒労働者の所得の差は20代には小さなもので女性の収入は男性に対して90%以上あるのですが、年齢を重ねるにつて差が開いています(210p図8.2参照)。

 MBA取得者に限ってみると(212p図8.3参照)、ポイントになるのは子どもの有無です。子どもがいない女性は男性の収入の90%前後を稼ぐのに対して、子どもがいる女性は次第に男性と差が付き70%を割り込む数字にまで落ちていっています。

 

 この賃金の差を生み出していると考えられるのが労働時間の差です。

 MBA取得取得者の最初の数年間は男女とも週労働時間の平均が60時間前後です。これが卒業後13年目になると男性は57時間に対して女性が49時間まで減ります。これはパートタイムで働く女性がいるためで、こうした女性はパートタイムで働くために自営業を営んでいます。

 また、13年後までにMBAを取得した女性の17%がまったく職についていません。ただし、これは一時的な休職が多く、必ずしも家庭にずっと留まるわけではありません。

 

 子どもを持つ女性の収入が減ることは「チャイルド・ペナルティ」とも呼ばれています。

 ただし、これには選択の部分も大きく、夫の年収がMBA取得男性の中央値よりも高い「トップ収入の夫」である場合、女性の雇用の減少が大きくなります。

 ただし、子どもがいない場合は一定の就業年数と就業時間を確保しており、子どもの世話のために女性が労働を制限している状況がうかがえます。

 

 ただし、男女の収入の差は労働時間の差だけでは説明できません。子どもを持つ女性については時給でも差がつけられています。

 これは職業によっても差があり、職業部門別大卒者の男女所得比率をみると(221p図8.4参照)、エンジニア、科学、健康(医学療法士や管理栄養士など)といった職種では90%を超えていますが、管理、総務、販売では80%前後、金融は75%ちょっと、医学博士・法学博士は75%を割り込んでいます。

 

 この職業ごとの違いとして、他者との関わり、意思決定の頻度、タイムプレッシャー、対人関係の維持と構築などがあげられます。

 エンジニアや科学の分野と管理、総務、販売を比べると、後者の方がより他者と関わり人間関係を維持する必要があり、頻繁な意思決定を求められ、すぐに対応しなければならない仕事が多くなります。

 また、外科医、金融分野などもつねに仕事に対応できるような人間が求められているということが想像できると思います。このようなつねに仕事への対応が求められるような仕事が本書のいう「どん欲な仕事」です。

 こうした職種は、子どもの関係で呼び出される母親には向かない職業なのです。もちろん、男性が子どものために呼び出し可能な職につくこともできますが、夫婦で同じような職についていれば母親が仕事量をセーブしがちになります。

 

 第9章では実際に弁護士と薬剤師という仕事をとり上げてこの問題を検討しています。

 女性弁護士の収入の中央値は男性弁護士が1ドルだとする約78セントで、資格職にもかかわらずに大きな差があります。

 ここでもやはり労働時間の差が関わっていて、ロースクール卒業後5年目においては男性も女性も長時間労働をしているのですが、15年目となると女性の長時間労働は減ってきます(232p図9.1参照)。

 

 弁護士の仕事はより長時間を費やすほど有利な案件が取れるような構造になっています。ロースクール卒業後15年目において週60時間働く弁護士は週30時間働く弁護士の2倍稼ぐのではなく、2.5倍稼ぐといいます。平均時給がほぼ4分の1増えるのです。

 弁護士の世界では事務所の経営に関わるパートナー弁護士になることが収入を増やす道だといわれますが、これには顧客の要望にすぐに応じられるような「オン・コール」の状態でいられることが重要だといいます。

 こうなるとパートナー弁護士になりやすいのは時間に融通の効く男性だというわけです。

 

 一方、薬剤師は、以前は自営が多く顧客の要望にいつでも応えなければならない仕事でしたが、現在はその多くがドラッグストアに勤めており、医薬品についても標準化が進み個別の調合も多くの場合必要なくなりました。

 この結果、薬剤がパートタイムで働くことのペナルティはほぼなくなりました。現在、女性の薬剤師の収入の中央値は男性の94%になっています。

 このように、時間に対してコントロールが効くかというのが男女の賃金格差の大きな要因になっているのです。

 

 第10章では、改めてこの時間の問題が検討されています。

 このつねに「オン・コール」で働くやり方に問題があるというのは企業側も認識しており、金融業界でも週末の出社を禁止したり、最低限の休日(月4日)をとるように強制しているところもあります。

 会計事務所でも働き方や昇進のあり方を見直して女性のパートナーを増やそうとする動きがあります。

 

 また、医師は「オン・コール」の仕事と思われており、実際に男女の賃金格差も大きいのですが(男女別所得比率は67%)、専門分野によっては違った風景も見えてきます。

 例えば、アメリカでは小児科ではパートタイムで働く医師が増えており、女性小児科医だと33%にも及びます。医師が互いに代替できるようなグループ診療の仕組みができあがっているのです。

 また、こうしたグループ診療は産科や麻酔科などでも広がっているといいます。

 さらに獣医師でもこうした働き方は進んでおり、獣医学部卒業生の8割が女声になっているといいます。まだ、女性獣医師がオーナーになることが少ないために賃金格差は残っていますが、グループで働くことは一つの方向性だと言えるでしょう。

 

 著者は解決策とし、まず、夫婦でよりフレキシブルな仕事につくことをあげ(収入は若干減るかもしれないが夫婦の公平性は高まる)、次に補完的な解決策として、利用しやすい保育補助や学校の課外プログラムなどで親の育児コストを軽減することをあげています。

 さらに社会規範を変えて、仕事と家庭のトレードオフの負担が女性に偏らないようにすることをあげています。

 

 ただし、コロナ禍はこの社会規範がまだまだ強いことを示しました。

 著者はエピローグでこの問題に触れていますが、コロナで子どもが学校に行くことが難しくなった影響などで母親の労働参加率は大きく下がりました。

 一方、リモートワークの普及は柔軟な働き方のコストを下げる可能性もあります。リモートワークの今後については不透明な面もありますが、男女ともにリモートワークが広がれば夫婦間の公平性は高まるでしょう。

 

 このように本書は男女の賃金格差の本質を鋭くついています。

 もちろん、日本などではこの「どん欲な仕事」の問題以外にも、上司の偏見などの要因があるのでしょうが、いずれはこの問題に突き当たるのだと思います。

 この問題がチームでの労働やリモートワークによって解消されていくのか、それとも日米貿易摩擦のときに「働き過ぎの日本人と競争するのは不公正」との声が出たように「週60時間もオフィスにいるようなやつは不公正だ」みたいになっていくのか、それとも「夫婦というユニットで最大限稼げれば、夫婦間の公平性はそんなに問題ではない」となっていくのかはわかりませんが、本書が男女の格差の過去と現在を鋭く分析していることは間違いないです。

 

 

 

ハン・ガン『別れを告げない』

 ハン・ガンによる済州島4.3事件をテーマとした作品。

 ハン・ガンは個人的にはノーベル文学賞を獲って当然と考える作家で(同じ韓国の作家ならパク・ミンギュも好きだけど、こちらはノーベル賞を獲るタイプではない)、そのハン・ガンが韓国現代史の大きな闇である済州島4.3事件をテーマにしたということですごい作品なんだろうなと予想しながら読んだわけですが、想像とはちょっと違う形でやはりすごい作品でした。

 

 この作品は作者のハン・ガンを思わせる主人公のキョンハが疲弊しきっている状態になっているところから始まります。キョンハは光州事件と思われる事件についての著作を書き上げましたが、そのために疲弊しきっています。

 

 そこにカメラマンでもあり短編のドキュメンタリー映画もつくっている友人のインソンから連絡が入ります。インソンは故郷の済州島で木工の仕事もしていたのですが、そこで指を切断する怪我をしてしまったのです。

 この怪我の話と、切断する指をくっつけるための治療についての部分は本当に「痛い」。読者は文字列を目で追うだけですが、それでここまでの「痛み」を感じさせる描写もなかなかないでしょう。

 「痛み」の描写はハン・ガンの十八番ともいうべきものですが、ここでも凄みを感じさせるレベルです。

 

 そして、インソンから飼っている鳥の世話を頼まれ済州島へと向かうのですが、済州島キョンハを出迎えるのは暴力的にまで白い雪の世界です。

 この雪の世界をくぐり抜けて、キョンハはインソンの家へと向かい、そこで幻想的なイメージの中で、インソンの母で済州島4.3事件の生き残りである姜正心の記憶や、事件後の活動について知ることになります。

 

 このように書いていくと、ここでようやくテーマにたどり着いた感じもありますが、この小説のすごさの1つは、このテーマまで読者を連れてくるやり方です。

 もちろん、いきなり正心の物語を聞かせても、読者はその残酷さに心を痛めるでしょうけど、この小説では、痛みや雪の世界での孤独を読者に体験させることで、読者を寄る辺ない場所につれてきます。

 

 1948年に起きた済州島4.3事件では、共産主義者の疑いをかけられた済州島の島民が虐殺され、山間部の村落が焼き討ちにされました。生き残った住民の中には山間部の洞窟に逃げ込んで息を潜めていた者もいます(正心の兄(インソンの伯父)がそう)。

 済州島の住民は理不尽な暴力の痛みや、家族を失ったり、その仲を引き裂かれて孤独を経験するわけですが、この小説の前半はその痛みと孤独への滑走路のようになっています。

 読者はそうした感情を抱えながら、歴史的な悲劇や得体のしれない残酷さに直面するわけです。

 

 後半の展開については、前知識なしで読んだほうがいいと思うので、詳しくは書きませんが、タイトルの「別れを告げない」という言葉が非常に効果的に使われている場面があって、ここはハッとさせられます。

 そして、この「別れを告げない」という言葉の重さや力強さをだんだんと感じさせる形になっています。

 

 

『トラペジウム』

 主人公がヤバい奴だとの評判を聞き、俄然興味が湧いたので見てきました。

 主人公の東ゆうはアイドルを目指す女子高生ですが、実はオーディションなどには落ちており、東高に通う自分を含め、地域(たぶん房総半島)の東西南北からかわいい女の子を集めてアイドルユニットをつくることを目指します。

 

 バンドを描いた映画とかでは、音楽好きが集まってバンドを組み売れるんだけど、売れていく過程で「どこまで?何を求めるか?」という違いでバンドが分解していくケースが多いですが、この『トラペジウム』は主人公以外アイドルになりたいと思っていないのに、それを主人公がアイドルに仕立て上げていくという展開。

 アイドルグループ結成のための友情、アイドルとして注目されるためのボランティアとカントが見たら激怒のストーリーで、とにかく主人公はアイドルになるためにプランを作り、それに仲間を巻き込んでいきます。非常に自己中心的なのです。

 

 ただ、作り手もそのあたりはわかっていて4人に中で主人公が一番可愛くない造形になっていますし、主人公がヤバい言動をするときはヤバさがわかるような演出になっています。

 そういった意味では批評的なスタンスも持った作品であり、物語の持つ「痛さ」も見れる形になっています。

 でも、この原作を書いたのが乃木坂にいた人だってのはなんか怖いものはありますね…。

 

AJICO / ラヴの元型

 2021年に20年ぶりに活動を再開させた浅井健一UA、TOKIEと椎野恭一によるバンドAJICOの復帰第二作目のEP。

 復活したときもここしばらくの浅井健一に感じてしまう手癖に流れてしまう感じがなくていいと思ったのですが、このEPもそうですね。

 表題作の”ラヴの元型”はディスコサウンドっぽい感じですが、浅井健一のギターが入るとちょっと違う感じになって面白いですね。

 3曲目の”言葉が主役にならない”はUAのボーカルが冴える曲。

 5曲目の”キティ”は浅井健一がメインボーカルで、いかにも浅井健一っぽい曲調ですが、これも最後まで弛緩しない感じでいいですね。

 

 ここしばらくの浅井健一の曲にはルーズさを感じてしまうことが多かったのですが、AJICOだとTOKIEと椎野恭一というリズム隊が非常にタイトで、それが曲を全くルーズにさせないところがいいですね。

 TOKIE+椎野恭一がしっかりとバンドのサウンドを締めていると思います。

 こうなるとフルアルバムも期待したいですね。

 


www.youtube.com