小宮京『語られざる占領下日本』

 去年、NHKスペシャルの「未解決事件」で、松本清張の『小説 帝銀事件』と『日本の黒い霧』をベースにして帝銀事件がとり上げられたのを見た人も多いかと思います。

 松本清張の推理は犯人は731部隊の関係者でGHQの圧力によって捜査が中止されたというものでしたが、この帝銀事件以外でも松本清張GHQの陰謀とGHQ内のGHQとGSの対立を通じて、終戦直後のさまざまな事件を読み解こうとしました。

 

 松本清張は小説家であり、彼の推理は歴史的な事実から飛躍してしまっている部分もあるのでしょうが、当時の日本において圧倒的な力を持っていたGHQが表にならない部分で日本にどのような影響を与えていたのかとうのは気になるところです。

 

 本書は日本の現代政治史を専門とする研究者が、そのGHQの「陰謀」を明らかにし、当時の日本の政治状況を今一度復元しようとしたものになります。

 今までの占領期の研究はGHQ側の史料を使うことで、当時の日本人があまり語りたがらなかったその実態を明らかにしようとするものが多かったですが、本書ではGHQも自分たちに不利なことは語ってないというスタンスのもと、日本側の史料を読み込むことでその実態に迫っています。

 田中角栄三木武夫といった戦後を代表する政治家が占領下の日本でいかに行動していたのか、フリーメーソンがなぜ人々を惹きつけたのか? など興味深い話題が詰まった本であり、いくつかの通説を覆す刺激的な本でもあります。

 

 目次は以下の通り。

序 「あのお話はなかったことにして下さい」
第1章 広島カープの生みの親・谷川昇の軌跡
第2章 「バルカン政治家」三木武夫の誕生
第3章 フリーメイソンと日本の有力者たち
第4章 田中角栄伝説と戸川猪佐武小説吉田学校
おわりに 「道義のない民主主義はありません」

 

 第1章でとり上げられている谷川昇はそれほど知名度のない人物ですが、広島カープの生みの親としても知られています。

 谷川は1896年に広島県賀茂郡西志和村に生まれています。父はカナダからアメリカに渡りカリフォリニアで商店を経営した人物で、昇も中学卒業後に渡米し、イリノイ州立大学からハーバードの大学院に進み、1924年に帰国した後、東京市に奉職し、戦時には市民局長、戦時生活局長、東京都防衛局長などを務めています。44年に退官して関東配電に入り、戦後は山梨県知事に就任し、46年1月には内務省警保局長になっています。47年2月に退官し、4月の総選挙で衆議院議員に当選しましたが、当選から2ヶ月半後に公職追放されました。

 

 こうした経歴を見て、「東京市に入職しているのに内務省で警保局長にまでなったのか??」と思う人もいるでしょう。

 戦前だと内務省警保局長というのは非常に重要な役職(現在だと警察庁長官に当たる)であり、高等文官試験を通っていない人物が就くようなポジションではないのです。

 

 これを可能にしたのは、公職追放によって内務省の主流が追放されたことであり、谷川のハーバード出身という経歴でした。

 谷川にはコネクションを生かしてGHQとコミュニケーションをとりながら警察行政を進めていくことが期待されたのです。

 

 ところが、谷川は公職追放されます。表向きは東京市時代の経歴や関東配電での職歴が問題視されたのですが、それまでは問題視されていなかったにもかかわらずです。

 本人も自分が追放された理由は不可解だと述べています。

 

 このあたりはミステリーっぽさもあるので詳述は避けますが、ここで理由として推測されているのがGSの民政局次長チャールズ・ケーディスと鳥尾元子爵夫人の醜聞です。

 この問題についてはGSと対立していたG2のウィロビーも調べていたことが知られていますが、日本の警察も身辺を調べていたようなのです。

 これによって谷川がGSの怒りを買った可能性があります(ただし、著者は谷川が指示したことではなかったとみています)。

 

 公職追放された谷川は地元の広島でプロ野球球団創立のために動きます。ここでもGHQの意向の確認などのために谷川の力が求められたと思われます。

 しかし、土壇場で谷川は身を引くことになります。谷川が関わることは好ましくないというGHQの内々の意向が示されたからです。

 

 1951年6月、谷川の公職追放が解除され(8月には鳩山一郎の追放も解除されている)、52年の総選挙で自由党の議員として当選します。その後、55年の総選挙において当選確実となるも急死してしまいます。GHQという存在に大きく左右された人生でした。

 

 第2章では三木武夫がとり上げられています、三木というと「クリーン三木」という金権政治に反対するイメージや、「バルカン政治家」と呼ばれる戦後の時期に小政党を率いて戦ったイメージなどがありますが、そもそも三木がどういった経緯では有力な政治家になったのかよくわかっていない人も多いでしょう(自分も昔は三木武吉の関係者かなんかかと思ってた)。

 本章では、占領期の三木武夫を追うことで、彼がどのように有力政治家の地位を築いていったのかを明らかにしています。

 

 三木は1907年に徳島県に生まれ、明治大学に在学中にアメリカに留学し、1937年に卒業、その年に行われた衆議院議員選挙に立候補し、見事当選しています。

 戦前は無所属を貫いており、1942年の東條英機内閣のもとで行われた翼賛選挙では非推薦候補として当選しました。 

 戦後はまずは協同民主党内で主導権を握り、協同民主党が国民党と合同し、国民民主党が成立すると書記長となり、1947年5月に成立した片山哲内閣で逓信大臣として入閣しています。6月には国民民主党の委員長に就任しています。

 

 中道系の弱小政党にいたこともあって、三木はカネとは無縁というイメージができてくるのですが、妻の三木睦子森コンツェルン創始者・森矗昶(のぶてる)の次女であり、森からの援助の有無ははっきりとはしないのですが、占領期から独立後の時期には三木の資金調達能力が評価されていました。

 戦後の政治家で個人事務所を構えたのが最も早かったのが三木だと言われます。

 また、他に先駆けて派閥で政策を研究するなど、派閥の組織化も進めています。

 

 こんな三木であるが、実は占領期は公職追放の危機にさらされていました。その危機をしのぎ、政治家として台頭することができたのは三木の人脈にあるというのが本書の分析になります。

 三木は戦中に「軍需参与官」を務めています。これは先述の森コンツェルンとの関係があったからだとも推測されていますが、この時期に三木は岸信介とも関係を深めています。このあたりの経歴が重視されれば三木が追放される可能性は十分にあったのです。

 

 三木が頼りとした人脈とは外交官・知米派の面々であり、その中核は福島慎太郎、平澤和重、松本瀧蔵の3人になります。

 

 福島慎太郎は1930年に外務省に入省し、ロサンゼルスやニューヨークで勤務経験のある人物で、戦後は幣原内閣の総理大臣秘書官、芦田内閣の内閣官房次長を務めています。この内閣官房次長はGHQに対応するためのポジションで、三木の推挙もあって就いたと言われています。

 1950年に福島は毎日球団の社長にもなりますが、これも毎日新聞の重役から発行停止を解いてもらうようにGHQとの折衝依頼を受け、それが解決してしばらくしたら球団社長就任の誘いが来たといいます。

 

 平澤和重は大河ドラマの「いだてん」を見ていた人はその名前に覚えがあるかもしれません。星野源が演じて、嘉納治五郎の死を看取った人物です。

 平澤も戦前、外交官としてアメリカで働いていた人物で、「アメリカにおける日本のスパイの責任者」とも言われた寺崎英成のもとで働いていました。そのため、開戦直前に南米への異動を命じられましたが、南米へ逃れたところを逮捕され、アメリカで抑留されています。1942年に第1次交換船で帰国しました。

 戦後は外務省に戻らずにNHKの解説委員などを務めますが、同時に三木のブレーンとなり、三木の演説などの草稿はすべて平澤が書いたと言われています。三木内閣が成立したときは外相を打診されたが辞退しました。

 

 松本瀧蔵は日系2世の代議士で、カリフォルニアで成長し、帰国後は広島の中学から明治大学に進んでいます。さらに明治大学商学部助教授などを務め、1937年にハーバードの大学院に入学、39年に明大の教授となりました。

 戦前〜戦後にかけてアメリカ通として日本に米国事情を紹介し、戦後は明治以来の付き合いだった三木の勧めで政界入りし、1946年に衆議院議員に当選しました。

 松本はGHQ内に多くの知己を持ち、特にGSとのパイプがあったと言われています。この時期、GHQとのパイプが政治的資源として非常に価値がありましたが、松本はそれを持っていたのです。

 

 松本と平澤は1946年に「サーヴィス・センター・トーキョー」という組織を立ち上げていますが、この組織の最大の業務は公職追放解除についての活動でした。公職追放中の政財界人から依頼を受けてGHQに対して追放解除を働きかけていたのです。

 詳しい活動内容を示す資料は残っていないものの、サントリー鳥井信治郎が追放解除のお礼を言ってきた、犬養健松本治一郎らが出入りしていたという証言が残っています。そして、三木も終始顔を出していました。

 

 戦後まもなく、三木は協同民主党に属しますが、この協同民主党の山本実彦委員長は公職追放に引っかかってしまい、さらに井川忠雄書記長が死去したことから、三木が協同民主党内の主導権を握ることになります。

 三木はその後も、自らの人脈から得たGHQ情報をフルに活用して政治工作を行い、首相以外はめったに会えないマッカーサーとも会見できるようになったといいます。

 

 こうした中、GSが吉田茂の首相就任を阻止しようとした「山崎首班事件」では、「三木首班」というシナリオもありました。

 芦田内閣が昭和電工事件で倒れたあと、野党の民自党の吉田茂の再登板が有力視されていましたが、吉田を嫌うGSはそれを阻止しようとしていました。その中で「三木首班」という構想も浮かび、三木がマッカーサー自身から首班になることを持ちかけられたというのです。

 この構想は三木が辞退したことで終わりますが、その直前にはGSのホイットニー局長も三木に首班を受けるように説得したとされており、「三木首班」が実現性の高いシナリオであったことがうかがえます(もっとも選挙管理内閣のような形で終わった可能性も高く、それゆえ三木も辞退したと考えられるが)。

 著者は、三木の動きとともに山崎首班事件の推移を分析することで、従来言われていたように必ずしもマッカーサーは吉田支持ではなく、山崎首班工作にも暗黙の了解を与えていたと見ています。

 

 第3章はフリーメイソンについて。「秘密結社」としてさまざまな陰謀論などに結び付けられるフリーメイソン。戦後すぐの時期に関しては鳩山一郎が入っていたことが知られています。他にも東久邇宮稔彦や朝鮮の李王族出身で梨本宮方子と結婚した李垠もフリーメイソンに入っています。

 本章は、侍従次長などを歴任し、フリーメイソンに入会していたこともある河井弥八の日記を紐解き、日本の占領期におけるフリーメイソンの実態に迫っています。

 鳩山一郎などの入会は公職追放の解除と絡んでおり、当時の日本の有力者がいかにGHQとの「伝手」を求めていたかが分かる内容です。

 他にも昭和天皇フリーメイソン化計画や、フリーメイソンの実際の活動についても触れられているので興味がある人はぜひ本書をお読みください。

 

 第5章は「田中角栄伝説と戸川猪佐武小説吉田学校』」。

 吉田茂から池田勇人佐藤栄作、さらには田中角栄とつづくラインは「保守本流」と言われています。岸信介から始まる清和会の系譜などに比べると、こちらが保守政治の流れの「正統」というわけです。

 この「保守本流」という概念に重なるのが戸川猪佐武が『小説吉田学校』で描いた「吉田学校」という概念です。

 

 吉田茂田中角栄を結びつけるエピソードとしてよく引かれるのが、先述の山崎首班事件において、総務会で引退を覚悟した吉田に対して田中がGHQ批判を繰り広げ、吉田首班を主張したというものです。これによって総務会の空気は一変し、吉田も田中を認知したとされています。

 公式な記録があるわけではありませんが、この後に田中が当選1回で法務政務次官に抜擢されたことから、吉田が田中の働きを認めたものと考えられていました。

 

 これに対して著者は懐疑の目を向けます。エピソードの出典はいずれも戸川の著作であり、他に決定的な証拠はないのです。

 また、当選1回での政務次官への登用は、現在の感覚から言えば破格の抜擢ですが、実は田中の後任となった鍛冶良作も当選1回であり、第2次吉田内閣では田中以外にも鈴木正文が当選1回の衆議院銀で労働政務次官になっています(参議院議員も含めれば大蔵政務次官の平岡市三、文部政務次官の小野光洋もそう)。

 実は、当選1回の政務次官は珍しいものではなく、これだけで吉田が田中を評価していたとは言えないのです。

 

 さらに著者は戸川のエピソードに出てくる総務会そのものの存在にも疑問の目を向けています。詳しくは本書を読んでほしいのですが、そもそも田中は総務会に出席して発言できるような立場ではなく、発言のチャンス自体がなかったのではないかと思われるのです。

 

 では、戸川はなんのためにこのようなエピソードをでっち上げたのか?

 戸川はもともと河野一郎に近い読売新聞の記者でした。しかし、1963年の総選挙に出馬して落選、このときに河野一郎との関係も疎遠になったようで、政治的にも経済的にも行き詰まったと思われます。

 その後、戸川は佐藤栄作を通じて田中角栄に接近します。1965年に戸川が出した「任侠・田中角栄」には山崎首班事件のエピソードが書かれており、田中を売り込むような役目を果たしていくことになります。

 

 このころになると吉田も池田や佐藤の次として大平正芳田中角栄の名前をあげるようになっており、田中の目にも総理大臣というポストが入ってきたことだと思われます。

 さらに田中と吉田の関係を描くことには、ライバルである福田赳夫に対抗する目的があったと思われます。

 経歴などを考えれば福田こそが「保守本流」にふさわしいですが、田中は「吉田学校」というラベルでもっと正当性を主張し、さらに宏池会との連携を目指そうとしたわけです。

 

 本書では、さらに田中が占領期には広川弘禅に近かったこと、広川の転落とそれが田中に与えた影響などについても触れています。

 

 1973年に行われた吉田の7回忌で、田中首相は「[吉田]先生はどう思っていたか知らないが、私自身は吉田門下生のシッポと感じで今日までやってきた」(271p)と述べたそうですが、これは田中を「吉田学校」の一員に位置づけることに異論があることを本人も自覚していたということを表していると考えられます。

 

 このように本書は占領期の日本政治について新たな光を当ててくれます。

 最後の田中角栄に関する部分をはじめとして今までの通説を書き換えている部分も多いですし、また、占領という状況が普通の状態ではなかったこともわかります。

 松本清張の『日本の黒い霧』では、「GHQ黒幕説」が用いられることが多く、ちょっと陰謀論のような印象も受けるのですが、本書を読むとGHQの超法規的な力というのは絶大なものであり、そういった陰謀論的な推理が生まれるというのもわかります。

 今一度、日本における「占領」という出来事を考えさせるきっかけとなる1冊とも言えるでしょう。

 

『シン・仮面ライダー』

 賛否両論という感じですが、ケレン味の溢れた作品で個人的には楽しめました。

 もともと小さい頃は仮面ライダーが苦手で(自分が見たのは村上弘明がやってたやつ)、断然ウルトラマン派でしたけど、『シン・仮面ライダー』と『シン・ウルトラマン』を比べると『シン・仮面ライダー』のほうが好きですね。

 

 まず、アクションシーンがいいと思います。

 ハチオーグとの戦いは『キル・ビル』を思い起こさせるようなケレン味たっぷりな対決になっていますし、暗いトンネルの中でのバイクチェースシーンで、暗い中から爆発で一気に眩しくなるような演出もいいと思います。

 

 あと、脈絡としてはどうなのか?というのはあるんですけど、庵野秀明が好きそうな風景のオンパレードでそこも楽しいですね。

 貨物列車の車両基地、電線、コンビナート、渚、異常に殺風景な室内などなど、まさに庵野ワールドといった感じです。

 

 そして浜辺美波がほぼリアル・綾波レイ。顔小さいし手足長いし、おまけに首が細くて長い上にタートルネックを着ているしで、アニメキャラのようなフォルムになっています。

 人格的にも口癖が「私は常に用意周到なの」でアニメキャラのよう。『シン・ゴジラ』の石原さとみ、『シン・ウルトラマン』の長澤まさみ、今回の『シン・仮面ライダー』の浜辺美波とずっとアニメキャラっぽいヒロインなわけですが、今回が一番外見も含めてアニメキャラっぽいかもしれません(今後庵野秀明がどういう作品をつくるのかはわからないけど、アニメキャラっぽい女性しか描けないというのは実写を撮る上では制約にはなってくるかと思う)。

 

 ストーリー的には、TVシリーズで1年かけてやるような内容を2時間をやっているようなところもあるので、いろいと端折って飛ばしている感じですし、敵の目的とかも既視感があるのですが(AIが人類の目指す幸福として「最大多数の最大幸福」ではなく「最も不幸な人間の願いを叶えること」みたいなことをいい出したときは「ロールズだ!」って思いましたが)、まあこんなものかと。

 やや後半にかけて失速しそうにもなりますが、ここは柄本佑が演じる仮面ライダー2号の飄々とした演技がうまくフォローしていたのではないかと思います。

 

陸秋槎『ガーンズバック変換』

 日本の新本格ミステリに大きな影響を受けて小説を書き始めた中国人作家による短編集。ジャンルとしては本作はミステリではなくてSFになります。

 日本の小説から大きな影響を受けているだけではなく、表題作の「ガーンズバック変換」は日本を舞台に、しかも香川県のネット・ゲーム依存症対策条例をネタにした作品で、作中に「電脳コイル」も登場するなど、前情報なしで読めば日本の作家が書いた作品かと思うような作品です。

 

 「ガーンズバック変換」は、ネットやゲームの悪影響を防ぐために香川県では青少年は特殊なメガネを装着することが義務付けられており、それをつけていると液晶の画面が見えないという仕組みになっています。

 主人公の美優は、親が条例に反対し大阪に引っ越した梨々香に会うために大阪に出てきます。そこで、特殊なメガネを外してデジタルな世界に触れます。

 この体験と、美優と梨々香の間の百合的な関係がこの小説のテーマということになります。

 中国人の作家が、香川県のネット・ゲーム依存症対策条例について書くってのが、いろんな意味で面白いと思います。

 

 巻末に置かれた「色のない緑」のタイトルは、チョムスキーが文法レベルでは成立しているが、語義のレベルでは成立していない文章として例に出した「色のない緑の考えが猛烈に眠る」からきています。

 高校生の時に学術財団のプロジェクトで知り合った、ジュディとエマとモニカの3人の女性の話で、主人公のジュディがエマからモニカの自殺について知らされるところから始まります。

 「モニカはなぜ自殺したのか?」という謎と、過去の回想が交互に語られていく中で、言語学の問題と同時に百合的な要素がせり出してきます。

 

 「開かれた世界(オープンワールド)から有限宇宙へ」は、スマホのゲームを開発する会社に勤める主人公が、スマホの性能の限界から昼夜が一瞬にして入れ替わるゲーム世界のもっともらしい説明を考えるように言われるという話ですが、ここにも百合的な要素が入ってます。

 

 このあたりが本書の収録作で面白かったところですね。

 一方、吟遊詩人や古代の詩をテーマにした「物語の歌い手」や「三つの演奏会用練習曲」は、それぞれの後ろに参考文献が載っていることからもわかるように、作者が勉強したことを小説にしているのですが、まだ拾い上げられた要素と物語がうまくゆう符合していない感じで、そんなに面白いとは思えませんでした。

 これらの作品が前半にあるので、時間がない人は巻末の「色のない緑」から読み始めて、その1つ前の「ガーンズバック変換」といったふうに逆に読んでいくといいかもしれません。

 

 

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

 今の時期に主要人物を中国系で固めて娘の同性愛などを取り込む意識の高さと、「マサルさんか?変態仮面か?」という意識の低さが同居している怪作。

 映画.comのあらすじ紹介は次の通り。

 

 経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、全人類の命運をかけた戦いに身を投じることになる。

 

 かなりぶっ飛んだ設定ではありますが、別の宇宙(ユニバース)にいる自分にアクセスしてチートな能力を手に入れるというのは日本のマンガやアニメやラノベとかにありそうな設定であり、しかも別のユニバースにアクセスするためにはできるだけ突拍子もない予測不可能な行動をしないという設定もあって、ネット記事でも指摘されていましたけど『セクシーコマンドー外伝すごいよマサルさん』の世界です。

 実際、敵の中にはいきなりズボンを脱ぎだすやつとかもして、「マサルさんにインスパイアされた作品だ」と言われても驚かないですね。

 

 ただし、日本のマンガやアニメと違うのは主人公をおばさんに設定し、その夫と娘で華族のドラマをしっかりと設定しているところ。

 そして、主人公にミシェル・ヨー、夫にキー・ホイ・クァンをあてているところが本作の成功要因でしょうね。

 冴えないおばさんが急に別の世界にアクセスしてカンフーマスターになるわけですが、最初からミシェル・ヨーというキャスティングないとなかなか思いつかないかもしれません。

 

 さらに特筆すべきがキー・ホイ・クァンの「ヒロイン力」の高さ。

 映画ではキー・ホイ・クァンがエヴリンを目覚めさせる役と、さらには現実世界に引き留める碇のような役を果たしているのですが、いずれにおいても高いヒロイン力を誇っています。

 この作品がアカデミー賞の作品賞を獲るようには思えないんですけど、キー・ホイ・クァン助演男優賞はぜひ獲ってほしいですね。

 

 面白かったですけど、個人的には少し長く感じました。描くマルチバースを整理してもう少し短くしたら、もっとキレキレになったのではないでしょうか。

 

 

Young Fathers / Heavy Heavy

 2018年にリリースされたアルバム「Cocoa Sugar」が素晴らしかったYoung Fathersのニューアルバム。自分が聴き始めたのは前作からですが、今作が4枚目のアルバムということです。

 スコットランドエディンバラで結成されていますが、メンバーの3人のルーツはスコットランドリベリア、ナイジェリアとバラバラ。メンバーの2人が黒人で、ブラックミュージックっぽさはもちろんあるのですが、特定のジャンルなりスタイルに囚われていないのが魅力でしょう。

 

 冒頭の"Rice"〜"I Saw"〜"Drum"と、ブラックミュージックっぽさと、ワールドミュージックっぽさと、ポップス的なメロディーが融合したようなYoung Fathersならではの世界を聴かせてくれます。

 とりあえず"Drum"を聴いてみてください。

 


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 こんなふうにジャンル分けしがたい曲が並んでいます。また、1曲の中でも表情が変わっていくものこのバンドの特徴と言えるでしょう。

 7曲目の"Ululation"なんかは、日本のお祭り的にも通じるような、お祭り的なフレーズとコーラスが印象的です。

 あとはラストの"Be Your Lady"がいいですね。途中から電子音のリズムが入って祝祭感が強くなって、一回落ち着いてからもう1階へ祝祭へという感じで、これはいい曲ですね。

 


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平野克己『人口革命 アフリカ化する人類』

 去年の夏に出たときに読もうと思いつつも読み逃していたのですが、これは読み逃したままにしないでおいて正解でした。

 著者が2013年に出した『経済大陸アフリカ』中公新書)は、アフリカの現実から既存の開発理論に再考を迫るめっぽう面白い本でしたが、今作も人口について基本的な理論を抑えつつ、それに当てはまらないアフリカの動きを分析していくことで、未来の世界が垣間見えるような面白い本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 人口革命と人口転換
第2章 グローバル人口転換
第3章 アフリカの人口動向
第4章 人口と食糧
第5章 人口と経済 

 

 18世紀後半からイギリスで1%を上回る人口増加が持続的につづいたことが人口革命の始まりと言われています。その結果、イギリスの人口は1801年の約1600万人から1920年には約4682万人まで3倍近くになりました。

 これがアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドへの移民を生むことになります。

 これにつづくように各国で工業化とともに人口が増加する現象が見られるようになります。

 

 イギリスの人口増加は、まず出生率の増加から始まったといいます。婚姻率が上がり、女性の結婚年齢が下がって、出産頻度が上がったのです。

 日本でも医療が発展し死亡率が下がる前の1820年頃から徐々に出生率の上昇が見られます。

 

 イギリスの人口増加の背景にあるのが食糧生産力の向上です、1790年から穀物法が廃止される1845年までの小麦の平均増産年率は1.1%で、人口増加率をほぼ釣り合っています。

 食糧生産力が上がったのは18世紀前半に生まれたノーフォーク農法が普及したからです。この秋蒔き穀物(小麦)→春巻き穀物(大麦)→飼料用根菜類(カブ)→緑肥マメ科作物(クローバー)からなる四圃輪栽式耕作が効率的な農地利用を可能にしました。

 日本でも明治になって区画整理や品種改良などによる農業生産が向上し、これが人口増加を支えました。

 なお、工業化とともにイギリスはアメリカなどから、日本は朝鮮や台湾から食糧を輸入するようになります。この食糧輸入がマルサスの罠を打ち破ることになりました。

 

 イングランドでは1876年を、日本では1920年をピークに粗出生率は下がりますが、粗死亡率の低下によって人口増加は維持されます。

 人口転換が始まるまで、既婚女性は7回前後の出産が期待されていましたが、17世紀の英独では乳児のおよそ2割が失われ、女性の4割は25歳まで生きられずに出産歴を閉じたと推測されています(27p)。

 死亡率の低下によって、女性にとって危険な出産の回数を減らすことが可能になり、強く強運の人だけではなく多くの人が老年期まで生きることが想定されるようになったのです。

 

 乳幼児死亡率の背景にはボーア戦争において志願兵の3割が兵役検査で不合格になり、それに危機感を抱いた政府が母子養護キャンペーンを行ったことなどが背景にあると言われています。

 こうした中で乳幼児死亡率を引き下げるために、より丁寧な養育が推奨され、専業主婦という生き方も広がっていくことになりました。

 

 そして出生率が低下していくわけですが、先進国では人口定常状態で均衡するわけではなく、さらなる出生率の低下が起こっています。

 人口増加のサイクルが終わったあとに、どんな状況が待っているのは未だに見通せない状況なのです。

 

 では、開発途上国の人口はどのように動いたのでしょうか?

 モーリシャスは人口動態統計が19世紀から揃っている珍しい国です。モーリシャスではイギリスや日本と比べて死亡率の低下のスピードが早かったこともあり、人口増加率は1949年の4.6%をピークとして、60年代前半まで3%水準で増加しています(41p図2−1参照)。

 これは死亡率の低下と粗出生率の上昇が同時に起こったことが原因です。

 

 他の発展途上国でもこのパターンが見られます。

 死亡率の低下については公衆衛生の進展、出生率の上昇については、婚姻率の上昇(とくにラテンアメリカの)、授乳期間の短縮(とくにアジア)、性病の減少と出産後性交節制慣習の消滅(とくにサブサハラアフリカ)などの要因が指摘されていますが、これによって「人口爆発」と呼ばれる状況が生まれたのです。

 

 人口のボリュームが大きいのは中国とインドですが、中国は1959〜61年の大躍進政策による粗死亡率の急上昇、その後にそれを補うかのように現れた粗出生率の急上昇、さらに一人っ子政策による出生率の抑え込みとジェットコースターのようなグラフになっています(49p図2−2参照)。

 インドでも1952年から世界に先駆けて人口抑制策が導入されました、結果としては失敗に終わりましたが、その影響もあるのか中国とインドは移民国家を除けば性比の偏った(女性の少ない)社会になっています。

  

 こうした中でいつ人口増加が収束するのかが見通せないのがアフリカです。

 アフリカの人口増加率は1950年代から2%を割り込んだことがなく、国連の推計では2024年に中国を抜き、27年にインドを抜くとされています。2020年から2100年にかけて世界の人口は30億増えて108億人に達すると言われていますが、増分の95%、29億人はアフリカ人という予測になっています(53p)。

 ただし、これは国連人口部の予測であり、今までの予測を見ても、先進国の出生率はいずれ戻ると見て高めの予測を出しているなど、この通りになりかどうかはわかりません。

 

 そもそもアフリカでは人口がきちんと把握されていない国が多く、アフリカでは出生数の56%、死亡数の27%しか把握されておらず、特にナイジェリア、エチオピアコンゴ民主共和国といった大国できちんと把握されていません(69p表3−1参照)。

 人口センサスでも、例えばナイジェリアでは歴史的に人口センサスをめぐって混乱があり、正確な数字が出せていません。アフリカで最大の人口を抱えるナイジェリアの正確な人口がよくわからないのです。

 そのため、国連のアフリカの人口予測もかなりぶれています(76p図3−4参照)。

 

 近年、アフリカの人口動態に大きな影響を与えたのがHIV/AIDSです。20世紀中の累積で感染者のおよそ70%、死亡者のおよそ84%がアフリカ人だったと言われます(81p)。

 アフリカ各地の死亡率を見ると、1950年代から順調に低下していたものが、南部アフリカでは1990-95を底に反転しました(83p図3-7)。

 

 アフリカでHIVの感染爆発の中心となったのが売春街を抱えた大都市でした。

 アフリカでもっとも人口密度が高い大湖地域では、第一次世界大戦後にタンガニーガの宗主国がドイツからイギリスに代わりコーヒーの輸出が増えたことで富裕になりました。しかし、そこのハヤ人のコミュニティでは所得格差の拡大と婚資の高騰が起こり、若者は婚資を払えなくなり、若い女性は富裕な年長者に嫁がされるとともに厳しい労働を課せられました。

 こうした状況に耐えかねた女性たちが大都市へと逃亡し、彼女たちが性産業に従事したことで、性労働者の大集団を形成することになりました。

 

 さらにここにウガンダタンザニアの戦争、コーヒー価格の低迷などが加わって、性産業が貧困女性の受け皿になり、HIVの感染爆発を用意したのです。

 HIVの流行についてはアフリカの性道徳などが問題にされることがありますが、その裏には植民地支配を通じた社会構造の変動があったのです。

 

 21世紀になるとHIVに対する治療薬の普及で死亡率は下がっていきます。

 一方、HIVの大流行が出生率に与えた影響については議論の分かれるところですが、アフリカ南部では80年代から低下した出生率が1990-95年を底にして反転しており(95p図3-9参照)、人々は死の恐怖の中で子孫を残そうとしたとも考えられます。

 

 アフリカの人口予測の難しさとして一夫多妻制に代表される複婚の存在があります。一夫多妻制婚女性の割合を見ると、上位20カ国はすべてサブサハラ諸国であり、ブルキナファソの42.2%を筆頭に高い数値となっています(99p表3-3参照)。

 単婚に比べて一夫多妻制のもとでは各妻の出産回数は減る傾向にありますが、社会全体の出生数は多くなります。若年婚が一般化し、その結果として夫婦の年齢差が拡大して寡婦も増えますが、再婚率も高くなり、女性の婚姻率が上がるからです。

 

 アフリカでは初婚年齢が低く、調査時点で20-24歳の有配偶女性の初婚年齢を調べると、ニジェールでは18歳未満が76.3%、15歳未満が28.0%、チャドでは18歳未満が66.9%、15歳未満が29.7%となっています(101p表3-4参照)。

 結果として、サブサハラアフリカでは10代の出産割合は横ばいになっていますし(102p図3-11参照)、サブサハラアフリカ諸国の女性識字率は低迷しています(103p表3-5参照)。

 

 また、一夫多妻制の影響もあり、アフリカでは女性世帯主の割合が高いです。エスワニティ、エリトリアナミビア南アフリカなどでは女性世帯主の割合が40%を超えており(105p表3-6参照、ちなみに世界一高いのがウクライナの49.4%で出稼ぎが多いためと思われる)、これは一夫多妻の女性と子どもが別個の経済単位を構成しているためと思われます。

 

 アフリカで一夫多妻制が存続している背景にはアフリカの農業のスタイルがあるといいます。

 農地の長期休閑を前提とした移動人力耕作では、女性が日常的な農業労働の主体であり、男性は主に開墾作業に従事します。生産拡大はもっぱら追加労働力(妻とその子ども)の数に依存するので、男性にとって多くの妻は生産力拡大のために必要です。各農地は女性が管理するので女性は経済的自立性を享受できますが、大家族になると家事負担も増えるので妻は労働負担を分担できる新しい妻の参入を歓迎します。こうして一夫多妻制が維持されているというのです。

 

 アフリカでは依然として6人以上の子どもを希望する親(夫、妻双方)が多く(111p図3-12参照)、出生率が低下する徴候は見られません。国連の予測もアフリカに関しては過少であると著者は見ています。

 

 人口が増加する中で心配なのは、それを養うだけの食糧があるのかという問題です。

 1980年代まで、人口増加率を上回る穀物増産がえられていました。これは緑の革命などによって単収が改善したからです。90年代〜00年代前半は単収の伸び、耕作面積増加率とも低迷しましたが、近年は飼料需要とバイオエタノールの需要からトウモロコシの栽培が伸びており、単収も改善傾向にあります(121p図4-1参照)。

 

 穀物貿易を見ると、輸出の中心は南北アメリカオセアニアですが、近年、大きく輸出を伸ばしているのがロシアとウクライナを含むヨーロッパです。実はソ連は世界最大の穀物輸入国だったのですが、これが逆転しました。著者は「この転換はソ連崩壊が世界経済に残した最大の功績かもしれない。この転換がおこらなければ世界の小麦需要はどこかで破綻していただろう」(127pの注8)と述べています。

 

 では、アフリカはどうなのか? 穀物単収をみるとかつては同じようなレベルだった東南アジアと南アジアが緑の革命の影響などによって順調に伸びているのに対して、アフリカの穀物単収は低迷しています(138p図4-9参照)。

 では、どうやって食糧生産が増えたのかというと耕地面積の拡大によってです。多くの大陸で横ばいとなっている穀物耕作面積ですが、アフリカでは21世紀になっても増加を続けています(139p図4-10参照)。

 

 アフリカの主食は、トウモロコシ、米、小麦、ソルガム、雑穀、キャッサバ、ヤムイモとバラエティに富んでいます。トウモロコシやキャッサバは新大陸から伝わったものです。

 

 アフリカの中で、穀物単収を継続的に向上させているのがエチオピアです。他にもザンビアのトウモロコシと小麦、マリのトウモロコシも伸びていますが、エチオピア穀物全般で高い成績を収めています(149p表4-4参照)。

 1991年に軍事独裁政権が倒れたあとに政権を握ったメレスが、農業関連支出を大幅に増やし、化学肥料の大規模な投入などを行ったことがこの増産を可能にしました。メレスは「レントシーキングとパトロネージから経済活動を解放するには政府が介入しなければならない」(154p)と論じ、農村への積極的な介入で農業生産を向上させました。

 

 ザンビアの単収の向上の背景には、隣国のジンバブエで白人農場の強制収容が行われ、推定400戸の白人農家が移住してきたことがあるそうです。その結果、ザンビアの小麦とトウモロコシの生産量は伸び、ジンバブエのそれは低迷しました(157p図4-17参照)。

 

 アフリカでは稲作も伸びていますが、単収に関しては低迷傾向にあります。

 水稲は単収の向上が期待でき、実際、エジプトの稲作は日本を上回り、世界トップクラスの単収となっています(170p図4-25参照)。ただし、アフリカで水稲耕作をする時にネックになるのが水資源です。エジプトではナイル川の水に頼るしかなく、使える水の量は限られるので、水稲耕作をさらに拡大させていくのは難しいのです。

 

 アフリカの人口と食糧の状況は、世界で最も生産性が低いにもかかわらず世界でもっとも人口増加率が高いという一見すると矛盾したものですが、これを可能にしているのが食糧耕作面積の継続的な拡大です。

 先程の一夫多妻制の話も、まだ開墾できる土地があるからこそ続いているとも言えます。

 著者はGDPや都市化率ではなく、食糧生産性の向上がアフリカの人口転換の始点になるのではないかと考えています。

 

 少子化で子どもの数が減ると、一時的に人口に占める生産年齢人口の比率が高まり、経済成長に有利な状況になります。これが人口ボーナスで、日本の高度成長やバブル前後もこの条件に支えられていました(192p図5-2参照)。高度成長期は生産年齢人口の増加によって経済成長率はほぼ2%と上乗せされていたと考えられています。

 韓国も中国もこの人口ボーナスが働いており、経済成長に大きく貢献しました。

 ただし、少子化はやがて生産年齢人口の低下を招きます。いわゆる人口オーナスです。1992-2015年の日本では、経済成長率がこれによって1%割り引かれたと考えられます。

 

 一方、アフリカでは人口ボーナスがはたらきそうにありません。サブサハラアフリカの生産年齢人口比率は55%以下で停滞しています。

 日本の経済成長はアジア諸国の手本となりましたが、その裏には人口ボーナスによるブーストがあり、将来には人口オーナスによるブレーキが待っています。 

 アフリカで経済成長が起こるとしたら、それは日本やアジアのものとは違った形になるだろうと思われます。

 

 他にもたくさんの読みどころのある本で、ミクロな現場を押さえつつも、スケールの大きなマクロ的な話を進めていく議論は著者ならではのもので、文句なしに面白いですね。

 世界の人口に関する本としても、アフリカに関する本としても、そして開発経済学の本としても楽しめる本です。

 

 

今村夏子『こちらあみ子』

 映画『花束みたいな恋をした』に、人物をdisる表現として「きっと今村夏子さんのピクニックを読んでも、なにも感じないんだよ」という台詞があるのですが、それ以来ちょっと気になっていた今村夏子の作品を初めて読んでみました。

 この文庫本には表題作の「こちらあみ子」、「ピクニック」、「チズさん」の3作品が収録されています(「チズさん」は非常に短い作品)。

 

 「こちらあみ子」は「無垢」な女の子を描いていて、読ませる力はあるけど、個人的にはそんなに好きなタイプの作品ではない。

 あみ子の持っている障害が具体的にどのようなものかは作品の中では示されていないのですが、そういった人物にある種の「無垢さ」が仮託されている作品の骨格自体があまり好きではないです。ただし、個々のシーンは上手いと思います。

 

 その点、「ピクニック」は物語の中心となる七瀬さんが「無垢」という言葉に収まらない点が面白いと思う。

 ビキニ姿の女の子がローラーシューズを履いて接客するという店に、七瀬さんというやや年長の女性がやってくる。七瀬さんは腰が低く親切なんだけど、非常に不器用。ただし、人気のお笑いタレントと「運命的な出会い」をして付き合っているという。

 

 この「ピクニック」の面白さは、店の女の子たちが七瀬さんの突拍子のない行動を受け入れ、支援し、七瀬さんの世界を守ろうとしている点です。

 七瀬さんの話にはどこまでが本当なのかわからない部分があるのですが、その「幻想」をみんなで守ろうとするのです。 

 

 嘘は良くないとされていますが、ときに嘘は自分を守るために必要です。そして、その嘘を中心に大げさにいうと共同体が出来上がる、この小説はそんな話です。

 最初に戻ると、「きっと今村夏子さんのピクニックを読んでも、なにも感じないんだよ」というセリフで指摘されている人は、「人を守るための嘘」がわからない人と言えるかもしれません。

 この「ピクニック」は面白かったですね。