リン・マー『断絶』

中国が発生源の未知の病「シェン熱」が世界を襲い、感染者はゾンビ化し、死に至る。無人のニューヨークから最後に脱出した中国移民のキャンディスは、生存者のグループに拾われる……生存をかけたその旅路の果ては? 中国系米国作家が放つ、震撼のパンデミック小説!
6歳のとき中国からアメリカに移民したキャンディスは、大学卒業後にニューヨークへとやってくる。出版製作会社に職を得るも、やりがいは見出せない。だがそんな日常は、2011年に「シェン熱」が中国で発生したことで一変する。感染するとゾンビ化し、生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、有効な治療法はない。熱病はニューヨークへも押し寄せる。恋人や同僚をはじめ、人々が脱出していくなか、故郷のない彼女は、社員の去ったオフィスに残る。機能不全に陥った街には、もはや正気を失い息絶えた熱病感染者と自分しかいない―ある日、彼女はついにニューヨークを去る決心をする。そして脱出の途上で、ある生存者のグループに拾われ、安全な〈施設〉へ向かうという彼らの仲間に入れてもらうのだが、それはキャンディスにとって、新たな試練の始まりだった……。

 

 これがAmazonのページに載っているこの小説の紹介文。

 中国発の伝染病でニューヨークが無人化するなんて、まさに新型コロナウイルスの感染を受けて急遽書かれたような話にも思えますが、この小説が発表されたのは2018年です。つまり、未来を予見したような小説なのです。

 

 本書に出てくるシェン熱は、中国の深センで初めて感染が確認された伝染病で、真菌の胞子を吸い込むことで感染します。予防には屋内では換気が重要で、N95マスクをつければ感染のリスクは低減されます。

 それでも感染は広がり続け、小説の中で、アメリカは東アジアからの外国人の入国を拒否するようになっています。

 このように、本書は新型コロナウイルスによるパンデミックを思い起こさせる設定となっています。

 

 ただし、このシェン熱は、感染が進行すると生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、感染者はさながらゾンビのようです。

 そのため、この小説はパンデミック小説でありながら、同時にゾンビ小説でもあります。

 生き残った人びとと行動をともにするようになって主人公のキャンディスは、人気のない街で、店や住宅などに入って生活に必要なものを手に入れていくのですが、そこで出会うシェン熱の患者はまさにゾンビであり、本書にはホラー小説の味わいもあります。

 

 しかし、本書の読みどころはそれだけではありません。

 本書は、郝景芳『1984年に生まれて』と同じく、中国人の家庭における夫婦や世代間のギャップを扱った小説でもあります。

 主人公の父は1988年にアメリカ留学のチャンスを掴んだ中国福建省出身の人間であり、ソルトレイクシティのユタ大学に幼い娘を残して妻とともにやってきます。そして、天安門事件をテレビで見て、アメリカで生きる決意を固めます。

 一方の妻は福建省の故郷を懐かしがり、アメリカには馴染めません。

 そして、主人公のキャンディスは6歳までは福建省で祖父母に育てられていましたが、アメリカに呼び寄せられ、そこで成長し、大学を卒業してニューヨークで暮らすようになります。

 

 この故郷を離れようとする父と、故郷にとどまろうとする母の組み合わせは『1984年に生まれて』と同じであり、主人公と両親の世代間のギャップがせり出してくるのも『1984年に生まれて』と同じです。

 

 主人公はさまざまな趣向をこらした聖書を制作する仕事に就いているのですが、その聖書がつくられていくのが中国・深センの工場です。主人公は顧客の注文に応じて、ニューヨークと深センを行き来しながら、中国の工場に指示を出し、品質や納期を管理しています。

 本書は現代のグローバル・バリュー・チェーンを描いた作品でもあり、また、中国のことをあまり知らない中国系アメリカ人が中国本土で、居心地の悪い感じを覚えるところなども描いています。

 

 作者のリン・マーも1983年に中国で生まれて幼い頃に渡米し、その後一貫してアメリカで暮らすという、主人公のキャンディスとほぼ同じ経歴をたどっているのですが、本書はリン・マーのこれまでの経験が書き込まれていると考えていいでしょう。

 本書は、パンデミック小説、ゾンビ小説でありながら、同時に自伝的な小説でもあるという、めったに無いような小説なのです。

 

 最後の展開については少し走りすぎたような気もしますが、とにかくさまざまな要素がこれでもかと詰まった小説であり、作者のすべてが投入されているような作品となっています。 

 

 

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Royal Blood / Typhoons

 最近は音楽に関するアンテナが錆びついているせいか、1stのときは聴き逃していて、2ndになってようやく聴くというケースが多いですが、このRoyal Bloodにいたっては3rdになってようやくちゃんと聴くという有様。

 UKチャートの1位もとっているので、今さらこういうバンドですと紹介する必要もないのかもしれませんが、大きな特徴はボーカル&ベースとドラムの二人組みであるということ。

 ベースの音を結構歪ませていて、エレキギターのように使っている感じですね。確かDeath from Above 1979がこんな感じだったと思う(歌っているのはドラムでしたけど)。

 

 このベース+ドラムという一見するとマニアックな編成ながら、2曲目の"Oblivion"にしろ、3曲目の"Typhoons"にしろ、非常にキャッチーな曲に仕上げてあるのが、このRoyal Bloodの強みの1つなのでしょう。

 また、このような編成だと、どうしてもアルバムを通して聴くと単調になりやすいケースも多いのですが、フック的な部分が各曲に散りばめられていて、飽きさせないようになっています。

 特に6曲目の"Limbo"のアウトロとか、"Boilermaker"もベースリフ(?)もいいですね。ハードなようでいて、けっこうキャッチーなメロディもつくれるのも強みと言えるでしょう。

 

 


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ヤン・ド・フリース『勤勉革命』

 副題は「資本主義を生んだ17世紀の消費行動」。タイトルと副題を聞くと、「勤勉革命なのに消費行動?」となるかもしれません。

 「勤勉革命」という概念は、日本の歴史人口学者の速水融が提唱したものです。速水は、江戸時代の末期に、家畜ではなく人力を投入することで収穫を増やす労働集約的な農業が発展したことを、資本集約的なイギリスの産業革命と対照的なものとして「勤勉革命」と名付けました。

 本書によると、この労働時間の増大は17世紀後半のオランダにも見られるといいます。著者は、およそ1650〜1850年の時期を「長い18世紀」と呼んでいますが、この時期、世帯単位の労働時間は増えていきました。

 

 この時期のオランダで「勤勉革命」などと言うと、マックス・ウェーバーを読んだ人であれば「プロテスタンティズムの影響?」と思うかもしれませんが、著者が本書で指摘する要因はずばり「消費」です。

 この時期のオランダでは、陶器や絵画などが大量に生産されていますが、人々はそれらを家に飾るために労働時間を増やしたというのです。

 

 目次は以下の通り。

第1章 「長い一八世紀」における消費者の欲望の転換
第2章 勤勉革命の歴史的起源
第3章 勤勉革命―労働力の供給
第4章 勤勉革命―消費需要
第5章 大黒柱と内助の功
第6章 第二次勤勉革命

 

 まず、本書は「家計」というものに注目します。個人の消費や労働ではなく、世帯単位の消費や労働に注目するのです。

 西ヨーロッパでは、中世後期以降、核家族が中心で家計は小規模でした。結婚年齢は比較的高く、女性も24〜30歳くらいで結婚するのが一般的だったといいます。また、結婚しない(できない)者も多く、男女問わず10〜20%の人は結婚しなかったといいます。多くの子どもは14〜18歳くらいで親元を離れ、奉公人や徒弟として他人の家で働きました(23p)。

 結婚後は独立世帯を営むために、結婚は経済情勢に左右されましたが、奉公人生活が長くなると、女性も貯蓄の機会を得て、結婚の時にそれを持ち寄ることができるようになりました。

 核家族世帯は大家族に比べて経済的に脆弱でしたが、お金の使いみちについて年長のメンバーの許可を得ることなく、かなり自由に決めることができました。

 

 世帯は、市場で財を購入し、その財を労働やほかの資源と組み合わせることで最終消費財を生産します。ゲイリー・ベッカーはこの最終消費財を「Zコモディティ」と読んでいます。

 このZコモディティを得るやり方はいくつも考えられます。具体的なもので例えると、子どもの服であれば、妻が家で縫ってもいいかもしれませんし、妻が外で働いて得たお金で買うことも可能です(もちろん夫がしてもよい)。

 

 さらにこのZコモディティとは、具体的な「モノ」というよりは「効用」を指すので、モノの組み合わせが重要なケースもあります。例えば、イングランドでは紅茶と砂糖はセットであり、こういった組み合わせが人びとの消費と生活を変えていきました。

 こうした組み合わせはある種の流行、あるいはスタンダードを生み、それが人びとの消費を牽引していくことになります。

 

 古代から近世まで、ヨーロッパでは余暇が重視されていました。もちろん、余暇を楽しめる人は限られていましたが、経済成長はこの余暇を与えてくれはずでした。

 ところが、人びとは余暇を楽しむよりも、あくせく働いて消費を楽しむようになります。人びとは上流階級の生み出す流行を追い求めるようになっていったのです。

 

 この原点を、著者は17世紀から18世紀にかけてのオランダにみています。

 オランダでは17世紀半ばまでに700〜800人の画家が活躍するようになりました。1660年代のオランダの家庭には300万点にもおよぶ絵画が飾られていたといいます(68p)。

 これは当時のオランダの豊かさの証でもありますが、同時に一般の人々までは絵画を欲するようになり、実際に買ったということを示しています。この他にも、時計や楽器、タバコパイプ、中国製の陶器をコピーしたデルフト陶器など、「新しいラグジュアリー」とも言うべき、さまざまな商品が一般家庭に入り込んでいったのです。

 

 では、一般の人々のこれらの商品をなぜ購入できたのでしょうか?

 大量生産された模造品であっても、それなりの価格はするわけで、そのためのお金がどこから調達されたことになります。 

 ここで打ち出されるのが「勤勉革命」という考えです。前述のように「勤勉革命」は速水融が打ち出した概念で、斎藤修や杉原薫がこの概念を発展させました。

 斎藤や杉原は、江戸時代の農民世帯が、家族構成や世帯内の労働配置に気を配り、農業と賃労働を組み合わせて家族の労働力を吸い上げていったことを指摘しましたが(96p)、著者は西ヨーロッパでもこれに似たことが起きたと考えています。

 ただし、その背景にあったのは、日本や東アジアが人口増加の圧力だったのに対して、西ヨーロッパでは消費だったというのが著者の見立てです。

 

 中世及び近世のヨーロッパでは宗教的、あるいは政治的な祝日が多く、15世紀末時点で公的に規定された労働日数は250〜260日程度だったと言われています。これは週休二日制が導入された1950〜60年代と同じ水準です。つまり、働かない日がかなり多くあったのです(104p)。

 16世紀になると、宗教改革の影響もあって、この多すぎる祝日が批判されることになります。カルヴァン派はクリスマスさえカレンダーから削除しようとしたほどでした。

 こうしたこともあって、人びとの労働時間は増えていきます。ロンドンに暮らす人びとは、1750〜1830年の間に年間労働時間を40%も増加させたといいます(108p)。

 

 この時期には「プロト工業化」と呼ばれる、域外市場向けの農村家族に支えられた生産活動が進展した時期でもありました。

 このプロト工業化は、女性や児童の労働を市場向けに方向転換させることになります。主に農繁期に稼働していた労働力は、賃労働に従事することになり、「購買力と生産力がお互いを支え合うようになった」(114p、ジョオン・サークス『消費社会の誕生』からの引用)のです。

 もちろん、これには「労働せざるを得なかった」という側面もあるのですが、著者は、これを消費のための世帯単位の戦略と捉えます。

 

 確かに男性労働者の稼ぎは十分ではなく、家族を食べさせるのに精一杯といった具合でしたが、これに妻や子どもの賃労働が加わると事情は少し変わってきます。

 1787〜1865年におけるイングランドの肉体労働者の家計の研究によると、1830年代にいたるまで家計における妻と子どもの貢献度はおよそ25%から40%以上に上昇していったといいます(124p)。この数値はこれ以降下がり、成人男性の賃金が上昇した1860年代になると顕著に下がるわけですが、19世紀前半までは妻や子どもの収入が家計にとって非常に重要だったのです。

 

 こうして家計にもたらされたお金はさまざまな奢侈品の消費に向かったと考えられます。

 家の中を快適にしようとする試みは17世紀中頃のオランダで始まり、イギリスやフランスへと広がっていきました。照明器具や鏡、整理ダンスやクローゼットなどが導入され、家の中が飾られていきます。

 衣服も厚ぼったい毛織物から、リネンや綿のものへと変わってき、木製や錫と鉛の合金であるピューター製の皿は陶磁器へと変わっていきました。

 陶磁器は、まず中国でつくられたものがオランダ東インド会社によって持ち込まれ、18世紀末までに7000万個以上の陶磁器が中国や日本から持ち込まれたと考えられています。

 この陶磁器の生産はヨーロッパでも試みられ、17世紀にはデルフト陶器が成功し、さらに18世紀後半にはイギリスのウェッジウッドが成功を収めます。

 そして、デルフト陶器は農民の間などでも使われるようになっていきます。

 

 また、綿製品は、産業革命を牽引していくわけですが、著者は生産技術の革新だけでなく、需要の増加にも目を配るべきだといいます。蒸気機関の発明の前に、水力などをつかった紡績機の登場があるわけでsが、それを準備したのは旺盛な需要のはずなのです。

 人びとは衣類や繊維製品を買うようになり、同時に女性は衣類産業や小売業に従事するようになりました。17世紀後半、フランスでは男女の衣類への支出額はほぼ変わらなかったといいますが、18世紀後半になると男性のそれよりも2.6倍増加し、手工業者や店主の妻は夫の2倍の金額を服につぎ込んでいたといいます(161−162p)。

 

 また、興味深いのはこの時期に広まった嗜好品の多くが、アジアや新大陸からもたらされたものであるという点です。

 まず、中国から茶が持ち込まれ、紅茶と砂糖という組み合わせが発見されることで、茶と西インド諸島や新大陸から輸入された砂糖の消費量は爆発的に伸びました。

 コーヒーも最初はイエメンからほそぼそと輸入されていましたが、オランダ領のジャワや西インド諸島で栽培されるようになって消費量が増えていきます。

 他にもタバコやラム酒が新大陸から輸入されましたし、アジアからは陶器やシルク、綿織物などがもたらされました。

 それまでは非ヨーロッパ圏からもたらされるものは香辛料などの新奇で高価な商品が中心でしたが、18世紀後半になると、庶民が消費するものに変化していくのです。

 そして、人びとは決して余裕がない中でも、こうした嗜好品を消費していました。フレデリックモートン・イーデンの研究によれば、18世紀末においてイングランドの貧困家庭はその収入の11%以上を砂糖や糖蜜、茶の購入にあてていたとのことです(199p)。

 

 しかし、この家族の働き方は、19世紀半ばになると「大黒柱と内助の功」という男女で役割分担をする形に変わっていきます。

 この時期に関しては、産業革命の進展とともに労働者の生活は悲惨になっていったと捉えられがちですが、イギリスなどで19世紀後半になると死亡率の低下が顕著になります。衛生環境が改善されていったのです。

 また、19世紀後半になると、家計における住宅費の割合が増加するとともに住環境の改善が見られるようになります。水道やガスコンロなども普及し始め、家内使用人の需要も増加していきます。

 

 そして、この時期に「大黒柱と内助の功」というモデルも浸透していくことになります。

 このモデルに関しては、女性を家庭という「私的領域」に押し込め発言権を奪うものだと否定的に見られることも多いですが、著者はこれを家族の利益のために選び取られたモデルであると考えています。

 

 女性の就労率は19世紀なかば以降に落ち込みます。1841〜45年にかけて60%を超えていた成人女性の就労率は、その後の20年間で45%にまで落ち込みます(231p)。

 ただし、詳しく見てみると、これは既婚女性の就労率が落ち込んだためで、少女や未婚女性の就労率は20世紀初頭まで上昇し続けています(238p)。女性一般が賃労働から追い出されたと言うよりは、既婚女性が退出したと言えるのです。

 

 ベルギーの労働者家族に関する研究によると、1853年の段階で世帯の収入の夫が51.5%、妻が10.1%、子どもが22.4%、その他が15.8%となっていますが、1891年では夫が65.6%、妻が1.2%、子どもが31.4%、その他が1.8%となっています(242p表5.2参照)。

 他の西ヨーロッパの地域でも夫の扶養者としての役割が強まる傾向が見られますが、同時に注目すべきは妻の賃労働が減るに連れ、子どもの就労が増えていることです。

 1889〜90年のアメリカとヨーロッパにおける工場労働者の年齢別のデータを見ると、20〜30代は夫が家計の収入の90%近くを稼ぎ出している一方、40代以降になると、子どもがもたらす収入が25〜40%程度になっていきます(247p図5.3a、図5.3b参照)。

 夫が唯一の大黒柱である時期は一定基幹にすぎず、子どもの稼ぎが世帯の収入を左右したのです。

 

 こうなると、子どもを家庭に結びつけておくことが経済的に重要になります。子どもが早期の結婚を目指してすぐに自立してしまっては困るのです。

 本書は、ここで子どもをつなぎとめるための絆として注目するのが家庭を取り仕切る妻の存在です。妻は子どもたちを世話するとともに、彼らがもたらす収入を管理し(特に娘の収入は世帯経済に統合される傾向が強かった(251p))、世帯における「強力な統合システム」(254p)を作り出したのです。

 

 アメリカでは1830年代が、イギリスでは1870年代後半がアルコール消費量のピークでした。18世紀の勤勉革命によって収入を増やした世帯でしたが、同時にその収入は成人男性のアルコール消費に消えていくことになりました。

 著者は、こうした状況への1つの対処として「大黒柱と内助の功」モデルを見ています。妻が夫の収入を含めた世帯全体の収入を管理し、男性の破滅的な消費の悪影響を食い止めたというわけです。

 

 最後の第6章は「第二次勤勉革命」となっていますが、これは20世紀後半以降の「大黒柱と内助の功」モデルが変質していく過程になります。

 20世紀後半になって、基本的に週あたりの労働時間は減少傾向になりました。ヨーロッパの多くの国では1995年の年間労働時間は1960年代と比べて20〜25%減ったといいます(272p)。  

 このように男性の労働時間は減少しましたが、その代わりに増加したのが女性の労働です。1960年に26%だったオランダの女性(15〜64歳)の就業率は1999年には64%にまで増加しました(同じ時期、イギリスは49%→68%、アメリカは40%→74%(275p表6.1参照)。特に急上昇したのが既婚女性の就業率です(276p図6.1参照)。

 女性は再び賃労働に参加するようになり、「大黒柱と内助の功」モデルは消えつつあるのです。

 

 また、子どもに関しても、中等教育と高等教育への就学率が上昇しているにもかかわらず、10代の就業率と就業時間の平均は伸びつつあります。

 もちろん、以前のように子どもたちの収入が世帯の収入へと統合されることは減っているのでしょうが、「大黒柱と内助の功」モデルから「複数稼得者世帯」へと変化することで、世帯単位の総労働時間は増加しつつあるのです。

 

 子どもたちの収入は衣服やアルコールや音楽などに回され、共働きとなった世帯では外食への支出が増加します。そして、衣服代に関しても再び女性向けの支出が増えつつあります。イギリスでは1953年の段階で衣服に対する女性の支出額は男性を25%程度上回っているにすぎませんでしたが、1991年には72%上回るまでに増加しました。

 ちょうど18世紀の勤勉革命のときに起こったことと同じような事が起きているのです。

 もちろん、少子化の進行など、18世紀とはさまざまな条件が違いますが、新たな消費欲求の登場が再び世帯のあり方を変えたのかもしれません。

 

 このように本書は18世紀の「勤勉革命」を中心的なテーマとしつつも、そこから現在にいたるまでの「家族の経済の歴史」とも言える内容になっています。

 この変化を捉えるのに速水融が唱えた「勤勉革命」を中心に据えることが適当なのかどうかは判断が付きかねるところもありますが、「世帯」単位で人びとの戦略を読み解いていく様子は非常に面白く、自らの欲望と社会の変化に合わせてその姿を変えていく家族の姿は思っていたよりも柔軟で主体的です。

 また、「なぜ産業革命が起こったのか?」、「大航海時代以降のグローバル化はヨーロッパの庶民にどんな影響を与えたのか?」といった疑問にも、新たな答えを用意していくれる本と言えるでしょう。

 

呉明益『複眼人』

 『歩道橋の魔術師』や『自転車泥棒』などの著作で知られる台湾の作家・呉明益の長編小説。

 2011年に刊行され、世界14カ国で翻訳された呉明益の出世作とも言うべきもので、2015年に出版された『自転車泥棒』よりも前の作品になります。

 

 帯にはアーシュラ・K・ル=グィンによる「こんな小説は読んだことがない。かつて一度も」という言葉と、「台湾的神話×ディストピア×自然科学×ファンタジー」という文句があって、何やら想像もつかないような話が待っているような気もしますが、意外と日本のサブカルチャーの生み出す話に近いものがあるので、日本の読者には比較的受け入れやすい話なのではないでしょうか。

 ネットでも同じ感想を目にしましたけど、個人的に思い出したのは五十嵐大介原作のアニメ映画『海獣の子供』。マンガの原作は読んでいないために、マンガとの細かい類似は語れませんが、神話的な世界からやってきた少年と文明圏に属する女性との出会い、ダイナミックな自然描写、神話的な出来事と個人のトラウマとのリンクなど、共通点はいろいろあると思います。

 ただし、その神話的な少年との出会いがゴミの島と台湾との衝突であるという点はこの小説の斬新な所です。

 

 ワヨワヨ島という、昔ながらの生活を維持している島に住む少年アトレは、次男以下は島を出なければならないという島の掟に従って小さな船で大洋に漕ぎ出し、文明世界に住む人々が捨てたゴミが集まってできたゴミの島に漂着します。

 一方、台湾の大学で文学を研究しているアリスは、デンマーク人の夫のトムと息子のトトを山の事故で失い、生きる気力を失っています。

 小説の前半では、文字をもたずにさまざまな伝承や野性的な勘で生き延びていくアトレと、文学という文字が生み出したものに人生を捧げ、現在は希望を失っているアリスが交互に語られていきます。

 

 このあたりはやや図式的な感じもありますが、この小説では台湾の原住民の布農人で山岳ガイドでもあるダフ、阿美人で居酒屋を開いているハファイ、トンネル技師のデトレフ、その恋人でエコロジストのサラといった人物が登場し、文明と自然の関係をより多角的に描き出しています。

 そして、タイトルにもなっている複眼人。昆虫のようにたくさんの眼を持った存在がこの小説の謎を引っ張り、最後には人間が「記憶すること」「書くこと」といったものを問い直します。

 なかなか簡単には語りきれない豊富な要素を含んだ小説です。

 

 ただ、最初にも述べたように日本のサブカルチャーではみかける想像力ではあると思うので、欧米の読者にとってはともかく、日本の読者にとっては『歩道橋の魔術師』や『自転車泥棒』の方が呉明益の突出した才能を感じられるかもしれません。

 

 

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London Grammar / Californian Soil

 イギリスのバンドLondon Grammarのおそらく3rdアルバム。1stの「If You Wait」(2014)は聴いていたけど、前作は聴いていなかったので、ちゃんと聴くのはやや久々です。

 London Grammarは女性ボーカルに男性2人というバンドで、女性ボーカルのHannah Reidのやや陰りを帯びたような歌声が特徴なのですが、その声も含めて、基本的には1stの路線が続いている感じです。

 

 曲調もドラマチックに盛り上げていく感じなんですけど、それがうまくいっているのが3曲目の"Lose Your Head"。Hannahのボーカルと曲調が双方ともややダークな感じでマッチしていて、それが曲にドラマチックさを与えています。

 また、Hannahのボーカルの伸びを上手く生かしているのが次の"Lord It's A Feeling"。つづく"How Does It Feel"はLondon Grammarにしては、ややアップテンポの曲ですが、ここでもHannahの声質がうまいアクセントになっていると思います。この3曲の並ぶの部分はいいですね。

 

 ただ、アルバム全体を通して聴くと、やや一本調子なところもある。このあたりは少し似たテイストのFlorence and the Machineあたりを思い起こさせます。

 ただ、個人的には1stの「If You Wait」よりも良いのではないかと思います。

 


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山尾大『紛争のインパクトをはかる』

 タイトルからは何の本かわからないかもしれませんが、副題の「世論調査と計量テキスト分析からみるイラクの国家と国民の再編」を見れば、ISの台頭など、紛争が続いたイラクの状況について計量的なアプローチをしている本なのだと想像がつきます。

 近年の政治学では、こうした計量的なアプローチがさかんに行われており、イラクのような紛争地域に対してもそうした研究が行われることに不思議はないのですが、実は著者は計量分析を専門にしている人ではなく、本書は紛争の激しいイラクでなかなか現地調査を行えないことから生まれた苦肉のアプローチなのです。

 

 しかし、その苦肉の策から見えてくるのは、イラクの意外な姿です。

 「イラクでは国家が信用を失い、代わって宗教指導者や部族長が人びとを導いている」、あるいは、「宗派対立が激しく、イラクという国はシーア派スンニ派クルド人の住む地域で分割したほうが良い」といったイメージを持つ人もいるかもしれませんが、本書の調査ではそれがはっきりと否定されています。

 人びとは首相や議会と同じく宗教指導者や部族長も信頼していない一方で、イラクナショナリズムは意外にも人々の間に広がっています。

 先日紹介した、中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』はデータによってわかりやすい「ストーリー」を否定する本でしたが、本書もまた、イラクに関するわかりやすい「ストーリー」を否定する内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

序 章 紛争の影響を分析する
第1章 国家建設の蹉跌と非国家アクターの台頭

第2章 政治不信・強いナショナリズム・国家への期待

第3章 国民統合の政策とその変化
    ──新旧学校教科書の比較分析から──

第4章 対立が扇動されるとき
    ──政党支持構造から宗派対立のサイクルを描き出す──

第5章 IS は国民の分断を促進したのか
    ──旧バアス党勢力との和解への支持から紛争のインパクトを描き出す──

第6章 宗派主義の強さをはかる
    ──計量テキスト分析でIS のインパクトを描き出す──

終 章 紛争が再編する国家と国民

 

 まず、本書の第1章ではイラク戦争終結後から現在に至るまでのイラクの政治情勢が概観されています。

 フセイン政権を打倒したアメリカは新しいイラク国家の建設に着手しますが、このとき、旧支配層のバアス党の関係者を大規模に排除する政策をとりました。

 約30万人の旧党員が公職から追放され、国軍や警察などの治安機関も解体しました。これは約35万人の失業者を生み出したと言われています。

 一方、政権の中枢に起用されたのは亡命エリートたちでした。

 

 これが反米闘争を生み出します。旧バアス党勢力が根拠地としたファッルージャに米軍が進行しますが、こうした中で、ファッルージャをはじめとするアンバール県で多数を占め、旧体制でも支配層の多くを占めたスンナ派の反米姿勢が強まります。

 2005年の1月に制憲議会選挙が行われることになりますが、シーア派の亡命エリートたちは国内に支持基盤を持たなかったために、選挙で頼りになったのは国内で反対生活王をしていたシーア派の現地勢力(サドル派)であり、スィースターニーなどの宗教指導者でした。

 スンナ派に関しては、フセイン政権下でスンナ派を組織化する必要がなかったため、目立った組織は存在しませんでした。

 その結果、制憲議会選挙ではシーア派イスラーム主義連合が圧勝します。そして、宗派対立も徐々に顕在化していくことになりました。

 

 この対立は暴力へと発展していきますが、これに歯止めをかけたのが2006年にスタートしたマーリキー政権でした。

 マーリキーは治安の回復に力を入れ、中央集権化を進めつつ、シーア派民兵組織にも取り締まりを強めました。これによってサドル派との関係は悪化しますが、シーア派出身ながらシーア派民兵組織を取り締まったことはマーリキーをイラク国民の指導者へと押し上げます。

 しかし、2010年の議会選挙で反マーリキー派が連合して第一党となると、マーリキーの求心力も下がり、その隙を突いてISが台頭します。

 

 2014年6月にはイラク第2の都市モスルがあっさりと陥落します。この背景には旧体制の軍人がISを支援したことがありました。

 無力化した軍に代わって、シーア派民兵組織が動員されてISとの戦闘を行います。これらの組織は「人民動員隊」として統合されていきますが、この人民動員隊を支えていたのはイランでした。2020年の1月に米軍により暗殺されたソレイマーニーは、何度もイラクに入って軍事支援を行っていたと見られています。

 

 このようにイラクが混乱した背景には、行政機構が機能しなかったという問題があります。もともとイラク産油国のために徴税がほとんど必要なく、もともと効率的な御製機構は存在しませんでした。

 さらに旧バアス党員を追放したこともあって、軍や警察といった治安機関も機能しなくなり、治安が悪化し、暴動も頻発。政府はますます機能不全になるという悪循環に陥りました。

 そうした中で、自警団がつくられ、部族や宗教指導者などの非国家アクターが影響力を持つようになっていったのです。

 

 こうして、政府への信頼が失われ、非国家アクターへの信頼が高まったということになりそうなのですが、データを見ると実は違うのです(第2章)。

 調査は2017年と2019年に行われていますが(本書ではイラクのような国での世論調査の難しさにも触れられており、先進国のように精度の高いものとは言えない)、首相、政党への信頼はいずれも低いです。シーア派から首相が出ているにもかかわらずシーア派住民の首相への信頼は低いですし、2017年の調査ではシーア派住民の8割以上が政党を「まったく信頼しない」と答えています(66p図2−1、67p図2−2参照)。

 アラブ・バロメーターという世論調査を見ても、2018−19年の調査では中央政府について「まったく信頼しない」と答えたのが6割以上、議会は7割以上、政党は8割以上という惨憺たる数値になっています(68p図2−3参照)。

 

 ところが、非国家アクターも実は信頼されていないのです。部族長に対する信頼も低く、2019年の調査で「信頼しない」「まったく信頼しない」の合計はシーア派で5割近く、スンナ派で55%程度です(73p図2−8参照)。

 宗教指導者に関しても、スィースターニーをいただくシーア派でも「とても信頼する」「信頼する」の合計は2019年の調査で4割程度なのです(74p図2−9参照)。

 ISの撃退に力を発揮した人民動員隊に関しても、例えば、「強盗に襲われた場合に相談する相手」を聞いた調査(2017年)では、まったく期待されていませんし(75p図2−10参照)、そもそもシーア派であってもイランの介入に対する反発は強くなっています(77p図2−12参照)。

 

 そして、意外にもイラク国民主義への支持は、クルド人こそやや低めですが、シーア派スンナ派ともに「強く支持する」「支持する」で9割を大きく超えるなど、非常に高いものがあります(79p図2−15参照)。

 国境線の変更に関しても、クルド人以外は否定的であり(81p図2−17参照、クルド人でも国境線の同意に変更しているのは3割程度)、イラクという国家の分割に関しては、イラク国民はそれは望んでいないと言えます。

 確かに、イラクの国民は中央政府への信頼を失っている状況なのですが、それはある意味で「イラクという国家」への期待が高い裏返しでもある可能性があり、イラクという国家は崩壊に向かっているわけではないのです。

 

 第3章では、イラクナショナリズムについて、教科書から分析するという面白いアプローチがとられています。

 イラクではフセイン政権下とフセイン政権崩壊後で教科書が大きく変わりました。

 フセイン政権下では、イラクのネイションのプライドとして古代メソポタミア文明とともに、イスラーム軍がササン朝ペルシアに勝利したカーディスィーヤの戦い(637年頃)が重視され、イラン・イラク戦争が「第2のカーディスィーヤの戦い」であると位置づけられました。ペルシャ人(イラン)を敵とすることで、国家の求心力を高めようと考えたのです。

 

 フセイン政権崩壊後の教科書でも古代メソポタミア文明との歴史的連続性は強調されていますが、イランを敵視する記述はなくなり、代わって「民主主義と自由を取り戻したイラク」というあり方が打ち出されています。

 外野から見ていると、民主主義と自由をはイラク人が勝ち取ったというよりはアメリカから与えられたもののようにも思えるのですが、これが若年層には比較的受け入れられえおり、古代文明の発祥地であることに誇りを感じている中高年と相まって(114p図3−4参照)、イラクのネーションプライドを支えてるのです。

 

 では、イラクを語るときによく言われる宗派対立の実態はどのようなものなのでしょうか?

 イラクの宗派対立は本質的なもので、フセインのような独裁者がいなければすぐに表面化するという見方もあれば、政治的な要因によってそれが煽られているとの見方もあります。

 本書の第4章では、選挙が宗派対立を促進させるのではないか? という仮説に基づいて分析を行っています。

 

 予想通りではありますが、選挙期間前になると宗派による政党支持は強まります。シーア派の人はシーア派の主要政党を、スンナ派の人はスンナ派の主要政党を支持しやすくなるわけです(128p図4−1参照)。

 一方、興味深いのは選挙期のない選挙間期には宗派にかかわらず「投票しない」と答える層がかなり多い点です(130p図4−2参照)。これは単純に選挙が目前に迫っていないからだとも言えますが、同時に選挙が遠のくと宗派主義的な動員が薄れ、政治家の腐敗などもあって政治不信が高まるからだと考えられます。

 本章では主要政党の支持理由も分析していますが、その理由は選挙間期においては多様であり、選挙が終わると宗派主義が冷却される様子が見て取れます。

 

 第5章ではISのもたらしたインパクトが分析されています。ISはシーア派を強く敵視しており、また、モスルの攻略にあたっては旧バアス党勢力が手を貸したことから、ISは宗派による分断を加速させたと考えられます。

 本章では旧バアス党政策への評価(包摂か排除か)への評価などを分析しながら、ISのインパクトについて測ろうとしています。

 

 まず、ISによる紛争の被害が大きい地域ほど、旧バアス党勢力との和解を「まったく重要でない」と答える割合が、シーア派でも非シーア派でも高くなっています(159p図5−1参照)。

 また、シーア派スンナ派を比較すると、旧バアス党勢力との和解に関してシーア派の方が否定的です。さらにクルド人の方がより否定的なのですが、これはフセイン政権によって弾圧された過去が影響しているのかもしれません。

 

 ところが、興味深いのは時系列で見ると、ISの影響が強かった2016年においてはスンナ派で旧バアス党勢力との和解を「とても重要」と考える確率が高かった(シーア派は低かった)のに対して、ISの影響が弱まった2017年の調査では、スンナ派シーア派も「とても重要」と考える確率がほぼ同じ水準になっていることです(162p図5−4参照)。

 これはISの影響が強まった時期は、スンナ派の人は「IS=旧バアス党=スンナ派」という図式がつくられるのを恐れたのに対して、ISの影響が弱まると、シーア派の人もイラクの国家としての統合を重視するようになったからだと思われます。

 

 第6章では、ISのインパクトをイラクの主要新聞の計量テキスト分析によって測ろうとしています。

 この分析については、イラクの新聞というものがどのようなもので、どのくらいの人に読まれているのかということが実感として掴めないために、分析がどの程度イラクの世論を反映しているのか判断しかねるところもあるのですが、著者が計量テキスト分析に通じている人ではないこともあって、分析のやり方が詳述されており、どんな分析を行ったのかということはよくわかります。

 

 分析の結果、ISによる国内の犠牲者が増えると、宗派主義的な報道が増えるという傾向が見られますが(189p図6−9参照)、全体的にはIS台頭後に各新聞とも宗派主義を抑えていくような傾向が見られます(190p図6−10参照)。

 これは、ISの台頭がイラク国家の危機として認識され、これ以上の分断を回避するために、和解や国民統合を重視する報道に変わったからではないかと考えられます。

 世論調査を見ても、2011年よりもISが台頭した2016年、そしてISの影響力が弱まった2017年の方が国民統合の重要性への支持が高まっています(195p表6−5参照)。

 

 こうした分析を踏まえて、終章ではイラク国民の持つ矛盾した意識として、「国家に対する信頼と期待の歪み」、「政治不信と強いナショナリズム」、「紛争が強化する国民意識」の3つをあげています。

 人びとは現実の政治にはうんざりしながらも、イラク人という意識や国家への期待には確固たるものがあり、さらに度重なる紛争がイラク国家の重要性を人びとに認識させ、それがイラクナショナリズムを醸成している面もあるのです。

 

 このように本書は、今までのイラク観を更新していくるものとなっています。

 イラクというと、サイクス・ピコ協定で線が引かれた人工的な国家で、安定には国境の引き直しが必要だといった考えも聞いていましたし、それにある程度の説得力もあるのかと思っていましたが、本書を読むと、曲がりなりにも積み重ねられてきたイラクという国家とイラク人という意識は思いのほか強いものだということがわかります。

 最初にも述べたようにわかりやすい「ストーリー」をデータで否定してくれる本であり、また、現地調査ができない地域へのアプローチの仕方を教えてくれる本とも言えるでしょう。

 

 

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』

 カズオ・イシグロノーベル文学賞受賞後の作品。読み始めたときは、「どうなんだろう?」という感じもあったのですが、ストーリーが進むにつれてどんどんと面白くなりますね。

 ただ、この本を紹介しようとすると少し難しい点もあって、それはこの作品が『わたしを離さないで』や『わたしたちが孤児だったころ』と同じくミステリーの要素を濃厚に持った作品で、できるだけ先の展開を知らないで読んだほうが面白いからです。

 というわけで、「あとは読んでください」でもいいのかもしれませんが、いくつか本書の特徴を書いておきたいと思います。

 

 本書のテーマはAIであり、AF(人工親友)と呼ばれる、子どもの話し相手となるロボットAIのクララが主人公となります。舞台は現代とあまり変わらない世界であるようにも見えますが、いくつかの技術や状況から近未来であることがうかがえます。

 ですから、本作はSFといってもいいのですが、一般的なSFとの違いは、この小説では技術や世界の説明をほぼ行わないことです。

 「AF」以外にも「クーティングズ・マシン」、「向上措置」といったものが出てきますが、その説明はほぼありません。クララを選んだジョジーの父親の様子などから、世界でいろいろな問題が起きていそうなのですが、それも説明されません。

 

 そして、何と言ってもクララがAIでありながらネットワーク化されていない点が、ここ最近のAIを扱った作品との最大の違いと言えると思います。

 クララは観察眼に優れた献身的なAIですが、ネットワーク化されていないため、常に自分の見たことを聞いたことから他人の行動や感情を理解し、自分がどのように振る舞うべきかを決めています。

 もしクララがネットワーク化されていれば、問題が起こるたびにネットにアクセスして知識を取得して、データベースを参照しながら判断をしてくことができるわけですが、独立型のAIであるクララは常に自分の観察をもとにして判断を下していくしかなく、通常のAIが持つような完璧な合理性を備えているとは言えません。

 

 しかし、このネットにアクセスできずに手持ちの材料で考えるしかないという設定がクララに人間味を与えています。

 物語の中盤以降、クララはある考えに固執することになるのですが、それはネットワーク化されていては決して起きない現象であり、同時に非常に人間臭い行動でもあるのです。

 

 読んだ印象としては『わたしを離さないで』に近いと思ったので、『わたしを離さないで』が面白かった人にはお薦めできます。