村田沙耶香『コンビニ人間』

 本当に今更という感じで読んだのですが、この小説は文体がすおくいいですね。

 マニュアルによって規定されているコンビニに過剰適応した36歳の独身女性の古倉恵子が主人公で、設定自体は思いつきそうですが、それをこういった作品にまで仕上げる腕はさすがだと思います。

 

 古倉恵子は子ども時代からみんなの中でどう振る舞っていいかわからず浮いていた人物なのですが、コンビニでマニュアル通りに動くことで居場所を見つけます。

 さらに同僚の行動や口調や服装などを真似することで、「普通」の人間を演じようとするわけです。

 

 この主人公の努力は、悲劇的にも描けるとは思いますが、本作では主人公にとって必然的なものとして、変に外部からの批評的な視点を入れないで描きます。

 途中で、白羽くんという男性が現れて主人公にあれこれと文句をつけるわけですが、彼のあり方やロジックというものがあまりにも稚拙なために、主人公を批評する力を持ちません。

 

 主人公の行動は戯画的でもありますが、それが貫き通されるために、むしろ現実の社会が戯画なのだということが示されます。

 そして、戯画的であるがゆえに読んでいて面白さもあるわけです。

 主人公、そしてそれを書く作者のブレなさが効いていると思います。

 

 

木山幸輔『人権の哲学』

 本書の書き出しは次のようなものです。

 

 本書の目的は、人権に確定性を与えつつ、当該概念を適切に正当化する、そうした構想を提示することにある。より具体的にいえば、本書の目的は、人権の適切な構想として自然本性的構想、なかんずく二元的理論と本書が呼ぶ構想を提示すること、そしてその示唆を考察することにある。(1p)

 

 なかなか難しい書き出しですね。

 ここ最近、政治哲学について本をあまり読んできませんでしたし、本書の前半がロールズやラズなどの人権についての考えに対して批判を行うという形になっているため、ロールズやラズの考えをきちんと把握していない者にとってはなかなか理解しにくい面もあるのですが、非常に興味深い本であることは確かです。

 

 目次は以下の通り。

第1章 人権の哲学:その文脈と2つの構想

第2章 政治的構想の主要理論は擁護されるか(1):ロールズの場合

第3章 政治的構想の主要理論は擁護されるか(2):ラズの場合

第4章 政治的構想の主要理論は擁護されるか(3):影響力ある諸議論の概括的検討

第5章 自然本性的構想への批判に応答する:ベイツによる批判への応答

第6章 擁護されるべき自然本性的構想:二元論、一元論でも多元論でもなく

第7章 社会経済的権利は人権でありうるか

第8章 デモクラシーへの権利は人権でありうるか

第9章 人権と国際的関係

第10章 開発・援助構想に対する評価:人権の哲学による示唆を参照軸として

結語:本書がしたこと

 

 例えば、本書の6pには、ルームシェアしているあなたの友人があなたが大切にしまっておいたウイスキーを勝手に飲んでしまったのを「人権侵害」と言えるか? という話が出てきます。

 所有権は間違いなく人権の一部であり、本件ではそれが侵害されているわけですが、これを「人権侵害」だと呼ぶことに違和感を感じる人も多いでしょう。

 このように「人権」とは誰もが知っていて、大切なものだと習う言葉でありながら、それが何を指すのかについてはやや曖昧なところもあります。

 

 そして、この人権に関しては、その捉え方として「自然本性的構想」と「政治的構想」の2つがあります。この2つの考えの違いは以下のようなものです。

 自然本性的構想は、全ての人間が、単にその人間性(humanity)によって保持する権利として人権を捉える。他方の政治的構想は、人権が単に人間性によって保持されるという想定を否定しつつ、人権は、それが果たす政治的役割から理解され、構想されねばならないとする。(10p)

 

 政治的構想の立場からすると、例えば、「教育を受ける権利」といったものは一定の教育制度が整った場合に意味を成すもので、無文字文化で暮らすような人々には適用されないものになりますし、自然本性的構想のもとでは、無文字文化で暮らす人々にもやはり何らかの権利があるということになります。

 本書において著者が擁護するのは自然本性的構想です。

   

 これを受けて、本書では第2章でJ・ロールズ、第3章でJ・ラズ、第4章ではその他諸々の理論家の、政治的構想をとる人々の考えを批判し、第5章ではC・ベイツの自然本性的構想に対する批判に反論しています。

 ロールズの「人権が弁別的に果たす機能は、主権制約(干渉の正当化)の機能である」(22p)といった議論も興味深いものではありますが、著者の立場や、政治的構想と自然本性的構想の対立点を理解するには第5章の議論がわかりやすいと思うので、ここでは第5章の議論を紹介します。

 

 ベイツは人権の自然本性的構想を以下のように定式化しています。

 人権は、全ての人間に(全ての時間と全ての場所において)、単にその人間性(humanity)ゆえに保持される諸権利である。(92p)

 

 ベイツはこうした自然本性的構想を批判するわけですが、わかりやすい論点の1つは前制度性への批判です。

 自然本性的構想では人権は制度などを抜きにして理解可能だということになります。これはロックが主張する自然状態での権利などについては当てはまりますが、世界人権宣言にある「公平な裁判所による審理への権利」「(初等)教育を受ける権利」などは説明できないというのがベイツの主張です。

 ベイツによれば、自然本性的構想をとれば、人権は世界人権宣言などで定められたものよりも少なくなってしまう。あるいは、抽象的な形で定めるしかなくなってしまい常に社会状況への参照が必要になります。こうなると自然本性的構想の売りである「自然さ」が失われてしまうというのです。

 

 これに対して著者は、世界人権宣言などで掲げられたリストと人権が必ずしも対応している必要がないこと、抽象的な権利から多くの具体的権利を示しうることなどをあげて反論しています。

 例えば、後者についてはアマゾンのヤノマミ社会のような無文字文化において初等教育制度は存在しません。それでも、生き延びるための「知識への権利」は想定することができ、これが多くの国では「初等教育の権利」に、あるいは先進国などでは「中等教育の権利」にまで拡張できるというのです。

 

 ベイツは「「人権宣言の起草者たちが、古代ギリシャ人や、清王朝における中国、あるいは中世ヨーロッパ社会に、人権の教説を適用するよう意図したわけではなかったということ」は明らかである」(108p)と述べ、さらに未来においては新しい技術の登場や社会の変化において新たな人権が要請される可能性があるため、人権の「全時空性」は保持されないと批判しています。

 

 これに対して著者は、やはり古代人や原始人が持つような権利も抽象的な権利から導き出すことができると反論しています。

 例えば、世界人権宣言の23条には「すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する」というものがあり、これは近代以降の社会にしか当てはまらないものですが、これを抽象的な「地位の承認」といった概念で考えれば、石器時代でも社会集団内での共同作業に参加できる権利のような形で考えることができるわけです。

 また、「ヘルス・ケアへの権利」のようなものを想定すれば、例えば、将来的には人工臓器へのアクセスなども含んでいくことが可能です。

 

 ベイツはさらに自然本性的構想のもとでは、外部からの介入の基準としての人権の役割が果たしにくいという批判もしていますが、ここはあんまりピンとこない議論なので割愛します。

 

 では、自然本性的構想とはどのようなものなのか? それが展開されているんが第6章です。ここで著者はJ・グリフィンの考えを紹介し、それを修正しています。

 グリフィンによると人権の基礎をなすのは次の3つの考えです。

 第1に「自らの道を人生を通じて選ぶ ー つまり誰かあるいは何か他のものによって支配されたりコントロールされたりしない」という意味での「自律(autonomy)」、第2に、他者により「その人が価値ある生と見るものを追求するのを強制的に制止」されないこととしての「自由(liberty)」、第3に、選択をし、それを追求することを可能ならしめる資源とそれがもたらすケイパビリティの「最小限の備え(minimal provision)である。(138−139p)

 

 この3つの基礎的な考えが、それぞれの時代や社会の状況と参照されることによって具体的な権利として体現されるというのです。

 このグリフィンの考えは「自律」と「自由」という2つの価値が参照されていますが、一般的には「自律」を軸とした「一元論」と言われています。

 

 これに対して著者は「自律」だけではなく「平等」も基礎とする「二元論」を主張します。

 

 グリフィンはこの平等に関して、例えば、少額のバスのキセル乗車は他の乗客の平等な負担を無視するものですが、それは人権を侵害しているとまでは言えない「些末」なことであり、大学の入学試験などにあるように誰かを「劣った」者として扱うことが常に問題というわけではないと主張します。

 さらに女性参政権がないといった問題は「自律」の観点からも問題視できるし、平等それだけは価値にならないといったことを指摘しています。 

 

 一方、著者は「平等」を基礎とすることの利点として次のようなものをあげています。

 まず、「平等」を基礎することにより幅広い人間たちが人権保持主体として認められるようになります。例えば、白人と同じアミューズメント施設で遊べなかったキング牧師の6歳の娘は「自律」が侵害されたとは感じにくいかもしれませんが、「平等」な扱いを受けてないということは理解できたでしょう。同様に、重度の精神的障碍者認知症患者なども人権主体として扱われるようになります。

 

 また、「平等」を基底的価値とすることでグリフィンの一元論よりも幅広い権利が導かれます。

 例えば、デモクラシーへの権利は、グリフィンによれば「自律」「自由」とデモクラシーの間に必然的な結びつきがないことから人権とは認められませんでしたが、「平等」を基底的価値とすることは、デモクラシーへの権利などを人権に含めることに道を開きます。

 

 この考えをもとに、第7章では社会経済的権利(福祉への権利)が、第8章ではデモクラシーへの権利が人権に含まれることを示していきます。

 

 第9章では人権と国際的関係が検討されていますが、最初にとり上げられているのが、P・シンガーによる援助についての考えです。シンガーは次のように援助原理を定式化しています。

 

第1前提:食料、住居、医療ケアの欠如による窮状や死は悪い。

第2前提:もし、あなたに、ほぼ同じくらい重要な何かを犠牲にすることなく、悪い事柄の発生を防ぐことができる力があるのならば、防がないことは間違っている。

第3前提:あなたは、援助機関に寄付することによって、同じくらい重要な何かを犠牲にすることなく、食料、シェルター、医療ケアの欠如による窮状や死を防ぐことができる。

結論:それゆえ、もしあなたが援助機関に寄付をしないのならば、あなたは何か間違ったことをしていることになる。(228−229p)

 

 これについて、著者は第2前提に対する批判を紹介しています。

 まずはC・マッギンが出してきた例ですが、もしあなたが非常に魅力的な女性で、性的な欲求の問題で苦しんでいる男たちがいた場合に彼らとセックスしてやる義務があるのか? というのが1つの反論になります。

 この反論が有効かどうかは「重要な何か」をどこまでとるのかという問題になりますが、これをどこまでとるかで求められる犠牲は大きく変わってきそうです。

 また、著者はこの考えでは先進国に責任があるような貧困とそうでないものの区別ができないことについても問題視しています。

 

 これに対して、I・M・ヤングはスウェットショップの問題などをとり上げ、貧困や人権侵害に対する先進国の責任を問おうとしています。スウェットショップでつくられたスニーカーを買うことは、法的には何ら問題がなくとも、構造的なプロセスを考えると問題があるというのです。

 ただし、構造的なプロセスを持ち出すと、今度は個々の企業の責任は問いにくくなります。これに対して著者は、あくまでも人権侵害の因果関係を追うべきだと主張しています。

 

 ウェナーは『血塗られた石油』で産油国権威主義体制を問題とし、そうした国に対しては輸入国が民主化や人権保障などを働きかけるべきだとしました。

 この働きかけについて、ウェナーはあくまでも輸入国の法整備によって行うべきだとしましたが、著者は国家だけではなく、投資者や消費者がクリーンな石油会社を選ぶこと、NGOなどのアプローチなどの重要性を指摘します。

 

 シンガーはかなり大雑把に援助などの行動の必要性を説きましたが、著者は集合的な責任ではなく、貧困や人権侵害に対する先進国の人々の責任は、個々の因果の追跡を通じてなされるべきだと主張しています。

 

 第10章では望ましい援助について検討されていますが、ここで行われているRCTへの批判は興味深いですね。 

 援助に関しては、J・サックスが、貧しい地域を貧困から引き上げるにはその環境を改善するための大きな援助(ビッグ・プッシュ)が必要だと主張しました(ジェフリー・サックス『貧困の終焉』参照)。

 一方、W・イースタリーはサックス流のビッグ・プッシュを批判し、従来の援助に疑問を呈し、現場のニーズに即した援助を提唱しました(「サーチャー型構想」)。

 これに対して、バナジー&デュフロは、何が有効な援助かを実験(RCT)によって明らかにすればよいという主張をしています(『貧乏人の経済学』参照)。

 

 世間ではサックスとイースタリーの対立を乗り越えるものとして、RCTにもとづくアプローチが称揚されているイメージがありますが、著者はRCTの持ついくつかの問題を指摘します。

 まず、ある時点にある地域で行われた実験が、他の地域、あるいは将来にわたって有効かどうかという外的妥当性の問題があります。また、RCTは短期的な影響は測れても長期的な影響は測れないかもしれません。例えば、輸出用の作物を育てることで所得が3割増えたという実験結果があったとしても、他の農家も輸出用の作物をつくるようになれば、そこまで所得は上がらないかもしれません。他にも、1つの指標に注目することで、一見無駄に見えるものが果たしていた機能を見落としてしまうかもしれません(例えば、インフォーマルな絆はマイクロクレジットの返済には有用でも、他に場面では人々を抑圧しているかもしれない)。

 

 さらに、ある村になんらかの援助を行い、その効果を検証するために他の村には援助を行わないというやり方に道徳的な問題を感じる人もいるかもしれません。

 デュフロ『貧困と闘う知』には、当選確実な候補者の集会で「(エスニシティに基づく)縁故主義的なメッセージ」を含む演説と「国民統合のメッセージ」を含む演説を行う実験が紹介されていますが、こうした実験が社会を悪くする可能性も捨てきれません。

 

 RCTはリバタリアンパターナリズムと親和性が高いです。例えば、人々が貯蓄やワクチン接種などをするようになれば貧困状況は改善できると考えられるため、そういった行動に人々を誘導しようとします。

 ただし、この考えは本書が主張してきた「自律」と「平等」を基盤とする自然本性的構想とは相容れないものかもしれません。援助者が良かれと思って非援助者の行動を誘導することは、非援助者の「自律」や「平等」を傷つけるものと言えるかもしれません(本書ではこの点についてもっと丁寧な議論が行われている)。

 

 そこで著者が推すのがイースタリーに代表されるサーチャー型構想です。イースタリーの考えとRCTは必ずしも対立するわけではないのですが、貧困に陥っている原因をボトムから調べ、当事者と応答を重ねながら貧困から抜け出す道を探る「サーチャー」のあり方が、本書の考える人権構想と合致する援助の構想だと言うのです。

 

 このように本書は人権のあり方、特に国際社会における人権のあり方と、人権を守るための実践について論じています。最初にも述べたように、ここ最近、政治哲学や法哲学の本を読んでこなかったので、本書の内容を十分に理解できたわけではないのですが、余談として2つほど思ったことを書いておきます。

 

 まず、ルームシェアしているあなたの友人があなたが大切にしまっておいたウイスキーを勝手に飲んでしまったのを「人権侵害」と言えるか?  という話ですが、確かに、この言い方はおかしいように見えます。

 しかし、現在の日本においては「いや、それも人権だ」というスタンスをとったほうが良いのではないかと思います。本書では、国際的な介入の基準としての人権が論じられているケースが多いので、ウィスキーを勝手に飲まれたケースまで「人権」としてしまうと概念のインフレのようになってしまうということなのでしょうが、身近なケースを除外すると、日本において人権はますます「世間の保護を受けられなくなってしまった人が頼るべき何か」になってしまうような気がします。

 

 もう1つは人権の全時空性について。個人的には石器時代の人間に人権はないと思います。それは制度的な裏付けがないというよりは、そもそも昔の人間は「個人」として捉えられていなかったし、自らのこともまずは共同体の一員の形で認識していたのではないかと思われるからです。

 清水克行『喧嘩両成敗の誕生』には、村人を殺された人々が犯人の属する村のまったく関係のないメンバーを襲うといった話が出てきますが、特定の時代までは人間というのはそういうふうに捉えられていて、その後にリン・ハントが『人権を創造する』で分析したような形で共感可能な「個人」が出現したのではないでしょうか。

 ただ、石器時代の人間にも室町時代の人間にも人権を想定することは可能で、そういった想定可能性であれば、人権に全時空性があると言えるかもしれません。

 

 

デイヴ・ハッチソン『ヨーロッパ・イン・オータム』

 帯には「ジョン・ル・カレ×クリストファー・プリースト」とありますが、まさにそんな作品です。

 舞台となっているのは近未来のヨーロッパなのですが、経済問題や難民問題、さらに「西安風邪」と呼ばれるパンデミックが起こったことで、人口が減少し、国境管理が再び厳しくなっています。

 さらに機能不全に陥ったEUのもとでマイクロ国家が次々と独立し、都市だけでなく、宗教団体や過激なサッカーファンまで独立し、さらには観光収入をもとに国立公園も独立を狙っています。

 また、ポルトガルリスボンからシベリアのチュコトカまで伸びる大陸横断鉄道も独立して〈ライン〉と呼ばれる国家を形成しています。

 

 2016年のBrexitや2020年の新型コロナのパンデミックなどを経験したあとからすると、そういった経験を詰め込んだ設定にも見えますが、本書が刊行されたのは2014年で、まさに未来を予知したような小説なのです。

 

 そういった世界の中で主人公になるのはエストニア生まれで現在はポーランドでシェフをしているルディという人物です。彼は「クルール・デ・ボワ(森林を駆ける者)という謎の組織にスカウトされます。

 クルールは通常では届けることのできない物を届ける運送業者のようであり、各国にエージェントのいるスパイ組織のようなものでもあります。

 そして、シェンゲン協定が失われた後にシェンゲンの理想を体現しようとする組織と言えるかもしれません。

 

 この組織に入ったルディはさまざまな訓練を受け、ときにはひどい目に遭いながらもいくつかのミッションをこなしていきます。このあたりは完全にスパイ小説です。

 

 ところが、後半になると、18〜19世紀にイギリスで作られた存在しない村が記載された地図などが登場し、この世界はSF的な設定を持つものであることも明らかになってきます。

 

 というわけで、非常に魅力的な設定を持った小説で、前半のスパイの真似事をするシーンなども面白いのですが、前半から後半への話の転換にやや強引なところがある。

 とにかく後半になるとダダダッと話が展開していくのですが、前半にもうちょっとSF的な世界をほのめかすようなエピソードがあっても良かったと思う。

 読んでいる時は面白いのですが、ちょっと惜しい気がしました。

 

 

Vance Joy / In Our Own Sweet Time

 オーストラリア出身のSSWの3rdアルバム。デビュー作から聴いていますが、メロディーの良さと引き出しの多さが特徴で、今作も飽きさせない中身になっています。

 例えば、2曲目の"Solid Ground"なんかがいかにもVance Joyっぽい曲だと思いますが、決して派手なアレンジではないのですが、後半に向けてしっかりと盛り上げてくるんですよね。

 西部劇をイメージするような感じで、スケール感も感じさせます。3曲目の"Missing Piece"もそうですね。

 

 メロディの良さが光るのが6曲目の"Every Side Of You"で、メロディ自体も良いですが、その聴かせ方が上手いですね。ボーカルが埋もれないようにアレンジも抑制的です。

 10曲目の"This One"は、メロディはそこそこですけど、それを印象に残るようにアレンジしていています。11曲目の"Daylight"もそうで、あえてゆっくりなピッチにすることでメロディが残るような感じになっています。

 1stや2ndとは違った新しい展開もそろそろほしいところではありますが、3rdアルバムとして期待に応える内容になっていると思います。

 


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川中豪『競争と秩序』

 副題は「東南アジアにみる民主主義のジレンマ」。フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールの5カ国を比較しながら、安定した民主主義には何が必要なのかということを探っています。

 民主主義を語る時に引き合いに出されるのは欧米の、いわば「民主主義先進国」が多いですが、民主主義は世界に広まっていますし、近年ではその揺り戻しも起きていると言われます。

 また、以前は「経済発展→中間層の台頭→民主化」という経路が想定されていましたが、中国の発展とともにそれに疑問符が付けられていますし、本書でとり上げているシンガポールも経済は十分に発展しながら民主化が進んでいない国と言えます。

 

 フィリピンではピープルパワー革命で倒されたマルコス大統領の子どもが大統領選挙で圧勝しましたし、タイでは2014年のクーデタ以降、軍人が政権を掌握しているなど、東南アジアでは民主主義が上手くいっているとは言い難いのですが、だからこそ「民主主義の条件」が見えてくるのが本書の魅力と言えるでしょう。

 

 目次は以下の通り

第1章 民主主義を分析する
第2章 政治体制の形成
第3章 民主主義の不安定化
第4章 選挙が支える権威主義
第5章 民主主義と社会経済的格差
第6章 パーソナリティと分極化の政治

 

 まず、本書では民主主義の条件として、「自由で公正な選挙が保障されていること(多元性)」、「すべての成人となった市民が選挙に参加して権力者を選択することができること(包括的政治参加)」、「市民的な自由が保障されていること(市民的自由)」の3つをあげています(第1章注1によればプシェヴォスキ流の限定的な定義に共感しつつ、市民的自由を加える必要があると考えたとのこと)。

 

 本書の定義に比較的近いV-Demの指標によると、1970年時点で民主主義に分類される国は全体の23.1%でしたが、2020年には51.4%にまで増えています。

 ただし、あからさまな独裁は減ったものの、民主主義の後退も指摘されています。暴力的な行動が持ち込まれたり、選挙が行われていても与党が有利に仕組まれているといった国も少なくなのです。

 

 民主主義では利益を異にする勢力(政党)が競争し、権力を掌握した勢力が自ら望まじいと考える政策を実施するわけですが、この競争が行き過ぎると混乱が生じます。一方で、秩序を維持するためにこの競争を過度に抑制すると民主主義ではなくなってしまいます。

 特に本書がとり上げる東南アジアの国々は、この「競争と秩序」のジレンマに悩まされてきたと言えます。例えば、タイでは民主化された後にタクシン派と反タクシン派が路上で競争を繰り広げましたが、この混乱はクーデタによって民主主義と引き換えに終わりを告げました。

 

 東南アジアの国々はタイを除くと植民地支配を経験しており、植民地支配のあり方や独立の過程が政治体制に大きな影響を与えました。

 フィリピンではアメリカが地方エリートによる自治を認めたことから地方エリートの影響力が強くなり、インドネシアではオランダの植民地というまとまりで独立したために、そのまとまりを維持しようとナショナリズムが強くなる一方でイスラームによってまとまろうという勢力も生まれました。

 タイでは1932年の立憲革命を起点に、王室と軍と政党が権力闘争をするようになり、マレーシアではマレー人、華人、インド人という民族集団が政治体制を形作りました。マレーシアから独立したシンガポールでは共産主義との対立の中でPAP(人民行動党)の支配体制が出来上がっています。

 

 独立後、フィリピン、インドネシア、マレーシアでは広範な政治参加がもたらされましたが、共産主義勢力の伸長もあり、この共産主義勢力との対決の中で、フィリピンのマルコス政権やインドネシアスハルト政権のような開発独裁体制が生まれてきます。

 多くの国では健全の競争は成立せずに、強権的な形で秩序が追求されました。ただし、その支配のあり方としては、フィリピンとインドネシアが個人中心だったのに対して、マレーシアとシンガポールは政党中心、タイは軍政といった違いがあります。

 

 また、民主化が進んだ国もありましたが、それぞれに問題を抱えていました。

 フィリピンは民主化直後の1987年の下院選で当選した議員の84.5%がマルコス体制以前に地方に勢力を持っていた地方エリートの家族出身で、この数字は2013年の下院選でも74.0%と高いままです(58p)。

 結果としてフィリピンでは政党は発展せず、大統領選挙のたびに有力候補がそれぞれ政党を作り、地方エリートがそれに乗っかるという構図になりました。そのために汚職もはびこることになります。

 

 インドネシアでは、スハルト退陣後の改革が比較的ゆっくりと進み、また、比例代表制を採用したこと、大統領の権限が比較的弱いことなどから、多元的な民主主義が成立しているとも言えますが、所得格差の拡大は続いており、オリガーキー支配であると批判する向きもあります。

 

 タイでは1997年憲法で、小選挙区中心の選挙制度にすることで今までの多党制から少数の政党による競争を目指す改革が行われ、それがタクシンという強いリーダーを生みましたが、それが再び軍政を呼び込みました。

 

 民主主義が安定して運用されるためには、将来的に選挙によって勝者と敗者が交代する可能性があることが認識されていることが重要です。

 もし、勝者が永久に変わらないのであれば、敗者は暴力的な手段によって体制転覆をはかるしかなくなります。

 勝者と敗者が民族集団などによって分かれてしまう場合は、比例代表制にしたり、憲法などで少数民族の権利などを保障することが必要になります。

 

 レイプハルトは民主主義を「多数決型」と「合意型」に分けましたが、この分類に従うと、タイは1997年憲法で「多数決型」を志向しました。これによって今まで潜在的だった都市中間層と農村低所得者層の亀裂が顕在化しました。そして、前者はタクシンによって組織された後者を選挙で打ち負かすのは不可能だと考え、路上選挙などの直接的な行動に頼るようになっていったのです。

 一方、インドネシアでは「合意型」の民主主義が志向されました。大統領選に出馬するには議会選挙で一定程度の得票率と議席占有率を持つ政党の公認が必要であり、議会と対立的な大統領の出現を防いでいます。

 

 また、民主主義においてはいかにして公正な選挙を実現するのかも大きな課題です。中立的な選挙管理機関が求められるわけですが、タイでは選挙管理員会の権限が強かったために党派性も強くなってしまうという形になりました。

 

 民主主義の進展が民主主義自体を不安定にすることもあります。

 フィリピンでは1998年の大統領選挙で映画俳優出身のエストラーダが圧勝しました。現職のラモス大統領は下院議長のデ・ベネシアを推しており、地方エリートの支持もありましたが、クライエンテリズムに包摂されていない貧困層が「貧困層のためのエラップ(エストラーダの愛称)のスローガンのもとでエストラーダに大挙して投票したからです。

 しかし、エストラーダ政権における汚職と、今までの都市偏重政策とは違う政策は都市中間層の反発を呼び、弾劾裁判や幹線道路での辞任要求集会などによってエストラーダは人気半ばで辞任に追い込まれます。

 

 同じようなことは先述したタイにも当てはまることで、今まで民主主義の主体とは認識されていなかった貧困層や農民が選挙に組み込まれたことで、都市部中間層との分断が修復不可能なまでに深まってしまったのです。

 

 このように民主主義が不安定なのに対して、安定しているのが競争的権威主義と呼ばれる選挙を行うタイプの権威主義です。シンガポールやマレーシアがこれにあたります(マレーシアは2018年に50年近く続いた国民戦線(BN)の支配が終わった)。

 権威主義には支配の主体が個人、軍、政党という3つのタイプがありますが、もっとも長続きしやすいとされているのが政党による支配です。

 

 このタイプの政党は通常は議会の2/3を超えるような議席を握っており、ゲリマンダリングやその他さまざまな手段を使ってその多数を維持しようとします。

 圧倒的な力を持っていれば選挙を行う必要はないようにも思えますが、選挙は野党を取り込む場にもなりますし、国民の不満などの情報を集める機会にもなります。野党も選挙で数議席を取れれば小さいながらも分け前にあずかるチャンスができるので、これに参加します。

 

 先程述べたように、シンガポールやマレーシアは競争的権威主義の典型ですが、自国の民主主義に対する評価を見ると、シンガポールやマレーシアのほうがフィリピンやインドネシアよりも自国の民主主義を高く評価しています(122p図4−2参照、マレーシアの調査は2014年で政権交代前)。

 シンガポールでもマレーシアでも定期的に選挙が行われており、目立った集計の不正などもありません。そのため多くの国民が民主主義が行われていると感じているのです。

 

 マレーシアもシンガポール宗主国のイギリスとの交渉の中で独立や自治を勝ち取ったために軍の優越的な立場は生まれませんでした。また、勝者総取りになりやすいイギリス流の多数決型の政治制度が導入されました。さらに民族的な亀裂をもとにした暴動を経験したことが、指導者たちに政治秩序の維持を優先する意識を植え付けました。

 

 シンガポールでは人民行動党(PAP)が当初はあからさまな抑圧を行っていましたが、次第に市民に対する公共サービスの提供と選挙システムの操作によって権力を維持するようになります。

 公共サービスの提供は公営住宅の整備を中心に行われ、PAPへの支持が少なかった地域では住宅整備が後回しにされました。

 

 シンガポールでは小選挙区制が導入されていましたが、1984年の総選挙で野党に2議席を奪われたことから、88年にはグループ代表選挙を導入しています。グループ代表選挙では1選挙区に3〜6名の議席が割り当てられ、その定数に応じたリストが各政党から提示されます。有権者はこのリストに投票し、もっとも票数を集めた政党が総取りになります。

 リストには少数派の民族集団(マレー人、タミル系インド人など)の候補が最低1人入っていなければなりませんが、これが候補者を揃えることが難しい野党にとって不利になります。さらに、投票日の約3ヵ月前に区割りが行われるため、この区割りが確定してから候補者を揃えることは野党にとっては難しいです。

 一方、PAPの政治エリートは能力主義によって選抜されており、汚職も少ないために、能力のある人物はPAPの中に入っていきます。

 ただし、2011年以降、野党がグループ代表選挙でも活用になってきており、有権者が要求する公共サービスが提供されない中で、PAPの支配には揺らぎも見られます。

 

 マレーシアでは民族集団の亀裂を利用した支配が行われました。マレーシアでは経済的に貧しい多数派のマレー人を優遇するブミプトラ政策が行われましたが、ここで行われた政府による保護や規制が政府への支持の調達に使われました。

 また、華人もこのマレー人保護政策に乗っかることで自らの経済的利益を守ることができました。

 

 こうした中で華人の権利平等化を求める野党(DAP)やマレー人中心主義を唱える野党(PAS)がいましたが、政策志向的にこの両者が手をにぎることはありません。与党連合が穏健的な立ち位置を独占していたことでその支配は安定したのです。

 また、与党は選挙区の民族割合に応じて候補を立てました。例えば、マレー人が6割の選挙区であれば、華人政党などは勝つ見込みがないので候補を立てません。そこで与党対マレー人中心主義の争いになりますが、その対決ならば華人やインド系は穏健な与党に投票します。このように民族集団の亀裂をうまく利用したのです。

 さらに小選挙区制とゲリマンダリングが加わったことで与党連合は勝利を続けたのです。

 しかし、2018年の総選挙ではマハティールをはじめとするマレー人の有力政治家がナジブ政権を批判し、与党連合が分裂したことでついに政権交代が起こりました。

 

 民主主義は格差を縮小させると予想されます。金持ちと貧しい人を比べれば貧しい人が多く、選挙では再分配政策などが支持されると考えられるからです。

 しかし、ご存知のように日本をはじめとして民主主義国で格差は拡大傾向にあります。予想は外れているのです。

 

 東南アジア諸国の近年のジニ係数の推移を見ると、一貫して権威主義国だったシンガポールが最も低く、民主化したインドネシアが上昇しトップになってます(147p図5−3参照)。

 ジニ係数が高かったフィリピンではエストラーダ政権以降、ジニ係数の低下傾向が見られることから、民主主義が格差の縮小の働きをすることもあるといえるのかもしれませんが、ここでも予想は裏切られています。

 

 民主主義が格差の縮小に失敗する原因として、著者は、①選好の多次元制、②政治市場の不完全性、③国家の統治能力欠如、の3つをあげています。

 ①は人々の政治に関する選好を決めるのは経済問題だけではないということです。民族的亀裂などがあれば再分配政策は二の次に置かれるかもしれません。

 ②は政党が安定していなかったり、特定の個人の支配下にあったり、クライエンテリズムが政治動員の柱になっているケースでは人々の選好はうまく議席に反映されないことになります。

 ③は国家の統治能力が低く、国民の所得を国家が把握できないようなケースです。こうなると税は間接税に頼らざるを得なくなりますし、汚職が多ければ、高所得者が金の力で政府の行動を左右することが増えてしまいます。

 

 本書でとり上がられている東南アジア5カ国だと、インドネシアとフィリピンは②と③、タイはタクシンによって農村のクライエンテリズムが一部排除されて格差縮小への道筋が見えた。マレーシアは①の問題があるがマレー人優遇政策によって格差は縮小したといった評価になります。シンガポールは統治能力においては東南アジアにおけるれ以外的存在ですが、近年では教育水準の上昇に打ち止め感が出てきており、それが格差の固定をもたらし、そレに対する不満がPAPの得票の減少をもたらしていると思われます。

 

 近年の民主主義において注目すべき現象は、選挙で支持を受けた「強いリーダー」が民主主義の基盤を掘り崩すような政策を行うことです。フィリピンにおけるドゥテルテ大統領はその代表例と言えるでしょう。ダバオ市長時代につくり上げた大型バイクを乗り回し犯罪者を厳しく罰する姿は既存の政治的なネットワークによる集票を上回る効果を上げました。

 フィリピンではエストラーダ政権をきっかけに政治の分極化が進みましたが、その分極化と強いリーダーはセットになっているケースが多く、タイのタクシン首相などもこれに当てはまります。

 

 東南アジアではクライエンテリズムのネットワークが強かったわけですが。このネットワークは都市化などによって弱まりつつあり、一方でSNSなどの発達は有権者に直接メッセージを届けることを可能にします。

 もともとフィリピンは政党システムの制度化の度合いが低い国でした(政党が社会に根を下ろしていない)。これがパーソナリティに依存する政治をもたらしていいるわけですが、近年では政党システムの制度化の度合いが高いと考えられていたインドネシアでもジョコウィ大統領のパーソナリティが前面に押し出される形で選挙戦が展開されており、政治における政治家のパーソナリティの比重は高まっている印象です。

 

 ドゥテルテ大統領は、違法薬物を取引している者の射殺を命じ、批判的なメディアの関係者を別件で逮捕したり、放送局の営業許可免許更新を拒否するなど圧力をかけ、関係のよくなかった最高裁長官を解任し、敵対する上院議員を逮捕・勾留したりしました。V-Demのスコアで見ても、ドゥテルテ政権になってから民主主義は明らかに後退しています(194p図6−5参照)。

 しかし、2020年の調査で91%もの人々がドゥテルテに満足していると答えています。特に中間層以上の支持が大きく、本来ならば民主主義を擁護するはずの中間層がその破壊者を支持しているのです。

 

 違法薬物の取り締まりや治安は中間層にとっても重要な問題であり、ドゥテルテへの支持もわからないものではありませんが、著者は「1986年にアジアで初めて民主化の第三の波を経験し、民主主義、人権、自由といった価値を高らかに掲げたフィリピンの都市中間層は、民主化から30数年を経て、生存を重視する価値に回帰した」(195p)と述べています。

 

 このように本書は東南アジア5カ国を比較しながら民主主義の条件を探っているわけですが、対象の東南アジア5カ国がそれぞれに民主主義が不十分であったり、そもそも民主主義と言い難い国であることが、この探索を面白くしていると思います。

 また、日本の政治に対する含意というのも十分にあって、例えば、シンガポールでの公共サービスの提供による一党支配体制の確立は斉藤淳『自民党長期政権の政治経済学』でとり上げられている自民党政治のあり方を思い起こさせますし、クライエンテリズムから政治家個人のパーソナリティ重視という流れも小泉政権などを思い起こせば日本に当てはまるとも言えます。

 最近は民主主義についての本が数多く出版されていますが、本書は「民主主義の条件」を考える上で非常に興味深い本になっていると思います。

  

 

 

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『神々の山嶺』

 夢枕獏の原作を谷口ジローが漫画化し、さらにそれをフランスでアニメ化したもの。ここ最近、『犬王』とか『ピングドラム』みたいなケレン味たっぷりのアニメを見ていたから、冬山や断崖といったダイナミックな自然を堂々と見せるのは新鮮だったし、表現も上手かったです。

 

 物語は、登山写真などを撮っている雑誌カメラマンの深町が、ネパールのカトマンズで、エベレストに実は初登頂していたかもしれないと噂されるイギリス人登山家のジョージ・マロリーのカメラに出会ったことから始まります。しかし、そのカメラは数年前に姿を消した登山家・羽生と思わしき人物によって持ちされてしまいます。

 マロリーはエベレスト登頂にチャレンジして亡くなったのですが、登頂の前に亡くなったのか、成功してから亡くなったのかは謎のままで、謎を解く鍵はカメラの中のフィルムにあるかもしれないのです。

 そこで、深町はマロリーのカメラの謎と羽生がなぜ姿を消したのか? という謎を追って羽生の過去と羽生の居場所を探り始めます。

 

 このようにミステリー仕立てではあるのですが、この映画の中心にあるのは登山シーンです。壮大な雪山や、断崖絶壁といったものに己の肉体のみで挑戦する登山家の姿がリアリティをもって描かれています。

 もちろん、自然を撮るだけなら「実車の方がいいのでは?」という声もあがりそうですが、そう簡単には撮れないようなダイナミックな山の描き方ができていますし、登山家が山で感じる孤独や恐怖が、アニメならではの表現で描かれています。

 

 また、この映画では羽生の過去として70年代後半から80年代前半くらいの東京が、深町が活動している現在として90年代後半の東京が描かれていると思うのですが(ただし、深町のパートでは福島第一原発事故と思われる新聞記事がちらっと映る)、この東京の描かれ方もいいです。

 山との対比で少し平板に描かれているのですが、それがいかにも80年代の東京っぽくもあります。

 外国人の映画監督が撮る東京の面白さというのは過去の実写映画にもありましたが、本作はアニメでありながらそれがあります。

 

 他にも深町の自宅の本棚に「鉄コン筋クリート」ってタイトルの本があったり、『君の名は。』のあの階段が出てきたり(ですよね?)というのも面白かったです。

 

 そして、吹き替えで見たのですが、羽生の大塚明夫がハマっていて、先に大塚明夫というキャストがあったのではないかと思えるくらい。過去に傷を抱えながら孤独にいき続ける男を演じるのは十八番ですね。

 

松沢裕作『日本近代社会史』

 副題は「社会集団と市場から読み解く 1868-1914」。

 タイトルにあるように「近代」の「社会史」なのですが、副題にあるように「社会集団」(身分集団)と「市場」の関わりを軸にして、明治から第1次世界大戦が始まるまでの社会の変容を描いています。

 著者の以前の著作、『町村合併から生まれた日本近代』(講談社選書メチエ)、松沢裕作『自由民権運動』(岩波新書)、『生きづらい明治社会』(岩波ジュニア新書)などを読んだ人はわかるかと思いますが、著者は以前から身分制の解体局面に注目する形で日本の近代を捉えてきましたが、本書ではそれを広いスパンで、さらに「市場」という身分制に取って代わったものに焦点を合わせる形で論じています。

 

 本書は著者が大学で行っている「社会史」の講義をもとにしたもので(コロナ禍のオンライン授業の原稿がもとになっているという)、テキストブックということになりますが、高校の日本史の教科書で「貨幣経済が浸透した」、「階層が分化した」、「社会関係が流動化した」などと書かれている部分において実際のところどんな変化が起きたのかが分かる内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

序 章 社会史とは何か? 日本の近代とは何か?
第1章 近世社会の基本構造──領主・村・町
第2章 近世社会の解体(1)──廃藩置県と戸籍法
第3章 近世社会の解体(2)──地租改正と地方制度の制定
第4章 文明開化・民権運動・民衆運動──移行期社会の摩擦
第5章 景気循環と近代工業──資本主義の時代の到来
第6章 小農経営と農村社会──農家とその社会集団
第7章 女工と繊維産業──「家」から工場へ
第8章 商工業者と同業組合──家業としての商工業とその集団
第9章 職工と都市雑業層──「家」なき働き手と擬制的な「家」
第10章 都市の姿──有産者の結合と都市計画
第11章 教育と立身出世──「家」の世界からの離脱
第12章 メディアの変化──流通する情報
第13章 政治の役割──地方利益誘導と救貧政策
第14章 労働組合と初期社会主義──個人の問題から社会の問題へ
第15章 日露戦後の社会──地方改良運動と都市民衆騒擾
終 章 日本近代社会の構造と展望

 

 本書はまず近世社会の説明から入ります。 

 近世社会においては将軍や大名といった領主が存在し、領主が村を支配していました。ここでポイントになるのが領主は個人ではなく村を把握していたことで、年貢も村請制という形で村単位で徴収していました。村は共同体であり、支配のためのまとまりであり、入会地などの共有財産を管理する存在でした。

 外様大名の領地に関しては領域的に連続していることが多いですが、譜代大名や旗本領、幕府領は複雑に入り組んでいました。本書の27pに信濃の所領分布が載っていますが、これを見てもその複雑さがわかります。

 

 都市では「町」がその単位となっていましたが、当初は刀の鞘を作る職人が集まる「南鞘町」のように、職業別に集住しており、それぞれ「役」が割り当てられていました。

 これは『自由民権運動』でも指摘されていましたが、著者は人々が身分という「袋」に入れられ、その「袋」が積み重なったものとして江戸時代の社会を捉えています。

 

 しかし、この身分制は明治になって解体されます。ただし、これは理想に基づき計画的に進められたものではありませんでした。

 明治政府は治安対策のために戸籍の作成しようとします。当初は身分別の戸籍を想定していましたが、その複雑さに断念され、属地主義の戸籍が出来上がりました。新しい戸籍が身分制の解体を進めたことになります。

 

 武士身分については版籍奉還廃藩置県によって解体されていきますが、これも計画的なものではありませんでした。

 版籍奉還は朝敵とされた姫路酒井藩の藩主が生き残りのために願い出たことから動き出し、廃藩置県熊本藩知事・細川護久が建白し、主導権を取ろうとしたのに対して、薩長が乗っかったことから行われています。

 このあたりについて著者は「複雑な社会を正確に把握できず、また、諸藩を含めて社会から信用されていない新政府は、生き残りのために、一か八かの飛躍を行うほかに選択肢がなかったのである」(49p)と述べています。

 

 戸籍法と廃藩置県が、都市の住民と武士の身分性を解体したのに対して、百姓(村)の身分制を解体したのが地租改正です。

 地租改正は土地の所有者に地価を記入した地券を発行し、それをもとに徴税するというものでした。当初は自己申告を中心に地価を決定する方式が模索されますが(ここで神田孝平が出したアイディアはエリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル『ラディカル・マーケット』で紹介されているアーノルド・ハンバーガーの考えとほぼ同じなのは面白い)、結局は収穫量から地価を決める方式に落ち着きました。

 

 地租改正のポイントは村請制を廃止し、税金の納入を個人の責任としたことでした。

 村請制の時代、村の誰かが年貢を納められないとなれば他の村人、または名主などの村のリーダーが穴埋めをしました。

 近世の村は明治になってからも残り、名主は「戸長」となって村をまとめていくことになるわけですが、戸長には村の年貢を取りまとめて納入する責任はありません。

 ただし、人々の習慣はそう簡単に変わるわけではなく、明治になっても年貢が払えないといった相談が村人から戸長に持ち込まれます。そして、今までの人間関係から戸長はこれを断りにくいわけです。

 

 こうした問題を解消するために、いくつかの村をまとめた「明治の大合併」が行われます。いくつかの村が合併し新しい村(行政村)が誕生しました。

 こうした「村」という百姓をまとめていた「袋」は大きく変わっていくことになります。百姓たちは直接、政府機関や市場と向き合うようになるのです。

 なお、この町村合併の過程で被差別部落の問題も浮上しています(63−64p)。

 

 身分性が解体する中で、人々は「結社」をつくってつながりをつくろうとしました。そして、この「結社」を基盤に自由民権運動が起こっていきます。

 自由民権運動というと反政府運動としても捉えがちですが、例えば嚶鳴社は司法省の管理の沼間守一を中心に結成されており、官吏や在野の知識人の間に欧米流の近代社会を目指すという共通の考えがあったこともうかがえます。

 

 一方、民衆の間にまでその考えが共有されているとは言えませんでした。1881年からいわゆる松方デフレが始まりますが、この中で借金を返せなくなった農民たちは、各地で借金の帳消しを求める負債農民騒擾を起こします。

 農民たちの要求には借金の帳消しや繰延、質に入れた土地の買い戻しなどが含まれていましたが、これは江戸時代には一定程度認められていた考えでした。これが「板垣公」や「自由党」による救済願望と結びついたのが秩父事件です。

 

 松方デフレは不況をもたらしますが、この中から日本鉄道と大阪紡績という2つの大企業が生まれ、それが呼び水になって80年代後半になると株式会社の設立が相次ぎます。

 しかし、このブームは資金需要の増大→金利上昇という流れの中で破綻し、恐慌が起こります。こうした恐慌は日清戦争後、日露戦争後にも起こっています。

 こうした中で、一般の民衆も景気変動の影響を受けるようになり、人々の生活と市場が結びつくようになっていくのです。

 

 農村では松方デフレによって多くの農民が土地を失います。日本では大農経営が定着しなかったこともあり、土地を失った農民の多くは地主のもとで小作農となりました。

 近世においては村請制が行われていたために、まずは年貢が徴収され、そのあとに地主の取り分が決まるという形が多かったのですが、地租改正後にはそれがなくなり、小作料などは地主と小作人の個人の関係の中で決まっていくことになります。

 

 こうした中で地主が互いに小作料の減免や免除を勝手に行わずに横並びで対処しようという動きも起こってきます。例えば、小作人が小作料を払えなかったときは当該地主の土地だけでなく、他の地主もその小作地をとり上げるといったことが取り決められました。

 「村」という集団がなくなったことによって人々の関係性は不安定化しますが、地主はそれを独占的な団体をつくることで安定化させようとしたのです。

 

 村の解体は他にもさまざまな影響を及ぼしています。例えば、かつての村である大字では、山林盗伐・濫伐や農作物の窃盗や草の無断刈り取りを禁止する「改良規約」を結ぶところがありました。これはかつての村の掟を引き継ぐもので、村の解体で流動化した秩序を取り戻そうとするものです。

 しかし、同じ頃、国有地である原野を勝手に開墾する動きも起こっています。こうした土地はかつては入会地などとして「村」が管理していたわけですが、明治になるとそこで「抜け駆け」して利益をあげようという者も現れるのです。

 近世の村の秩序は「改良規約」に見られる相互監視で維持されようとしましたが、それは「抜け駆け可能」な秩序でもあったのです。

 

 また、「家」に目を向けると、この時期の農家では現金収入のための副業が行われており、その副業の中心的な労働力として戸主の妻がいました(113p表6−2参照)。家事や育児は主に戸主の母や娘によって担われており、家が一種の企業であったことが見えてきます。

 

 家を一種の企業と見た場合、女工の置かれた状況というのもわかりやすくなります。

 本書で紹介されている諏訪地方の製糸工場で働いていた24歳の女性・ゆうのケースだと、まず、契約はゆうの父である戸主と工場主の間で結ばれており、女工が家の意思に従って働いていたことがわかります。

 

 諏訪の製糸業では、当初近隣の知り合いなどから女工を集めていましたが、事業が拡大すると遠く離れた地域からも募集するようになります。

 このときに起こったのが女工の奪い合いです。ある工場で働くことにあっている女工を途中で勧誘したり、騙して別の工場に連れていくということも行われたそうです。

 そこで諏訪の製糸業者は製糸同盟をつくり、そのもとで女工登録制度をつくります。前年にある工場で働いた女工を別の工場は雇ってはいけないというふうにしたのです。

 ところが、この権利に基づいて引き渡しを求めても、女工本人が拒否するケースもありました。本人というよりも女工の家の意思で行われたケースも多く、より有利な条件の工場へ娘を移籍させようとしたのです。この時期、女工を働かせるためのキーは「家」にありました。

 

 一方、紡績業の女工はより待遇が低く、いずれは家に戻って結婚することが想定されていた製糸業の女工に比べ、「家」から切り離されて過酷な労働に従事させられました。

 ただし、紡績業でも女工の引き抜きはあり、暴力的な手段が使われたり、自社の女工を他者に送り込んで引き抜くということも行われたようです。

 紡績業の女工は家から切り離されている分、自由ではありましたが、家の保護を受けられない存在でもありました。

 

 明治になっても江戸時代以来の中小の商工業者は残りました。これを経済史では「在来産業」といいます。

 岐阜県東部の陶磁器業では多くの小規模な窯屋が存在しており、そこに近隣の農民の次男などが弟子入りし、分家していくというスタイルが取られていました。

 綿織物でも、織元が綿糸を仕入れて製造者に原料を渡して織らせる賃織というものが行われており、農家の副業となっていました。これは農閑期に行われるために、安い労賃で織らせることが可能でした。

 

 こうした産業では問屋が活躍しましたが、江戸時代のように株仲間を結成して営業を独占することはできなくなっていました。

 そこで彼らは同業組合を結成します。政府も品質確保のためにこれを認めましたが、中には職工の引き抜き禁止や賃金協定、被雇用者に贅沢をさせないなどの取り決めを結んでいるケースもありました。

 ただし、こうした決まりは組合内の紳士協定(内容は全然紳士ではないですが)のようなもので、「抜け駆け」が可能でした。江戸時代のようなお上のお墨付きのあるものではなかったのです。

 

 重工業では、江戸時代に職人だった者が現場で働くケースも多かったですが、そのために工場内に親分−子分の関係が持ち込まれました。「親方」職工が作業グループの長(職長)として作業を指揮・監督したのです。

 この親方職工には賃金の分配権を握る者とそうでない者がいましたが、特に前者の親方の権限は絶大で、中間搾取や賄賂もつきものだったといいます。

 また、夫婦で工場で働くケースも多く、炭鉱でも男性が石炭の採掘、女性が石炭の搬出を行う形で夫婦が働いていました。

 

 職工はいずれは独立して小工場を経営し「家」を構えることを夢見ていましたが、貧民窟にはそういった「家」を構える展望もない人々が集まっていました。貧民窟では必ずしも血縁や姻戚関係にない者が同居しており、男女で住んでいても正式な結婚をしているケースは稀だったといいます。

 こうした人々の間でも親分−子分的な関係があり、北海道の土木労働者の間では一番下の序列から上がる時に親分・子分の杯を交わす習慣がありました。こうして擬似的な「家」がつくられたのです。

 

 都市でも「町」が解体され、大阪や京都では小学校の学区を中心としたまとまりができていきますが、東京では有力者を中心に区が形成されていくことになります。

 東京では道路の拡幅などを中心とした市区改正事業が行われましたが、この過程の中で地借の権限は弱められ、地主が優位に立つことになります。

 

 公教育のシステムも近代になって導入されたものです。一般的に小学校就学率は1902年に90%、09年に98%を超えたとされていますが、この数字はこれだけの児童がきちんと小学校に通って卒業したことを示すものではありませんでした、学齢簿からは一年以上居所不明の児童が除かれていましたし、09年頃でも女子の3割以上、男子の2割弱が卒業していませんでした(185p図11−3参照)。

  

 勉強による「立身出世」も目指されましたが、1900年以降、高等学校への進学は狭き門になり(188p図11−4参照)、進学できない独身男性の間では独学がブームになりました。また、働きながら進学を目指す苦学生も増えましたが、彼らは肉体労働などをするしかなく搾取されることも多かったといいます。

 

 第12章では新聞や雑誌がとり上げられていますが、雑誌への投書・投稿から読者同士の交流も広がっており、これも進学熱や立身出世熱を煽った1つの要因でした。

 

 こうした中で、政治は自由民権運動から初期議会のころの「軍拡の政府」VS「民力休養の民党」といった構図が日清戦争前後から崩れ始め、民党が増税を認める代わりに道路や鉄道の建設などの地方への利益誘導を求めるようになっていきます。

 こうした利益誘導は、場合によっては地域からの反発も受けましたが、府県レベルで決定し、さらに市場へのアクセスの向上によって経済が発展するといった理屈で

その反発が乗り越えられていくことになります。

 

 政治には困窮者をどうするかといった問題も持ち込まれましたが、恤救規則が対象をあくまでも「家」の保護を受けられない者に限定していましたし、恤救規則より対象を広げた窮民救助法案が1890年の最初の帝国議会で否決されたことからもわかるように、政治は困窮者には冷淡でした。

 

 政治が冷淡な中で、社会問題の解決を目指したのが初期社会主義者でした。唯物論キリスト教社会主義、非社会主義キリスト教徒と、彼らの立場はさまざまでしたが、彼らの間には緩やかな連帯もありました。ただし、この連帯は日露戦争をきっかけとして崩れていくことになります。

 

 労働運動ではアメリカ帰りの高野房太郎らが労働組合の結成に動きますが、先程述べたように疑似家族的な親分−子分関係が残り、「家」の形成が目的だった職工たちが「労働者」としてまとめるのは困難でした。

 日露戦争前後になると、職場に新たな技術が導入され親方の権限が後退します。こうした中で労働現場とは関係のない上級職長の権限が拡大し、それが現場からの反発を呼びました。1907年には争議が頻発しました、その背景にはこうした問題がありました。

 ただし、ここでの争議の内容はあくまでも特定の職場内での対立であり、「労働者VS資本家」という大きな構図は形成されにくいままでした。

 

 一方、政府が日露戦争後に行ったのが地方改良運動です。この運動内容は多岐にわたっていますが、本書では近世の村が持っていた林野で林業を営み、町村財政の不足を補う部落有林野の統一事業、「一町村一社」を目標に神社を合併していく神社合祀、納税を集団で取りまとめさせる納税組合の組織化が紹介されています。

 これは近世の村の機能を一部で復活させようとする動きにも見えますが、狙い通りにはうまくいかなかったようです。

 

 都市部では日比谷焼き討ち事件に見られるように暴動事件が増えます。これはナショナリズムの高まりといった要因もありましたが、それ以上に暴動の主体となった都市の下層の若者たちが「家」を形成するのぞみを失って、その不満を爆発させたということにあります。

 こうした閉塞感の中で、個人の自律を重視する修養主義が注目されますが、これは「家」から切り離された個人の「人格」の向上を目指すもので、学歴エリートから労働者までを包摂できる考えだったと言えます。

 

 そして、第一次世界大戦のころになると、男性の稼ぎ手と専業主婦からなる「家庭」が出現するようになり、今までの「家」中心の社会とは少し違った様相を見せ始めるのです。

 

 著者は明治から第一次世界大戦までの日本社会の特徴を次のようにまとめています。

 抜け駆けを防止できないという意味では、近代日本の社会集団は弱い力しかもたないが、一方で、常に抜け駆け可能であるがゆえに、常に相互を監視し合うという性格をもつことになる。日本近代社会では、近世に比べて、諸経営・諸個人の自発的な行動、自己利益の追求、新規事業への挑戦の余地は広まった。このことが、同時に、社会集団も、規律維持のために、内部の監視に頼らざるをえないという結果を生んだのである。(253−254p)

 

 本書を読むと、基本的には江戸時代にもあったはずの家父長制が、明治になるとより重苦しい感じになってくる理由なども理解できると思います。身分があって、村があって、家がある近世社会から、家しかない近代社会になったことで、家の重要性は高まり、同時に抑圧的になったのです。

 

 家(あるいは個人)が市場に直接さらされるようになる困難については、著者は『生きづらい明治』(岩波ジュニア新書)でも描いていますが、『生きづらい明治』が思想的な面からそれを説明しているのに対して、本書は社会構造や制度の面からそれを説明しています。

 どちらに説得力を感じるかは人それぞれだと思いますが、個人的には本書の説明がより興味深く思えました。

 

 

 

 

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