上林陽治『非正規公務員のリアル』

 ある制度が良いのか悪いのかというのはなかなか難しく、簡単には判断を下せないケースが多いのです。例えば、選挙制度小選挙区制がいいのか比例代表制がいいのか、日本型の雇用制度が良いのか悪いのか、といったことは一概には判断を下せないと思っています。

 そんな中でも、個人的に明確に「悪い制度だ」と考えているのが、外国人の技能実習制度と、本書のテーマである非正規公務員の問題を含む地方公務員の人事をめぐる制度で、特に後者は新卒に重い価値を日本の就職市場のあり方や、男女の格差の問題の解決にもつながっていく非常に重要な問題だと思っています。

 

 本書は、そんな非正規公務員の問題を扱った本であり、2012年に出版された同じ著者による『非正規公務員』の問題意識を受け継ぐ本です(未読ですが2015年に『非正規公務員の現在』という本が出版されている)。

 非正規公務員の低待遇と不安定な身分を告発するとともに、この問題を改善するために2020年4月から導入された会計年度任用職員制度がまったく改善の役に立ってない、場合によっては状況を悪化させているということを訴えています。

 やや難しい部分もありますが、矛盾にまみれた地方公務員のあり方が痛いほどわかる内容です。

 

 目次は以下の通り。

 

第一部 非正規公務員のリアル
第1章 ハローワークで求職するハローワーク職員――笑えないブラックジョークに支配される現場
第2章 基幹化する非正規図書館員
第3章 就学援助を受けて教壇に立つ臨時教員――教室を覆う格差と貧困
第4章 死んでからも非正規という災害補償上の差別
第5章 エッセンシャルワーカーとしての非正規公務員――コロナ禍がさらす「市民を見殺しにする国家」の実像

第二部 自治体相談支援業務と非正規公務員
第6章 自治体相談支援業務と専門職の非正規公務員
第7章 非正規化する児童虐待相談対応――ジェネラリスト型人事の弊害
第8章 生活保護行政の非正規化がもたらすリスク
第9章 相談支援業務の専門職性に関するアナザーストーリー

第三部 欺瞞の地公法自治法改正、失望と落胆の会計年度任用職員制度
第10章 進展する官製ワーキングプア――とまらない非正規化、拡大する格差
第11章 隠蔽された絶望的格差――総務省「地方公務員の臨時・非常勤職員及び任期付職員の任用等の在り方に関する研究会」報告
第12章 欺瞞の地方公務員法地方自治法改正
第13章 不安定雇用者による公共サービス提供の適法化
第14章 失望と落胆の会計年度任用職員制度

第四部 女性非正規公務員が置かれた状況
第15章 女性活躍推進法と女性非正規公務員が置かれた状況
第16章 女性を正規公務員で雇わない国家の末路

 

 この非正規公務員の問題が一番わかりやすく現れているのは、第2章でとり上げられている図書館員ではないかと思います。

 1987年度、図書館員の82%は専任職員でしたが、2018年度には26%にまで低下しています(37p)。さらに現在では指定管理者制度という民間企業に運営を任せるスタイルも増えていますが、ここでも中心になっているのは非正規労働者です。

 

  しかも、少数の専任職員が高度で専門的な職務を担い、非正規労働者が簡単で周辺的な業務を行っているというわけではなく、司書資格の有無で見ても、2018年のデータで専任職員で48%、非常勤職員で49%、指定管理者職員58%と(41p)、非正規のほうが図書館業務に必要な資格を持っている状況も生まれています。

 さらに次のような事情さえあるといいます。

 

 一定の数少ない専門職・資格職を除き、日本の公務員の人事制度において、正規公務員とは職務無限定のジェネラリストで、職業人生の中で何回も異動を繰り返し、さまざまな職務をこなすことを前提とされている。ところがどの組織にも、さまざまな事情で異動に耐えられない職員、最低限の職務を「当たり前」にこなせない職員が一定割合おり、しかも堅牢な身分保障の公務員人事制度では安易な取り扱いは慎まねばならず、したがってこのような職員の「待避所」を常備しておく必要がある。多くの自治体では、図書館はこれらの職員の「待避所」に位置づけられ、そして「待避所」に入った職員は、そこから異動しない。(36p)

 

 本章の冒頭では、正規職員を減らして非正規を増やしたら図書館の業務が上手く回るようになったケースが紹介されていますが、まさに今や図書館では非正規こそが基幹職員となっているのです。

 しかし、基本的に資格を持ち基幹化した非正規の職員にそれに応じた給与が払われることはありません。各地の図書館は非正規職員の「やりがい」に頼って運営されている状況なのです。

 

 この待遇の差は、例えば教員の世界でも顕著で、本書の第3章でとり上げられている九州地方の女性の臨時教員は、教歴10年以上でクラス担任を受け持ち、職員会議にも出席し、家庭訪問なども行うなど、仕事は正規の教員と同じですが、手取り19万強、年収で約250万円ほどしかもらっていません。これが正規の教員であれば、本給は約40万円には達しているでしょう。

 この背景には地方自治体による人件費抑制の政策があるのですが、近年では臨時教員や非常勤講師のなり手が足りずに、年度が始まっても担任が決まらないようなケースも出てきています。

 

 この非正規公務員の増加の1つの背景となっているのが、2000年以降、自治体に相談窓口の設置を求める法令が次々につくられていることです。

 例えば、「DV防止法」や「改正児童福祉法」、「障害者自立支援法」、「生活困窮者自立支援法」など、さまざまな法律が自治体に相談窓口を設置することを求めています。そして、上記の法律を見ればわかるように、いずれの法律も国民の命や生活を守るための非常に重要な法律なのです(「改正児童福祉法」は児童虐待を扱っている)。

 

 では、その相談業務を誰が担っているかというと、ここでもやはり非正規公務員になります。

 例えば、婦人相談員は、「対人援助を担う専門職」とされていますが、任期1年の非正規職が大半で、2017年4月時点で常勤20%に対して非常勤80%です(107p図表6−2参照)。

 本書では筑後市の人事担当係長の話が紹介されていますが、「相談業務は専門領域に関わる事項が多く、このため当該業務に携わる者は、長期の臨床経験と専門性ならびにそれを裏打ちするための資格職としての性格が備わる」としながら、だからこそ「異動を前提とする人事制度とは相容れないものとなり、畢竟、異動することのない非正規職とならざるをえず」(109−111p)という論理を展開しています。

 専門的な知識や資格が必要だからこそ待遇が低いという倒錯的な状況が出現しているのです(ただし、筑後市では汎用性の高い社会福祉士に関しては正規での採用を行ったとのこと)。

 

 児童虐待などを扱う児童相談窓口でも、業務経験の長い者ほど任期1年以内の非正規公務員という状況が生まれています。

 児童相談所に配置される児童福祉司は、国家資格ではなく児童福祉法であげられている条件を満たした正規公務員の中から配置される任用資格なのですが、そのためになり手不足に直面しています。

 児童相談所の業務は増えており、人員も増加しているのですが、児童相談所生活保護担当と並んで職員が異動したがらない職場であり、ある市では若手職員に3年で異動させると約束して職員を確保させているといいます(128p)。当然ながら、経験年数の浅い職員が増加することとなります。

 

 現在では、ある相談から住民の抱えるさまざまな問題が明らかになることも珍しくはありません。例えば、税金や社会保険料滞納の裏には多重債務などの問題があるかもしれませんし、精神的な疾患などの問題があるかもしれません。

 しかし、相談業務が非正規公務員によって担われるようになれば、ある相談を他の担当につなぐことは難しいでしょう。

 

 生活保護行政においても相談業務の中心は非正規公務員によって担われています。2016年の段階で57%が非正規です(144p図表8−2)。

 この背景には、生活保護のニーズの増加にケースワーカーの増員が追いつかないこと、生活保護の審査・決定や保護の停止・廃止につながる訪問審査は公権力の行使につながるために正規が担わざるを得ないという仕組みがあります。

 結果として、公権力の行使にはあたらないとされる相談業務を非正規に任せることで業務を回しているのです。しかし、これは同時に相談者からさまざまな状況を聞き出し、そのニーズもわかっている人物が支援メニューの決定にアクセスできないということでもあります。

 

 このようにさまざまな矛盾をはらんでいる非正規公務員の問題ですが、さらに労災が認定されないと言った問題があります。公務員は労災法適用の例外となっており、代わりに地方公務員には地方公務員災害補償法が適用されるのですが、これは1年以内で雇い止めされる非正規公務員には適用されず、制度の落とし穴となっています(実際の制度はさらに複雑なのですが、詳しくは本書の第4昌をご覧ください)。

 

 この公務員における正規と非正規の格差を是正するために、非正規公務員の採用根拠を明確にし、期末手当を支払えるようにする地方公務員法地方自治法の改正が2017年に成立しました。そして、2020年4月からは新たに会計年度任用職員制度がスタートしています。

 2016年の時点で、長崎県佐々町の66.0%を筆頭に非正規率が50%を超える市町村は珍しくありません(182p図表10−2参照)。非正規公務員の処遇の安定はまさに喫緊の課題と言えます。

 

 実際、司法の場でも、任期1年の雇用でも長年勤務していれば雇用継続の期待権が生まれると判断した2007年の中野区非常勤保育士再任拒否事件の交際判決、週勤務時間が常勤職員の約半分の非常勤職員であっても常勤職員と同じ仕事をしていれば一時金等の支給は違法ではないとした2008年の東村山市事件など、非正規公務員の権利を認めるような判決も出ています。

 

 こうした動きを受けて、2017年1月に出された地方公務員法改正原案では、非正規公務員の処遇に関して踏み込んだ表現がなされていましたが、3月に閣議決定された地方公務員法改正法案では、勤務時間の短い職員については待遇を常勤に合わせなくても良いということになり、勤務時間の長短を要件として、今までのような低待遇が可能となりました。

 結局は非正規公務員にも期末手当を支給するということ以外、非正規公務員の待遇を大きく改善するような改正はなされなかったのです。

 非正規公務員に関しては、パート・有期雇用労働法が非適用であるため、地方自治体には正規との不合理な待遇の差を解消する義務はなく、民間よりも遅れた状況が放置されています。

 

 今回の改正で「会計年度任用職員」という仕組みが導入されています。これは今までまちまちだった非正規公務員の呼び名を統一し、フルタイム型とパートタイム型に分けたものになります。

 任用期間は最長1年で、守秘義務や職務専念義務が課される一方で、条件付き期間を除き身分保障があり、不合理な理由で免職や懲戒処分を受けないというものになっています。

 

 しかし、フルタイムとパートタイムで待遇の差をつけていいことになっており、パートになれば支給すべき手当は期末手当に限定され、労働災害保険や地方公務員災害補償基金への負担金も不要になるため、各地で進んだのは今までフルタイムだった非正規公務員をパートタイムにする動きです。

 2016年の総務省調査では非正規公務員のフルタイム勤務者の割合は31.5%でしたが、会計年度任用職員制度が導入された2020年4月の調査ではフルタイム勤務者の割合は19.9%にまで減少しています(236p図表14−1参照)。

 さらに期末手当を支給するために月給を下げる事例も多発しており、「ボーナスが出ると言っても月収から引かれている分が戻ってくるだけ」(242p)との声もあります。

 実は、国は期末手当のための財源を地方交付税として配分しており、期末手当を出す一方で給与を抑制することは法改正の趣旨に合わないとの通知を出しているのですが、自治体はその予算を他に流用しているのです。

 

 加えて、制度導入に合わせて在職者も一般求職者と同じように公募試験を受けさせられ、その成績が悪いとして雇い止めになるケースも報告されています。

 公務員には労働契約法が適用されないため長年雇われても無期転換申入権は発生しないのですが、裁判では先述の中野区非常勤保育士再任拒否事件のように雇用継続の期待権が発生するとの判断が示されています。そこで、そうならないように公募試験を実施し、長年勤務してきた非正規公務員を雇い止めする事例が起きているのです。

 残念ながら、今回の法改正によって非正規公務員の待遇を改善されたとは言えない状況です。

 

 最後の第15章と第16章では、この非正規公務員の問題が女性の問題に接続されています。

 2016年の時点で、市町村では43万人ほどの非正規公務員が働いており、そのうち34万7627人が女性です。正規公務員は90万人ほどであり、非正規と合わせた数は133万人ほど。ということは、市町村で働く人の26%ほどが非正規の女性ということになります(263p図表15−1参照)。

 

 そのため、正規と非正規の待遇の格差は男女の待遇の格差にもつながっています。

 例えば、一般事務職は正規では男性が多いくらいなのですが(264p図表15−2では技術職と一緒に計上されているために詳しい内訳はわからず)、非正規でみると女性が80.4%を占めます。そして、一般事務で働くフルタイムの非正規公務員の年収の平均が173万6460円なのに対して、正規公務員は640万8481円と4倍弱になっています(266p)。もちろん年齢構成や仕事の違いもあるとは思いますが、それにしても大きな格差です。

 これ以外でも非正規の給与は正規に対して、図書館員で28.9%、義務教育の教員・講師で45.7%、保育士で37.8%、給食調理員で31.8%などとなっています(267p図表15−3参照)。

 

  この結果、正規だけを見れば民間よりも男女の給与差が少ない地方公務員ですが、非正規を含めて考えれば必ずしもそうは言えない状況となっています。

 さらに育児休業に関しても、地方公務員法ではそれを条例で定める形式になっているため、条例の不備から非常勤職員が育休を請求できないという状況もあります。

 

 格差を縮小させ、女性の活躍を後押しすることは公的部門に率先して求められることだと思いますが、現在は、最も身近な公的部門である地方自治体において、ある意味で格差を広げ、女性を安く使い捨てるようなことが行われています。

 スウェーデンは男女平等が進んだ国として知られていますが、G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』の中で指摘しているように、女性の雇用は公共セクターによって支えられており、「実際、スウェーデンの雇用構造は二つの経済部門に分かれて発展しているといえる。一つは男性に偏った民間セクターであり、もう一つは女性が支配的な公共セクターである」(228p)という状況です(ちょっと古い本なので近年では少し変化してきたかもしれませんが)。

 そして、同じく、エスピン‐アンデルセン『アンデルセン、福祉を語る』の中で、「公的部門で働く女性の合計特殊出生率は高い。筆者がヨーロッパの世帯を調査した統計データを分析した結果、安定的な雇用契約で就労する女性が子どもを出産する可能性は、期限つき雇用契約で就労する女性の二倍であることがわかった。一般的に、公的部門での職は最も安定性が高く、さらにこうした職の雇用条件は緩い。だからこそ福祉国家に雇用されている女性たちの合計特殊出生率は著しく高い」(18-19p)と指摘しています。

 ここから読み取れるのは、非正規公務員という制度が、日本の男女平等を阻害し、出生率を低下させている可能性です。

 

 この問題の処方箋としては、前田健太『市民を雇わない国家』(この本は本書でもたびたび言及されている)を紹介したときにも触れたジョブ型公務員の導入しかないのではないかと思います。

 図書館員、児童福祉司など、それなりに専門性の高い分野に関しては、その職種限定で募集をし、基本的に異動をさせない。その代わりに現在のジェネラリスト型公務員よりも給与水準を抑えるというのが1つの答えなのではないでしょうか。

 ただし、人事制度というのは思い切った政治力がないと動かせないものだと思うので、自治体任せではなく、国からの法改正やモデルの提示といったことが必要になるでしょう。

 

 冒頭でも述べたように、この非正規公務員の問題は日本の抱える問題の中でも最重要のものの1つだと個人的に思っているので、本書を読んでこの問題に注目し、その問題点に気づいてくれる人が増えてくれることを願っています。

 

 

 

 以下、このエントリーの中で言及した本の紹介記事のリンクも載せておきます。

 

morningrain.hatenablog.com

 

morningrain.hatenablog.com

 

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アン・ケース/アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』

 『大脱出』の著者でもあり、2015年にノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートンとその妻で医療経済学を専攻するアン・ケースが、アメリカの大卒未満の中年白人男性を襲う「絶望死」の現状を告発し、その問題の原因を探った本。

 この絶望しに関しては、アビジット・V・バナジーエステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学』でもとり上げられていますし、大卒未満の中年白人男性の苦境に関しては、例えば、ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』でもとり上げられています。学歴によるアメリカ社会の分断に関しては、ピーター・テミン『なぜ中間層は没落したのか』も警鐘を鳴らしています。

 

 そうした中で、本書の特徴は、絶望死についてより詳細に分析しつつ、対処すべき問題としてアメリカの医療制度の問題を指摘している点です。

 例えば、ピーター・テミンはアメリカ社会の分断に対する処方箋として、公教育の充実、大量投獄から社会福祉へ、インフラの整備、低賃金部門の債務の減免といった手段を幅広くあげていますが、その分、何から手を付けていいのか分かりづらいところもあります。

 それに対して、本書ではピンポイントにアメリカの医療制度を告発している点にインパクトがあり、また、こうした問題をなんとかしたいと考える人びとに指針を与えるものとなっています。

 

 目次は以下の通り。

第I部 序章としての過去
 第1章 嵐の前の静けさ
 第2章 バラバラになる
 第3章 絶望死
第II部 戦場を解剖する
 第4章 高学歴者(と低学歴者)の生と死
 第5章 黒人と白人の死
 第6章 生者の健康
 第7章 悲惨で謎めいた痛み
 第8章 自殺、薬物、アルコール
 第9章 オピオイド
第III部 経済はどう関係してくるのか?
 第10章 迷い道──貧困、所得、大不況
 第11章 職場で広がる距離
 第12章 家庭に広がる格差
第IV部 なぜ資本主義はこれほど多くを見捨てているのか?
 第13章 命をむしばむアメリカ医療
 第14章 資本主義、移民、ロボット、中国
 第15章 企業、消費者、労働者
 第16章 どうすればいいのか?

 

 20世紀は健康状態が大きく改善し、平均寿命も大きく伸びた時代でしたが(これは『大脱出』のテーマ)、21世紀に入ってアメリカの非ヒスパニック白人の中年(45〜54歳)の死亡率の下げ止まりが見られます。他の国は順調に下がっているのにもかかわらずです(33p図2−1参照)。

 依然として、非ヒスパニック白人よりも黒人の死亡率が高いのですが、その差は縮まりつつあります。

 地域的には、カリフォリニアを除く西部、アパラチア、そして南部で白人死亡率が高くなっています(37p図2−2参照)。

 

 この原因となっているのが、本書が「絶望死」と名付けている現象です。

 この絶望師をもたらしているのは、事故または意図不明の中毒(そのほぼすべてが薬物の過剰摂取)、自殺、アルコール性肝疾患と肝硬変になります。さらに他国では低下している心臓病による死ぬリスクが低下しなくなっています(46p図3−1参照)。

 

 では、どんな白人の健康状態が悪化しているのか?

 これは明確な傾向があって、中年の死亡率が上昇しているのは学士号未満、つまり大卒ではない人びとです。一方で学士号以上の人びとの間では死亡率の上昇は見られません(53p図4−1参照)。

 米国において格差が拡大しているという話はよく聞きますが、健康状態にまであからさまに格差ができているというのはやはり驚きです。しかも、この差は1990年にはたいしたものではなかったのに、21世紀になってから急速に拡大しているのです。

 

 もはやアメリカは健康状態から見ても2つの世界に分断されています。

 2019年の意識調査によれば、大学が国に良い影響を与えていると考えるアメリカの成人は半数しかいなかった。共和党 ―以前にもまして低学歴者の政党となっている党だ― の支持者の59%が、むしろマイナスの影響を与えていると答えている。(58p) 

 このように、大学というものが人びとにチャンスを与えるものというよりは、格差を作り出すものとして認識されているのです。

 

 この中年の死亡率の差は女性にも当てはまります。男性ほどではないものの、学士号以上の女性と学士号なしの女性の中年における死亡率の差は拡大しています(1990年にはほぼないと言ってもよかったのに(61p図4−2参照)。

 62pのコーホート(出生年ごとの集団)別のグラフをみると、学士号なしでは1950年生まれの世代あたりからグラフが立ち上がってくるように死亡率が上がっていることがわかります。50年生まれ<60年生まれ<70年生まれ<80年生まれという形で死亡率はきれいに上昇しているのです。

 

 では、白人以外はどうなのか?

 黒人の死亡率は常に白人を上回ってきましが、近年、その差は縮まりつつあります(68p図5−1参照)。しかし、やはり黒人においても2013年頃から大卒未満の死亡率が上昇しています(69p図5−2参照)。この背景にはフェンタニルと呼ばれる合成麻薬の広がりがあります。ただし、自殺率に関しては白人と違って上昇は見られません。

 20世紀後半に都市部の黒人コミュニティで起こったことは、21世紀になって白人に起こったことの前兆だったといいます。1970年代に都市部の製造業が衰退すると、黒人の失業率は上昇し、家庭を支えられる男性が減ったことによって、シングルマザーが増加しました。そして、80年代になるとクラックやコカインが流行したのです。

 当時は父親のいない黒人の家庭環境や勤勉さの喪失が問題だとされましたが、それが間違っていたことは現在の白人の絶望死の増加が証明しています。

 

 近年、アメリカでは多くの人びとが「痛み」を訴えるようになっています。

 この痛みの中心は関節炎などなのですが、アメリカでは中年期の痛みが急激に増え、高齢者よりも中年が痛みを訴える状態になっています(88p)。

 ギャラップ社の調査では、調査の前日に人びとに物理的な痛みを感じたかどうかを尋ねる項目がありますが、これを地図に落とし込むと痛みの訴えが目立つのは、カリフォルニアのベイエリアを除く西海岸、アパラチア、南部、メイン州ミシガン州の北部といった所で(91p図7−1参照)、失業率やトランプに投票した人之割合と相関しています。

 そして、この痛みに関しても、学士号以上ではコーホートによる差がありませんが、学士号未満ではより若くして痛みを訴えるようになっています(94p図7−3参照)。

 この痛みの原因の1つとして肥満があげられますが(足などに負担がかかる)、痛みの増加の1/4ほどを説明すると言われています。

 

 2017年、アメリカでは15万8000人が本書の言う絶望死で亡くなっています。

 まず、自殺ですが、1990年代後半から増え始め、アメリカの自殺率では他の富裕国の中でも一番高い部類となっています。そして、地域別にみると自殺率の高さと痛みの訴えの多さは相関しているといいます。

 1945年生まれのコーホートを見てみると学歴による自殺率の差はほとんど見られませんが、1970年生まれになると学士号未満の自殺率が学士号以上を大きく上回っています(108p図8−1参照)。かつて、学歴の高さは自殺のリスク因子でしたが、現在の白人にはまったくあてはまらなくなっているのです。

 

 アルコール依存に関してもこの傾向はあります。飲酒率は高学歴者のほうが高いのですが、深酒をするのは低学歴者です(113p図8−2参照)。ロシアではソ連崩壊前後にアルコール消費量が伸び、平均余命が低下しましたが、アメリカでも同じようなことが起きているのかもしれません。

 

 そして、痛みを抑えるためのものでありながら、死亡率を押し上げる原因となっていると考えられるのがオピオイドと呼ばれる鎮痛剤です。

 オピオイドモルヒネと似た効果がある合成物、および半合成物ですが、麻薬と同じように中毒症状があり、日常生活を崩壊させる恐れがあります。2016年には1万7087人が処方箋のオピオイドによって死んでいるといいます(120p)。

 2015年にはすべてのアメリカの成人の1/3以上にあたる9800万人がオピオイドの処方されているといいます。しかし、過剰摂取で死んでいるのはやはり学士号未満の者が中心で被害者の2/3が高卒以上の教育を受けていません(121p)。

 

 1996年、12時間かけてゆっくりと放出されるというオキシコンチンという鎮静剤の登場以来、オピオイドの処方が急速に増えました。使用者の多くが再び痛みに悩まされるようになり、さらなら処方を求め、医師もそれに応えたからです。

 2011年頃には軽率な処方が問題視されるようになり、医師も処方を制限しましたが、代わりにヘロインやフェンタニルによる死が広がりました。フェンタニルに関してはアフリカ系アメリカ人の中年の死亡率を押し上げています。

 

 本書ではこのオピオイドの流行を「エピデミック」という病気の流行を表す言葉で表現しています。

 製薬会社が製造・販売し、議員たちは意図的な過剰処方をアメリカ麻薬取締局(DEA)が取り締まれないようにし、DEAは原料となるケシの輸入をそのままにし、食品医薬品局はこうした薬物を承認し、その後に麻薬の密売人がやってきました。こうしてエピデミックは広がったのです。

 例えば、ジョンソン・エンド・ジョンソンタスマニアオピオイドの原料となるケシの栽培を行い、巨額の利益をあげました。

 

 このように書いていくと、不平等や格差がこのエピデミックの原因だと考えたくなりますが、例えば、ニューハンプシャーとユタは所得の不平等がもっとも少ない州ですが、もっとも不平等なニューヨークやカリフォルニアよりも絶望死は多いです。

 また、貧困が原因だとも考えられますが、貧困が主因だとするとアフリカ系アメリカ人が少なくとも2013年まではエピデミックから免れていたことが説明できません。

 リーマンショックの影響も考えられますが、緊縮財政によって福祉などが削減された欧州に比べると、アメリカでは厳しい緊縮財政はとられませんでした。

 

 このエピデミックをもたらしているのはもう少し長期的な影響だと考えられます。

 戦後、1970年代頃までは人びとはエスカレーターに乗っているようなもので、多くの人びとが自然に豊かになっていきました。しかし、70年代以降、学歴が高い人の乗ったエスカレーターは動き続けた一方で、学歴の低い人が乗ったエスカレーターは止まってしまったのです。1979年から2018年までの間、生産性は70%伸びましたが、時間給12%の伸びにとどまっています(165p)。

 非ヒスパニック白人男性の平均所得をコーホート別に見ると、学士号以上を持つ人の所得は1940年生まれ<55年生まれ<70年生まれと順調に伸びていますが、学士号未満では40年生まれ>55年生まれ>70年生まれと逆に低下しています(168p図11−1参照)。しかもその差は年齢を重ねるごとに広がっていきます。

 1979〜2017年の大卒未満の白人男性の平均賃金の伸びは年間マイナス0.2%となっており(169p)、完全に経済発展から取り残されているのです。

 

 しかも、学士号未満の白人の間では賃金だけでなく仕事をしている者の割合も低下しています(174p図11−2参照)。アメリカでは製造業を中心に多くの仕事が失われてしまい、代わりとなる仕事は不安定な臨時雇いのサービス業などが中心でした。これらの仕事はロボットが来るまでのつなぎにすぎないかもしれません。

 Amazonの倉庫などに代表されるように多くの仕事は委託であり、もはや企業との一体感はありません。経済学者のニコラス・ブルームの言葉を借りれば「もう休日のパーティに招かれることもない」(180p)のです。 

 

 こうした雇用状況は家庭にも影響を与えます。学士号未満の結婚している非ヒスパニック白人の割合は現象を続けており(184p図12−1参照)、同時に同棲と未婚の子育てやシングルマザーが増えています。

 以前はアフリカ系アメリカ人に多く見られた、未婚で子育てする割合は大卒資格を持たない白人女性において、1990〜2017年の間に出産総数の20%から40%超へと増えています。

 労働組合の組織率も下がっていますし、毎週教会に通っている割合も大卒未満で落ち込みが目立ちます(194p図12−3参照)。

 低学歴の白人は所得の面で差をつけられているだけでなく、コミュニティそのものから疎外されている状況なのです。 

 

 では、なぜこのような状況に陥ってしまったのでしょう? また、この状況を改善するにはどこから手を付けたらしいのでしょう?

 公教育の充実、累進性を高めた税制、社会保障制度の整備、あるいはロビイストの規制など、いくつか対策が思いつきますが、本書が一番問題視しているのがアメリカの医療制度です。

 アメリカの医療制度は「経済の全身に転移したがんのようなもので、アメリカ人が必要としているものを届ける能力を奪っている」(204p)というのです。

 

 アメリカの医療システムはGDPの18%を吸収しており、2017年の額は国民1人当たり1万739ドルで教育費の約3倍です(208p)。オピオイドの処方などの個別の問題だけではなく、医療が労働者の所得を食いつぶしていることが大きな問題なのです。

 アメリカの医療費は世界一高額ですが、アメリカ人の健康状態は富裕国の中では最低です。つまり、アメリカ人は他の国の人びとよりも余計な出費を強いられていると言えます。

 まず、あげられるのが薬剤や機材の高さで他の国よりも3倍程度高くなっています。医師の給与も高いですが、これは医師団体や連邦議会の要請によって医師の数が低く抑えられ、外国人医師の開業も難しくしているからです(215p)。

 もちろん薬には開発費もかかりますが、アメリカでは多くの金額が費やされながら健康を増進しない薬が流通しています。イギリスでは費用対効果が検証されていますが、アメリカではそのような仕組みがありません。

 病院は合併によって競争を排除して価格を吊り上げており、地域独占病院は競争の激しい地域よりも12%高い料金をとっています(218p)。その一方、2017年、アメリカの病院は広告費に4億5000万ドルを投じたといいます(219p)。

 

 結果、所得の中で医療費以外に使える割合は1960年の95%から現在は82%に減っています(221p)。これが他のものを買う能力を奪い、貯蓄する余裕を奪っています。

 この医療費の高騰は健康保険にも影響を与えています。アメリカでは一律の医療保険がなく、雇用者が保険を提供する方式となっていますが、医療費が増加して健康保険の拠出金が増えれば、企業は雇う人を減らしたり、一部の職種に健康保険をつけなくなります。場合によっては部門ごと外部委託するかもしれません。

 健康保険の家族契約のコストは高給取りにはささいなものですが、平均賃金の半分しか稼げない低賃金労働者では、コストの60%となります(224p)。

 さらに医療費の高騰は、連邦政府と州政府の予算も食いつぶしています。メディケイドが州歳出に占める割合は2008年の20.5%から2018年には推定29.7%まで増えています(225p)。

 医療において、患者は医療提供者と同等の情報を持つことはほぼ不可能で、医療の過剰提供を断ることはほぼできません。だからこそ政府の規制が必要なわけですが、アメリカでは医療業界のロビイストが大きな力を持っており、必要な政府の規制をブロックし続けているのです。

 

 本書では、この医療以外にもいくつかの問題を検討しています。

 まずは移民の問題ですが、確かに短期的には賃金を低下させる圧力になり得るかもしれませんが、長期的にそういった明らかな影響は確認されていないといいます。労働者が増えることが賃金の低下につながるのであれば、女性の社会進出も賃金低下の要因になるはずですが、こちらもはっきりとした影響は確認されていません。

 グローバル化に関しては、確かに中国からの輸入による「チャイナ・ショック」を受けた地域では失業者が増え、死亡率も高まったという研究があります。また、グローバル化によって消滅した仕事と増えた仕事がありますが、成功している都市の生活費の高騰が労働者の移動を難しくしています。

 ただし、中国からの輸入が増えてもドイツやフランスで絶望師が増えているわけではありません。ここにはやはりアメリカのセーフティネットの貧弱さがあります。

 

 さらに近年のアメリカでの独占の進行は、労働市場における買い手独占を生み出しています。先程触れた人びとの移動が難しくなっている問題も、この買い手独占を助長していると考えられます。

 

 最後にいくつかの処方箋があげられています。医療制度の改革、トラストへの対策、最低賃金の引き上げ、ロビイングに関する情報公開、教育改革などです。ただし、あくまでも簡単なスケッチというかたちです。

 ちなみにユニバーサル・ベーシックインカムについては慎重な見方を示しています。

 

 このように本書は読みどころの多い本ですが、最後にディートンが『大脱出』につづき、RCTに対して疑問を呈している一節を紹介しておきます。本書によれば、オピオイドが認可されてしまったのもRCTのやり方、そしてそれに信頼を置きすぎることに問題があったからで(137p)、ディートンはかなり強いRCT懐疑論者と言えそうです。

 

 最後に「なぜ」について私たちがどう考えているかを一言。私たちは原因について、どちらかというと歴史家や社会学者の精神で考えている。経済学者の中には、因果関係を示すには比較実験が必要である、あるいは最低限、そもそも区別できない人たちをグループに分けて、違う形で、特定の出来事にさらす歴史的状況が必要だという考えに賛同するものがいる。こうした手法に利点はあるが、私たちの役にはほとんど立たない。ゆっくり変化する大規模崩壊に、さまざまな偶発力が歴史的にかかわり、その力がお互いに影響しあっているからだ。一部の鼻っ柱の強い社会科学者は、このような状況で学んだことはすべて幻想だと主張する。私たちは、この意見には根本的に反対だ。(270p)

 

 

 

 さらにこのエントリーであげた本の紹介記事のリンクを載せておきます。

 

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『ノマドランド』

 一時期、日本でも「ノマドワーカー」というオフィスなどではなくカフェなどで移動しながら仕事をするスタイルが局所的に持ち上げられましたが(安藤美冬さんとか何をしているんだろう?)、この映画に出てくる「ノマド」は全く違うものです。

 この映画に出てくる「ノマド」はアメリカでキャンピングカーなどの車中で暮らす人々のことであり、その多くは老人でありながら、季節労働者のように各地で仕事をしながら暮らしています。

 

 映画は、フランシス・マクドーマンド演じる主人公のファーンがネバダにある企業城下町での事業所の閉鎖によって住む所を失う場面から始まります。

 車に簡単な家財道具を詰め込んだファーンは、そういった車が夜を過ごせる場所に車を止めてAmazonで働きだします。

 ここまでは現代アメリカ社会の格差や分断を告発する映画のように思えるのですが、この映画はそういった形には展開しません。もちろん、主人公の職場、Amazon、公園の清掃、レストラン、じゃがいも(?)の収穫作業などは低賃金労働であり、登場人物が年金の少なさを嘆くシーンもあります。

 いわゆる「虐げられた人びと」を描いた映画と言えるのかもしれません。

 

 ただし、主人公のファーンもそうなのですが、この映画で描かれるノマドの人びとは自ら望んで移動を続けています。もちろん、何かの問題があって車上生活に入ったのかもしれませんが、そこにある種の「自由」を感じているのも確かなのです。

 
 そして、何と言っても本作の特徴はフランシス・マクドーマンド以外は1人を除いて実際のノマドが自身の役を演じているということです。エンドロールで気が付きましたけど、これがこの映画の雰囲気を大きく決定していたのでしょう。

 客観的には惨めな境遇かもしれないけれども、けっしてみじめな雰囲気ではないですし、だからといって前向きというわけでもありません。彼らにはそれぞれ車中で暮らす理由があり、その厳しさも受け入れているからです。

 

 そんなノマドととの交流とともに本作ではアメリカのダイナミックな自然が描かれます。アメリカのロードムービーというと、「どこまでも広がるトウモロコシ畑を行く」みたいなシーンが思い浮かびますが、この映画が映し出すのはもっと荒々しい自然です。

 そういった部分も含めてアメリカの基底のようなものを描いた映画と言えるかもしれません。

 

 でも、この映画の監督は中国生まれのクロエ・ジャオなんですよね。さらにネットで調べてまだ30代(1982年生まれ)と知ってびっくりしました。

 深い余韻を残すいい映画だったと思います。

 

パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』

 ここ最近、多くの作品が翻訳されている韓国文学ですが、個人的には、『ギリシャ語の時間』や『回復する人間』のハン・ガンと、『ピンポン』や『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』のパク・ミンギュがちょっと抜けた存在のだと思っていましたが、このパク・ソルメの作品もすごいですね。

 1985年生まれの女性作家で、ハン・ガン(1970年生まれ)やパク・ミンギュ(1968年生まれ)に比べると若いですが、一種の「凄み」を感じさせます。

 

 まず、冒頭に置かれているが「そのとき俺が何て言ったか」という作品ですが、いきなり理解不能な暴力が描かれています。

 カラオケ店のオーナーと見られる男は客の女性に「一生けんめい」歌うことを要求するのですが、その姿は映画『ノーカントリー』でハビエル・バルデムが演じた殺し屋のシガーを思い起こさせるもので、読み手にも異常な圧力で迫ってきます。

 本書は訳者の斎藤真理子による日本オリジナルの短編集となりますが、いきなりガツンとくる構成になっています。

 

 その後、「海満(へマン)」という作品を挟んで、「じゃあ、何を歌うんだ」が来ますが、これは作者自身と思われる主人公が歴史的事件との向き合い方を問われる作品です。

 パク・ソルメは光州の出身です。光州と言えば、何と言っても映画『タクシー運転手』でもとり上げられた1980年の光州事件が思い出されるわけですが、85年生まれの作者は光州事件を経験してはいません。

 それでも、光州出身だと言えば、出てくる話題は光州事件です。主人公はアメリカでも京都でも光州事件の話を持ち出されます。

 そんな中で、自分と光州事件の埋めがたい距離感がこの小説では描かれています。

 

 「私たちは毎日午後に」という作品は、同棲している男が突然小さくなってしまったことから始まります。

 そして、本書で繰り返し出てくるのが東日本大震災福島第一原発事故のことです。主人公は、テレビなどで震災後も日本の人々が「元気にやっている」ことを理解していますが、同時に震災によって自分の知っている日本が消え去ってしまったようにも感じています。

 ある種の連続性が失われているのですが、これが男が突然小人になったこととシンクロしています。

 

 原発事故に関しては、韓国の古里原発の事故も複数の作品でとり上げられています。 2012年2月9日に古里原発の第1号機で全電源喪失という重大事故が起こりましたが、そのことは3月12日まで隠蔽されていました。

 ここにも作者は連続性の危機を見ていて、「暗い夜に向かってゆらゆらと」では、事故が「起こってしまった」後の釜山の様子(ただし大惨事が起こったようにも見えない)が描かれています。

 

 ラストに置かれている表題作の「もう死んでいる十二人の女たちと」は、キム・サニという5人の女性を強姦殺害した後に交通事故で死んだ男が、その被害者である5人の女と同じような事件で殺された7人の合わせて12人の女たちに改めて殺されるという話。

 主人公はチョハンという昔からの友達でありながら今はホームレスをやっている男に、キム・サニが殺された現場を見せられます。

 幻想的な作品でもあるのですが、同時に女性に対する暴力の遍在を告発するような作品でもあり、現実の社会とリンクしています。

 冒頭の「そのとき俺が何て言ったか」とともに、非常に強い印象を残す作品です。

 

 かなり独特な文体で知られる作家だそうですが、そのあたりも含めて訳者の斎藤真理子が上手く訳しているのではないかとも思います。

 その独特の感覚と文体で、読み手にさまざまなことを考えさせる作家で、他の作品も読んでみたくなりました。

 

 

Cassandra Jenkins / An Overview on Phenomenal Nature

 ニューヨーク出身のシンガーソングライターCassandra Jenkinsの2ndアルバム。

 ジャンル的にはアンビエント・フォークという分類になりますかね。最近、きちんと音楽情報を終えていないのでよくは知らないのですが、ジョシュ・カウフマンという著名な人物がプロデューサーを務めています。

 フォークと言ってもギター1本というサウンでではなく、ピアノやサックスが入ったりして、静謐ながらかなり凝った音作りがされています。

 特に3曲目の"Hard Drive"は素晴らしい。ループするドラムにギターやドラムが絡むサウンドに、Cassandra Jenkinsが「1・2・3」とささやくように歌うカウントダウン。この曲は相当な傑作だと思います。

 他の曲もCassandra Jenkinsのウィスパーボイスは冴えていて、悲しみと透明性が同居しているような印象です。

 7曲入り32分という短いアルバムですが、染み入る1枚という感じでしょうか。

 


Hard Drive

 

 

 

山口慎太郎『子育て支援の経済学』

 『「家族の幸せ」の経済学』光文社新書)でサントリー学芸賞を受賞した著者による、子育て支援の政策を分析した本。 

 『「家族の幸せ」の経済学』も面白かったのですが、個人的にはマッチングサイトや離婚の話などは置いておいて、もっと著者の専門である子育て支援政策の分析に絞ったほうが良かったのでは、という感想も持ちました。そうした意味では個人的には待ち望んでいた本です。

 本書は『経済セミナー』の連載をもとにしたものであり、新書である『「家族の幸せ」の経済学』に比べると、研究の方法・技法の紹介に大きく紙幅を割いています。「この研究によるとこういった効果がありますよ」と紹介するだけではなく、「この研究は問題を明らかにするためにこういった技法が使われており、それによるとこういった効果がある」という形で研究のやり方が妥当であるのかということも含めて検討されています。

 中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』や伊藤公一朗『データ分析の力』といった因果分析のやり方を紹介した本にも通じる内容です。

 このように書くと、なかなか難しそうな本に思えるかもしれませんが、テクニカルな部分は巻末の付録に回してありますし、基本的には読みやすいと思います。

 また、日本の子育支援政策、特に保育園をめぐる政策が、その政策による効果が最もあると考えられる低所得・低学歴の母親層に届いていないのではないか? という指摘は非常に重要なものだと思います。

 

 目次は以下の通り。

第1部 子育て支援出生率向上

 第1章 なぜ少子化は社会問題なのか?
 第2章 現金給付で子どもは増える?
 第3章 保育支援で子どもは増える?
 第4章 少子化対策のカギはジェンダーの視点?

第2部 子育て支援は次世代への投資

 第5章 育休政策は子どもを伸ばす?
 第6章 幼児教育にはどんな効果が?
 第7章 保育園は子も親も育てる?

第3部 子育て支援がうながす女性活躍

 第8章 育休で母親は働きやすくなる?
 第9章 長すぎる育休は逆効果?
 第10章 保育改革で母親は働きやすくなる?
 第11章 保育制度の意図せざる帰結とは?

付録 実証分析の理論と作法

 

 まず、第1章では「なぜ少子化は社会問題なのか?」「なぜ政策介入が必要のなのか?」ということが論じられていますが、親は子育ての費用を負担するが、現代の先進国では子どもの稼ぎを自分のものにすることはできないから、子どもが生み出す便益は社会全体で共有されてしまう。子どもが育ち社会の一員になることには正の外部性を持つ(社会全体のプラスになる)ので、政策的介入が正当化されるという議論がなされています。 

 いかにも経済学的な論の運びですね。

 

 第2章では現金給付の効果が検討されています。子育て支援策には現金給付、保育所などを整備する現物給付、税制上の優遇措置などが考えられます。

 その中でも現金給付は一番人びとのインセンティブを刺激しそうではありますが、現実にはそうストレートに効くわけではありません。ゲイリー・ベッカーが言うように子育てには「量」(人数)と「質」のトレードオフがあるかもしれず、経済的な余裕は「質」への投資(習い事をさせるなど)につながり、子どもの人数を増やすことにはならないかもしれないからです。

 

 では、実際にどうやって現金給付の効果を測定するかというと、本書ではカナダのケベック州のケース使って差の差分析(DID)を行った研究が紹介されています。

 カナダのケベック州では1988年に所得制限のない新生児手当が導入されました。これは第1子と第2子には500カナダドル、第3子以降には3000カナダドルを支払うというもので、92年には第2子1000カナダドル、第3子以降には8000カナダドルに増額されています。

 そして、ポイントはカナダの他の州では実施されなかったことです。つまりケベックを介入群、他を対照群とみなせます。もし、ケベック州出生率が他の州に比べて大きく伸びるのであれば、それは現金給付の効果だとみなせるのです。

 その分析の結果を見ると、それまで他の州に比べて低かったケベック出生率がほぼ他の州と並んだことがわかります(26p図2.5参照)。

 

 こうした研究は各国で行われており、多くのケースで現金給付は出生率を引き上げています。ケベックのケースでは給付金に対する出生率の弾力性は0.107、つまり給付金が1%と増えると出生率が0.107%増えると分析されています。また、ケベックでは第3子以降に手厚い給付をしていますが、給付金額あたりの効果では第2子に最も効果が出ているそうです(36−37p)。

 

 では、現物給付、保育所の増設はどうでしょうか?

 2000年代半ばの旧西ドイツ地域における保育改革では、1歳以上の子ども保育所に入所する法的な権利が付与されるようになり、保育所の定員は改革前の3倍に増えました(保育所の整備に関しては旧東ドイツ地域の方が進んでいた)。

 このときに保育所の整備が進んだ地域と遅れた地域を比較することで、保育所の整備が出生率に与える影響を探った研究があります。この研究によると、保育所の定員率が10%ポイント上昇すると、出生率が1.228%ポイント、あるいは2.8%上昇することがわかったそうです(54p)。

 

 では、先程の現金給付と比べて出生率が引き上げる効果が高いかどうかと言うと、多国間データを用いた過去の研究によると、児童手当に対する出生率の弾力性は0.16であり、これがドイツにも当てはまるとすれば、ドイツはおよそ400億ユーロの児童手当を使っているので、4億ユーロで出生率を0.16%引き上げることになります。

 一方、同額を保育所の増設に回すと5万8823人分の保育枠が生まれ、これは出生率を0.82%上げると考えられます。つまり、児童手当と比べて、5倍以上効果的だということです(55p)。さらに保育所の増設は働く女性を増やすことで税収増も望めます。

 ただし、日本だと、児童手当に対する出生率の弾力性を同じく0.16と想定した場合、ドイツほど、保育所の増設との差は出ません。

 

 現金給付にしろ保育所の整備にしろ、子育て費用の低減が少子化対策の1つの手段となるわけですが、子育てのコストが夫婦でどのように分配されるのかも考える必要があります。

 先進国では、男性の家事・育児負担割合が高いほど出生率も高い傾向がありますが(67p図4.1参照)、これはあくまでも相関関係で因果関係を示しているとは言えません。ただし、子どもを持つかどうかで夫婦の考えが一致しておらず、しかも妻が子どもを持ちたくない形で不一致となっている国は出生率も低いとのデータがあり(69p)、さらにこの不一致は男性の家事・育児負担割合が高いほど低くなる傾向にあります。

 

 以上が第1部。つづいて第2部では、子どもの発育という立場から子育て支援策が分析されています。

 まず、最初にとり上げられているのが育休の延長です。育休の延長は子どもの成長にプラスの影響を与えるのでしょうか?

 

 本書では回帰不連続デザイン(RDD)という手法を使った研究を紹介しています。育休の導入や延長はある時期を境に行われますが、その直前と直後を比較することで、育休が子どもの成長に与える影響を測ることができるというわけです。

 ドイツでは大きな育休改革が3度行われています。1979年に行われた育休を2ヶ月から6ヶ月に伸ばすもの、1986年に行われた6ヶ月から10ヶ月に伸ばすもの、1992年に行われた18ヶ月から36ヶ月に伸ばすものです。いずれも29歳時の教育年数や進学高校卒業率は特に大きく変化しておらず(89p図5.4、90p図5.5、図5.6参照)、育休の延長が子どもの長期的な成長に特に影響を及ぼすものではないことがわかります。

 一方、ノルウェーの1977年に行われた育休改革は高校中退率を2%ポイント引き下げ、30歳時点の労働所得を5%上昇させたといいます。これは当時、ノルウェーには2歳未満の子どものための保育所がなく、仕事をする女性は祖父母に子どもを預けざるを得なかったことが原因だと考えられます。

 

 つづいて幼児教育の効果です。ヘックマンの研究などから幼児教育が子どもの非認知能力を高め、それが大人になってもプラスの影響を与えるという話が知られるようになっていますが、実際のところはどうなのでしょう?

 アメリカではランダム化比較試験(RCT)を使った社会実験プログラムが行われています。一番有名なのはペリー幼児教育プロジェクト(PPP)ですが、ここでは1962〜67年にかけて3〜4歳の黒人家庭の子どもたちをランダムに選び、1〜2年の幼児教育と1、2週に1回の家庭訪問を行い、40歳までデータを取り続けました。

 この他、アメリカではいくつかのプログラムが行われています。いずれも5歳時のIQを引き上げましたが、このIQへの効果は小学校入学後2、3年で消えてしまいます。しかし、高校卒業率を20〜50%引き上げ、30〜40歳の就業率や労働所得を増大させました。これはプログラムによって攻撃性や多動性などが改善され、自身の感情や行動をコントロールする非認知能力が高められたためと考えられています。

 ただし、これらのプログラムはいずれも低所得の家庭に対して行われており、すべての子どもに同様の効果を与えるかは不明です。また、PPPの行った1,2週に1回の家庭訪問を全国一律で導入するのはコスト的に相当難しいものでしょう。

 

 幼児教育の一般的な影響を明らかにしようとする研究も行われており、それは保育所の整備が進んだ地域と遅れた地域を比較する差の差分析や、保育所に入れた子どもとぎりぎり入れなかった子どもを比較した回帰不連続デザインなどの手法が使われます。

 各国の研究によると、幼児教育はテストのテストの点数を引き上げ、これは中学頃までつづくとのことです。また、非認知能力の1つである「社会的情緒能力」を改善させるとの研究もあります。一方、イタリアのボローニャでは裕福な家庭の子どもに負の影響を与えたとの研究もあります。恵まれた家庭では、保育所以上の教育を提供できている可能性もあるのです。

 

 第7章では著者の厚生労働省「21世紀出生児縦断調査」を用いた研究が紹介されています。日本において保育所の利用がどのような効果をもたらしているのかを調べた研究です。

 これによると、保育所利用は言語的な発達を促します。また、多動性と攻撃性を減少させる結果も出ていますが、統計的にあまり確かなことは言えないようです。ただし、母親が高卒未満の場合、保育所の利用は多動性と攻撃性を大きく減少させます。

 また、保育所の利用には、高卒未満の母親のしつけの質を改善し、ストレスを減少させ、幸福度を上昇させる効果もあります。これは、恵まれない環境の家庭では母親の余裕がなく、子どもに望ましい環境を提供することが難しいが、保育所の利用によって母親に余裕が生まれ子どもの環境も良くなるということなのでしょう。また、子どもとの接し方を保育士から学んでいるとも考えられます。

 なお、この分析は137pの表7.2と139pの表7.3にまとめられていますが、有意水準を示す星(*)がついていません。著者は「星をつけてしまうと、その視覚的な印象に引きずられ、結果を有意・非有意の2分法で解釈することに陥りがちだからだ」(138p)と述べています。

 

 第3部では働く女性の就業支援という立場から子育て支援策を検討しています。

 まずは育休です。オーストリアでは1990年に育休期間を1年から2年に延長する変更がなされました。この制度変更の時期の前後で比較する回帰不連続デザインの研究が行われていますが、それによると育休の延長は育休の取得期間を伸ばし、3年以内の仕事復帰率を低下させました(148p図8.1、8.2参照)。仕事への復帰のタイミングはやはり遅くなったのです。ただし、中長期的な雇用への影響は少ないようです。

 

 以前、安倍首相が「3年間抱っこし放題」と名付けて育休を最長3年まで伸ばすことを提言していましたが(実現はしなかった)、育休を伸ばせば出生率は上がるのでしょうか? 

 この仮定の問題に構造推定アプローチを使って取り組んだのが第9章です。これを解説するのは難しいので詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、出産後に母親が働く確率は育休が1年でも3年でもあまり変わらず、出生率に対する影響もわずかであると分析されています。

 本章では、出産手当金を支給した場合のシミュレーションも行われており、確かに大きな金額を出せば出生率は上がるものの、女性の就業率や所得を低下させることも示されています。

 

 第10章のテーマは保育所の増設が女性の就労を促進するかです。

 日本の女性の末子が6〜14歳時の就業率は72%で、OECD29カ国の平均73%とほぼ同じです。しかし、末子が0〜2歳時の就業率は47%でOECD29カ国平均の53%を大きく下回っています(175p図10.1参照)。

 保育所の増設を中心とした保育改革は、アルゼンチンやカナダのケベック州、スペイン、ドイツなどで大きな就業促進効果をもたらしたとされる一方、スウェーデンやフランス、オランダ、ノルウェーなどでは大きな効果を持たなかったといいます(183p)。前者の国はもともと女性の就業率が低かった国が多く、そうした国では保育所の不足が女性が働く上での制約要因になっていたと考えられるのです。

 

 保育所の増設が単純に女性の就労増加に結びつかないのは、今まで祖父母やベビーシッターなどに子どもを預けて働いていた人が保育所を利用するようになるケースもあるからです。この場合、保育所の定員が増えても女性の就労率はあがりません。

 

 こうしたことを踏まえて最後の第11章では日本の保育制度の問題点が指摘されています。

 日本では親が保育所に入所させたいと考える子どもの数よりも保育所の定員が少ないことが多く、利用調整制度という希望者を順位付けし、絞り込む仕組みがとられています。多くの人はご存知でしょうが、フルタイム勤務や一人親世帯などに高い点数が与えられ、パートや休職中だと点数が低くなります。

 

 都道府県別に母親の就業率と保育所定員率を関係を見ると、きれいな相関が見られます(205p図11.1参照)。これをみると、保育所の整備が母親の就業率向上につながると考えてしまいます。

 ところが、そういった因果関係があるとは言い切れません。例えば、女性が働く気風がある地域では、女性の就労率は高いでしょうし、その前提のもとで保育所の整備も進んでいると考えられるからです。

 実際、2005〜10年の保育所定員の伸び率と母親就業率の伸びをプロットすると明確な相関関係はなくなってしまいます(206p図11.2参照)。これは保育所の整備によって子供の預け先が祖父母から保育所に置き換わる減少が起きているからだと考えられます。公的な保育が私的な保育を押し出してしまうクラウディングアウトが起きているのです。

 

 今まで見てきたように、保育所の利用は、より恵まれない家庭の子どもの能力を引き上げ、母親の子育てやストレスなどを改善します。ただし、恵まれない家庭の母親がフルタイムの正社員であることは少なく、結果的に点数も低く、子どもを保育所に預けられないということが起きています。場合によっては、祖父母の支援も期待できる恵まれた家庭の子どもが恵まれない家庭の子どもを押し出していることも考えられるわけです。

 著者は、複雑ね利用調整の仕組みを改めて、年齢や家計所得によって優先順位を決めるのも一案だとしています(213p)。また、保育無償化よりも家計所得に応じて適切な料金を徴収し、できるだけ多くの家庭が保育所を利用できるようにするべきだとしています。

 

 このように、本書は方法論に注目しながら子育て支援に関するさまざまな研究を紹介しつつ、同時に日本の保育の問題点も指摘するという、学術的でなおかつアクチュアルな本になっていると思います。

  

 

 ちなみに、これは余談ですが、本書と同じようなタイトルで『子育て支援社会学』という本があります。同じ社会科学の本で、タイトルも2文字しか違わないのに、テーマも方法論も何から何まで違う(けど両方とも面白い)本なので、興味が湧いたら以下の紹介記事を読んでみてください。

 

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

 

 見てきました。まさに「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」というキャッチコピーが当てはまる作品でした。

 3月8日に公開して以来、別にネット断ちをしていたわけでなくTwitterも普通に見ていたのですが、自分のTLではネタバレは皆無。

 おそらくネタバレしないほうが楽しめると思うので、ネタバレしたくない人は読まないでください。

 

 

 

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