カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』

 著者のカン・ファギルは1986年生の韓国の女性作家で、同じ〈エクス・リブリス〉シリーズで短編集の『大丈夫な人』が出ています。

 『大丈夫な人』は「ホラー」といってもいいような作品が並んだ短編集で、血しぶきが飛ぶようなことはないものの、じわじわと精神的に追い詰められるような強さが描かれていました。

 

 そんなカン・ファギルの長編が、この『大仏ホテルの幽霊』です。

 出版社のホームページに載っている紹介文は以下の通り。

 

物語の舞台は、1950年代後半、朝鮮戦争の傷跡が生々しく残る、朝鮮初の西洋式「大仏ホテル」。朝鮮半島に外国人が押し寄せた時代に仁川に建てられた実在のホテルである。
アメリカ軍の無差別爆撃で家族を亡くしたチ・ヨンヒョンは仁川の港で泊まり客を大仏ホテルに案内する仕事をしていた。雇い主は同い歳のコ・ヨンジュだ。ヨンジュは苦労して英語を習得し、大仏ホテルの後身である中華楼での通訳を経て、再オープンした大仏ホテルの管理を任される一方で、アメリカ行きを虎視眈々と狙う。中華楼の料理人のルェ・イハンは、韓国人からヘイトの対象とされる華僑の一族のひとり。かつて栄華を誇った大仏ホテルも、今や中華楼三階の客室三室とホールだけの営業となった。悪霊に取り憑かれていると噂される大仏ホテルに、ある日、シャーリイ・ジャクスンがチェックイン。エミリー・ブロンテも姿を現し、運命の歯車が回りだす。
伝播する憎しみ、恨み、運命を変えたい人々、叶えたい想い……。スリリングな展開と繊細
な心理描写によって、韓国社会の通奏底音である「恨(ハン)」を描ききり、最後は大きな感動に包まれる、著者の新境地。

 

 大仏ホテルは1888年に日本人が朝鮮にやってくる西洋人を当て込んでつくったホテルで、宿泊業が衰退してからは中華料理店「中華楼」となり、現在はかつての暮らしを伝える展示館になっているといいます。

 この紹介を読むと、最初からこのホテルを舞台とした話が展開するのかと思いますが、この小説は作者自身も登場するメタフィクション的な構造になっています。

 

 この小説は著者が「ニコラ幼稚園」という小説を書きあぐねているところから始まります。「ニコラ幼稚園」は前述の『大丈夫な人』に所収されている短編ですが、ここではその小説が書けないという設定になっています。

 

 ここで登場するのが主人公の母親の友人であるボエおばさんであり、そのボエおばさんの母親のパク・ジウンです。

 そして、このパク・ジウンが大仏ホテル(このころはすでに大仏ホテルとしての営業は取りやめている)の話を語りだします。

 これをさらに作者はチ・ヨンヒョンの視点で語り直したものが、本書のメインとなる第2部になります。

 

 このホテルにシャーリイ・ジャクスンが逗留するようになるということで、ここまで読んできた人はポスト・モダン的な小説を想像すると思います。

 シャーリイ・ジャクスンはホラーや心理サスペンスなどを得意としたアメリカ人の女性作家ですが、韓国に元大仏ホテルに逗留したというのはフィクションで、シャーリイ・ジャクスンの描き方にしろ、コミュニケーションの取り方にしろ、それほどリアリティを追求しているとは思えません。 

 シャーリイ・ジャクスンやエミリー・ブロンテはホラー的な雰囲気を出すための道具的なものにも思えます。

 

 というわけで、本書はポスト・モダン的なホラーという感じでして、『大丈夫な人』の短編に比べてもそんなに怖くありません。

 

 ところが、後半になると、韓国における華僑に対する差別や、朝鮮戦争に伴う住民同士の密告など、韓国の現代史の暗部がせり出してきます。 

 紹介文にもありますが、韓国の「恨(ハン)」というものがどのようなものであるかを教えてくるような展開であり、物語は一気にヘヴィーになります。

 

 ただ、本書はそれだけでは終わらずに、それをくぐり抜けた愛も描きます。

 『大丈夫な人』の作品群からは、このように温かさを感じるラストは想像していませんでした。紹介に「著者の新境地」とありますが、まさにそんな感じです。

 自分は『大丈夫な人』よりもこちらが好きですね。

 

 

 

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