アンソニー・ドーア『すべての見えない光』

 これは巧い小説。

 設定だけを見ると、ありがちというか、どこかで誰かが思いついていそうな設定なんだけど、それをここまで読ませる小説に仕上げているのは、アンソニー・ドーアの恐るべき腕のなせる技。文庫で700ページを超える分量ですが、読ませますね。

 

 カバー裏の紹介は次のように書かれています。

 

 ドイツ軍の侵攻が迫るパリ。盲目の少女マリー=ロールは父に連れられ、大伯父の住む海辺の町サン・マロへと避難する。一方ドイツの孤児院で育ち、ヒトラーユーゲントに加わったヴェルナーは、ラジオ修理の技術を買われ、やがてレジスタンスの放送を傍受すべく占領下のフランスへ。戦争が時代を翻弄するなか、交差するはずのなかった二人の運命が“見えない光”を介して近づく―ピュリッツァー賞受賞の傑作小説を文庫化。

 

 この紹介文からもわかるように、この小説は戦場におけるボーイ・ミーツ・ガールを描いています。

 片や盲目の少女で、片やヒトラーユーゲントという設定はドラマチックであり、通俗的に描こうと思えばいくらでもそうできそうな感じです。

 

 ただし、目の見えない人を演じる役者を撮れば、(もちろん役者の演技のレベルによりますが)ある程度「画になる」映画と違って、小説では目が見えない人の世界を文章で書く必要があります。

 これはなかなか難しいことだと思うのですが、ドーアは娘のために父がつくった街の模型の描写などを交えて、これを軽々とクリアーしてきます。

 訳者の藤井光の訳も良いこともあって、比較的短い文章を連ねていきながら、見事に世界を再現しています。

 

 ただ、文章以上に巧さを感じるのがこの小説の構成。

 この小説では、マリー=ロールの話とヴェルナーの話が断章として語られていき、そこにマリー=ロールの父が託された伝説のダイヤを追うフォン・ルンペンというドイツ人の士官の話が挟み込まれます。

 冒頭では二人が出会い、戦場ともなるフランスのサン・マロの街からから始まり、マリー=ロールとヴェルナーの少女、少年時代に戻って、サン・マロへの道のりが語られていくわけですが、この断片の組み合わせ方が非常に巧み。

 

 さらにそこに挟み込まれる伝説のダイヤの話がミステリなって長編を引っ張ります。

 読者は、マリー=ロールとヴェルナーはいつ出会うのか?という思いと、ダイヤの謎を追いかけながら、ページをめくり続けることになるわけです。

 

 そして、ついに出会う2人と戦後の後日談。ここは派手さはないのですが、美しさを感じさせるシーンです。

 「没頭できる長編小説を読みたい!」という人にお薦めですね。