細谷雄一編『ウクライナ戦争とヨーロッパ』

 東京大学出版会のU.P.plusシリーズの1冊でムック形式と言ってもいいようなスタイルの本です。

 このシリーズからは池内恵、宇山智彦、川島真、小泉悠、鈴木一人、鶴岡路人、森聡『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』が2022年に刊行されていますが、『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』がウクライナ戦争の世界への影響を論じていたのに対して、本書はヨーロッパへの影響を論じたものになります。

 

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 どこまでを「ヨーロッパ」とするかは(特にロシアはヨーロッパなのか?)というのは議論が分かれるところでしょうが、ウクライナ戦争は「ヨーロッパ」で起こった戦争として認識され、それゆえに非常に大きなインパクトを世界に与えました。

 そして、当然ながらヨーロッパ各国にはより大きなインパクトを与えているわけです。

 本書はそんなヨーロッパへのインパクトを豪華執筆陣が解説したものになります。

 

 目次と執筆陣は以下の通り。

序 ウクライナ戦争はヨーロッパをどう変えたのか(細谷雄一

I ウクライナ戦争が変えたヨーロッパ
1 ロシアによるウクライナ侵略がEU拡大に及ぼした変化(東野篤子)
2 NATOはどう変わったのか――新たな対露・対中戦略(鶴岡路人)
3 ウクライナ「難民」危機とEU
   ――難民保護のための国際協力は変わるのか?(岡部みどり)

II ヨーロッパ各国にとってのウクライナ戦争
4 ウクライナ戦争とイギリス
   ――「三つの衝撃」の間の相互作用と国内政治との連関(小川浩之)
5 ロシア・ウクライナ戦争とフランス(宮下雄一郎)
6 ドイツにとってのロシア・ウクライナ戦争
   ――時代の転換(Zeitenwende)をめぐって(板橋拓己)
7 ウクライナ戦争とロシア人(廣瀬陽子)
8 ロシア・ウクライナ戦争とウクライナの人々
   ――世論調査から見る抵抗の意思(合六 強)
9 NATOの東翼の結束と分裂(広瀬佳一)

 

 どの論考も力作揃いではありますが、ここでは個人的に興味を引いた論考を4本紹介したいと思います。

 

ロシアによるウクライナ侵略がEU拡大に及ぼした変化(東野篤子)

 

 今回のウクライナ戦争の勃発とともに、ウクライナNATOへの加盟が再び議論されましたが、現に戦争が続行している状況ではこれは困難です。

 一方、戦争が続行しているにもかかわらず前進したのがウクライナEUへの加盟に向けたステップです。

 それまでEUモンテネグロセルビア北マケドニアアルバニアといったEU加盟を目指す国々に対して非常に緩慢なペースで交渉を行っていました。

 ところが、ウクライナが2022年の2月28日にEUに対して正式に加盟の申請を行うと、西バルカンの国々が何年もかかった「加盟候補国」の地位を6月には得ています(同時に3月3日に加盟申請をしたモルドバも加盟候補国になった)。

 さらに、今まで停滞していた北マケドニアアルバニアの交渉も進み出し、加盟申請をしながらほとんど進展がなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナについても2022年の12月に加盟候補国の地位を得ました。

 スウェーデンフィンランドNATO加盟問題と絡んでトルコのEU加盟の議論の再活性化しており、意図せざる結果として、ウクライナ戦争が停滞していたEUの再拡大に火をつけた形になっています。

 

ドイツにとってのロシア・ウクライナ戦争
   ――時代の転換(Zeitenwende)をめぐって(板橋拓己)

 

 ドイツといえば、2022年1月下旬の進行前夜、各国が武器を送る中でウクライナにヘルメットを送って各国の失笑を買うなど、当初はウクライナ支援に腰が座っていないイメージでした。

 2022年2月3日の世論調査では、ドイツ人の71%はウクライナへの武器供与に反対しており、「ノルド・ストリーム2」の停止に賛成する者は29%しかいませんでした。

 しかし、2月24日のロシアの侵攻を受けてドイツは変わります。27日のショルツ首相の演説で「時代の転換(Zeitenwende)」という言葉が使われ、ドイツの姿勢の転換がアピールされました。

 ただし、その後も武器供与の遅れを指摘されたり、防衛費のGDP比2%突破も安定的に実現できそうではありません。

 

 こうした背景にはショルツ政権の事情があります。ショルツ政権は社会民主党SPD)、緑の党自由民主党(FDP)の3党連立であり、それぞれには違った立場があります。

 FDPは基本的に緊縮財政を志向する政党で歳出拡大には慎重でしたし、SPDは歴史的にロシア(ソ連)との経済交流を通じた和解を志向してきた党でした。また、緑の党平和運動を源流とする党です。

 ところが、今回のウクライナ戦争では緑の党が「変貌」しました。特にブチャでの虐殺が明らかになってからは武器供与などにもっとも積極的な党になったのです。

 

 ドイツの外交・安全保障政策には①「「単独行動」の回避」、②「二度と戦争は起こさない」、③「アウシュビッツを繰り返さない」という3つの原則があると言われますが、緑の党は③のために②に関連して避けられていた武力行使の抑制の原則を後退させたとも言えます。

 ただし、シュルツ政権全体が明確にこのような選択を行ったとは言い難く、ドイツは「ポスト冷戦」の時代が過ぎ去ろうとしている中で今までは十分にそれに対応できておらず、今回のウクライナ戦争がまさに「時代の転換(Zeitenwende)」になるだろうというのが著者の見立てです。

 

 

ウクライナ戦争とロシア人(廣瀬陽子)

 

 ロシアの世論調査からロシア人のウクライナ戦争に対する意識を探った論考です。ロシアには今回の戦争に対する「無関心層」がかなりおり(ただし、ロシアの言論状況もあるので本当に「無関心」なのかは留保も必要)、部分的動員が打ち出された2022年9月には一時的に関心が高まったものの、それ以降は再び低下するという傾向を見せています。

 この背景には、ロシア政府が国民を不安にさせないために報道を絞っているといったこともありますが、戦争に「熱狂」しているわけではないのも事実なのでしょう。

 

 プーチン大統領の支持率は高く、2023年10月の調査では「仮にプーチン大統領ウクライナとの停戦を決めた場合、その決定を支持するか」との問に「完全に」「おおむね」を合わせて70%が支持すると答えており、やはりこの戦争はプーチン次第ということがうかがえます。

 ただし、「仮にプーチン大統領ウクライナとの停戦と併合した領土の返還を決めた場合、その決定を支持するか」との質問ではむしろ反対が目立ち、ロシア人が支持するのは「強いプーチン」であり、ロシアの譲歩は簡単にはのぞめないということもわかります。

 

 

NATOの東翼の結束と分裂(広瀬佳一)

 

 ウクライナ戦争の勃発で対応が分かれたのが中・東欧諸国です。ハンガリーポーランドは同じような反EU権威主義的な指導者をいただいていましたが、ウクライナ戦争への反応は見事に分かれました。

 過去の経験からロシアへの脅威を強く感じているポーランドバルト三国ウクライナ支援に積極的になり、一方、ハンガリーブルガリアなどは消極的でした。

 個人的にはチェコスロバキアも武器支援において積極的だったイメージが有りましたが、本稿によると、チェコスロバキアの武器支援は旧ソ連製の武器をこれを機に欧米製兵器に置き換えるという狙いもあったようで、必ずしもウクライナ支援に前のめりだったわけではないようです。

 スロバキアで2023年10月にウクライナ支援に消極的な野党が勝利したように、この地域ではまだまだウクライナ戦争をめぐっての揺れ動きがありそうです。

 

 というわけで、9本中4本を簡単に紹介してみましたが、他の論考も面白いですし、今後の戦争の行方、そしてヨーロッパの行方を考える上で有益なものになっています