著者の西谷公明氏からご恵投いただきました。どうもありがとうございます。
本書は『通貨誕生 ー ウクライナ独立を賭けた闘い』(都市出版、1994)が岩波現代文庫で文庫化されたものになります。巻末には2014年のユーロマイダン革命をうけて書かれた「誰にウクライナが救えるか」、さらに2022年のロシアによるウクライナ侵攻をうけての「続・誰にウクライナが救えるか」が新たに収録されています。
文庫化にあたって「ウクライナ」というタイトルが前面に出されたように、本書の面白さはウクライナという国家とロシアとの関係がわかることです。ウクライナの地域ごとの違いや、ロシアと密接な関係を持ちつつも、「ロシアから独立したい」という強い思いがあったことがわかります。
さらに本書の面白いところは、一国の経済、そして市場経済をどのようにして立ち上げるのかという問題と、その過程での悪戦苦闘が描かれている点です。
物と物との交換のような形で結びついていた社会主義時代の「企業」を、独立採算制をとる資本主義的な「企業」に作り変えていくのは実は相当難しいことですし、同時にソ連という社会主義経済から「ウクライナ」という国民経済の単位を切り出すことは想像以上に難しいことなのです。
今回の文庫入りは、もちろんウクライナ戦争を受けてのものなのでしょうけど、そうした文脈がなくても面白い本です。
目次は以下の通り。
序章 ウクライナとの出会い
第1章 国民経済創造へ――ゼロからの国づくり
第2章 金融のない世界
第3章 激しいインフレ下の生活風景
第4章 東へ西へ ウクライナ地方周遊
第5章 経済の安定化を目指して――ウクライナの悩みと楽観
第6章 国民通貨確立への道
第7章 石油は穀物より強し
終章 ドンバスの変心とガリツィアの不安
後 記
追記Ⅰ 誰にウクライナが救えるか――友ユシチェンコへの手紙
追記Ⅱ 続・誰にウクライナが救えるか――最悪の戦争の暁に
著者は銀行系のシンクタンクで旧ソ連のマクロ経済調査を担当していましたが、2度の訪問のあと、1992年5月からウクライナに調査のための長期滞在を行うことになります。
1991年の12月8日にロシアのエリツィン大統領、ウクライナのクラフチュク大統領、ベラルーシのシュシケビッチ議長によって、ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設するベロヴェーシ合意の調印がなされており、92年の5月はウクライナの独立が決まって半年後といった状況でした。
著者はウクライナにやってきていきなりウクライナ経済の大きな問題点を知ることになるわけですが、それは「ウクライナはソ連という巨大な体の一部だったので、独立すると頭がない」(32p)ということでした。
ソ連時代はすべてモスクワから経済政策が降りてきて、外国ともモスクワを通して結びついていたわけですが、それをすべて自前でやる必要が出てきたのです。ウクライナ外務省でも外国語を話せる人材が足りずに観光ガイドを引き抜いて配置したそうです。
当然ながら、経済統計なども未整備で、貿易統計でも重要なはずの石油、天然ガス、綿花などの数字がことごとく空白になっていて、著者をアシスタントしてくれたウクライナのエコノミストに聞いたところ、「政府の役人が、国が必要とする量よりも多くを輸入し、その一部を横流しして儲けているために本当の数字がわからないのだろう」(41p)と答えたそうです。
ウクライナの経済政策で難しかったのがルーブルを使用しているためにロシアの経済政策を強く受けてしまう点です。
1992年にロシアがいわゆる「ショック療法」と呼ばれる急進的な改革を打ち出し、価格と為替レートの自由化を行うと、ルーブルは下落し、インフレが進行します。
IMFなどとしてはこれは想定内のことなのですが、ウクライナはインフレの進行するロシアにルーブルが吸収されてしまい現金不足に陥りました。
そこで92年の1月から給料の75%をルーブルで、25%をクーポン(カルボヴァーニェツ)で支払うようにして、これを乗り越えようとします。
また、ロシアが価格を自由化すればウクライナも追随せざるを得ません。ウクライナだけが価格統制を行えば、商品はロシアの市場に流れてしまうからです。
だからこそ、ウクライナは自前の通貨の導入を急ぐことになるわけです。
ただし、先程ウクライナはソ連という体の一部だと話を紹介したように、ウクライナの産業は単独では成立しないという問題点もありました。
ウクライナの工業は原材料や部品の約70%をロシアや旧ソ連諸国から輸入し、見返りに製品を輸出する形で成り立っていました。また、石油や天然ガスなどのエネルギーもロシアに頼っていました。
ルーブル不足に陥るとウクライナの企業は原材料や部品を買うことができなくなり、工業生産は大きく落ち込みました。
同時にウクライナでもインフレが進行し、政府予算も組めないほどでした。
政府は物不足に対処しようと、輸入にはほぼ関税をかけず、輸出に関税をかけて物を外に出さない政策をとっていましたが、これは輸出を増やして外貨を獲得していく定石とは真逆の政策です。
企業活動の停滞の要因は、たんなるルーブル不足だけではなく、決済システムが麻痺したことにもありました。
ソ連時代はモスクワのゴスバンク(ソ連国立銀行)で決済が行われていましたが、ソ連の解体とともにゴスバンクも消滅し、決済システムが無効になってしまったのです。
ウクライナではゴスバンクの旧共和国支点がウクライナ国立銀行と名前を変えて中央銀行となりましたが、そこには集中決済システムはありませんでした。
そのため、92年の時点ではウクライナでは決済書類が郵送されている状態であり、巨額の資金が2、3ヶ月も未決済の状態のままだったといいます。
当然、ロシアの企業との決済もうまくいっておらず、ロシア、ウクライナ双方の企業に多くの未払金が溜まっていました。
一方で、農村ではガソリンを調達するためにロシアの石油生産者から穀物とのバーターでガソリンを手に入れる動きも起こっており、それ以外でも部門でもバーター交易が行われるようになっていました。
ソ連の経済はもともとが物が中心でお金の流れは従属的なものにすぎず、企業は生産ノルマの達成度に応じてお金が振り込まれ、資金ショートに陥った場合でも製品の移動だけは続けられるという状況でした。バーターの復活というのはこの仕組みがあらわになったことでもあったのです。
これについて著者は次のように述べています。
通貨当局がマネーサプライの管理によってマクロ経済を運営しようとしても、企業や組織が資金繰りに関係なく勝手に現物取引を進めてしまえば、マクロ経済政策そのものの意味がない。つまり、ここでは通貨はあることにはあるのだが、機能不全に陥っており、金利メカニズムも働かない。逆説的に言えば、金融はないどころか、無制限にある。(85p)
このような状況下で、ロシアからは、ルーブル通貨圏にとどまるか、出ていくならばエネルギー輸出を国際価格で行いたいと通告されていたウクライナですが、ルーブル通貨圏にとどまったとしてもエネルギー価格の引き上げはIMFの勧告であり避けられないと判断し、独自通貨のフリブナの導入に動き出すのです。
実際のウクライナ経済の混乱ぶりやインフレのすごさは、第3章で著者のキエフでの生活とともに描かれています。
ウクライナという国は東部と西部でそのルーツや文化が違います。ロシアがキエフ・ルーシ(キエフ公国)から生まれたように、東部はロシアとのつながりが強いですが、西武のガリツィアと呼ばれる地方はポーランドやハプスブルク帝国の支配下にあった地域で、第2次世界大戦後にソ連領になっています。
経済的にも西部はポーランドなどの東欧諸国との結び付きが強く、東部はロシアとの結びつきが強くなっています。
東部のドンバスはソ連における鉄鋼業の中心地でしたが、ソ連が崩壊したことで軍需産業向けの鉄鋼は行き場を失いました。また、東部各地にあった兵器工場も注文を失いました。
ロシア人の割合も高く、ウクライナの独立に対しても必ずしも前向きではなかった地域になります。
92年の秋になるとインフレはますます進み、さらに偽造クーポンも出回りはじめ、ウクライナ当局はその対応に追われました。ただし、あまりにインフレの進行が早かったために偽造クーポンを印刷しても割に合わなかったといいます。
ウクライナ政府は工場などの払い下げを通じて民営化を進めようとしましたが、インフレのために資産評価をやり直す必要も出てきました。
それでも新通貨フリブナの導入には民営化の推進は必須でした。民営化の際に外資にも買ってもらうことで外貨を獲得し、それによってフリブナの価値を安定させる必要があったからです。
著者は92年の10月に帰国しますが、11月にはウクライナ銀行は現金だけでなく預金通貨のカルボヴァーニェツ化に踏み切り、新通貨の導入に向けた大きな一歩を踏み出します。
1993年3月、5ヶ月ぶりに著者はウクライナを訪れますが、ウクライナ経済はエネルギー不足に襲われていました。ロシアからの石油の輸入価格が国際価格になり輸入が難しくなり、93年の第一・四半期の消費者物価は前年同期に比べて14倍になっていました。
これはルーブル通貨圏から離脱した代償だったわけですが、それでも「ロシアからの独立」ということが優先されたのです。
それでもウクライナはロシア経済と密接につながっており、しかも、ウクライナ−ロシア間の貿易は国際価格で行うと年間30〜40億ドルのウクライナ側の赤字になるという厳しい状況でした。
第7章のタイトルは「石油は穀物よりも強し」となっていますが、まさにエネルギーをロシアに依存していることがウクライナ経済の弱さでもあったのです。
ロシアからエネルギーを輸入するためにウクライナは領内を通るパイプラインの通行料、セヴァストポリ軍港の使用料、黒海艦隊の帰属問題、ウクライナに配備されていた核弾頭のロシアへの移送など、さまざまなカードを切っていくことになるわけですが、これがロシアとウクライナの反目を強めてしまったと著者は言います。
また、ウクライナ国内のナショナリストも刺激することになり、反ロシア的な政策が提唱されることにもつながったのです。
一方、ロシアとのつながりが強いドンバス地域の中にはロシアとの再統合を求める人も出てくるのです。
本書の本編はここまでで終わっており、実際にフリブナという単位が導入されたのは1996年のことになります。
後記となる部分では、2014年のユーロマイダン革命をうけて書かれた部分では反ロシアの姿勢を強める「独立信仰の危うさ」を指摘しているのですが、ウクライナ戦をうけての部分では「いまや、ウクライナ国民は隣国ロシアの横暴に対して抗議する強固な主体となった」(274−275p)と述べています。
著者が指摘するように、EUに加盟すればウクライナの経済が発展するというようなことはないのでしょうが、ロシアと経済的に協調する道はロシア自らが閉ざしてしまったことになります。
このように本書は戦争にまで至ってしまったウクライナとロシアの関係について教えてくれていますが、最初にも述べたようにそれ以外の部分も読み応えがあります。
本書は「国づくり」の過程を追った本ではあるのですが、例えば、明治維新期の「国づくり」と違うのは、ウクライナがソ連という国から分離されてつくられたことです。
明治日本の「国づくり」は基本的に「日本」という単位があり、そこに近代的な制度を導入することで進められたわけですが、ウクライナではまずは「ウクライナ」という単位をつくらなければならなかったことに難しさがあったことが本書を読むことでわかってきます。
あと、このまとめではとり上げませんでしたが、ウクライナであった人々や街の様子が臨場感をもって書かれていることも本書の売りと言えるでしょう。
現在のウクライナ情勢を理解するためにはもちろん、それ以外にも市場経済と社会主義の指令経済の違いなど、興味深い知見を教えてくれる本です。