柴崎友香『百年と一日』

 解説で深緑野分も書いてますけど、なかなか魅力を伝えることが難しい本。

 ジャンルとしては短編小説になりますが、10ページにも満たない作品がほとんどで、3ページほどのものもあります。

 この長さだといわゆるショート・ショート的なものを想像しますが、星新一のショート・ショートや、あるいは最近中高生に人気の「5分後」シリーズに比べると、最大の特徴はオチがないことです。

 

 冒頭の作品は「一年一組一番と二組二番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して2年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」と題されていますが、基本的にはこのタイトル通りのことが起こります。

 もちろん単純に会えないだけではなく、そこには不思議なめぐり合わせもあるのですが、するすると時間が流れていきます。

 

 この「時間の流れ」というのは本書の大きな特徴で、とにかく時間が流れます。

 大河ドラマの「真田丸」で関ヶ原の戦いがナレーションのみで終わって話題になったことがありましたが、本書もナレーションならぬ書かれた文章によってどんどん月日が過ぎていきます。

 10ページ足らずのうちに、タイトルにもあるような百年近くの月日が過ぎてしまうような作品もあるのです。

 

 個人的に本書を読んで思い出したのは『今昔物語』です。

 大学入試の古典ではいろいろな文章が出るのですが、『今昔物語』が苦手で、その対策のために福永武彦訳のちくま文庫の『今昔物語』を読みました。

 『今昔物語』が苦手だったのは、パターンがないからで、これが『枕草子』であれば定子や伊周が出ればそれは素晴らしいに決まってますし、『徒然草』でも兼好法師の趣味みたいなものから、多少わからない部分があっても何とかなるのですが。

 古今東西の雑多な説話を集めていて、しかも特にオチのない話も多かった『今昔物語』は想像で補えないことが多かったのです。

 

 『今昔物語』でも、オチもなく「不思議だ」というだけで終わる話があるのですが、この『百年と一日』でもそういう話があります。

 「水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田を見かけた」は、タイトルの通りに主人公の水島がしばらくたったあとに事故にあった車を運転していた横田と時を経て出会う話なのですが、2回不思議な出会い方をします。

 ちょっとホラー味もある話で、このあたりは村上春樹の『東京奇譚集』あたりを思い出しましたね。

 

 ただ、こういった不思議さがこの作品の売りではなく、やはり、作品内での時間の経過がもたらす感覚だと思います。

 時間の経過がもたらすものというと「無常観」が思い浮かびますが、この作品が描こうとしているのはそういったものではなく、時間が経っても残る痕跡だったり、記憶というよりは何らかの引っ掛かりのようなもののような気がします。

 普通の小説とはちょっと違った読後感が得られると思います。