ロベルト・ボラーニョ『売女の人殺し』

 短篇集の『通話』、大長編の『野生の探偵たち』『2666』白水社からの刊行が続いていたチリ生まれの作家ロベルト・ボラーニョ。ついに「ボラーニョ・コレクション」としてその他の代表作もまとめて出るようです。
 そんな「ボラーニョ・コレクション」の第一弾が、この短篇集『売女の人殺し』。2001年に出版されたボラーニョの第2短篇集になりますが、2003年にはボラーニョは亡くなりますので、キャリアの後半の作品と言ってもいいかもしれません(『通話』は1997年)。
 収録されている短編の質としては『通話』のほうが上だと思いますが、『通話』の作品がバラエティに富んでいたのに対して、この『売女の人殺し』は、かなりボラーニョの特徴が色濃く出た短篇集に思えます。


 『2666』ではメキシコで起こった猟奇的連続殺人が一つのテーマになっていましたが、この短篇集でもややグロいテーマを扱ったものが多いです。
 例えば、冒頭の「目玉のシルバ」は、あるカメラマンがインドで神に捧げるために去勢された子どもを見たという話ですし、「ラロ・クーラの予見」ではポルノ映画の撮影現場がひとつの舞台になっています。さらに表題作の「売女の人殺し」は娼婦が男を縛り上げて監禁する話ですし、「帰還」は「死姦される幽霊!」の話です。
 このように、かなり「普通でない」話がいくつも並んでいるのですが、ソローキンのように「グロい話でショック(笑い)を与えてやろう」というのとはちょっと違います。「ラロ・クーラの予見」の主人公の話す経験なんかは相当イカれたものがあるのですが、それでも「想像できない人生を想像してみる」といった部分があって、世界の暗部を引きずり出してくる感があります。ただ、このときに「弱者の声を代弁する」みたいにならないのもボラーニョの特徴で、もっと淡々と「想像できない人生」を語ります。


 このことは、収録作の「歯医者」という話の次の部分によく表れています。患者の死亡事故に巻き込まれた友人は、酒を飲みながら芸術について語ります。芸術とは私的な物語であり、私的な物語の母胎は秘密の物語だと言い、つづけます。

 それなら、その秘密の物語とは何かと訊くつもりだな? と友人が言った。秘密の物語というのは、俺たちが決して知ることの出来ない物語、日々生きている物語のことだ。俺たちは、自分は生きていると、自分ですべてコントロールしていると、自分の気づかないことはどうでもいいことだと思い込んでいる。でも、この世にどうでもいいことなんてありゃしない!自分たちが気づいていないだけだ。俺たちは思う、芸術はこっちの道を流れていて、人生、つまり俺たちの人生はこっちの別の道をながれていると、でも、それが嘘だってことに気づいていない。(193ー194p)

 この「自分たちが気づいていないことを書く」というのが後期のボラーニョの一つのテーマだったのでしょう。そして、それが遺作の『2666』では、連続殺人事件の羅列の描写につながっていったのでしょう。


 他にも、この短篇集の中には「B」というボラーニョらしき人物が主人公になっている短編がいくつかあります。
 こちらは淡々とした語り口が魅力で、特にラストの破局を意識させ続けながら進む「この世の最後の夕暮れ」は、ストーリーらしきものがほぼないにもかかわらず読者を引っ張ります。 
 ボラーニョを最初に読むなら『通話』だと思いますが、この『売女の人殺し』は、より「濃い」ボラーニョを体験できる短篇集です。


売女の人殺し (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト ボラーニョ 松本 健二
4560092621