著者の浅羽先生と編集部から御恵贈いただきました。どうもありがとうございます。
本書の「あとがき」の日付は2024年10月21日となっていますが、まさかここまでタイムリーな本になるとは関係者も思わなかったのではないでしょうか。韓国政治は2024年12月3日に尹錫悦大統領が突如として発した非常戒厳によって韓国政治は大きく漂流しはじめましたが、本書はこの漂流する韓国政治の「注釈書」となっています。
基本的には比較政治学の視点からの韓国政治についての教科書的な本なのですが、本書の大きな特徴は教科書的な本でありながら可能な限りタイムリーな話題を取り入れている点です。
韓国の政治体制を解説するだけではなく、同時に現在の韓国政治と韓国社会の姿も描き出そうとしてます。また、文章の中でもいわゆる流行語を数多くとり入れています。
こうした流行語は今後どのくらい残っていくのかわからないので古びていく可能性もあります。それと同時に本書の内容も古びる可能性はあるわけですが、それよりも著者は韓国の「今」を切り取ることに賭けたのでしょう。そして、その賭けに成功したのだと思います。
目次は以下の通り。
序 章 「取扱説明書」「注釈書」「判例集」からみる韓国政治
第1章 韓国憲政史における憲法改正/憲法体制の変化
第2章 「帝王的」大統領制? 韓国大統領はどのくらい強いのか
第3章 議会制度──「通法府」か,アリーナか
第4章 選挙制度──「選び方」の「決め方」
第5章 地域主義から階級対立へ?──変容する政党システム
第6章 2つの司法──大法院と憲法裁判所
第7章 ソウル共和国──中央・地方間関係と地方政治
第8章 メディアと感情的分極化
第9章 反復される「ろうそく集会」──投票外政治参加と代議制民主主義
第10章 女性のいない民主主義──「イデナム」と「イデニョ」
第11章 第三極の模索──階級政治の「現住所」
第12章 外交安保政策・南北朝鮮関係と執政中枢
第13章 韓国国民/韓民族のリミット
第14章 「1987年体制」か,「1997年体制」か──「政治経済」という視点
第15章 韓国という「国のかたち」のゆくえ
まず、目次を見て気づくのが、最初に憲法についての章が置かれている点と、後半の社会問題への言及です。
昨今の状況を見てもわかりますが、韓国の政治は非常に流動化しており、その背景には社会の分断があります。ただし、流動化しているとはいえ、政治は憲法というルールの中で行われます。今回の「非常戒厳」にしても大統領の弾劾についても、発動の条件を満たしていたかはともかくとして、それについては憲法に書かれているわけです。
本書では、まずはそうしたルールを確認していきます。
韓国では建国以来、軍事クーデタの影響などもあって何度か憲法が変わっています。ただし、現在の87年憲法は「6月民主抗争」の結果成立したもので、それ以来37年間、何回か回生の試みがあったものの変わっていません。
憲法が改正されていない要因として、日本と同じように憲法が比較的短く(韓国9059語、日本4998語、190の国の中央値は1万6063語)、解釈の余地が大きいという点もあります。
それもあって、司法の影響力も大きく、2003年の首都移転の決定に対しては、憲法裁判所がソウルが首都であることは成文憲法で規定されていないが慣習憲法になっているという理由で違憲判決が出ています。
87年憲法は大統領に強い権限を与えており、「帝王的」大統領制とも言われます。韓国には首相もいるために、半大統領制だと思われることもありますが、韓国では国務総理(首相)は議会に責任を負っておらず、「首相がいる大統領制」と捉えるべきだといいます。
韓国の大統領の権限は他国の大統領と比べても強い方なのですが、厄介なのは大統領が任期5年で一期までしかできないのに対して、議会の任期は4年だということです。
アメリカでは大統領選挙と同時に下院選挙と上院選挙の一部が行われ、大統領が就任してから2年目に下院選挙と上院選挙の一部が中間選挙として行われます。そして、一般的に大統領選挙と同時に行われる議会選挙では大統領の与党が勝ちやすく、中間選挙では負けやすくなっています。
一方、韓国では大統領が迎える議会選挙のタイミングはそれぞれの大統領によって違います。就任直後に議会選挙を迎えて勝利した李明博のようなケースもあれば、今回の尹錫悦のように就任2年目のタイミングで議会選挙を迎えて野党に大きく議席を奪われたケースもあります(大統領は議会を解散できないので、ここで任期中ずっと少数与党であることが確定した)。韓国の大統領は人によって取り組むゲームの難易度が違うのです。
また、大統領は1期までしかできないので、任期の後半にはしばしばレイムダック化します。
権限が強いとしても、必ずしも韓国の大統領は自らの政治意思を貫徹できるわけではないのです。
尹錫悦政権は、就任以来ずっと「与小野大」の国会となっています。このため、大統領の政策はなかなか国会を通らないわけですが、「与大野小」のケースでも、近年の韓国の国会では法案の成立率は下がっています(66p表3−1参照)。
この背景には韓国政治の分極化があるわけですが、DW−NOMINATEという保守/進歩を+1〜−1で表す指標を見ると、保守の国民の力の平均値が0.625→0.329→0.423と推移し、しかもバラツキもあるのに対して、共に民主党は−0.204→−0.472→−0.754と左へのシフトが顕著であり、しかもバラツキも少ないそうです(71p)。日本では自民党の「右傾化」が問題になることがありますが、韓国ではむしろ進歩勢力の「左傾化」が観察されているのです。
このように韓国の政治は分極化しており、また、選挙制度としても小選挙区中心の制度でありながら必ずしも韓国は二大政党制にはなっていません。
基本的に韓国の政党は長続きしておらず、「ハンナラ党」「セヌリ党」「新千年民主党」といった名称を聞いて、「そういえばそんな政党あった」と思い起こす人もいるでしょう。韓国は大統領が1期までということもあり、任期の末期に与党の候補者が新党を結成して大統領との違いを出そうとすることも多いのです。
また、候補者の選出にあたって世論調査が重視されていることもあり、このあたりも政党の凝集力が強くならない要因かもしれません。
以前は韓国の政党や政治家といえば、釜山は金泳三で光州は金大中、といった具合に地域の地盤が何よりも強かった時代もありましたが、ソウルへの一極集中とともに全議席の48%がソウル首都圏に配分されるようになってこともあり、地域主義は弱まっています。
世代的に見ると、80年代に学生運動に参加した386世代(1980年代に大学に通った60年代生まれで2004年の盧武鉉大統領の与党が勝った総選挙で30代だった人を指す)が、加齢に伴ってもあまり保守化していないのが特徴で(これについては浅羽祐樹編『韓国とつながる』の第2章春木育美「分極化する韓国社会」には60年代生まれよりも70年代生まれで保守化がみられないという指摘もある)、これが韓国で進歩派が強い要因の1つとなっています。
韓国の政治を考える上で外せないのが司法の存在です。日本では司法は「政治の外」みたいな扱いになっていますが、韓国では司法も「政治の中」にあり、大きな存在感を示しています。
また、大法院(最高裁判所)と憲法裁判所がそれぞれあるのも日本との大きな違いです。
憲法裁判所は、1988年9月に成立してますが、2023年8月末までに1109件の違憲審査を行い、343件を違憲、99件を憲法不合致としています。
憲法裁判所は、盧武鉉大統領や朴槿恵大統領の弾劾にも関わっており、朴槿恵大統領のもとで法務部が統合進歩党に対して解散を請求すると、これを認めて解散を命じ、所属議員の職を剥奪するなど、実際の政治過程にも大きな影響を及ぼしています。
韓国では大法院と憲法裁判所がどちらが憲法の守護者であるかを争っているかのような面があり、それが裁判所の積極的な動きを呼んでいます。
一方、こうなると司法人事が注目されるようになり、大統領も自分に近い人物を裁判官にしようとします。
同時に裁判官も政治やその背後にある民意を意識しながら判断を下しており、例えば、2018年には憲法裁判所がNAVERと組んで「国民が選んだ裁判所決定 30選」を発表するなど、裁判所も国民の期待に応えることを当然視しています(136p)。
韓国の新聞はもともと保守の朝鮮日報・東亜日報・中央日報、進歩のハンギョレ・京郷新聞とはっきりとした党派色がありましたが、ネット時代になってからこの党派的な動きはさらに強まっています。
2002年の大統領選挙において、盧武鉉は与党内でも非主流派でしたが、「ノモサ」と呼ばれる個人ファンクラブを原動力に大統領にまで上り詰めました。その後、「ファン」が政治家個人を押し上げる大きな原動力となっており、「ファンダム」が政治において重要な要素となっています。
保守、進歩、それぞれの陣営のYoutuberの影響力もなっており、相手陣営への敵対心を中心とした結束がますます強まっています。
政治が分極化する中で政治を動かす大きな力となっているのが、投票以外の市民の直接行動です。特に、朴槿恵大統領の退陣を求める「ろうそく集会」が弾劾訴追を大きく後押ししたこともあり、市民集会が盛んになっています。
もともと、1960年の4月革命、80年の5.18光州民主化運動、87年の6月民主抗争など、韓国では市民の直接運動や政治に大きな影響を与えてきました。
「ろうそく集会」は2002年の米軍装甲車女子中学生轢死事件への抗議から始まりましたが、その後は朴槿恵の退陣を求める集会のように党派性の強いものも増えてきました。
必ずし進歩派が行なっているわけではなく、文在寅大統領の民情主席秘書官、法務部長官を歴任した曺国(チョグク)に娘の不正入学疑惑が持ち上がった際には、その責任を追求する集会が保守派を中心として開かれました。
世界価値観調査によると、韓国のデモへの参加経験と参加意向は10.2%と48.8%で日本の5.7%と32.7%よりも高くなっています。
この背景にあるのが、政党や議会に対する評価の低さで、政党を信頼している/していないはそれぞれ24.5%/75.5%(日本は25.6%/62.6%)、議会に対する肯定的評価/否定的評価は20.7%/79.3%(日本は31.3%/58.4%)となっています。一方、選挙に対しては肯定的評価/否定的評価は64.3%/35.7%であり(日本は41.4%/48.5%)、肯定的な評価が高くなっています(197p)。
韓国憲政史において「大統領直接選挙制度」は民主化の焦点であり、大統領選挙と、弾劾・罷免こそが関心の中心になっているとも言えます。
第10章ではジェンダーの問題がとり上げられています。韓国の政治も男性中心でしたが、2004年から比例代表で女性を50%以上公認することを義務化し、地域区では女性を30%以上公認するように「努力する」クオータ制が導入されました。
これによって女性議員は増えつつありますが、女性議員は24年の総選挙で36議席(14.2%)といった状況です。
このあたりは日本も同じですが、日韓の違いは若い層を中心に男女で政治的な分断が生まれている点です。
20代女性(イデニョ)がイデオロギー的に進歩化する一方で、20代男性(イデナム)は保守化しており、22年の大統領選挙では、国民の力の尹錫悦と共に民主党の李在明の間で、20代男性は58.7%対36.3%で尹錫悦、20代女性は33.8%対58.0%で李在明といった具合に、男女で支持が大きく分かれました。
20代男性は全年齢層で最も保守化しており、男女の分断は韓国政治の分極化の要因の1つとなっています。
このように韓国政治は保守と進歩に分極化しているわけですが、完全に2つに割れているとも言えません。大統領選挙において、当選者と次点者の得票率の合計が90%を超えたのは、2002、12、22年の3回のみであり、第3の候補がそれなりに存在感を示すことが多いです。近年では17年の大統領選挙で安哲秀が21.4%の得票を取っています。
こうした第3の候補は自前の政党をつくって立候補しており、この政党は長くは定着しないことが多いです。
過去には「労働」や「真の進歩」といったより左の政策を掲げて一定の存在感を示した政党の流れもありましたが、その流れを汲む統合進歩党は2013年に法務部によって解散が請求され、14年には憲法裁判所が解散を決定しました。この時には所属議員の議員資格も剥奪されており、韓国の民主主義には一定の枠がはめられていることも見てとれます。
韓国でも労働組合は進歩派を支援していますが、同じ労働者でも、正規/非正規、大企業/中小企業、男性/女性で賃金格差が大きく、労働者が階級として結束しているわけではありません。
さらにフライドチキン店の店長などの個人事業主も多く、さらに配達などの業務委託で働く人も増えています。
韓国でも高学歴層が進歩派になる傾向があり、ピケティの言う「バラモン左翼」的な問題も存在します。
ここまでは比較的内政中心の記述でしたが、第12章、13章では韓国政治を規定する大きな要因である北朝鮮の問題にも触れています。
韓国では、憲法に規定されている閣僚よりも、憲法にも規定されていない大統領秘書室長や国家安保室長、首席秘書官の影響力が強くなっています。
特に外交安保政策や南北朝鮮関係は内政と比べても大統領の裁量が大きく、大統領の交代によって政策転換がしやすい領域です。
尹錫悦大統領は大統領府を青瓦台から龍山に移し、政策室長や民情首席秘書官のポストを廃止し(のちに復活)、大統領室の権限を縮小する姿勢を見せましたが、少数与党の中で(247pの「与大野小」は「与小野大」の間違いか?)、大統領権限によって外交などに活路を見出すしかなくなっていました(尹政権成立によって対日政策が大きく転換した背景には外交における大統領の大きな裁量がある)。
対北朝鮮政策も文在寅政権から尹錫悦政権への交代とともに大きく変化し、「交流協力」の文字が消えるとともに「人権」が重視されるようになっており、国連総会や国連人権理事会の北朝鮮人権状況決議の共同提案国に再び韓国が名を連ねるようになりました。
北朝鮮の金正恩政権も、2023年末に南北朝鮮は「もはや同族関係、同質関係ではなく、敵対的な国家関係、戦争中の交戦国関係」(267p)と規定しており、「統一」の機運は遠のいたと言えます。韓国国内でも若い世代を中心に「統一は必要ではない」と考える層が増えており、20代では「必要である」28.2%に対して、「必要でない」は41.2%となっています(269p、23年のソウル大学統一平和研究院の調査)。
一方、韓国では急速に外国人労働者が増えており(中国に住んでいた朝鮮族も多い)、アイデンティティとして「韓民族」なのか「韓国国民」なのかという問題が浮上してきているといいます。
この他にも本書では、「IMFショック」以降の韓国経済にも触れていますし、社会問題についてもここで紹介した以上にさまざまな話題に触れています。
本書の魅力は、こうした近年の社会問題と韓国の政治制度が並行して論じられていることです。
ちょうど、今の尹錫悦大統領の「非常戒厳」と弾劾や逮捕をめぐる問題についても、本書を読むことで政治制度に起因する部分と、社会問題に起因する部分が見えてくるのではないかと思います。
韓国政治についてはしばらく混乱が続きそうですが、この混乱がどのように収束し、または収束ないのかを教えてくれる本でもありますね。