ケネス・盛・マッケルウェイン『日本国憲法の普遍と特異』

 「75年間、1文字も変わらなかった世界的に稀有な憲法典」

 これは、本書の帯に書かれている言葉ですが、今まで存在した成文憲法中、改正されないままに使われている長さにおいて、日本国憲法1861年に制定されイタリア憲法に続いて歴代第2位です。日本国憲法は「特異」な憲法と言えます。

 しかし、一度も改正せずに済んでいるということは、実は日本国憲法の内容が「普遍」的だったからとも言えます。

 

 この「特異」と「普遍」について論じたのが本書です。

 「日本国憲法は非常に短い」「統治機構について書かれた部分が少ないが改正の必要性の薄さにつながっている」といった主張については、著者がこれまで発表した論考などで知っている人もいるかとは思いますが、本書にはそれ以外にもさまざまな興味深い論点が盛り込まれており、非常に面白い内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 憲法の形と軌跡
第2章 憲法が変わるとき
第3章 日本国憲法の特異性
第4章 グローバルスタンダードな日本国憲法
第5章 憲法の対応力と緊急事態条項の是非
第6章 日本国憲法選挙制度
第7章 日本国憲法のこれから――国民視点の憲法とは

 

 まず、近年の憲法の動向ですが、各国の成文憲法を英訳したものを比較すると、1950年には中央値が9172語だったのに対して、2013年時点では1万6331語と憲法は長くなってきています。

 そうした中で、日本国憲法は4998語と世界で5番目に短いです。

 

 憲法が長くなっている理由は、以前よりもさまざまなことが憲法に書き込まれるようになったからです。

 特に人権については手厚い記述がなされるようになっており、1950年の時点で残酷な刑罰を禁止しているのは36%にすぎませんが、2013年では83%、組合・団結権は50年では45%だが13年には76%と、盛り込まれる人権が増えているのです。そして、日本国憲法は1946年公布にもかかわらず、人権についてかなりの部分をカバーしているのが特徴です(18p表1−2、19p表1−3参照。ちなみにこの表では日本のストライキ権が×になっているけど、28条の団体行動権ストライキ権ではないのか?)。

 

 一方、憲法のもう1つの柱である統治機構についての部分でも、近年になって元首や政党、憲法裁判所などの規定が増えていますが(25p図1−3、27p図1−4、28p図1−5参照)、制定以来一度も改正されていない日本国憲法にはこれらの規定は盛り込まれていません。

 

 先に述べたように、日本国憲法は1度も改正されていませんし、大日本帝国憲法も1度も改正されずに終わりました。

 一方、インド憲法は100回以上改正されていますし、ドイツ基本法も60回以上改正されており、条文の半数以上が改正済みです。

 

 憲法の改正に関しては、アメリカの建国の父の間にも意見の違いがあって、ジェームズ・マディソンは度重なる改正は政治の安定性や政府への尊敬を損なうと考えましたが、トーマス・ジェファーソンは市民からの要請に応えるためにも定期的な改正が望ましいと考えていました。

 

 憲法改正の内容について具体的に見ていくと、最初の改正の74%、2度目の改正の81%が統治機構の修正であり、自由権社会権の修正は初回の35%、2度目の32%に過ぎません(40p)。

 人権に関しては司法の解釈などで導き出せますが、統治機構については実際に動かしてみて不具合がわかるということがあるのでしょう。

 

 憲法を一から再制定する国は中南米で目立ち、ドミニカ共和国は33回、ハイチが24回、エクアドルが23回となっています。これは中南米諸国が比較的古い時代から憲法を持っていたことと、政治が不安定だっためです。先進国ではフランスが14回憲法を制定しています(42p表2−1参照)。

 

 一般的に言って改正があったほうが憲法の寿命は長くなります(47p図2−3参照)。ところが、日本国憲法は未改正にもかかわらず長命であり、いわば外れ値担っています。

 

 この理由は、日本国憲法統治機構については実質的に「軟性」であり、人権に関しては「硬性」であることに求められます。

 先述したように、日本国憲法は非常に短く、統治機構についての部分の多くを法律に委ねています。

 この理由としては、GHQが急いで憲法草案を作成する中で、国民主権基本的人権の尊重、平和主義という三原則については詳しく規定したものの、統治機構に関しては日本側の意見を取り入れながら、日本側に委ねた部分が多かったということがあります。

 例えば、GHQは当初選挙制度小選挙区制にもとづくものにしようとしましたが、最終的には法律に委ねています。

 

 日本国憲法には「法律の定めるところにより…‥」や「……法律でこれを定める」という文言が40回現れますが、そのうち22回は統治機構に関して使われています(63p)。 

 特に選挙制度地方自治に関してはその多くが法律に委ねられており、1994年の小選挙区比例代表並立制の導入も、小泉政権における三位一体の改革も法律の改正によって行われています。

 選挙制度や定数を憲法で定めている国も多いですが、日本では何も書かれていないので、選挙制度の大きな改正も法律の改正のみでできます。

 

 地方自治についてはそもそも憲法での規定が少なく、ドイツ基本法地方自治について7667語(日本国憲法全体より長い!)を費やしているのに対して、地方自治について定めた日本国憲法第8章は143語しかありません。

 

 一方、人権については比較的詳細に規定しています。人権の規定が多いほど、憲法の寿命は伸びる傾向にあります。

 この統治機構については法律によってかなり柔軟に変えることができ、人権についてはしっかりと規定しているというのが日本国憲法が長命である理由だと考えられます。

 

 第4章では、日本国憲法が他国の憲法とどれくらいに似ているかということを項目ごとのマッチ率で分析していますが、日本と似ているのは、2005年制定のイラク憲法、1991年制定のクロアチア憲法、1949年制定の台湾憲法、1937年制定のアイルランド憲法などです(82p表4−1参照)。

 イラククロアチアとの類似は意外に思えますが、これは新しく制定された憲法日本国憲法と同じく人権について詳細に定めていることが多いためです。

 

 アメリカ合衆国憲法憲法の1つの手本とされてきましたが、人民の武装権や最高裁の裁判官の終身制、上院議員の各州への均等配分などは、世界の憲法のトレンドとは明らかにずれており、人権規定の少なさも世界の他の憲法とマッチ率が低い要因になっています。

 

 第5章では日本の憲法改正の議論でもよくあがる緊急事態条項について検討しています。

 緊急事態条項は、2020年時点で世界の現行憲法の91%に明記されています。ただし、緊急時の人権制限を認めるものは全体の68%にとどまっており、近年では国家に過大な権力を委任することを避ける傾向にあります。

 ここからは日本国憲法にも緊急事態条項が必要に思えます。

 

 自民党の2012年の憲法草案には緊急事態条項が盛り込まれていますが、自民党案では、武力攻撃や内乱、地震など大規模災害の他に「その他法律で定める緊急事態」を盛り込んでおり、さらに「法律で定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と定めています。

 しかし、他国の憲法の緊急事態を見ると、緊急事態について「法律で定める」としているものは9%しかなく、法律と同一の効力を持つ政令の制定を認めているのは12%に過ぎません。

 人権についての規定も曖昧であり、自民党草案の緊急事態条項は必ずしも世界の潮流と合っているものではありません。

 

 著者は、日本のような多数者支配型の議院内閣制の国において、緊急事態条項がなくても比較的多くのことを決定できることを指摘し、もしも導入するのであれば、①緊急事態の発動基準やその際の行動を精査できる権限を最高裁判所に与えること、②緊急時に参議院を自動的に少数するように憲法に明記することを提案しています。

 よく、緊急事態で選挙の実施が不可能になることがあげられますが、参議院は半数ずつの改選であり、憲法には参議院の緊急集会というものが明記されているのです。

 

 第6章では選挙制度の問題がとり上げられています。

 先に述べたように、日本国憲法では選挙についてほぼ法律に任せています。そうした中で問題となっているのが「一票の格差」の問題です。

 この問題については、最高裁判所から何度か「違憲状態である」との判決が出ており、中選挙区制では3:1、小選挙区制のもとでは2:1の格差に収めるように区割りの改正が行われていますが、基本的には後追いであり、またギリギリ2:1を満たすような形での区割りの変更が繰り返されています。

 

 日本国憲法は第14条で「法の下の平等」を定めていますが、第47条では「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」と規定しており、選挙で選ばれる国会議員に選挙についての広い裁量を与えています。

 こうした状況に対して、著者は定数配分のルールを憲法に明記するという提案を行っています。ノルウェー憲法は定数配分のルールとタイミングを憲法に詳細に規定していますが、日本国憲法においても憲法に規定することで「一票の格差」の問題を解決できると考えています。

 

 もう1つ本書がとり上げる問題が「選挙運動の自由」についてのものです。

 憲法第21条には「表現の自由」が規定されている一方で、日本の公職選挙法ではさまざまな選挙運動を禁止しています。事前運動の禁止、戸別訪問の禁止、情勢調査の公表制限、ポスターやビラの配布に関する文書図面規制、報道・評論の規制など、「べからず選挙」と呼ばれるほどに選挙運動は規制されています。

 また、選挙期間も非常に短く、衆議院選挙で12日、参議院選挙で17日しかありません。

 

 こうした規制は、金権選挙を防ぐためですが、同時にすでに知名度のある現職を有利にします。さらに日本には高額な供託金も存在し(衆議院小選挙区と比例で重複立候補するには600万円必要)、289選挙区すべてに重複立候補を立てるには17億3400万円が必要です。

 供託金は泡沫候補者よりも主要政党の候補者を減らすとの研究もあり(今年の参院選の選挙区選挙などを見ると実感できますね)、そもそもの趣旨からも外れています。

 

 選挙期間も公選法が制定された1950年には30日ありましたが、衆議院に関しては1958年に20日、83年に15日、94年に12日と短縮され続けています。

 これは明らかに現職(与党)を有利にしています。著者の研究によると、選挙期間が25日に保たれていた場合、自民党の初敗北は1993年ではなく1980年だったと推定されています。

 

 このような与党に有利な選挙制度が法律によって決まってしまっている状況に対して、著者は、第47条に「第14条、第21条、その他基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」という2項を付け加えることによって、最高裁の介入を容易にすることを提案しています。

 

 最後の第7章では、今後の日本における憲法議論のあり方を論じています。

 安倍首相は憲法96条を改正し、憲法改正の発議の要件を引き下げようとしましたが、両院で2/3以上の賛成と国民投票過半数の賛成という要件は、他国と比べて特に厳しいものではありません。ドイツ基本法は60回以上改正されていますが、連邦議会連邦参議院の2/3以上の賛成が改正には必要です。

 

 アイルランドでは1937年以来、38回の憲法改正国民投票が行われ、そのうち26回で改正が承認されていますが、承認されたほとんどの改正案は最大与党と最大野党の支持を受けたものだと言います。

 日本での世論調査では、9条に自衛隊を明記することや、緊急事態における首相権限の強化は、自民支持と非自民支持で意見が分かれるものとなっています。一方、プライバシーの保護や良好な環境の保障は、全体的に支持が高く、自民支持と非自民支持の差も少ないです(177p表7−3参照)。

 まずは超党派で合意できる部分からゆっくりと進めるという形が憲法改正のための道なのかもしれません。

 

 このように、本書は日本国憲法が1度も改正されなかった理由を示すだけでなく、今後の改憲議論にも有益な多様な論点を示しています。

 憲法は当然ながら政治にとって重要なものなのですが、憲法といえば憲法学者が論じるべきものであるというイメージが強かったかもしれません。それに対して、本書は比較政治学的なスタンスから今までになかった形で憲法に切り込んでおり、まさに新しい地平を切り開いた本と言えるのではないでしょうか。