『哀れなるものたち』

 この作品については以前アラスター・グレイによる原作小説を読んでいて、映画化という話を聞いたまず最初の感想は、「あの話を映画化できるの?」というものでした。

 

 以前のブログ記事では、原作小説のあらすじを次のように紹介しています。

 

 怪人的な容貌を持つ天才医師ゴドウィン・バクスターによってスコットランドグラスゴーで創造されたベラ・バクスターは20代の女性の身体に幼児のような脳を持つ美貌の女性。その姿に一目惚れをしたマッキャンドレスは彼女に求婚、プロポーズは受け入れられるが彼女は弁護士のウェダバーンとヨーロッパ大陸に駆け落ちしてしまいます。
 彼女の並外れた性欲が引き起こすドタバタ劇は、やがて貧富の差や女性差別といった19世紀の社会問題を取り込み、幼児のように無邪気だったベラは社会問題に関心を持つ一人の女性活動家へと成長していきます。

 

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 以上の部分は映画でも共通しています。

 基本となるのはベラという社会の常識をまったく知らない女性のフランケンシュタインがセックスを中心としたドタバタを繰り広げながら、次第に女性活動家として目覚めていくというものです。

 アラスター・グレイの文章を読んでいるときはブラックなユーモアに引っ張られる形ですいすいと読めたのですが、かなり悪趣味な話でもあり、下手に映画化すれば、ポルノグラフィーのようになってしまう話でもあります。

 

 しかし、ここで効いているのが主演のエマ・ストーンで、彼女の演技と、存在感がセックス・マシーンから女性活動家という、ものすごい幅のある変化に説得力を持たせています。

 また、冒頭のロンドンはそれほどでもないのですが、旅の途中のリスボンアレクサンドリアといった都市では完全にリアリティが消されていて、この舞台設定と美術も荒唐無稽な話を受け入れさせる要因になっていると思います。

 

 ただし、原作小説はアーチボールド・マッキャンドレスの語りと、ベラからの反論、そして編者としてこの発見された秘密の書を送り出したアラスター・グレイによる序文と批評的歴史的な註によって構成されるというメタフィクション的な構成なっています。

 マッキャンドレスの語りとベラの語りには相違点があり、読者は何が真実かはっきりしないままに宙吊りにされます。

 

 一方、映画ではそのようなメタフィクション的な仕掛けはできなために、ブレシントン将軍の部分を手厚くすることで、「家父長制批判」というテーマをせり出させています。

 原作小説に比べると、このあたりはやや単純化されているわけですが、原作のような仕掛けを映像化する方法も思いつかないので、これは致し方なしといったところでしょうか。