渡辺浩『日本思想史と現在』

 今まで著作の評判を聞いてきて、これはいつか読まねばと思いつつ読んでいなかった渡辺浩の小文集が筑摩選書という手に取りやすい形で出たので読んできました。

 非常に鋭い切り口がいくつもあり面白く読める本ですが、核心的な部分に関しては「続きは別の本で…」といったところもあり、やはり、主著である『日本政治思想史 十七〜十九世紀』、『明治革命・性・文明』といった本を読まねば、と思いました。

 そういった意味では、渡辺浩の「入門書」というよりは「導入の書」みたいな位置づけになるのかと思います。

 

 目次は以下の通り。

 

1 その通念に異議を唱える
2 日本思想史で考える
3 面白い本をお勧めする
4 思想史を楽しむ
5 丸山眞男を紹介する
6 挨拶と宣伝

 

 冒頭には福沢諭吉の『学問のすゝめ』についての文章が置かれています。

 私たちは、江戸時代は身分制の社会であり、それを支えたのが儒教で、そうした儒教に支えられた身分制を否定したものとして『学問のすゝめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズを解釈してしまいがちですが、著者に言わせれば、「人に貴賤はなく、学問で決まる」というのは儒教によく見られる考えです。

 つまり、福沢の主張は当時の常識から乖離するようなものではなかったですし、明治維新は一面では儒教の理想の実現だったのです。

 

 つづく「「可愛い女」の起源」では、「女性は可愛くなくては」という現代の問題がとり上げられていて非常に興味深いのですけど、「おそらく歴史的な説明も可能である」としながら、それは著書の『明治革命・性・文明』で、という生殺し。この上のない自著の宣伝になっています。

 

 第2部の「家業道徳と会社人間」では、江戸時代の町人においては立身出世が重要視され、一種の道徳的責務になっていたことが指摘されたうえで、その競争が家と家の競争であったことを指摘しています。

 この家業道徳には資本主義と親和的な部分がありますが、近代化は家制度を解体してもいきます。「そして代わりに、種々の擬制的な家が、装いを凝らして出現した」(87p)というわけです。

 

 第3部の「トクヴィル氏、「アジア」へ」では、トクヴィルアメリカのデモクラシー』(岩波文庫)、宇野重規トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社)、張翔・園田英弘編『「封建」「郡県」再考 東アジア社会体制論の深層』(思文閣出版)の3冊を紹介しながら、「中国にデモクラシーはあったのか?」という問題を問うています。

 

 トクヴィルはデモクラシーの理解のポイントは「平等」でしたが、宇野重規は人間を本来平等だと信じる想像力の変容があったと指摘しています。

 こうした「変容」であれば宋代以降の中国にもあったのではないか? と著者は言います。科挙によって優れた個人が選抜される制度は「平等」であり、しかも相続が均等分割であったために土地は細分化され、地域における名家の支配などもなくなりました。

 

 こうしたことを指摘したうえで、著者はトクヴィルの次の言葉を引用しています。

 すでに一人の人間の力によって行政の集権が確立し、法律同様、習慣にもそれが根づいているような国に、万一にも、合衆国のような民主的共和政が樹立されることがあれば、私は、そのような共和国では専制がヨーロッパのいかなる絶対王政よりも耐えがたいものとなるであろうと言って憚らない。これに似たものを見出すにはアジアに赴かねばなるまい。(147p)

 そのうえで、著者はトクヴィルの射程はずっと以前から「アジア」にも届いていたと述べています。

 

 第4部では、「マックス・ヴェーバーに関する3つの疑問」が興味深いですね。

 今野元『マックス・ヴェーバー』(岩波新書)と野口雅弘『マックス・ウェーバー』(中公新書)という2020年に出た2冊の新書についての日本政治学会の分科会での発表が元になっていますが、西洋で生み出された概念をもとに、中国や他地域との比較を行っていいのか? という問題や、「闘争」を重視するヴェーバーの民主主義観などを問題にしたうえで、「おそらくヴェーバーの政治観と政治家観は、当人の自己理解に反して、実は根本において反議会政治的であり、つまりは反民主主義的である」(239p)と指摘しています。

 

 第4部の丸山眞男についての部分は、丸山と著者の双方に詳しい人からするといろいろと感じるところがあるかもしれませんけど、やはりもうちょっとまとまったものを読みたいなという感じです。

 第5部は短い文章中心ですが、韓国で行われた講演を元にした「李退渓と「普遍性」」は韓国の紙幣にもなった朱子学者についてのもので興味深いです。

 

 最初にも述べたように、本書を読めば著者の考えがわかるという感じではなく、著者の主著を読まねばという気持ちになるので、読み終わってすっきりする本ではありませんが、著者の論じている問題の興味深さは十分に分かる本です。