待鳥聡史『民主主義にとって政党とは何か』

 タイトルからは著者の『政党システムと政党組織』東京大学出版会)とかぶる内容ではないかと予想しますが、「政党論」のサーベイという色も強かった『政党システムと政党組織』に比べると、民主主義全般、現代の日本政治についても論じており、専門的な興味がなくても楽しめる内容になっています。
 もともとはミネルヴァ書房の「究」セミナーでの話をベースにしたもので、読みやすさでは新書の『代議制民主主義』中公新書)よりも上かもしれません。
 民主政治の理論の位置づけから現在の政治情勢への分析までが披露されており、「待鳥政治学」の入門書としてぴったりな本だと思います。

 目次は以下の通り。

序 章 民主主義と政党
第1章 政党政治の起源
第2章 政党政治の発展
第3章 政党政治を理解するための視点
第4章 戦前日本の政党政治
第5章 戦後日本の政党政治
第6章 現代日本政党政治
終 章 政党政治の再生は可能か


 序章では、白井聡憲法改正の要件について知らない有権者に絶望し「判断力がない人間に参政権を与えるのは不適切、という理論はもっともである」と書いた文章をとり上げ、ここに古来からある民主主義批判のひとつの典型を見ています(4-5p)。民主主義を機能させるためには国民の「民度」を上げる必要があるという主張です。
 著者はこうした主張を退けた上で、政党による競争に、「善き人間による政治」に代わる民主主義の可能性を見るのです。


 かつての政党には、「政治権力と国家財政を私物化するために集まっているイメージ」(17p)などがまとわりついており、否定的な評価がなされるのが一般的でした。
 しかし、『蜂の寓話』で知られるマンデヴィルが私益の追求が社会全体の利益につながるという議論を行うと、エドマンド・バークは政党は自分たちの利益を追求する集団ではなく、自分たちの中で一致した原理にもとづいて国家利益を促進する集団なのだという議論を行い、政党という「私党」と考えられていたものが、社会全体の利益を促進する道を示しました。
 さらにアメリカの建国の父の一人であるジェームズ・マディソンは「多数派の専制」を防ぐには、政治的権力を私物化しようとする「党派的野心」を別の「党派的野心」によって抑えることが有効だという議論を行い、専制を防ぐ多元主義に必要なものとして政党を位置づけました。


 19世紀は議会の時代であり、政党の時代でした。19世紀はまだ制限選挙が一般的で、政党は名望家とも言われる資産を持った人の集まりでした。彼らは金持ちなので政治から報酬を得ることはあまり考えず、自らの財産を拠出して政治活動を行いました。そのため、当時の政党は社交クラブに近い存在だったのです。
 そうした中、イギリスでは昔からの貴族か、それとも新興の事業者かといった違いから保守党と自由党が形作られていき、大陸諸国ではカトリックプロテスタントに違いなどから政党が形成されていきました。
 一方、アメリカでは財産による制限が緩やかだったこともあって、アンドリュー・ジャクソン大統領の誕生をきっかけに政治の大衆化が起こり、ほとんどの州で白人男子普通選挙が行われるようになります。それとともに政治を職業とするプロの政治家が登場し、支持者の経済的な利益のために働くようになりました。


 20世紀になると普通選挙が広く行われるようになり、資本家の政党と労働者の政党が各国の主要政党となります。いわゆる右派と左派の対立が政党の主要な対立軸となるのです。
 このシステムは世界恐慌後に大きく揺さぶられますが、第2次大戦後になると復活し、70年代に入るまで安定した形を見せました。右派と左派の対立は基本的には経済成長のパイをどう分けるかという対立であり、経済成長がつづく限り、この対立はそれほど深刻なものにはならずにすんだのです。
 しかし、石油危機後に各国の経済成長が鈍化すると、そもそも経済的利益の配分がうまくいかなくなります。さらに環境やライフスタイルの充実などを政治に求める声も高まり、利益配分の政治はうまくまわらなくなりました。さらにグローバル化の進展とともに、それに反発する動きも起こり、移民排斥などを訴える政党が勢いを持つようになってきたりもしたのです。


 ここまでが第1章と第2章。つづく第3章では、政党というものをどう考えるべきかということが分析されています。ここは『政党システムと政党組織』の内容を噛み砕いて説明している感じですね。
 まず、政党がどのくらいの数になり、どういった勢力図を形成するかという問題です。
 政党の対立を説明する概念としてイデオロギーやクリーヴィジと呼ばれるものがあります。これは溝や亀裂といった意味で、人種や民族、カトリックプロテスタントなど、社会をいくつかに分けるものです。政党の数や勢力は、このイデオロギーやクリーヴィジにしたがって決まってくると考えられます。イデオロギーはともかくとして、その支持基盤を形成することが多いのですが、例えば、一国の中に複数の有力な民族集団がいる場合、政党はその民族集団にしたがって形成され、数も多くなる傾向になるのでしょう。


 一方、政党の数は選挙制度によって機械的に決まってくる面もあります。選挙区の定数が少ないほど小さな政党の候補者が当選する確立は少なくなるわけで、一般的に定数よりも一人多い程度に有力候補者の数は落ち着くと考えられています。つまり、定数1の小選挙区制では二大政党制へと収斂しやすいのです。ただし、必ずしも理論通りいかないのが人間の行う政治の難しいところで、民主党政権下での小沢一郎と若手議員の集団離党などは、小選挙区制のもとでは考えにくい行為であるにもかかわらず、起きてしまいました。ただし、理論通り(?)小沢一郎と行動を共にした議員の多くは落選しました(78p)。
 

 この本において著者は政党を規定するのは「選挙制度」と「執政制度」という2つの制度だといいます。
 選挙制度に関しては、先ほどの選挙区の定数によって有力な政党の数が決まるという話がありますが、他にも選挙のサイクル(任期は何年か?)、大統領選挙と議会選挙が同時に行われるか否かなどが、政党のあり方に大きく影響します。なお、小選挙区がいいか比例代表がいいかということについてはこの本は判断を行っていません。政党が1つしかないのは問題ですが、だからといって2つより3つがよいというわけでもないからです(92ー95p)。


 執政制度については、現在の民主制度では議院内閣制、大統領制半大統領制の3つの制度に分けるのが一般的です。
 これらはそれぞれ有権者からの委任と責任の関係が違います。議院内閣制の場合、有権者→議会多数派(与党)→内閣→官僚と単線的に委任が行われ、説明責任はその逆の方向にはたらきます。一方、大統領制では有権者の委任は議会多数派と大統領に分割されており、半大統領制においてもこの委任は分割されています。
 それに伴って、議院内閣制では政治権力も分割されず、立法と行政は融合します。一方で、大統領制では政治権力は立法と行政に分割されるのです。

 また、この本では、日本の政治を三権分立の三角形で説明する図式を行政と立法が融合することを特徴とする議院内閣制の説明として「はっきりいえば間違いです」とし、衆院の解散を内閣が国会を抑制する手段として紹介することをおかしさを指摘しています(この説明では野党が解散を求める行動を理解できない 99-100p)。


 執政制度が政党の数などに与える影響はそれほど大きくはありませんが、大統領制の国では大統領が一人しか撰ばれないことから二大政党制になりやすいという傾向があります。
 政党内部への影響では、全国的利益を志向する大統領と地域的利益を志向する議員の間でズレが生じやすいため、政党の一体性は弱まる傾向にあります(アメリカがその代表例)。


 第4章以降では日本の政党政治を分析していくわけですが、第4章で戦前について詳しく分析しているところがこの本の特徴のひとつです。
 日本の政党は政府に対して圧力をかけるための利益集団のような存在から出発しました。日本の政党はまだ帝国議会が開設されていない段階でつくられ、リーダーであった板垣退助大隈重信はときに政府に融和的でした。
 そんな中で、近代的な政党へと変化していったのが立憲政友会です。自由党が発展した憲政会を基盤に伊藤博文を総裁に迎えて設立されたこの政党は、星亨や原敬の手によって徐々にしっかりとした組織を持った政党に変化していきます。「総裁」という肩書や幹事長、総務というポストも政友会でつくられ、のちの保守政党へと受け継がれていきました(111-113p)。


 この政友会に対抗する政党ととして加藤高明を中心として成長したのが立憲同志会です。加藤高明は大隈内閣のときの対華二十一か条要求によって元老たちの信頼を失いなかなか政権の座につけませんでしたが、のちに政友会とともに二大政党制を形成します。
 なお、政友会も同士会も現在とは違って幹事長よりも総務が重要な役割を担っていました。この理由として著者は帝国議会は年間3ヶ月くらいしか活動期間がなく、議会外での活動が中心だったからではないかとしています(117-118p)。

  
 1928年に日本でも男子普通選挙が行われ、日本の政党も名望家政党からの変化を求められます。しかし、多額の選挙資金が必要な普通選挙の導入は政党の腐敗を加速させました。男子普通選挙の導入とともに、当時の加藤高明内閣の与党が三党だったこともあって中選挙区制が採用されます。一般的に中選挙区制は候補者の乱立や買収などを生みやすい制度です。
 また、当時の首相は議会の多数派から選ばれるわけではなく、元老の西園寺公望が決めていました。西園寺は内閣が行き詰まると、反対党の党首を首相に推薦し、その新首相のもとで選挙が行われ与党が勝利するという流れでした。つまり、選挙→政権ではなく政権→選挙という形で、議院内閣制が確立していたとはいい難い状況だったのです(122-126p)。
 この問題を原敬などは認識しており、改革が模索されましたが、十分な制度改正を果たすことなく原は暗殺されています。


 第5章は戦後の日本の政党政治について。日本国憲法によって議院内閣制が明示的に採用されたことで執政制度は大きく変わりますが、一方、選挙制度は1946年の総選挙では大選挙区連記制が採用されますが、その後中選挙区制へと回帰します。この中選挙区制のもとで、政友会の流れをくむ自由党民政党の流れをくむ民主党、そして社会党の3党が主要政党として勢力を得ることになります。
 また、議院内閣制が採用されたわけですが、二院制が採用されたことと、地方において二元代表制(議員と首長をともに選挙で選ぶ)が採用されたことによって、全体として純粋な議院内閣制よりも分立的なしくみになりました。。


 主要三党の鼎立体制はいわゆる55年体制の成立によって大きく変化します。自民党が誕生し長期政権をつくりあげたのです。この55年体制の成立について、著者は「政党システム、すなわち政党の数と勢力関係の観点から考えてみると、保守合同とは自由党民主党という二つの政党が半永久的な連立を組んだことを意味します。自由党民主党の恒常的な連立政権ができ、主要三党のもう一つである社会党を政権から排除する、これが保守合同の帰結でした」(144p)と説明します。
 この後、政権から締め出された社会党がより左派的な考えによったことや、中選挙区制という選挙制度が大きな議席変動を生まない制度だということもあって、自民党は長期政権を築くことに成功するのです。


 この中で自民党では派閥とボトムアップ型の政策決定のしくみが発展しました。中選挙区制のもとでは大政党の看板がなくても当選が可能なため、政党の一体性は弱くなると考えられますが、それを補ったのがこの派閥や、多くの議員が政策決定に関わることができるボトムアップ型のしくみでした。
 利益配分を続けながら与党で居続けることは一般的には難しいことですが、この時期の高度成長がそれを可能にしました。しかし、こうした政治のしくみが変化への対応を遅らせたのも事実で、著者は「今から振り返れば、石油危機からバブルが崩壊するまでの15年ほどの期間というのは、日本の社会や経済にまだ十分な活力があり、だからこそ将来のための布石ができた時期ではありました。(中略)実はほんとうに失われた時間は、ここにあってのではないかという気がしてなりません」(165ー166p)と述べています。


 第6章は小選挙区比例代表並立制導入以降の日本の政党政治について。
 小選挙区比例代表並立制小選挙区制と比例代表制を単純に組み合わせたもので、韓国や台湾でも採用されており、こうした混合制は90年代以降の流行となっています(175p)。
 さらに日本では橋本龍太郎内閣のときに執政制度の改革も行われました。今までのボトムアップ型の政策決定システムを改めることを目指し、内閣の機能が大幅に強化されたのです。
 選挙制度の改革は与党執行部の権限を強め、内閣機能の強化は首相の権限を強化しました。つまり与党の党首である首相の力がそれまでに比べて大幅に強化されたのです。
 これらの改革は基本的に権力を集中させる改革でしたが、同時期には地方分権や日銀の独立性の強化など分権的な改革も行われています。このような異なる方向性の改革はその後に問題を残しましたし、国会に関する改革はほとんど行われないままに終わりました。


 こうした改革の影響は政党の内部にも及んでいます。先程述べたように選挙制度の改革によって執行部の権限は強まり、派閥は弱体化しました。また、自民党ボトムアップ型の政策決定のしくみも以前のようにははたらかなくなっています。
 近年、「○○チルドレン」という形で若手議員が問題視されますが、著者に言わせれば、「当選回数の少ない与党議員の政策知識の乏しさや脇の甘い言動がしばしば問題にされます。しかしそれは、若手議員が「小粒」になったからではなく、政党組織の変化によって採決要員以外の役割を与えにくくなっていることの帰結なのです」(189-190p)。


 2009年の民主党による政権交代によって、選挙制度改革の想定するような政治が実現するかにも見えましたが、民主党政権運営のまずさ、参議院の存在がもたらす「ねじれ国会」、地方分権改革で力を持った首長に率いられる地域政党の存在などによって、自民党の「一強」状態が生まれています。
 野党が分裂してしまっていて、自民に対抗する勢力が不在になってしまっているというのが現在の状況ですが、だからといって政策抜きの「非自民」の結集は、希望の党の惨敗に見られるように難しい、というのが著者の見立てです。


 終章では「政党政治の再生は可能か」と題して、これからの政党の可能性を探っています。
 ネットの発展などによって直接民主主義の可能性が探られるようになり、また、選挙や政党にとらわれない政治運動を評価する声も聞かれますが、著者は政党政治の存在意義はまだ残っていると主張します。
 その意義として著者が持ち出すのが次のような政党の情報縮約機能です。

 政党は利益媒介以外の機能も担っています。とくに重要なのが、有権者にとって複雑で大量すぎる政策決定のための情報を縮約して伝える機能と、政策過程に対して有権者のさまざまな考えや意見を伝える機能です。(中略)
 同じような役割は、NGONPO、あるいは利益集団にも果たすことはできます。しかし、これらの組織に対しては、一般市民(有権者)が評価や制裁を加えるメカニズムが存在していないので、説明責任の確保ができません。公正な情報提供者のふりをして、特定の人々を利することもできてしまいます。公的存在として複数の政党があり、それらが選挙において競争する仕組みは、なかなか優れたものなのです。(215-217p)


 このようにこの本は、「政党論」という議論にとどまらず、広く民主政治や日本政治を論ずるものとなっています。もちろん、政党の来歴や今後の展望についても書かれていますし、「日本政党政治史」としても読むこともできます。
 また、語り口は平易で、政党論や日本政党政治史の入門、さらには政治学の入門書としても機能すると思いますし、近年、精力的な著作活動を行なっている著者の考えを知るための入口になる本としてもお薦めできます。
 「安倍一強」にしろポピュリズムにしろ、政党政治がうまく機能していないというイメージが政治の世界を覆っているような状況ですが、そうした状況だからこそ広く読まれるべき本といえるでしょう。


民主主義にとって政党とは何か:対立軸なき時代を考える (セミナー・知を究める)
待鳥聡史
4623083594