駒村圭吾・待鳥聡史編『統治のデザイン』

 憲法というと、どうしても日本では9条と人権をめぐる条項に注目が集まりがちですが、国会、内閣、裁判所、地方自治といった日本の統治のしくみを決めているのも憲法です。

 ケネス・盛・マッケルウェインは日本国憲法が他国の憲法に比べて条文数も文字数も少なく、規律密度が低いことを明らかにしましたが、そのせいもあって、90年代以降の、選挙制度改革、省庁再編、司法改革などは、憲法改正を行わずに可能になりました。

 しかし、参議院改革などを行おうとすれば憲法の規定が問題になります。ある意味で、憲法に具体的な規定のあるぶんが改革されずに残ったという面もあるのです。

 

 そんな憲法をめぐる問題に対して、政治学者と憲法学者が挑んだのが本書になります。構成としては、まずは政治学者が憲法の規定にとらわれずに各分野の改革について分析した後、それへのリプライという形で憲法学者憲法上の位置づけや課題を論じる形になっています。

 

 目次は以下の通りですが、執筆陣もなかなか豪華です。

はじめに(待鳥聡史)
第1章 安全保障
 Ⅰ 「事態」主義の効用と限界(楠 綾子)
 Ⅱ 安全保障のデザイン——憲法の視点(富井幸雄)
第2章 代表
 Ⅰ 選挙制度と統治のデザイン——政治学の視点から(大村華子)
 Ⅱ 選挙制度と統治のデザイン——憲法学の視点から(吉川智志)
第3章 議会
 Ⅰ 国会に関する改憲論と実態論(松浦淳介)
 Ⅱ 両院制にとどまらない国会の憲法問題(村西良太)
第4章 内閣
 Ⅰ 日本の議院内閣制の変容の方向性——権力分立論再考(竹中治堅)
 Ⅱ 議院内閣制の改革と憲法論(横大道聡)
第5章 司法
 Ⅰ 司法を政治学する(浅羽祐樹)
 Ⅱ 最高裁判所の二重機能の問題性(櫻井智章)
第6章 財政
 Ⅰ 財政政策と制度改革(上川龍之進)
 Ⅱ 統治システムとしての財政とその憲法的デザイン(片桐直人)
第7章 地方自治
 Ⅰ 入れ子の基幹的政治制度——中央地方関係と地方政治(砂原庸介
 Ⅱ 憲法学からみた地方自治保障の可能性(芦田 淳)
おわりに(駒村圭吾

 

 第1章では安全保障が扱われていますが、本のタイトル通り「統治」という視点から問題が分析されているのが本章の特徴です。

 安全保障というと自衛隊の位置づけや集団的自衛権の行使、PKO多国籍軍への参加などが論点になりやすいですが、本章の楠綾子のパートでは、自衛隊に対する司法からの制約の可能性、自衛隊に対して国会がどの程度統制に関わるべきか、軍法会議の設置など、統治の観点からいくつかの問題が提起されています。

 これに対して富井幸雄で検討が加えられているのですが、9条の改正の必要性に関して、自衛権の明記は自衛権国際法で規定されているものだから憲法に書き込むのはなじまない、自衛隊の明記に関しては「自衛隊は合憲・適法に存在し、国民に定着しているから、あえてこうした改憲をする必要をみない」(45p)と述べるところが、いかにも憲法学者だなと思いました。

 

 第2章は「代表」と題し、選挙制度が論じられています。

 日本国憲法は43条の1項で「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と述べていますが、具体的な選挙制度に関してはほぼ法律に任せています。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への転換のような大きな変化も憲法改正無しで可能なわけです。

 そこで、今まで選挙と憲法をめぐる問題というともっぱら「一票の格差」の問題に集中していきました。この問題については何度も訴訟が起こされ、衆議院では格差は2倍未満に縮まってきました。

 これに対して、大村華子パートでは「平等」だけでなく、「代表」の内実を問うような議論があるべきではないかという考えが紹介されています。現在の状況を見ると、「憲法には選挙制度に対して、投票価値の平等を保障しその実現を追求させる力がある一方で、応答の平等を保障し、政治家に利益分配の平等を実現させるだけのプレッシャーはもち得ていないのではないか、というコントラストが見えてくる」(80−81p)と述べています。

 この代表性における「応答」の問題を考えるときに、ポイントになるのが政党であり、この政党に関して日本国憲法は何も述べていません。

 

 吉川智志のパートでは、まず、選挙制度に対する憲法学者の見方(例えば小選挙区制は死票が多いから違憲、15条を考えれば小選挙区が要請されるといった少数意見もあるそうです(93p注4))が紹介されています。

 さらに、参議院の独自性と「一票の格差」問題の衝突という問題がとり上げられ、「一票の格差」が優勢になりつつあることが指摘されています。このあたりは憲法参議院の性格が書き込まれていないということが大きいのでしょう。

 

 第3章の「議会」でも中心的にとり上げられているのは参議院のあり方です。

 松浦淳介のパートでは、なぜ二院制なのか? という問題が検討されています。参議院は以前から衆議院の「カーボンコピー」になっていると批判されています。確かに現在では選挙制度も似てきており(参議院の一人区であれば、小選挙区比例代表という点で衆議院と同じ)、議員の顔ぶれを見ても違いは感じられないかもしれません。ただし、女性議員の割合に関しては一貫して参議院衆議院を上回っており、参議院のほうが多様性が高いと言えます。

 また、参議院に関しては実質的に法律の拒否権を持っており、その権限が強すぎるという議論もあります。前章の選挙の議論と絡めれば、参議院に「一票の格差」から外れる選挙制度(例えば完全に都道府県の代表にする)を導入するのであれば、参議院の権限を弱めることが必要になるでしょう。

 他にも、内閣が国会の審議の介入できない状況が国会審議の形骸化をもたらしているという問題なども指摘されています。

 

 村西良太による応答では、まず日本の議院内閣制が権力分立型なのか、権力融合型なのかということが検討され、憲法学の観点から権力融合型と見ることの問題点が指摘されています。

 また、参議院の拒否権についても、参議院は内閣の進退を左右する地位から外されており、参議院が立法においても補助的な立場にとどまるべきだという説が紹介されています。

 

 第4章の「内閣」では、竹中治堅が日本の議院内閣制は「権力融合型」であると言い切って議論を行っています。

 日本の議院内閣制は90年代から行われた選挙制度改革、省庁再編などによってより首相に権力が集中する形になりました。議院内閣制の中でもイギリス流のウェストミンスター型に近づいたと言えるでしょう。

 その上で著者は内閣が国会の審議にもっと関与できるようにすべきだと主張します。日程面への関与や副大臣大臣政務官が委員会理事を兼務することで、法案審議に内閣が関わるようにすべきだというのです。

 これに対しては三権分立の立場からの批判が予想されますが、著者はバジョットなどを引きながら、日本の議院内閣制を三権分立で捉えることは難しいとして、こうした批判を退けています。

 

 横大道聡のリプライでは、これに真っ向から批判すると言うよりは、権力分立といってもさまざまな形態があり、国会の審議に対する内閣の関与も権力分立の観点の中から考えられるという主張を行っています。

 

 第5章の「司法」では、浅羽祐樹(韓国政治の専門家として知られていると思いますがここでは「政治の司法化」を研究する立場から日本の司法について論じています)が問題提起を行っていますが、最初に提起されるのは2013年8月に内閣法制長官から最高裁判事に転出した山本庸幸が「栄転」ではなく「左遷」とみなされたのはなぜかという問題です。

 司法のトップにいる15人の最高裁判事は非常に重要な役職なはずですが、日本ではあまり注目されていませんし、そもそも選ばれ方もあまり意識されていません。アメリカの連邦最高裁判事の人事が党派的な争いの場になるのとは対照的です。

 アメリカでは、自陣営に有利な構成狙って若い判事を任命して影響の長期化を狙いますが、日本では自民党政権が長かったこともあり最高裁判事は完全に「上がり」のポストとなっていますし、細川・羽田内閣や民主党政権でも特に若い判事を任命しようとした動きはありません(著者は社会党が与党のときに憲法学者土井たか子最高裁判事に送りんでいたら…という話を出している(247p))。

 

 日本の政権交代の少なさは違憲審査にも影響を与えていると考えられます。長期政権の場合、裁判所は政治部門からの報復を恐れて謙抑的になると考えれますし、政権交代がたびたび起こるのであれば是々非々で望むでしょう。

 韓国ではこうした状況の下、違憲判決が増えていますが、こうなると司法が「国のかたち」を最終決定するような状況も生まれてきます。「政治の司法化」と「司法の政治化」が同時進行するのです。

 

 櫻井智章のリプライでは、最高裁判所の二重機能、すなわち終審裁判所と違憲審査機関としての機能が中心的に論じられています。

 政治的に注目されるのは違憲審査ですが、最高裁が軸足を置いてきたのは終審裁判所の機能でした。ドイツでは終審裁判所とは別に憲法裁判所を設けており、しかも300人を超える裁判官が事件を処理しています。一方、日本の最高裁判事はわずか15人であり、この人数であらゆるタイプの事件を取り扱っています。これはやはり過剰な負担と言えるでしょう。

 この負担の解消策としては、アメリカ連邦最高裁のように上告の可否を完全に最高裁に委ねる、上級審違憲審査機関を切り離すといった方策が考えられますが、新たな違憲審査機関をつくるとなると憲法改正が必要です。

 

 一方、最高裁の人事に関して現在のところ一定の慣行に従っており、党派的な人事が行われているとは言えませんが、あくまでも慣行であり制度的な裏付けがあるわけではありません。

 また、最高裁判事が「上がり」のポストになることで判事の年齢は高齢化しており、これが年齢構成の多様性を失わせているとも言えます。

 あと、違憲審査に謙抑的な理由として、最高裁の判事が必ずしも憲法問題の専門家ではないという点があげられていて、これは興味深い視点だと思いました。

  

 第6章は「財政」。実は財政に関して、特に財政健全化みたいな話を憲法に盛り込むのは大反対で、その手の議論に対しては「財政赤字になって25条の保障する「最低限度の生活」が保障できなくなったら、財政条項を理由に25条を諦めるのか?」と常々思っていました。

 というわけで、憲法に「財政」を盛り込むことに関してはまったく興味がなかったのですが、上川龍之進が最後に「しかしながら、財政政策が対象とするマクロ経済の動向は不安定であり、硬直的な法的ルールで政策運営を円滑に行うことは困難である。財政健全化については、安易な立憲主義的ないし法律主義的な解決は望めず、究極的には世論の良識に期待せざるを得ないのである」(306−307p)と書いていることには安心しました。

 片桐直人のリプライでは25条の問題にも簡単に触れており、また、こちらも憲法で財政を縛ることには否定的です。

 

 第7章は「地方自治」。日本国憲法における地方自治に関する規定は非常に少なく、しかも内容も曖昧で法律任せになっているところが特徴です(いつも「地方自治の本旨」は「団体自治」と「住民自治」のことだと教えながら、これって誰が決めたんだろう? と思っていました)。

 砂原庸介のパートでは、まず、この「地方自治の本旨」が法律を判断するときの根拠としては使いにくいことを指摘し、さらに現在の憲法だと「道州制」や新たな大都市制度なども憲法改正を経ずにできてしまうことを指摘しています。

 地方自治体内の政治に関しては、憲法は議会を設置することを求めていますが、地方自治法の94条では特例として住民総会を設置することを認めています。また、憲法95条では地方自治特別法制定時の住民投票を規定していますが、現在各地で行われている住民投票は各自治体が条例に基づいて独自に行なっているものが基本です。

 

 地方自治制度は二元代表制をとっていますが、地方議会は多くが大選挙区の単記非移譲式投票(SNTV)であり、責任のある政党が生まれにくい構造になっています。

 政党は地方と国の調整に関しても重要な役割を果たす可能性を持っていますが、ここでも地方で議員の正当化がなされにくいという構造がネックになっています。

 

 芦田淳のリプライでは、「地方自治の本旨」についての憲法学からの理解の仕方が提示されるとともに、さまざまな問題が憲法の観点から検討されています。個人的には、憲法地方公共団体の二層制を要請しているかという問題を興味深く感じました。言われてみれば歴史的に二層制が続いているとしても、憲法には何も書いていないですよね。

 

 このように本書は憲法を軸に日本の政治のさまざまな問題を論じています。政治学者と憲法学者の見方・考え方の違いというものも面白いですし、また、本書を読むと、日本国憲法の規律密度が低いこともあって、多くの改革が憲法改正なしに可能であることもわかります(憲法改正がどうしても必要なのはやはり参議院改革か)。

 日本政治は、長らく「護憲/改憲」という軸で語られてきましたが、「憲法を変えなくても大きな改革ができる」という日本国憲法の特徴を見据えながら政治を考えていくべきだということを、本書を読んで感じました。