須網隆夫編『平成司法改革の研究』

 90年〜00年代にかけて日本ではさまざまな改革が行われました。小選挙区比例代表並立制が導入され、1府12省庁制となり、地方自治では三位一体の改革が行われました。それが良かった悪かったかはともかく、これらの改革が日本の社会に大きな変化を与えたということは多くの人が認めるところだと思います。

 

 ところが、本書が取り扱う司法改革に関しては、改革がどのような変化をもたらしたのかが見えにくくなっています。鳴り物入りで設立されたロースクールの多くが閉校に追い込まれましたし、法曹人口の増加も当初の計画のように入っていません。裁判員制度の開始は大きな変化ですが、これが社会にどのような影響を与えているかというと、これもあまり見えてきません。

 

 こうした中で、改めて司法制度改革を点検し、その問題点や達成を探ったのが本書になります。論者によってスタンスは違いますが、副題に「理論なき改革はいかに挫折したか」とあるように編者自身はこの改革をうまくいかなかったものと捉えています。

 

 目次と執筆者は以下の通り。

第I部 司法改革とは何か

 第1章 司法制度改革の源流を考える……………(豊秀一)
    ――関係者の取材から

 第2章 平成の司法改革をもたらしたもの……………(飯考行)
    ――司法制度改革審議会前後の経過と社会を視野に入れて

第II部 司法制度改革の総論的検討

 第3章 制度改革の理論とは何か……………(須網隆夫)
    ――審議会に欠けていた改革の理論

 第4章 司法制度改革と憲法学……………(山元一)

 第5章  比較司法政治から見た
    平成司法改革と日本の最高裁判所……………(網谷龍介)
    ――最高裁判所裁判官の選考制度に注目して

 第6章  平成司法制度改革の起源……………(ディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク)
    ――刑事司法制度への国民参加に焦点を当てて

第III部 改革は何を達成し、何を実現しなかったか

 第7章  弁護士の収入減と裁判所事件数の低迷について……………(馬場健一)
    ――見落とされている観点から

 第8章 原発事故賠償に見る民事司法制度……………(大坂恵里)

 第9章 司法制度改革と行政訴訟……………(興津征雄)

 第10章  司法制度改革の司法権論と違憲審査制の国民的基盤……………(岩切大地)

 第11章 「人的基盤」としての法曹人口……………(米田憲市)
    ――ゆがんだ「法の支配」への道

 第12章 「 理論」も「実務」も置き忘れた法曹養成……………(米田憲市)
    ――臨床法学教育を鍵とする再生を目指して

 第13章 「法の支配」と司法への国民参加……………(四宮啓)

 第14章 かくして裁判員制度は始まった……………(平山真理)
    ――しかし、欠けていたのは何か? 被告人の視点、被害者の視点、そしてジェンダーの視点

第IV部 令和の司法制度改革のために

 第15章 「人」に頼るより「制度」の改革……………(泉徳治)

 第16章  提言「令和司法改革のために」……………(令和司法改革研究会)

あとがき……………(須網隆夫)

 

 第1章では司法制度改革がどのように始まったのかが語られています。

 80年代後半頃から日本の民事訴訟制度への疑問が高まり、司法制度改革の機運が生まれてくるのですが、橋本龍太郎首相がリーダーシップをとった行政改革とは違い、司法制度改革には大物政治家の旗振り役はいませんでした。

 そこで議論を牽引したのが弁護士資格を持つ衆議院議員自民党の司法制度特別調査会の会長となった保岡興治であり、司法制度改革審議会の会長となった憲法学者佐藤幸治でした。

 

 ところが、「司法改革」と一口に言っても、法務省は司法試験合格者の年齢の上昇を問題視して司法試験合格者の増員を求める一方で、弁護士会はそれには慎重であり、法曹一元化や陪審・参審制度の導入を求めました。

 このような「同床異夢」の中で佐藤が打ち出したキーワードが「法の支配」でした。さまざまなところで使える「法の支配」という概念をもって、改革をまとめあげようとしたのです。

 

 なお、第2章でも司法制度改革審議会について、「「法の支配」などのある意味マジックワードを用い、全員一致を指向する独特の進行方式でなければ、裁判員制度をはじめとする諸改革は、提言しえなかった」(36p)と述べています。

 

 第3章は編者の須網隆夫による章ですが、新制度経済学の視点を取り入れながら、司法改革を批判的に検討しています。

 司法改革では、法律サービスに対する潜在的な需要はあると考え、法曹人口を増加させ、民事訴訟の迅速化などを行えば、弁護士の活動領域は自然に拡大し、司法アクセスも改善されると考えていました。

 

 ところが、弁護士人口が増加し、法テラスが設立されても訴訟事件数は停滞しています。下がると見られていた弁護士を依頼することもハードルも大きく下がったとは思われません。

 これについて、筆者は法律サービスを提供するのが弁護士以外にも行政書士司法書士などがいるといった日本の社会のこれまでの状況(「経路依存性」)しています。

 また、教育面においてロースクールの導入という大きな制度の変化がありましたが、試験が従来どおりの競争試験であり、さらに予備試験制度を例外として残したことが法科大学院の予備校化をもたらしました。制度補完性の問題が十分に考えられていなかったと言えます。

 

 第5章では、政治学者の網谷龍介が、日本の司法消極主義の要因の1つを最高裁判所の裁判官の任命方法に求める議論を行っています。

 日本の最高裁は明文で立法審査権が認められており、かなり強い権限を持っていますが、裁判官の選考は内閣の単独で行われています。

 アメリカの研究者のショアは、アメリカにおいて「大統領がたかが上院多数派の同意のみで憲法解釈者を決定できてしまうことを例外的であると評している」(98p)そうですが、国会の関与がまったくない日本はそれ以上と言えます。

 

 この問題は憲法制定時にも浮上したそうですが、裁判官に対して国会や国民の関与が大きくなることが、司法の独立を脅かし、司法に政争を持ち込むことになるという論調が強かったために、結局は行政部のみが関与する形に落ち着きました。

 

 1994年に出された憲法改正の読売試案では、憲法裁判所の設置を提言し、参議院を裁判官の指名に関与させるとしていました。

 ところが、司法改革においては最高裁の裁判官の任命方法についての議論は盛り上がりませんでした。司法改革は司法の役割の拡大を狙っていましたが、違憲立法審査権についてはとり上げられず、また、政治との関係についても積極的には検討されませんでした。

 これについて筆者は「民主的選出部門とのインターフェイスへの考慮なしに、国民的基盤なる抽象的概念を頼りに役割の拡張を図るのは困難であると言わざるを得ない」(110p)と述べています。

 

 もちろん、最高裁の裁判官に任命に国会の承認を求めるような改革は憲法改正が必要あり、ハードルの高いものですが、筆者は本章を以下のように締めくくっています。

 

 政治から距離をおきつつ、同時に積極主義を司法に期待するのは欲の張った主張であり、実現可能性が示されてもいない。政治との緊張関係を直視せずに司法の機能拡大を望むには限界がある、というのが平成司法改革から得られる教訓ではないか。(112p)

 

 第6章、ディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク「平成司法改革の起源」は、司法改革に至る道と国民参加のあり方として裁判員制度が出てくる過程を追っていますが、平成に行われた改革の背景として、「ニュースステーション」などの民法の批判的なニュース番組をあげているのは興味深いですね。

 

 第7章は馬場健一「弁護士の収入減と裁判所事件数の低迷」です。

 司法改革においてはいろいろと目論見が外れましたが、その1つが弁護士需要の低迷とそれに伴う弁護士の収入の低迷です。弁護士の収入と所得の中央値は2000年の2800万円、1300万円から、2018年には1200万円、650万円とほぼ半減しました(137p)。

 その結果、弁護士からは法曹人口の拡大に反対する声が上がり、当初の年3000人の合格者という目標を消し去る一因ともなりました。

 

 ただし、筆者はこのことを過度に問題視することに懐疑的で、弁護士総収入や弁護士総所得が伸びていることなどから(141p図2参照)、弁護士のパイが限界に達していることはないと言います。

 また、訴訟において双方に代理人が付くケースが増えていない(143p図3参照)ことなどから、まだまだ弁護士需要の開拓は可能だと考えています(例えば、ルーティン的な事件を安い価格で引き受けることなどがあってもよいとしている)。

 さらに過去の歴史を見ても、弁護士が増えれば訴訟が増えるといった単純な関係はないことを指摘しています。

 

 第11章、米田憲市「「人的基盤」としての法曹人口」では、法曹人口の増加の実態と影響について検討されています。

 1990年代、地方裁判所の本庁と支部単位で弁護士ゼロ地域が46庁、1人の地域が32庁の管轄と存在しており、「ゼロワン地域」と呼ばれ、その解消が求められました(234p)。

 企業内弁護士についても、平成16年の弁護士法改正まで、所属弁護士会の許可がなければ営利法人に務めることはできず、「企業法務」にためにも人的基盤の拡大は必要だと言われていました。

 

 こうした人的基盤の充実のためのボトルネックは司法試験の合格者数であると考えれており、司法制度改革では司法試験の合格者増が目指されたのです。

 ところが先述のように弁護士需要の低迷もあって、合格者数は抑えられ、司法試験の合格者数は2021年には1421人まで削減されています。

 毎年1500人の新規法曹の誕生を前提とするシミュレーションでは、法曹人口は2048年の7万300人をピークに現象に転じるそうですが(248p)、この転換は早まるかもしれません。

 

 一方、ゼロワン地域についてはゼロ地区は2008年に、ワン地区も2011年末までに行ったんは解消されています。しかし、現在は合格者抑制の影響を受けて法テラスが新規の弁護士の採用に苦労しているとの話もあるようです。

 また、都市部を中心に企業内弁護士数も増えており、筆者は法曹の「人的基盤」を強化していくべきだと主張しています。

 

 第12章も引き続き米田憲市で「「理論」も「実務」も置き忘れた法曹養成」。タイトルからもわかるように法科大学院の失敗を受けてのものになります。

 ただ、基本的には法科大学院が徐々に司法試験対策に流れていった状況を振り返ったもので、特に改革の方向性などは打ち出されていません。

 

 第13章四宮啓「「法の支配」と司法への国民参加」は裁判員制度について検討しています。

 「司法への国民の関与」のために導入された裁判員制度ですが、この中には「自律的で責任を負う統治主体としての国民」という理想が盛り込まれていました。

 

 ところが、導入された裁判員制度は「自律的で責任を負う統治主体としての国民」の育成に役立っているとは言い難いです。

 まず辞退率は年々上昇して2021年7月には67.1%となり、欠席率は29.7%。その結果、当該事件に選任された候補者の内、裁判所に出頭したのは24.2%にすぎません(289−290p)。

 しかも、裁判員裁判の無罪判決が控訴審で覆されたり、両親による幼児への傷害致死事件に対して裁判員裁判が検察の求刑を上回る量刑を課すと、それを最高裁が否定するといったこともあり、「自律的で責任を負う統治主体としての国民」という理念からは離れた運用もなされています。

 

 こうした状況に対して、筆者が提言するのが守秘義務の緩和です。「自律的で責任を負う統治主体としての国民」の育成のためには、裁判員の経験が周囲に語られていくことが必要ですが、現在の厳しい守秘義務の中では、たとえ裁判員を経験したとしても多くの人がそのことを語りたがらないでしょう。裁判で知り得たプライバシーを守るのは当然ながら、それ以外の部分の守秘義務を弱めてはどうかというのが1つの提言になります。

 

 第16章では、今後に向けたさまざまな提言がなされていますが、その中には民事訴訟の審理期間の短縮、損害賠償の認定額の引き上げ、人質司法からの脱却、取調における弁護士の立会権など、以前から提言されていたものもありますが、司法試験合格者の年2000名程度への引き上げ、予備試験の廃止、被告人が裁判員裁判にするかどうかを否認事件である場合などは選択できるようにすること、裁判員裁判でのジェンダーバランスの確保など、平成司法改革を踏まえての提言もあります。

 

 司法の現場については門外漢なのでわからない面もありますが、どう考えても成功したとは言い難い平成の司法制度改革をこうやって振り返ることは貴重だと思います。

 漠然とした印象としては、司法制度改革は、既存の制度の持っていた磁力から離れられなかったという印象を持っているので、今一度の制度改革が求められているのかもしれません。