『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編] 僕は君を愛してる』

 前編を見た時に、TVシリーズを見ていたはずなのに全然展開を思い出せなかったと書きましたが、後編もそう。いくつかのシーンは見ながら思い出したのですが、特に冠葉と晶馬の子ども時代の教団でのシーンとかは「これってあったっけ??」という感じで、11年という月日の長さと、自らの記憶力の減退を思い知らされましたが、だからこそ新鮮に楽しめたというのはありますね。

 

 前編の始まりが子どもになった冠葉と晶馬だったということで、一種の円環のような構造になるのかなと思いながら見ていましたが、少しズレた形の円環のような形になりましたかね。

 あと、TV版では苹果→晶馬、真砂子→冠葉というのは一方的な関係のままに終わってしまったように記憶していたのですが、そこに双方向性が出ていて、このあたりもTV版よりも明るいラストになった要因ではないかと思います。

 

 それにしても今回改めて『ピングドラム』は90年代的な想像力の結晶なんだなと思いました。

 地下鉄サリン事件をモチーフにしていて、「95」っていう数字が頻出するのはもちろん、酒鬼薔薇事件で使われた「透明な存在」という言葉が使われたり、時籠ゆりの子ども時代の話はドラマの「高校教師」を思い起こさせるし、とにかく90年代的なものが頻出していたと思います(実写の部分で緑の公衆電話を映していましたけど、これも90年代的ですよね)。

 去年のエヴァの完結といい、ここにきて90年代的な想像力が一つの完結を迎えたという感じを強く持ちました。

 

 ただし、モチーフなどは90年代的であっても、映像表現とか音楽の使い方とかがまったく古びていないのが幾原邦彦の作家としての腕前であり、『ピングドラム』の強さなんでしょうね。

 トリプルHがカバーするARBの曲とかもガンガンかかってましたけど、このあたりも古びていない。映像と音楽のセンスはさすがだと思います。

 

 去年の『シン・エヴァ』と並んで、サブカルにおける「95年体制」(今作った造語で、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件の影響をモロに受けた作品群)に一区切りをつけるものと言えるかもしれません。