副題は「デジタル経済・プラットフォーム・不完全競争」、GoogleやAppleやAmazonなどの巨大企業が君臨するデジタル経済において、その状況とあるべき競争政策を経済学の観点から分析した本になります。
基本的にGoogleのような独占企業が出現すれば市場は歪んでしまうわけですが、例えば、Facebookが強すぎるからと言ってFacebookを分割すればそれがユーザーにとって良いことかというと疑問があります。Facebookは巨大だからこそいろいろな人とつながれって便利だという面もあるからです。
本書はこうした問題に対して、「不完全競争市場こそがスタンダードなのだ」という切り口から迫っていきます。
このように書くと難しそうに思えるかもしれませんが、全体的に読み物のような形に仕上がっており、また、高校の教科書の記述などを拾いながら書かれていて、経済学にそれほど詳しくない人でも読めるものになっています。
縦書きの本にした割には数式は省いていないのですが、読んでいて話についていけなくなることはないと思います。
目次は以下の通り。
はじめに
第1章 市場とは何か、競争とは何か
第2章 プラットフォームという怪物が徘徊する世界
第3章 20世紀までの市場と競争──不完全競争を概念的に理解する
第4章 「生産・出荷集中度調査」の活用
第5章 駆動を始めたデジタル経済──「消費外部性」への着目
第6章 「プラットフォームの経済学」の黎明第7章 プラットフォームと出店者間の「交渉」という様相
第8章 複数プラットフォーム間の「競争」という様相
かつて、戦国大名は楽市・楽座といった政策によって自分の領内に多くの商人を呼び込もうとしました。多くの商人が集まることが領国の経済発展につながると考えたからです。
これはネット上でも同じです。例えば、メルカリのような売買の場は参加者が少なければ魅力の少ないものになるでしょう。
そうしたこともあってネットでは一部のプラットフォーム企業が巨大化して、独占・寡占状態をつくり出すことが多いわけですが、これをどう考えるのかというのが本書のテーマです。
また、「競争」という言葉についても本書はその意味を捉え直すように求めています。
「競争」というと「相手よりも努力して相手を打ち負かして勝つ」ことだと考える人もいるでしょうが、市場のおける「競争」とは競合者が併存している状況でありさえすればよく、必ずしも選ばれる側の切磋琢磨まで要求しているわけではないのです。
さらに、著者は独占禁止法が禁止しているのが通常の経営戦略の範囲外で人為的に独占をつくり出すことを禁止しているのであって、独占そのものを禁止しているわけではないことにも注意を向けています。
第2章から具体的なトピックに入っていきますが、まずはプラットフォームの説明から入っています。
プラットフォーム型ビジネスのキーになるのが外部性です。例えば、メルカリの利用者にとって直接の取引相手ではないたくさんの売り手と買い手が重要な役割を果たしています。たくさんの売り手がいるから買い手は商品を選べますし、たくさんの買い手がいるほど売り手の商品が売れる確率は高まります。
こうしたプラットフォーム型ビジネスとして、以前からクレジットカード、新聞やテレビ、ショッピングモールなどがありましたが、IT技術の発達はこうしたビジネスをよりさかんにしています。
しかし、巨大化したプラットフォームには問題もあります。
その1つが「スイッチング・コスト」の問題で実質的な選択肢が奪われるというものです。例えば、ずっとiPhoneを使っている状況からAndroidに乗り換えるようとすると、けっこうなめんどくささを伴います。
結果的に一部の企業の一人勝ち的な状況が出現し、消費者が選択の自由を奪われる可能性が出てきたのです。
第3章は「20世紀までの市場と競争」と題されています。
ここではまず、高校の新教科の「公共」の教科書の記述が参照されています。市場メカニズムについての記述の特徴と経済学者の考える問題点(「学習指導要領」では「社会的余剰を最大化」とあるが教科書では触れられていない)などが書かれており、高校の教員にも参考になると思います。
さらに高校の教科書には登場しない限界費用曲線、固定費用などの話に入っていきます。
生産を1単位を増やすときに必要になる費用が限界費用です。生産に必要な費用には機械などの固定費用と原材料などの変動費用があります。
例えば、ペットボトルのお茶を製造するとして、1本作る場合も1000本作る場合でもペットボトルにお茶を詰めたりする機械が必要です。そのため生産量を増やすほど一本あたりの固定費用(機械の導入などにかかった費用)は下がっていきます。
ここから「規模の経済性」と呼ばれる減少が起きます。よりたくさん生産している企業ほど安いコストで生産できる傾向があるのです。
本書は必ずしも完全競争が望ましいという立場を取っておらず(むしろ不完全競争の中の特殊なケースが完全競争だと見ている)、それゆえに限界費用曲線を上回るような価格設定もただちに歪みだとは考えません。
需要の価格弾力性が低い商品に関しては価格が高く保たれる傾向がありますが、このようにして生じる価格水準を「有効競争価格」と呼びます。
そして、「作為的なマークアップ」は許されないが、「自然なマークアップ」は許されるとして、競争政策では前者のみを問題にすべきだといいます。
第4章では市場集中の問題がとり上げられています。
ここでもまずは高校の教科書の記述から入っていますが、元ネタになっている日経産業新聞の「シェア調査」が、2016年度までの国内シェアから2017年度から世界シェアになったことで、国内シェアを載せる教科書は減りつつあります。
公的な調査としては公正取引委員会実施による「生産・出荷集中度調査」がありますが、統計調査の負担軽減と効率化のために、これも平成25・26(2013・2014)年のものが最後になっています。
この調査ではデータをもとに上位企業への集中度を表す「ハーフィンダール=ハーシュマン指数(HHI)」を公表していました。
これをみると、「宅配便運送」は21世紀になってから集中度が上昇傾向にあるものの、「引越」についてはそのような傾向が見られません。これは同じ運送業でありながら宅配便のほうが大きな固定費用を求められるからだと考えられます。
第5章はデジタル経済について論じられています。
まず、最初にも述べたようにデジタル経済では外部生の効果が大きく、サービスが大きくなればなるほど利用者の便益が大きくなるというケースが多いです。こうした正の外部性を「ネットワーク効果」とも言います。
これは実は昔からあるもので、ジェフリー・ロルフスは電話に注目し、電話機も自分だけが持っていても意味がないが、電話機を持つ人が一定の水準以上になれば利用者に大きな利益をもたらすと分析しました。この一定の水準を「クリティカル・マス」と呼びます。
この章では価格差別の問題もとり上げられています。現在、一杯800円のラーメンがあって一定の客を集めているとします。この客の中にはこのラーメンに1000円出してもいい、900円出してもいいという人が混じっています。一方、このラーメンに700円しか出したくないという人は来店していないはずです。
もし、それぞれの客が出してもいいと考える金額をラーメンの価格にできるのであれば、ラーメン屋はより儲かるはずです。「1000円出してもいい」という人から1000円取れば200円の追加の利益が得られます。
しかし、現実には難しいためにラーメン屋はセット価格や学生価格などによって価格差別を行おうとします。例えば、700円の学生価格を設定すれば、一般の客の価格を据え置きつつ、お金のない学生客を集めることが可能です。
本書ではソフトウェア企業が学生と教員にそれぞれ異なる価格をつかた場合のモデルが分析されています。
消費外部性が存在しない場合は価格差別によって社会的余剰が減少するのですが、ネットワーク効果のような消費外部性が存在する場合は必ずしもそうではないことが示されています。
第6章では「プラットフォーム経済学」というものの考察に入っていきます。
ネットワーク効果が大きいということはプラットフォームにとって重要なのはその規模ということになります。そのために一定の規模になるまでは「損して得取れ」の考えのもとで、無料または安い価格で利用者の拡大をはかる戦略がとられます。
このやり方は既存のガソリンスタンドが新規参入者を退出させるためにコスト度外視で安売りを仕掛ける「略奪的廉売」とは区別して考えるべきだといいます。
「プラットフォーム企業は、いわば、取引の場、すなわち、市場「を」提供している点が、市場「において」活動しようとする企業とは異なる」(180p)といいます。
プラットフォームは誰かが使用したからと言って他の者の使用が妨げられることはないことから公共財に似た性質を持っていますが、それが私的な企業によって運営されるとなるとその弊害も現れます。
プラットフォーム企業がその地位を利用して利用者から搾取するかもしれませんし、また、最近では「キラー・アクイジション(抹殺買収)」と呼ばれる減少にも注目が集まっています。これはGoogleがYouTubeを、FacebookがInstagramを買収したようにライバルになりそうな企業をプラットフォーム企業が買収してしまうというものです。
こうなると、何らかの形でプラットフォーム企業の行動を規制すべきではないかという議論も生まれてくるわけです。
第7章ではプラットフォーム企業と出品者の「交渉」が分析されています。
2019年の12月に楽天が出店者に対して一定以上の金額になれば一律「送料無料」となるプランを発表し、これに対して公正取引委員会がストップをかけるということがありました。
このとき、楽天側は最初に出した修正案では「送料無料」を行わない出店者は検索で上位にならないなどの不利な取り扱いがあったため、公正取引委員会が再度の改善を求めるということがありました。
このような楽天側のやり方は事後的な料金提示にあたるもので場合によっては「優越的地位の濫用」とみなされます。
このリスクを避けるためには一律な固定料金が適当ですが、そうなるとその固定料金を一定以下に下げることができず、結果として出店者を増やすことができないかもしれません。低い固定料金+サービスに応じた課金の方がより多くの出店者を集めることができるかもしれません。
出店者がプラットフォーム企業から不利な条件を押し付けられないためには、公正取引委員会のような競争特局に訴えたり、あるいはエピックゲームズが「Apple税」の問題をとり上げたときのように世論に訴えるという手があります。
また、複数のプラットフォームがあれば、1つのプラットフォームの要求に屈しなくても大丈夫かもしれません。
第8章では複数のプラットフォームがある状態を分析しています。
消費者や出品者がプラットフォームを利用することを「ホーミング」と呼び、1つのプラットフォームを利用することを「シングル・ホーミング」、複数のプラットフォームを利用することを「マルチ・ホーミング」と呼びます。例えば、NetflixとAmazon Prime Videoの両方に登録しているユーザーなどがそうなります。また、NetflixとPrime Videoの双方に映像ソフトを提供している映画会社などもそうです。
本書ではクールノー競争の考えを使ってマルチ・ホーミングの状況を分析しています。詳しくは本書を読んでほしいのですが、消費者側にマルチ・ホーミングがあったほうが「過少参入」が生じやすいなどの、直観とは違った結論も出ています。
第9章では、今までのモデルの分析などで得た知見をもとに、これからの市場と競争について考えています。
プラットフォーム企業が巨大化するに連れ、その行動を規制しなければという議論が高まってきましたが、それぞれの取引における余剰をもっと詳しく見ていくべきだというのが本章の主張になります。
例えば、プラットフォーム企業が一定の料金を払った出店者だけを優遇するのは「下請け保護」的な観点から「優越的地位の濫用」とみなされることがありましたが、第7章での分析でも見たように、こうしたやり方が消費者のメリットをもたらす可能性もあります。
ただし、競争政策では「効率」だけではなく「衡平」という観点も重要になります。
特にEUでは、巨大なデジタル・プラットフォームは純粋な私企業ではなく、社会の公器として扱われるべきだという考えが強くなっています。
また、アメリカでも反トラスト法の改定も視野に入れ、デジタル・プラットフォームに対する監視を強化しようという「新ブランダイス派」が台頭しており、2021年には新ブランダイス派の法学者リナ・カーンが米国連邦取引委員会の委員長に就任しました。
こうした状況ではありますが、著者は競争政策について不完全競争をベースにしながら、プラットフォームの特徴を丁寧に見ていこうという立場です。
完全競争をベースに考えれば、「消費者価格=限界費用+マークアップ」のマークアップの部分をゼロにしようという発送になりますが、不完全競争をベースにすれば、第3章でも見たように「消費者価格=限界費用+自然なマークアップ+作為的なマークアップ」という形になり、自然なマークアップは競争政策を行ってもゼロにはならず、作為的なマークアップのみをゼロにしようという発送になります。
さらにプラットフォームが介在する場合では、「消費者価格=限界費用+自然なマークアップ-マークダウン」となり、ネットワーク外部性から生じるマークダウンも考慮に入れていく必要があるといいます(266p図9.4参照)。
プラットフォームの巨大化はプラットフォーム企業の力を強め、これらの企業が社会を支配するディストピア的な未来を想像することができます。
そして、これを防ぐためには独占禁止法などでプラットフォーム企業の行動を縛らなければならないと考えるわけですが、本書の分析によるとプラットフォーム企業には今までにはなかったつながりを作り出すはたらきもあり、規制を強めたからといって社会全体の余剰が増えるわけではありません。
本書によってそのモデルの部分は示されたと思うので、あとは実証のデータということになるでしょうね。実際のデータで自然なマークアップと作為的なマークアップをきりわけられるのか? そういったところを見てみたいと思います。