大塚啓二郎『「革新と発展」の開発経済学』

 長年、開発経済学の研究者として活躍し、『なぜ貧しい国はなくならないのか』といった開発経済学の入門書も書いている著者による自らの研究の総決算的な本(ただし、本書の書きぶりをみてると「総決算」というのは早いかもしれませんが)。

 現場、実証、理論を行き来しながら、「何が農業と工業の発展の鍵なのか?」ということを探っていく本で非常に面白いです。

 

 近年の開発経済学というと、ノーベル経済学賞を受賞したバナジーとデュフロらが進めるRCTを使った研究がさかんですが、著者はRCTだけは国全体の経済を発展させるような理論は見いだせないと考えています。

 一方、FDI(海外直接投資)に関する研究の分野では、現場を知らない論文が査読で通ってしまい、その研究者が査読者になって無意味な論文が量産されていると、現場から離れてしまっている研究をコラムで手厳しく批判しています(283−285p)。

 

 若い研究者に対して「教育から「手を抜け」」と呼びかけるなど、物議を醸しそうなコラム(「いかに英文雑誌に論文を掲載するか」(14−21p))もありますが、それを含めて「熱い」内容になっており、いろいろな発見があります。

 

 目次は以下の通り。

 

貧困問題の解決を目指す開発経済学
第1部 農業の特性(農家規模と生産性;所有権・小作契約・生産性)
第2部 製造業の特性(産業集積の発展パターン;適正な技術と産業の選択:戦前期の日本の工業化から学ぶ)
第3部 技術移転と農業発展(アジアの緑の革命:稲作技術の国際移転;アフリカの緑の革命:アジアの稲作技術をアフリカに;契約栽培と高付加価値農業)
第4部 技術移転と工業化(産業集積の飛躍的発展:アジアの事例;産業集積の崩芽的発展:アフリカの事例;海外直接投資と開発途上国の経済発展)
第5部 結論(「革新と発展の経済学」を目指して)

 

 本書では、経済発展の基礎は農業にあるとして農業についての考察から始めています。

 農業には、種まきや収穫などに季節性があり、天候に左右されやすく、他の産業に比べて技術の模倣が比較的容易という特徴があります。

 さらに、著者は雇い主が雇用労働者の働きぶりを監視することが非常に難しいという点も大きな特徴だとしています。

 このため、世界の農家の90%は家族労働に依存する家族農業になっているのです。

 

 こうしたこともあって、最も生産性が高まる農地の広さというのは簡単には決まりません。

 開発途上国では、農家規模と生産性の間に逆相関関係が観察されていましたが、これは上記の労働者の監視の難しさがあると考えられます。

 ただし、機械化が進めば、労働者を雇う必要も減り、今度は広い農地のほうが生産性が上がるかもしれません。日本における研究では大型トラクターが導入された1960年代中頃から規模の経済性が見られるようになったといいます。

 

 次のグラフは38pに載っている東アジア6カ国における平均農家規模の推移です。

 

 これを見ると、意外にも近年日本の農家規模が拡大しており、フィリピンが縮小しつつあり、中国の農家が小さい規模のままで推移していることがわかります。

 フィリピンでは非農業部門が不振であり、そのために人口が農村に滞留していると考えられます。さらにフィリピンでは農地改革によって小規模農家が大規模農家に土地を貸し出すことが禁じられていることも問題だといいます。

 中国の農家規模が小さい理由はあとの章で示されますが、著者はこれが中国の農業の生産性の伸びを抑え、中国を巨大な食料輸入国にしてしまうものだとして警戒しています。

 

 農地を最適な規模にするためには小作契約が重要になってきます。地主が小作人に土地を貸したり、大規模農家が小規模農家から土地を借りることで、生産性が上がる可能性があります。

 しかし、このときに所有権がしっかりと確立していないと、農家は他人に土地を貸したがらないかもしれません。

 中国では、1990年代まで土地を貸す権利が制限されており、農家間での効率的な農地の貸借が妨げられていました。

 つまり、農業の生産性を上げようとすれば、所有権をしっかりと確立することが必要になるのです。

 

 山林などの共有資源については、以前から所有権がはっきりしていないことで過剰伐採などが行われてしまう「コモンズの悲劇」が指摘されていました。

 これについてノーベル経済学賞を受賞したオストロムは、共同体には共有資源を守る能力があり、実際にルールをつくって過剰伐採を防いでる例が多いことを指摘しました。近年ではオストロムの考えの影響もあって、開発途上国の植林プロジェクトの多くで、共同体の管理のもとで行われています。

 しかし、著者はこのやり方は過剰伐採を防ぐ効果はあっても、良質な木を育てる効果はないと考えています。代わりに土地は共有、木は私有という形でインセンティブがはたらくようにするスタイルを提案しています。

 

 小作制度では小作人と地主が収穫物を事前に決めた割合で分け合う分益小作と呼ばれる制度が広く行われていますが、この制度のもとでは小作人は怠けてしまい非効率が生じると言われています(「マーシャルの非効率」)。

 しかし、著者は一定の監視能力があれば、こうした問題は軽減できると考えています。そのため、共同体の中で監視コストが低ければ、大きな非効率が生まれないというのです。

 

 第2部は製造業です。まずは多くの製造業が集積する傾向があることから、産業集積について分析しています。

 産業の集積というとシリコンバレーが有名ですが、日本でも鯖江のメガネフレームや東京大田区の金属加工などさまざまな集積が見られますし、アフリカでもエチオピアアディスアベバのアパレルをはじめとしてさまざまな産業集積があるといいます。

 産業集積には、①企業間取引が容易、②労働市場が発達、③模倣が容易という3つの優位性があると言われていますが、③の模倣が容易というのは落とし穴でもあります。

 革新的なアイディアもすぐに模倣されてしまし、結果として革新を目指すインセンティブが弱まってしまうからです。

 

 ですから、集積が進むと利益率が低下してしまいがちです。そこで「革新」が重要になってくるわけです。

 「革新」というと何か大きな発明が必要のようにも思えますが、ここには製品の質の改善やマーケティングの改善、経営の改善といったことも含まれます。

 こうした「革新」によってブランドを確立し、輸出ができるようになることで、安定した利益を確保できるようになるのです。

 

 では、どのような製造業を育成すべきなのでしょうか?

 著者は順番としては比較優位が活かせる労働集約産業から始めるべきであり、日本の経験が役に立つといいます。

 日本では紡績、綿織物、製糸、絹織物といった繊維産業から発展しましたが、いずれも労働集約的な技術からスタートして発展しました。

 

 例えば、紡績では、一般的には従来の伝統的な紡績に代わって、1882年につくられた大阪紡績会社の成功をきっかけとして機械による大規模な生産が始まり、それとともに今までの短繊維の中国産綿花に代わって長繊維のインド産綿花が使われるようになったというのが高校の教科書的な記述になります。

 しかし、本書によるとリング紡績機を使うにはインド産でもまだ繊維は短かったそうで。これを大勢の女工が、原綿を梳き、より分け、長めの繊維と短めの繊維を巧みに混ぜる労働集約的な前工程がポイントだったといいます。

 

 このことが書かれている第5章の章末のコラムは「富岡製糸場の貢献は過大評価されていないか?」というタイトルで、富岡製糸場の設備が当時の日本としてはオーバースペックだったことを指摘しています。

 

 また、第5章では絹織物の産地として西陣、桐生、福井が比較されています。ここでは、1872年に京都府からフランスのリヨンに派遣された3人の職人が、当時の西陣家内工業が導入するには70〜80台の力織機を蒸気機関で動かすリヨンのやり方は現実的ではないと考え、飛杼やジャガードを持ち帰ったという話や、福井では熟練工が不足していたために簡単な羽二重に絞って輸出を目的とした生産を行い、それによって1910年以降は西陣や桐生を上回る生産額になったという話は興味深いです。

 

 第6〜8章は再び農業の話で、6章と7章では「緑の革命」がとり上げられています。

 まず、第6章では、アジアにおける「緑の革命」の成功が分析されています。

 

 緑の革命の原型は、明治期の日本の集約的稲作農業にあるといいます。この農業が韓国や台湾に移植され、台湾の品種とインドネシアの品種が掛け合わされ、IR8という高収量品種が生まれました。

 IR8は背が低く、肥料を投入しても倒れずに生育するという特徴を持っています。

 IR8は病虫害抵抗が弱かったですが、1976年には病虫害抵抗の強いIR36が開発され、東南アジアでは1960年代初頭の1ヘクタールあたり2トン以下という単収は4トンを超えるまでになりました(北東アジアは2020年で7トン近くある(141p図6−5参照))。

 南アジアでは灌漑比率が少なかったために緑の革命の効果が出てくるのは遅れましたが、1980年以降は東南アジアと同じようなペースで単収が増加しています。

 

 では、アジアで成功した緑の革命はアフリカでも展開可能なのか? これが第7章の問になります。

 著者はアフリカでも稲を中心とした緑の革命が可能だと考えています。ただし、アフリカでは畦の接地、正条植えなど、基本的な栽培技術が普及していない面がネックだとみています。

 モザンビークタンザニアウガンダで、RCTによって農家への研修の効果を調べた研究では、研修によって肥料の投入が増え、正条植えなども普及するという結果が出ています。

 研修を受けた農家から周囲の農家へのスピルオーバーがあったとみられる研究もあり、著者は農家への研修が1つのキーだと考えています。

 

 コートジボアールでは小型耕運機が単収を改善させる効果が確認されていますし、ケニアでは精米における石抜き機の採用が販売価格を高めるとの研究もあります。

 こうしたものを含めた栽培技術の向上がアフリカにおける食糧増産のポイントだと著者は考えています(ただし、アフリカにおける稲作については、平野克己『人口革命 アフリカ化する人類』では、アフリカにおける大きな河川の少なさがネックになると指摘されている)。

 

morningrain.hatenablog.com

 

 緑の革命穀物の収量を増やしますが、それは穀物の価格低下を招きます。そこでより収益を上げるためには果物や野菜、酪農製品などの高付加価値農業へ転換していいく必要があります。

 また、都市部のスーパーマーケットに出荷するようになるには質の揃った農産物を供給するととともに、集荷・出荷施設も必要になってきます。

 この集荷や出荷については、日本では農協が行っていますが、開発途上国では私企業が行っています。

 また、こうした集荷や出荷の関係から農業でも集積が起こります。

 

 一方で、農業は工業に比べて模倣が容易で、しかも品質を揃えることは難しいです。そのため、農業組合をつくったり、一定の価格での買い取りを保障する契約栽培などを活用する必要があります。

 また、栽培技術だけではなく、マーケティングのや加工業者についても研修などで改善していくことが必要です。

 

 第9章からは再び製造業です。第9章では産業集積が、いかにしてさらなる高度な産業集積へと発展するかが分析されています。

 単純に工場が集まっただけの平屋型集積から下請などを含めた「ピラミッド型」の集積にどのように発展するかが具体例を交えて検討されています。

 

 例えば、台湾の台中の工作機械産業は戦時中に日本軍の飛行場で整備士として働いていた数人の台湾人から始まったとされています。彼らがアメリカの工作機械企業のフライス盤を模倣してつくり、さらに日本のファナックの技術アドバイスなどを受けることでコンピュータ制御のNC工作機械を生産できるようになりました。

 1960年代後半から企業数も急速に増加していきます。こうした中で初期からの企業だけではなく途中から参入してきた企業が革新的な企業が成長しました。

 

 次に中国温州の弱電産業(電気設備一般のことでスイッチや電話設備など)がとり上げられています。

 温州の弱電産業の生産は1973年に始まったとされていますが、参入が活発化したのは1980年代〜90年代前半です。そして90年代からは急成長し、1社あたりの平均実質売上高や平均実質付加価値は1990から95年にかけて3倍に、95年から2000年にかけて10倍になってます(220p表9‐6参照)。

 成長の背景には品質の工場がありましたが、ここでポイントのなったのが販路を地元の市場や商人中心から、直営店での販売に変えていったことです。こうして価格競争だけではなく自社の品質を売りにするような競争が始まりました。

 

 重慶のオートバイ産業は1980年前後に国有企業2社がホンダとヤマハの支援を受けてオートバイ生産をしたことから始まっています。

 まずは国有企業が日本企業を模倣し、さらに国有企業の従業員がスピンオフして私企業を設立し、国有企業を模倣したといいます。

 こうした中で「ビッグ3」と呼ばれる中核的な私企業が成長します。ビッグ3は国有企業から人材を引き抜き、国有企業のような丸抱え生産をせずに下請を活用したことで効率的な生産を行いました。

 

 最後の紹介されているのがバングラデシュのアパレル産業で、さまざまな場所で成功例として紹介されている事例です。

 1979年に韓国の大宇社はバングラデシュでの生産を始めるにあたって、バングラデシュ人130人を韓国の本社と工場に送って9ヶ月間研修させたところ、帰国後に彼らはことごとく退職してアパレル企業やアパレル商社を始め、バングラデシュでアパレル産業の集積が起こったというものです。

 バングラデシュのアパレル産業は輸出総額の約80%を占めており、バングラデシュの経済発展にも大きな影響を及ぼしました。

 

 ちなみに第9章の巻末のコラムは「中国とインドのどちらが勝つか?」というものです。もちろん著者は「わからない」と言いつつも、日本人技術者の意見として、中国人よりもインド人のほうがもっと根本的なところから学ぼうとするという話を紹介しています。

 

 第10章はアフリカの産業集積です。アフリカでも産業集積はあるが、著者はそこから革新が起こらないことが問題だとみています。

 

 そうした中での成功例が、エチオピアアディスアベバ製靴業です。

 もともとエチオピアは世界最大の皮革の生産地ですが、アディスアベバの「マルカリート」と呼ばれる場所に製靴業の集積地があります。

 2004年に著者らが調査したときは1000社以上があり、狭い部屋で5〜10名ほどの労働者が分業しながら主に手作業で靴を作っているそうです。

 ここから多数のミシンを設置した中規模工場も生まれており、こうした企業はイタリアを訪問したり、イタリア人顧問を雇ったりしながら品質の工場に努めています。

 エチオピアの制靴業者は中国から大量の安い靴が流入した2001年のチャイナ・ショックも品質の高さで乗り切っています。

 多くの職人がスピンオフしながら新しい会社を作っており、会社の操業期間が長くなるほど規模も大きくなる傾向があります。産業としてもうまくいっている証拠と言えるでしょう。

 

 この他、本章ではガーナのクマシの金属加工業と、タンザニアダルエスサラームのアパレル産業の集積と、そこで行われた経営研修のRCTが紹介されています。

 クマシでの経営研修ではそれほど効果が出ていません線画、ダルエスサラームの経営研修では、講義+現場研修を行うことで長期的な効果が出ています(254p図10−4参照)。

 

 第11章は多国籍企業による海外直接投資(FDI)と経済発展の関係が分析されています。

 冒頭にも書いたように、FDI研究については章末のコラムで、現場を知らない研究者が入手したデータをいじって論文を出し、そうした研究者が査読者となって「真実とは無関係な論文があふれかえる」(284p)ような状態だと手厳しいです。

 一方、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)の研究については評価しています。

 FDIは単純に多国籍企業の進出→スピルオーバー→途上国の経済発展という図式を想定していますが、そう単純ではないのです。

 

 本章では、タイ、インド、南アフリカの3カ国における自動車産業が分析されています。

 タイと南アフリカは地域の自動車生産の拠点ですが、その多くは外資系企業になっています。インドはマルチ・スズキ・インディアが部品産業を含めて自動車産業の育成を牽引し、タタ・モーターズマヒンドラマヒンドラ社というインド系の自動車企業があります。

 

 タイでは、もともとは自動車部品を輸入して組み立てを行うノックダウン方式が主流でしたが、日系の一次サプライヤーの進出と相まって、自動車部品の国産化が進みました。

 276p図11−3を見ると、2007年から自動車部品の輸出が輸入を上回る年が現れ、2014年からは輸出>輸入が定着しています。

 一方、南アフリカでは1999年頃から自動車の輸出が増えていますが、同時に自動車の輸入も増えており、自動車部品の輸入も増えています(278p図11−5参照)。これは外資系の自動車メーカーが進出しているものの、部品産業が未発達だからです。

 インドは2007年頃から自動車の輸出が輸入を上回っていますが、自動車部品は輸入、輸出ともに伸びています(277p図11−4参照)。これはインドではまだすべての自動車部品を生産できていないためだと考えられます。

 

 タイでは2次下請、3次下請にあたる現地の企業が組み立て企業や1次下請の協力もあって育成されましたが、南アフリカでは、そうした戦略はとられずに部品を輸入するという選択肢が取られました。

 FDI研究では自然にスピルオーバーが起こるように考えることが多いそうですが、著者は外資企業が現地の企業に提供する訓練や指導が重要だと考えています。

 

 最後の第12章は結論ですが、ここではマイクロクレジットによる信用供与よりも経営研修を推しているのが目に付きます。経営研修はスピルオーバーもあってその効果がはっきりと取り出しにくい点があるのですが、それでもカイゼンを中心とした経営研修はいくつかの国で効果が出ていると紹介しています(一方、マイクロクレジットの効果については近年の研究ではいろいろと制限のつくものが多いと)。

 

 このように、本書は農業と製造業の分野にまたがって、いかに経済発展を起こせるかということを分析した本になります。共同研究者がいるとは言え、これだけの内容を一人で書くことはそうそうできるものではないでしょう。

 しかも、理論だけではなく、データによる実証や現地での調査も含めて書いており、さまざまなことを汲み出すことができる本だと言えるでしょう。