ウィリアム・ノードハウス『気候カジノ』 

 2018年に気候変動を長期的マクロ経済分析に統合した功績によってノーベル経済学賞を受賞したノードハウスの著書。価格が2000円+税なので、「今までの研究のコアの部分を一般向けに簡単に語った本なのかな」と思って注文したのですが、届いてみたら450ページ近い分厚い本で、ほぼこの1冊で現状で明らかになっている地球温暖化問題について語れてしまうような本ではないですか! これはコスパが高いです。

 実は読んだのが6月頃で、今さらこの大部の本をきちんとまとめる力は残っていないので、以下、非常に簡単に紹介を書きます。

 

 目次は以下の通り。この目次を見るだけで、温暖化について主な論点のほぼすべてが書いてあることがわかると思います。

第I部 気候変動の起源
第1章 気候カジノへの入り口
第2章 二つの湖のエピソード
第3章 気候変動の経済的起源
第4章 将来の気候変動
第5章 気候カジノの臨界点

第II部 気候変動による人間システムなどへの影響
第6章 気候変動から影響まで
第7章 農業の行く末
第8章 健康への影響
第9章 海洋の危機
第10章 ハリケーンの強大化
第11章 野生生物と種の消失
第12章 気候変動がもたらす損害の合計

第III部 気候変動の抑制─アプローチとコスト
第13章 気候変動への対応─適応策と気候工学
第14章 排出削減による気候変動の抑制─緩和策
第15章 気候変動抑制のコスト
第16章 割引と時間の価値

第IV部 気候変動の抑制─政策と制度
第17章 気候政策の変遷
第18章 気候政策と費用便益分析
第19章 炭素価格の重要な役割
第20章 国家レベルでの気候変動政策
第21章 国家政策から国際協調政策へ
第22章 最善策に次ぐアプローチ
第23章 低炭素経済に向けた先進技術

第V部 気候変動の政治学
第24章 気候科学とそれに対する批判
第25章 気候変動をめぐる世論
第26章 気候変動政策にとっての障害

 

 まず、「気候カジノ」というタイトルですが、まず地球温暖化については不確実性がつきものです。温室効果ガスの排出量と気温上昇の関係についてはある程度のコンセンサスができつつはありますが、それが気候システムに何をもたらすかはまだ明確にわかっているわけではありません。

 著者はこのことについて「我々は気候カジノに足を踏み入れつつある」(7p)と表現しています。もちろん、奇跡的に損失を被らないでうまく出てくる可能性もあるのですが、大損する可能性はかなり高いのです。

  

 また、予測をするにしても、そもそも今後の世界経済がどの程度のペースで成長するかといったことも不透明ですし、今までにはなかったような新しい技術が登場するかもしれません。

 そこで「先送り」という選択肢が浮上するわけですが、著者はこれを「霧の深い夜に車のヘッドライトを消して時速160キロメートルで走行し、カーブがないことを祈っているようなもの」(44p)だとしています。

 さまざまなモデルによれば、1900〜2100年の世界の平均気温上昇は1.8〜4.0℃であり、21世紀の海面上昇の推定は18〜60センチです。さらにハリケーンの強大化、海洋酸性化などが予想されています(61p)。

 さらにグリーンランドや南極の巨大氷床の崩壊や、海洋循環の大規模な変化の可能性もあり、想定を超える巨大な変化が起こるかもしれないのです。

 

 この不確実性は農業にも当てはまります。ニュースを見ると今すぐにでも干ばつと食糧不足がやってきそうでもありますが、IPCCの報告書によると「世界全体では、地域の平均気温が1〜3℃の幅で上昇すると、食糧生産能力が増加すると予測されるが、これを超えれば減少すると予測される」(104p)とのことです。つまり、農業に関しては3℃以内気温上昇であれば大きな問題はなさそうなのです。

 ただし、当然ながら気温上昇を3℃以内にピッタリと収めるもまた至難の業です。

 

 また、温暖化の影響を評価する時に難しいことは、経済成長は人々の厚生を改善しますが、温暖化を加速させます。経済が低迷すれば温暖化は進みませんが、経済成長の果実も受け取ることができな一方、経済成長が高い水準で推移すれば人々はその恩恵を受ける一方で温暖化は加速します。

 ただし、経済成長の恩恵は平等に行き渡るわけではなく、温暖化が進んだ場合に健康面でマイナスの影響を受けるのはアフリカや東南アジアだと推測されています(118p)。

 このため、温暖化によって世界がどのくらい損害をこうむるのかという問題は非常に難しいのですが、一応、2.5℃の上昇で世界総生産の1.5%前後という推計が示されています(177p図表12-2参照)。

 

 では、温暖化に対して我々はどのように対処すればいいのでしょうか?

 著者は対策には、温暖化した地球に適応する「適応策」、成層圏中の硫酸塩エアロゾルを人工的に増加させるなどの「気候工学」、そして温室効果ガスの排出量を抑える「緩和策」があります。

 「気候工学」は成功すれば安上がりな方法なのですが、不確実性や副作用も大きく、著者は医師がすべての治療が失敗した時に用いるサルベージ療法に近いものだと考えています。

 

 エネルギー消費量を減らすには経済成長を犠牲にしなければならないと考える人もいますが、例えば、発電の際に石炭ではなく天然ガスを用いれば二酸化炭素の排出量は約半分に抑制できます。また、排出される二酸化炭素を貯蔵するCCSと呼ばれる技術もあります。

 著者が推すのは炭素に適切な価格をつけることです。温室効果ガスの排出に適切な価格をつけることで石炭の使用を抑え、二酸化炭素の排出を押させる技術を導入させることは可能だといいます。

 ただし、それには全世界の国々の参加が必要です。著者の資産によれば全世界の国が参加して取り組めば世界総所得の1.5%程度の費用で気温上昇を2℃以内に抑えることが可能ですが、もし参加するのが世界の二酸化炭素排出量の50%を排出する国々だけであれば、気温上昇を2℃以内に抑えるコペンハーゲン合意の達成は不可能です(226p図表15-3参照、さらに18章では割引率を考慮に入れたモデルを紹介している)。

 

 炭素に価格を付ける方法としては炭素税と排出権取引の2つの方法があります(そしてこれ以外に選択肢はない(280p))。

 アメリカ政府の報告書では2015年時点で二酸化炭素1トン当たり約25ドルという価格が適当だとしていますが、これを2030年には53ドル/トン、2040年には93ドル/トンに引き上げていくことで気温上昇を2.5℃以内に抑え込むことができるというのです(モデルによって価格のブレはある、287p図表19−1参照)。

 炭素税と排出権取引の機能は基本的には同じですが、大抵の場合、経済学者は炭素税を支持し、交渉担当者や環境専門家は排出権取引を支持するといいます。排出権取引では価格が乱高下し炭素価格が安定しない恐れがあります、一方、炭素税は炭素価格を安定させる一方で排出量は安定しません(高い価格を払ってでも炭素を排出しようとする企業が出てくるかもしれないから)。

 また、税金は導入されにくく廃止されやすいという特徴があります。ですから、環境専門家などは排出権取引を支持するわけですが、著者はどちらでも構わないと考えています(302p)。

 

 しかし、京都議定書をはじめとして温暖化に対する国際的な取り組みはうまくいっていません。

 著者が主張するのはまず削減幅ではなく炭素の最低価格に合意することです。もちろん、国によって支持する価格は異なるでしょうが、削減幅の合意に比べれば容易だろうと考えられます。

 炭素税を用いるか排出権取引を用いるかは各国に任せます。 そして、違反国に対しては貿易と紐付けることによって(義務を果たさない国には関税(国境炭素税)を課す)温暖化対策へのただ乗りを防ぐのがよいとしています。

 

 さらに本書では第23章で温暖化防止技術について検討し、第24章では政治の問題、第25章では世論の問題までとり上げています。

 まさに「地球温暖化大全」と言っていいような内容です。とにかく社会科学的な視点から温暖化について知りたいのであれば、まずはこの1冊ではないかと。