オリヴィエ・ブランシャール/ダニ・ロドリック編『格差と闘え』

 2019年10月にピーターソン国債経済研究所で格差をテーマとして開かれた大規模なカンファレンスをもとにした本。目次を見ていただければわかりますが、とにかく豪華な執筆陣でして、編者以外にも、マンキュー、サマーズ、アセモグルといった有名どころに、ピケティと共同研究を行ってきたサエズやズックマンといった人々もいます。

 

 そして、時代が変わったなと思うのは、「格差は是か非か」「政府の介入は是か非か」という原則論が戦わされているわけではなく、格差の是正の必要性重、政府の介入の必要性を認識を共有しつつ、「では、どのような原因があり、どのような政策対応が可能なのか?」といった点で議論が進んでいる点です。

 例えば、サマーズとサエズの論説は対立していますが、それは資産税という方法の是非をめぐるもので、政府の介入の是非をめぐるものではありません。

 「格差の是正策として、労働市場規制緩和社会福祉の削減によって市場の自由に任せよ、と提案した人は1人もいなかった」(xii p)とあるように、一定のコンセンサスの上に立っており、その分中身のある議論になっています。

 

 目次は以下の通り。

 

序章 格差拡大を逆転させる手段はある(オリヴィエ・ブランシャール&ダニ・ロドリック)

 第Ⅰ部 状況の展望
第1章 先進国の格差をめぐる10の事実(ルカ・シャンセル)
第2章 状況についての議論(ピーター・ダイアモンド)

 第Ⅱ部 倫理と哲学の元
第3章 経済理論に新たな哲学的基盤が求められる時代か?(ダニエル・アレン)
第4章 経済学者が対処すべきはどんな格差か?(フィリップ・ヴァン・パリース)
第5章 なぜ格差が問題なのか?(T・M・スキャンロン)

 第Ⅲ部 政治の次元
第6章 資産格差と政治(ベン・アンセル)
第7章 格差への対処に必要な政治的条件(シェリ・バーマン)
第8章 アメリカで経済格差に取り組む際の政治的な障害(ノーラン・マッカーティ)

 第Ⅳ部 人的資本の分配
第9章 現代のセーフティーネットジェシー・ロススタイン、ローレンス・F・カッツ、マイケル・スタインズ)
第10章 教育の未開拓の可能性(ターマン・シャンムガラトナム)

 第Ⅴ部 貿易、アウトソーシング、海外投資に対する政策
第11章 なぜ「チャイナショック」は衝撃だったのか、政策にとって何を意味するのか (デヴィッド・オーター)
第12章 貿易、労働市場、チャイナショック――ドイツの経験から何が学べるか(クリスチャン・ダストマン)
第13章 格差との戦い――先進国の格差縮小政策を再考する(キャロライン・フロイント)

 第Ⅵ部 金融資本の(再)分配
第14章 (するべきなら)富裕層に増税する方法(N・グリゴリー・マンキュー)
第15章 資産税は格差との戦いに役立つか?(ローレンス・H・サマーズ)
第16章 資産に税を課すべきか?(エマニュエル・サエズ)

 第Ⅶ部 技術変化のスピードと方向性に影響を与える政策
第17章 (過度な)自動化を後戻りさせられるか、させるべきか(ダロン・アセモグル)
第18章 イノベーションと格差(フィリップ・アギオン
第19章 技術変化、所得格差、優良な仕事(ローラ・ダンドレア・タイソン)

 第Ⅷ部 労働市場についての政策、制度、社会規範
第20章 ジェンダー格差(マリアンヌ・ベルトラン)
第21章 所有権による格差の解消策(リチャード・B・フリーマン)

 第Ⅸ部 労働市場ツール
第22章 万人への雇用保障(ウィリアム・ダリティ・ジュニア)
第23章 仕事を底上げする(デビット・T・エルウッド)
第24章 労働市場における効果的な政策手段を設計する際の法的執行力の重要性(ハイディ・シアホルツ)

 第Ⅹ部 社会的セーフティネット
第25章 社会的セーフティネットの向上を基盤にミクロとマクロのレジリエンスを高める (ジェイソン・ファーマン)
第26章 子供のいる世帯向けの社会的セーフティネット――何が有効か、さらに効果を上げるにはどうするか?(ヒラリー・ホインズ)

 第Ⅺ部 累進税制
第27章 再分配政策を支援する税制についての考察(ヴォイチェフ・コプチュク)
第28章 私たちはなぜ再分配の増加を支持しないのか?――経済学的調査からの新しい説明(ステファニー・スタンチェヴァ)
第29章 資産税に効果はあるか?(ガブリエル・ズックマン)

『格差と闘え』解説(吉原直毅)

 

 たくさんの章があるの、ここではいくつか面白かった章の紹介に留めますが、まずは第1章の「先進国の格差をめぐる10の事実」(ルカ・シャンセル)が、格差の現状についてまとめています。

 

 最初に指摘されているのが格差を捉えることの難しさです。ピケティは税のデータをもとにして格差の動きを追いましたが、税法は国ごとに異なり、時とともに変更されるために国や時代を横断した比較は難しくなっています。そしてもちろん、脱税の問題もあります。

 それでも20世紀のはじめから1980年代まで縮小傾向にあった格差が、それ以降は国ごとの差はあっても基本的は拡大してきたことは確認できます(7p図1.1参照)。

 地域差で言えば、EU圏に比べてアメリカでの下位50%の所得の低迷ぶりが際立っています(8p図1.2参照)。

 

 富裕国での経済成長は続いていますが、90年頃から公的資本の価値は減少しつつあります(10p図1.3参照)。

 国内では富裕層に富が集中しつつありますが、特にアメリカでは上位0.1%への集中が大きく、1979年に7%だった彼らの資産シェアは現在は約20%に拡大しています。

 一方、アメリカでは下位90%の資産シェアが低下しましたが、これは下位90%の貯蓄率が1970代から2010年代にかけて10%から0%になったからです。

 

 国内の格差よりも国同士の格差のほうが問題だという見方もありますが、近年は国内の格差が大きな影響力を持ちつつあります(16p図1.5参照)。

 また、格差の大きさは社会移動の少なさと相関しており、アメリカでは過去20年にわたってこの社会移動が低水準にあると言います(18p図1.6参照)。

 ジェンダー間の格差は、男女の税引前所得比で1960年代の350%超から2014年には180%と大きく改善しましたが、それでも差があるのが現状です。

 人種による格差も改善しましたが依然として残っていますし、資産格差については拡大の傾向が見られます。

 

 格差の拡大を防ぐ方法としては課税が注目されますが、アメリカとヨーロッパを比較すると、ヨーロッパの下位層のほうが早く所得増を達成できたのは、課税による再分配ではなく、高等教育へのアクセスや職業訓練の違いの影響が大きかったと分析されています。また、保健医療制度や労働市場の違いも影響を与えています。 

 

 次に第6章「資産格差と政治」(ベン・アンセル)をとり上げます。

 経済格差が政治の分極化を進めるといいますが、本章では資産格差、特に住宅価格に注目しながらそれを論じています。

 1990年代以降、先進国では前例のない規模で住宅価格が上昇しました。この影響もあって「住宅を保有していたか/していなかったか」で大きな資産価格が生まれたはずです。

 住宅保有者は、これに伴って固定資産税や相続税の減税を望むようになったり、社会保障政策への支持を弱めるかもしれません、

 

 実際、イギリスでのパネル調査によると、住宅価格の10万ポンドの上昇は完全雇用政策への支持を約10%低下させたといいますし、アメリカの調査でも住宅価格の上昇がソーシャルセキュリティ支出への支持を低下させているそうです(74p)。

 ただし、同時にこの効果は中道右派有権者に偏っており、左派の有権者は住宅資産に関係なく再分配に好意的です。

 

 さらに住宅価格の低下はポピュリズム支持と強い相関があるといいます。ブレグジットを問う住民投票において、イングランドウェールズの各地域の住宅価格と残留支持の割合はかなりきれいに相関しています(77p図6.1参照)。

 こうした傾向はデンマークにおける、デンマーク国民党(DPP)支持との関係にも見られます。住宅価格が上がると、ポピュリズム政党とされるDPPへの支持が下がるのです。

 本章はこのように非常に興味深い材料を提供しています。

 

 第10章「教育の未開拓の可能性」(ターマン・シャンムガラトナム)では、教育の問題がとり上げられていますが、国全体の教育のパフォーマンスを高めるには、うまく機能している公立学校のシステムがあり、教師の質と適正なカリキュラム基準を確保するために政府が大きな役割を果たしているという指摘は興味深いです。

 スウェーデンでは1992年に教育制度の分権化し、学校運営を民間セクターに移管する決定をしました。全国バウチャーシステムによる学校間の競争と親の選択により教育水準が上がると期待されましたが、2000年から2012年の間にスウェーデンではPISA参加国のどこよりも成績が急降下しました。

 著者は「公立校の運営は個別ではなくシステムとして行うという考えを、私たちはおろそかにしてはならない」(109p)と述べています。

 また、高等教育を学問志向から実学志向へと転換することも主張しています。

 

 第11章「なぜ「チャイナショック」は衝撃だったのか、政策にとって何を意味するのか」(デヴィッド・オーター)は、タイトルからもわかるように、アメリカにおける「チャイナショック」を分析したものです。

 アメリカでは製造業の雇用は第2次世界大戦以来、一貫して減少してきたと思われていますが、これは雇用シェアと製造業の労働者数を混同した議論だといいます。アメリカの製造業の雇用者数は1945年後半の1250万人から1979年後半には1930万人まで増え、80年代から減少に転じ、1999年までに200万人縮小しました。

 ただし、2000年までは、労働組合が弱く教育水準が引く地域では比較優位を生かして労働集約的な製造業が生き残っていました。

 

 しかし、2000年(中国のWTO加盟)〜07年にかけて製造業で雇用されていた非大卒成人は大幅に減少し、労働集約的な製造業が強かった地域が大きな影響を受けました。

 その結果、非大卒の賃金は低迷し、それまでつづいていた地域間格差の収斂の動きも止まってしまったといいます。

 

 一方、ドイツでは製造している製品の違い、労使関係や職業教育制度の違いなどもあってアメリカのようなチャイナショックが起きなかったことが、第12章「貿易、労働市場、チャイナショック――ドイツの経験から何が学べるか」(クリスチャン・ダストマン)で指摘されています。

 

 第13章「格差との戦い――先進国の格差縮小政策を再考する」(キャロライン・フロイント)では、チャイナショックにうまく適応できた国としてドイツと日本、適応できなかった国としてアメリカとイギリスが俎上に上がっています。

 ドイツや日本の特徴として、①貿易黒字を維持した、②特に数学と科学において中等教育の質が高かった、③労働者を構造変化に適用させやすくする放出弁が、雇用調整ないし地域雇用創造事業という形で備わっていた、という3点があげられています。

 日本は積極的な労働市場政策は十分ではないが、自治体が雇用創出に取り組む地域雇用創造事業がうまくいったという評価です。

 

 第14章「(するべきなら)富裕層に増税する方法」(N・グリゴリー・マンキュー)は、マンキューが登場ですが、「(するべきなら)」とあるように本人的には金持ちへの課税へ乗り気ではないのですが、「するべきなら」アンドリュー・アンの提唱する付加価値税+月1000ドルのベーシックインカムという政策に魅力を感じるとのことです。

 

 第15章「資産税は格差との戦いに役立つか?(ローレンス・H・サマーズ)」では、サマーズがサエズとズックマンの資産課税の提案に対して反対しています。

 サエズとズックマンはアメリカの税システムの累進性の低下と格差の拡大を誇張しており、資産税による税収も過大に見積もっていると言います。

 それよりも租税回避の穴を塞ぐことや、キャピタル・ゲイン税の改正、トランプ減税の廃止などをすべきだというのがサマーズの主張です。

 これに対して、次の16章ではサエズが資産課税について説明しています。

 

 第17章「(過度な)自動化を後戻りさせられるか、させるべきか」(ダロン・アセモグル)では、自動化について分析しています。

 今まで、基本的に自動化は生産性を上げる「良いもの」として捉えられてきました。自動化には「離職促進効果」がありますが、自動化は別のタスクを生む、より高い生産性をもった仕事を労働者に提供する「復職促進効果がはたらくと考えられていたからです。

 ところが、アセモグルらの研究では、1987年以降は離職が加速する一方で復職の効果が弱まったと言います。税政策で資本投資に補助金が出されていること、巨大なテック企業が自動化を強力に推進していること、政府の研究開発支援が弱まっていることなどを理由に、取り立てて生産性の向上をもたらさない過度の自動化が起きていた可能性があるというのです。

 

 第18章「イノベーションと格差」(フィリップ・アギオン)では、イノベーション(特許件数)が上位1%の所得シェアを引き上げるものの(186p図18.1参照)、ジニ係数は拡大させないことを示した上で(187p図18.2参照)、ロビイングも上位1%の所得シェアを引き上げることを指摘しています。

 巨大IT企業が引き起こしたイノベーションアメリカの総生産性を引き上げましたが、ロビイングや巨大IT企業が築いた参入障壁はかえって総生産性にブレーキをかけていると言います。

 

 第20章「ジェンダー格差」(マリアンヌ・ベルトラン)はタイトル通りに縮まってはきたもののまだ残るジェンダー格差について論じたものですが、女性が数学関連の分野に進まないのは数学分野が苦手だからではなく、言語の能力が高いからかもしれないという研究を紹介したあとの次の文章はいろいろと考えさせられる。

 ブレダとナップ(Breda and Napp 2019)は、数学の勉強を志すかどうかの男女差は、若者が特定の分野で成功するために必要な能力が自分にあるかどうかより、好きかどうかで進学先と職業を決めているという事実によって主に説明できることを示している。もしこれが正しいなら、若い女性(と男性)が進学先について後戻りしにくい決断をする前に、教育の選択が所得と職業に影響するという広い視野を持たせるため、高校での教育とキャリアカウンセリングの役割が重要ということだ。(211p)

 

 第24章「労働市場における効果的な政策手段を設計する際の法的執行力の重要性」(ハイディ・シアホルツ)がとり上げるのは、最低賃金以下の時給、労働時間外の労働、違法な天引き、チップの召し上げなどの「給料窃盗」の問題です。

 本章によると、アメリカではこれらの給料窃盗を合計すると低賃金労働者は年間およそ500億ドルを失っていると言います。一方、強盗、侵入強盗、窃盗、車上荒らしによる総被害額は年間130億ドルです(246p)。

 このような給料窃盗が放置されているのは、労働組合が弱体化したり、アウトソーシングが進んだりしているからですが、これを政府の力によって正していくべきだというのが著者の主張です。

 

 第28章「私たちはなぜ再分配の増加を支持しないのか?――経済学的調査からの新しい説明」(ステファニー・スタンチェヴァ)では、格差が拡大しているのにアメリカでは再分配政策が支持されないのはなぜかということがとり上げられています。

 問題は政府が「解決策」ではなく「問題」とみなされていることで、著者は次のように述べています。

 本章で取り上げたすべての調査で、アメリカにおける政府への信頼は総じて極端に低い。回答者の89%が「ワシントンにいる政治家たちは自分たちと選挙資金の最大献金者を豊かにするために働いており、大多数の国民のために働いていない」に同意している。また、回答者にまず政府について気に入らない点を考えさせると(ロビイストや金融機関救済についての意見をたずねるなど)、この実験に反応して政府への信頼が低下する。ほとんどの再分配政策への支持はこれによって大幅に減少し、政府の政策よりも優れた格差縮小の手段として「民間の慈善事業」の支持が増える。(289p)

 

 この「本章で取り上げたすべての調査」というのは著者らの調査であって、メジャーな調査ではアメリカの政府への信頼は必ずしも極端に低いわけではないそうですが、後半のロビイストや金融機関救済を想起させると再分配政策への支持が下がるというのは政治の機能不全とともに、再分配を否定するグループの宣伝が簡単に通りやすい現状を示しているのかもしれません。

 

 このように本書では格差をめぐるさまざまな議論が行われています。基本的にアメリカの話なので日本の参考になりにくものもありますが、これだけの一流の学者たちが一定の前提を共有した上で提言を行っているので、興味深い論考がたくさんあります。

 ここでとり上げたもの以外でも面白い提言はいろいろありますし、今までになかった意外な切り口をもった論考もあります。

 格差とその対策を考えていく上で、間違いなく有益な本だと言えるでしょう。