ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』

 2016年に大西洋を挟んで起きたイギリスのBrexitアメリカの大統領選でのトランプの当選は世界に大きな衝撃を与え、この2つの事柄が起きた背景や原因を探る本が数多く出されました。

 本書もそうした本の1つなのですが、何といっても本書の強みは2016年以前からイギリスのイーストロンドンとアメリカのオハイオ州ヤングスタウン(金成隆一『ルポ トランプ王国』岩波新書)でも中心的に取材していた場所)で白人労働者階級をフィールドワークしていたことです。つまり、ある意味でBrexitやトランプ現象を起こした地殻変動を予測していた本でもあります。

 白人労働者が感じている「剥奪感」に注目しながら、同時に彼らの声がまともにとり上げられなかった政事的背景に対しても踏み込んだ分析を行っており、読み応えがあります。

 そして何よりも、彼らの生の声を聞くことで、問題の根深さを知ることができる本でもあります。

 

 目次は以下の通り。

第一章 イントロダクション――ポスト・トラウマ都市における政治的周縁性
第二章 新たなマイノリティ――カウンター・ナラティヴとそのポリティクス
第三章 周縁からの眼差し――イーストロンドンでの社会的下降のポリティクス
第四章 没落のあと――オハイオ州ヤングスタウンにおける不安のポリティクス
第五章 崩れゆく組織と政党――一党体制・乖離・社会資本
第六章 アイデンティティ――文化と階級のプリズム
第七章 剥奪――社会的階層についてのもう一つの理解
第八章 周縁を測る――アメリカとイギリスにおけるラディカル右派支持
第九章 アンタッチャブルな人々――白人労働者たちは誰の声に耳を傾けるのか

 

 この本がとり上げているのはイギリスとアメリカにおける白人の労働者階級です。

 「アメリカン・ドリーム」という言葉があるように、イギリスはともかくとしてアメリカでは才能と努力で成功できるようなイメージがありますが、実は「アメリカとイギリスはOECD諸国の中で最も経済的流動性が低い」(3p)国であり、親の所得が子どもの所得を決定づけています。

 白人労働者層は政治においても見捨てられた、あるいは声をあげてこなかった集団で、「アメリカ人口の約50%が非大卒白人であるにもかかわらず、この集団は2008年の選挙では全有権者の39%しか、また、2010年選挙では35%しか占めてこなかった」(11p)のです。

 

 そんな白人労働者の姿を、本書ではイギリスのイーストロンドンとアメリカのヤングスタウンという2つのポスト・トラウマ都市から明らかにしようとしています。イーストロンドンは化学工場やフォードの工場とともに発展しましたが、70年代半ば以降、フォードの人員削減とともに衰退しました。ヤングスタウンは鉄鋼業で栄えた街ですが、こちらも1970年代末〜80年代に急速に衰退しています。そして、多くの中産階級が街から出ていくとともに、移民や非白人の集団が目立つようになりました。

 

 白人労働者階級の人々は、「自分たちの人口が一様に減少していると認識して」(35p)おり、「政府のみならず、大衆娯楽や公的制度、雇用においても、意見を聞かれなくなったり代表されなくなったりしていることに敏感になって」(36p)おり、「民族的マイノリティのみならず、ミドルクラスやアッパークラスの白人からも、意識的にせよ無意識的にせよ、先入観を持って判断されてばかりだと思って」(37p)います。

 そして、彼らは彼らを取り巻くシステムや価値観によって無力化されており、不満の政治的なはけ口を持ちません(本書の分析はほぼトランプ当選前に行われている)。

 

  第3章ではイーストロンドンのバーキングアンドダゲナムでのフィールドワークをもとにその実情が描かれています。

 バーキングアンドダゲナムは、もともと第1次世界大戦の帰還兵のために建設された住宅群で、1930年代にフォードが工場を建ててから人工が急増しました。ところが、この工場は1970年代から縮小され、2002年に完全に操業を停止します。そうした中で、バーキングアンドダゲナムでは白人のミドルクラスが流出し、移民や難民などが数多く住むようになったのです。

 

 本書ではここに暮らす白人労働者階級の声を拾っています。

 

EUは今イギリスへの移民を奨励している。ここが一番稼げる場所だから。でも私たちの国は働こうとしない怠け者をもうたくさん抱えているの。ある晩、バーキングの駅を降りたら十数人のルーマニア人の女性が子供たちといて。絶対に盗むを働いていたんだと思う。ルーマニア人はずるい人たちだわ。外に行けばハラル食品やら何やらうるさくてたまらない。まるでナイロビ郊外で暮らしているみたい」

「マギー・サッチャーがもし戻ってきてくれれば。彼女ならこの状況を何とかしてくれたに違いないわ」(74p、59歳の女性話)

 

「前は友達がたくさんいたし、子供たちのための集まりもあった。でもここで育ったのはみんな引っ越していった。働きづめの俺が銀行に行くと、数千ポンドを握りしめたアフリカ人がいて、ケニアかどこか、自分たちの国に送金してるんだ。なんで景気が悪いかって? みんな懸命に働いているからさ! 彼らの金は俺たちの国で使われないからさ」(77p、バーテンダーの男の話)

 

「私たちの祖先はこの国の自由を守るため、二度の世界大戦を戦いました。それは私たちが自分たちの国で二流市民に甘んじず、腐敗した組織であるEUの下僕に成り下がらないための戦いでもありました。私たちの祖先がドイツに侵略されないよに殉死したのに、私たちはドイツに支配されるEUの法律をそのまま受け入れています」(100p、バーキングアンドダゲナムの自治会で活動する女性がキャメロン首相に送った手紙の一節) 

 

 事実関係としては無茶苦茶な部分もありますが、上記の人々の声を読めば、バーキングアンドダゲナムの人々が時代に取り残されている様子がわかると思います。実際、2007年にバーキングアンドダゲナムの住民に調査を行い、「バーキングアンドダゲナムを良くするためにすべきことは何か」と尋ねたところ、最も多かったのは「50年前と同じようにすること」という回答だったそうです(87p)。

 時代の変化に取り残され、その変化を拒絶し続けているのが、バーキングアンドダゲナムの白人労働者階級の姿なのです。

 

 彼らの支持政党は当然労働党だったわけですが、ブレアがニューレーバーとして新自由主義的政策を取り入れたことは彼らの反発を呼びました。そして、その隙にこの地域に浸透してきたのがBNPイギリス国民党)です。移民排斥を訴えるこの政党が国政選挙で議席を取ることはありませんでしたが、2006年のバーキングアンドダゲナム地区の区議会選挙では12議席を獲得しています(92p、ここでは「市議選」となっているけど、ロンドン市議会の選挙ではないもよう。そして2010年の選挙ではすべての議席を失った)。

 労働党が移民に対して口をつぐむ中で、移民について積極的に語ったBNPが支持を得たのです。

 

 この地区の白人労働者階級の移民に対する規範や意識の一端は、例えば次の「レイシスト」という言葉にも現れています。 

ニキ:僕はレイシストではないけれども、解決策は[移民を]追い出すことさ。

ジョージ:僕はレイシストじゃないが、アルバニア人とアフリカ人が来るまで、ここはイングランド人たちにとって心地よいコミュニティだったんだ。

ブレイク:僕は全然レイシストじゃない。黒人のいとこや姪もいる。でもポーランド人は仕事を全部奪って、売春や麻薬密売網を一手に握っているんだ。

ジョエル:西インド人はいつも僕にヤギ肉入りのカレーを作ってくれる。僕はレイシストじゃない。だってヤギ肉入りのカレーが超好きだからね。ごめん、くだけた言い方で。でもイングランド人の家族が第一ん顧みられないのはおかしいと思うんだ。

パム:バスから降りるとき、誰も「ありがとう」とか「すみません」と言わないわ。でも私はレイシストじゃない。私には半分シーク教徒の孫がいるし、姪は黒人の男の子と付き合っているわ。(121−122p)

 

  これについて著者は、「彼らは、自分たちの人生がどう変わってしまったのかにつての真正な感情の発露としての考えが、不適切なものであることをよく知っている。ただし、レイシズムとの非難が、白人労働者階級の表現を抑圧し、彼らを役立たずと貶めるための手段になっていると感じられている」(122p)と分析しています。

 

 第4章ではヤングスタウンの実情が描かれています。最初にも述べたようにヤングスタウンは鉄鋼の街として栄えましたが、1970年代末〜80年代にかけて鉄鋼業が衰退し、人口は1/3近くに減少、1960年に80.9%を占めていた白人の割合は2010年には47.0%にまで低下しました(137p表4−1参照)。

 その様子は、例えば金成隆一『ルポ トランプ王国』でもうかがうことができるのですが、本書ではマフィアなどによって政治が機能していなかったその前史を詳細にとり上げることで、政治的な行き詰まりがより理解できるようになっています。

 

 ヤングスタウンの繁栄は19世紀半ばに始まりましたが、19世紀後半になるとストライキなども頻発するようになります。そうした中で街ではギャングたちが政治や経済に食い込んでいくこととなり、1960年代には繁栄を続けながらも「アメリカの犯罪都市」(131p)とのレッテルを貼られることにもなりました。

 この時代のヤングスタウンは「市役所を蚊帳の外に置いて、公共空間は三つの非政府組織によって支配されていた。マフィア、労働組合、そして製鉄会社である」(133p)といった具合だったのです。

 

 ところが、このもたれ合いは1977年9月19日の「ブラック・マンデー」(地元の工場の閉鎖が発表された)によって崩壊しはじめます。

 製鉄会社が闇社会に富を供給できなくなったことによって、公的部門での汚職が目立ち始めます。そして、企業や移動できる人々は去っていきました。空き家が犯罪活動の隠れ家となったことから、市は空き家の解体を進め、結果として空き地が目立ちつようになります。「組織犯罪の時代のほうがマシだった」(140p)と言い出す人物もいるくらいです。

 

 多くの白人労働者は失業したり、低賃金の仕事を渡り歩いているような状況なのですが、それでも、というより、だからこそ、彼らは福祉に嫌悪感を持っています。

 ヤングスタウンでは、受給資格要件をほぼ満たしかけている人々こそ、福祉への強い嫌悪感を持っている。[受給資格ラインへの]近さは、[受給者たちへの]関心や共感ではなく、より大きな怒りを生んでいるのだ。大半のインタビューで白人労働者階級の人々は、政府からの給付の受給者たちが行った選択と[彼らの)能力とを直接結びつけて語っている。いわく福祉受給者たちのように、自分たちも容易に「あきらめ」たり「システムを利用」したりできた[のにあえてしなかった]と考えているので、彼らはそうした選択に非常に不寛容である。(160p)

 

 と同時に彼らの批判の矛先は大企業などにはあまり向きません。「なぜなら、ウォルマートは医療費負担を行わないからこそ安くできる」(161p)のですが、彼らはそうした企業の顧客でもあるからです。

 また、彼らが「福祉」を批判するときに、そこに失業給付や障害給付、メディケイド、フードスタンプが入ることがまれで、批判されるのはもっぱら現金給付です。そしてこの現金給付はしばしばアフリカ系アメリカ人と結び付けられています。

 

 こうした人種や民族による分断は、製鉄会社が仕事を人種や民族ごとに割り振ったことも原因だといいます。白人労働者は鉄の成形部門、アフリカ系アメリカ人はコークス工場や溶鉱炉の仕事、アイルランド系は運搬部門といったような仕事の割当が行われていたのです(166p)。

 ここでもレイシズムはよくないという建前は共有されていますが、「黒人とは別に、ニガーというのがいるんですよ」(168p)、「ここのアフリカ系アメリカ人コミュニティには、ドラッグや婚外子といったギャング文化があります」「これは人種の問題ではありません。文化の問題なのです。だから、白人は市から出ていったのです」(169p)といったように、白人の人々からは人種差別的な発言が出てきます。

 

 一方、裏社会が顔を利かせるようなしくみは変わっていません。ヤングスタウンのあるマホニング郡民主党の議長を1977〜94年まで務めたドン・ハニ2世はこの地域の政事的ボスで情実共有のネットワークを取り仕切っていました。

 この地域の小さな会社を経営している人物は次のように語っています。

「人はそれを政治というのかもしれませんが、なにか面倒に巻き込まれたとき、[しかるべき]人を知っていたら逃れることができます。人を知ってさえいたら、望むものが手に入るのです。スピード違反のチケット、飲酒運転の罰金。私は、人を知っていました。今も知っています。」(176−177p)

 

 こうした風土の中から生まれた政治家が、『ルポ トランプ王国』でトランプを先取りした散財としてとり上げられていた下院議員のジム・トラフィカントです。彼は過激な言動で白人労働者階級の支持を集め、そして汚職や恐喝などの罪で失脚しました。

 民主党が圧倒的に強かったこの地域では、民主党ありさえすれば選挙に勝てるという状況で、その民主党は大手不動産会社のカファロ・カンパニーが取り仕切っており、「民主党はビル・カファロの道楽みたいなものです」(185p)との声もあるくらいです。

 こうした政治の機能不全を見ると、2016年にトランプがこの地域で爆発的な支持を得た背景も理解できてきます。

 

 イーストロンドンでは労働党が、ヤングスタウンでは民主党が圧倒的に強いことが、ここに住む白人労働者階級にある種の手詰まり感をもたらしている面もあります。彼らは政治において選択肢があるように思ってはいませんが、だからといって現状に満足しているわけではもちろんありません。

 福祉に対する嫌悪感も相まって、「自らの政治資本を抗議行動に転換する住民はほとんどいない。それなのに、彼らは依然として、絶対的な責任は政府にあると考えている」(207p)のです。

 イーストロンドンではこうした不満の受け皿にBNPがなったわけですが、とりあえず本書の執筆時点においてヤングスタウンには受け皿もありませんでした。

 

 本書の第6章では、こうした中で「白人労働者階級の人々が、強力な無産階級の一部として白人と団結しえた民族的・人種的マイノリティとの対立の中で政治的なアイデンティティを確立している」(239−240p)という説明について検討しています。

 この章のエピグラフには、19世紀のイギリス人労働者がアイルランド人労働者に対して抱いた「彼らはアイルランド人労働者との関係において、自分たち自身が国家を支配する一員であるかのように感じ、それゆえ自分自身を、アイルランドと敵対している自国の貴族や資本家の道具にしてしまう」(239p)というマルクスの言葉が使われていますが、まさにこのことが現代においても繰り返されているというのです。

 

 実際、イーストロンドンでは雇用主はみなアジア系という場合もあり、白人よりもアジア系が優先的に採用されるということもあるそうです(あくまでも地域の人の話ですが、245p)。

 ただし、この人種へのこだわりや移民への敵視は、以下の引用に見られるように想像的な要素が強いものでもあります。

 大部分がアフリカ系アメリカ人で構成される地域に住む回答者たちは、ヤングスタウンやイーストロンドンから郊外に去っていった白人たちよりも、黒人や外国人の近隣住民に対して親しみを感じると発言する傾向にある。だが、マイノリティ人口が少ない(しかし増加しつつある)地域に住む白人労働者階級の人々は、黒人や外国人の近隣住民に対してよりも、郊外に住む白人に対して親近感を感じる、と発言する傾向にある。(257p)

 

 しかし、大部分がアフリカ系アメリカ人で構成される地域に住む白人の多くは住心地がよいからとどまっているわけではなく、お金がないから引っ越せないと見るべきでしょう。

 一方、こうしたマイノリティや移民に囲まれて育った若い世代の中には、単純なレイシズムではなく、「徐々に不足しつつある権利や公的サービスへのアクセス権を得る前に、イギリスに居住し、時間やお金を費やすことを要求する」(264p)というポストレイシズム・ポリティクスとも言える考えが見られます。

 

 第7章は「剥奪」と題されており、白人労働者階級の階級意識とその変容が分析されています。

 白人労働者階級は以前からアンダークラスではありましたが、同時に自らが「働いていること」を誇りにし、あるいは一種の「反知性主義」によることで自らの自尊心を培ってきました。

 イギリスでは特にこうした白人労働者階級向けの福祉や制度が構築されたこともあって、彼らが社会の「主流」であるかのような幻想も生んできました。

 また、アメリカでは「アメリカンドリーム」という言葉が、厳しい格差から目をそらさせる役割を果たしてきたということもあります。

  

 289pにバーキングアンドダゲナムの白人労働者階級の人々が描く社会階層図が載っています。これは同心円状に影響力の強い人々を内側、弱い人々をその外側に描いていくものですが、これによると中心には貴族、そして専門職などがいて、自分たち白人労働者階級はマイノリティ/移民の外側に位置づけられています。

 同じくヤングスタウンの社会階層図では(295p)、富裕層が中心にいるのですが、1つの例では次に福祉受給者、ミドルクラス、労働者階級となっているものもあります。

 イギリスでは階級意識が強く、階級間の移動がほぼ想定されていないのに対して、アメリカでは経済力が社会における影響力を決定づけている感じです。ただし、これが福祉における現金給付を問題視する風潮にもつながっているのかもしれません。

 

 そして、この社会階層図における自分たちがいるべき場所と自分が今実際にいる場所にはギャップがあり、このギャップが大きいほど反システム的な政治行動を取る可能性が高まるとのことです(302p)。

 イーストロンドンではこのギャップが大きい層はBNPの支持などへと流れましたが、ヤングスタウンではアメリカンドリームという信念がこれらのギャップの拡大を押さえていると著者は見ています(308p)。

 

 第8章ではそうした剥奪感が政党や政治家への支持にどの程度影響しているのかを雲分析しています。

 2015年にネットを通じて行われた調査で、どのような調査だったのか少しわかりにくい部分もあるのですが、その結果をまとめた317p表8−1をみると、イギリスのUKIPへの支持と社会的・経済的剥奪感が関連しており、アメリカに関しては文脈付けられた社会的剥奪感(この文脈付けられたという部分はいまいちよくわからなかった)がティーパーティーへの支持と、経済的剥奪感がトランプ支持と関連しています。

 この章の分析は全体的に少しわかりにくいところがあるのですが、さまざまな剥奪感がラディカル右派の支持へと向かわせる要因となっていることを指摘しています。

 

 第9章ではトランプ当選を受けて、その理由や白人労働者階級をどう考えていくべきかということが書かれています。

 ここでは、とりあえず最後に次の文章を引用しておきます。 

 白人労働者階級の行き場をなくした世界観を見れば、共和党民主党も、彼らをどうすれば動員できるか、戸惑うことだろう。だからこそ、彼らは見放され続けてきたのだ。(350p) 

 

 本書の最後には白人労働者階級にどうアプローチすべきかという提案も行われていますが、本書を読めば、この「行き場をなくした世界観」という表現がしっくりと来ると思います。 

 もちろん経済的な格差は問題なのですが、では再分配や福祉を充実させれば彼らの支持を得られるかというとそうではないのでしょう。彼らがかつて持っていた「労働者としての誇り」は、人種的なアイデンティティと絡まり合って、反動ともいうべき価値観を形成しています。

 バーキングアンドダゲナムを良くするのはどうしたらよいのか? という問いに対して「50年前と同じようにすること」という答えが最も多かったという話を引用しましたが、彼らを完全に救済するにはまさにタイムマシンが必要なのです。

 

 本書を読んで思い出したのがバリントン・ムーアJrの『独裁と民主政治の社会的起源』。各国の近代化の過程を追いながら、その違いと帰結を論じるもので、「なぜ、ドイツや日本ではファシズムが生まれたのか?」、「なぜ、ロシアや中国で社会主義革命が起こったのか?」という歴史上の難問に答えようとした本ですが、ポイントの1つが農民層が解体していく過程において、ファシズムが生まれたという考えを提起している点です(20世紀にすでに農民層が解体しつくされていたイギリスではファシズムは力を持たなかった)。

 この『独裁と民主政治の社会的起源』の議論をあてはめて考えると、今まさにアメリカやイギリスでは製造業で働くブルーカラーという階層が解体しつつあり、それがBrexitトランプ大統領を生んだのではないかとも思えます。

 日本でポピュリズムの旋風が起こっていないのは、移民が少ないからということもあるのでしょうが、それとともに製造業がなんだかんだといって根強く、まだブルーカラーという階層の解体が始まっていないからなのかもしれません。

 

 

 バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』に関しては、最近文庫化されました。