エマニュエル・サエズ/ガブリエル・ズックマン『つくられた格差』

 ピケティの共同研究者でもあるサエズとズックマンのこの本は、格差の原因を探るのではなく、格差を是正するための税制を探る内容になっています。序のタイトルが「民主的な税制を再建する」となっていますが、このタイトルがまさに本書の内容を示していると言えるでしょう。

 富裕層への最高税率が引き下げられたこと、法人税が引き下げられたことなどが格差の拡大に寄与しているということは多くの人が感じていることだと思いますが、同時に、富裕層への最高税率が引き上げられたら富裕層が海外へ逃げてしまう、法人税を引き上げたら企業が海外に逃げてします、経済成長にブレーキが掛かってしまうという考えも広がっています。そして、こうしたことを考えると結局は消費税(付加価値税)をあげていくしかないという議論の見られます。

 こうした考えに対して、本書は富裕層や企業からもっと税金を取るべきであり、それは可能であるという主張をしています。

 

 目次は以下の通り。

序 民主的な税制を再建する

第1章 アメリカの所得と税

第2章 ボストンからリッチモンド

第3章 不公平税制の確立

第4章 バミュランドへようこそ

第5章 悪循環

第6章 悪循環を止めるには

第7章 富裕層に課税する

第8章 ラッファー曲線の呪縛を乗り越える

第9章 将来可能な世界

最終章 いまこそ公平な税制を

 

 本書では基本的にアメリカの税制に焦点を合わせています。トランプ大統領が「大富豪」でありながら、ほとんど税金を払っていなかったことが話題になりましたが、アメリカでは大富豪の負担率が一般の労働者よりも低いような状況が生まれています。本書では、まずその原因を探るためにアメリカの税制を見ていきます。

 

 アメリカのGDPを成人人口で割ると、およそ7万5000ドルになります。さらにアメリカの人口を労働者階級(所得階層の下位50%)、中流階級(その上の40%)、上位中流階級(その上の9%)、富裕層(上位1%)に分けます。

 そうすると、労働者階級の課税・所得以転前の平均所得は1万8500ドル、中流階級は7万5000ドル、上位中流階級は22万ドル、富裕層は150万ドルになります。

 そして、アメリカでは1980年代以降、上位1%の所得が国民所得に占める割合が増える一方で下位50%の所得が占める割合は減っています(29p図1−1参照)。

 

 アメリカ人が払う主な税は個人所得税、給与税、資本税、消費税の4つです。個人所得税は累進の税ですが近年累進性は弱まっています。給与税は社会保障税などからなりますが、課税上限額があるのが特徴で高所得者に有利になります。消費税はさまざまな間接税。資本税には法人税、居住用・事業用の財産税、遺産税などが含まれます。

 これらの税金をどの階層がどのように支払っているのかを知るのは難しいのですが、著者らの分析によれば、アメリカの税負担は低所得者層でだいたい25%、上位中流階級で28%ほどに上がりますが、最上位400人になると23%にまで落ち込みます(39p図1−2参照)。

 

 このようになっている原因として、まず給与をもらっていれば給与税15.3%が差し引かかえること、さまざまな物品税や売上税があることがあげられます。アメリカでは統一的な付加価値税(日本でいうと消費税)がないために、ものには課税、サービスには非課税ということが多く、サービス消費の多い富裕層に有利になっています。

 個人所得税に関しては労働所得よりも資本所得を優遇する形になっており、株の配当に関しては20%しかかかりません。さらに近年の巨大IT企業では配当を出さないケースすも多いですが、そうなるとその創業者が支払うのは法人税くらいになりますし、その法人税はさまざまなやり方で支払いが圧縮されています。

 超富裕層に増税してもその効果は限られると考える人もいるかもしれませんが、所得最上位0.001%の負担率を現在の25%程度から50%に倍増させると、毎年1000億ドル以上の税収が生まれるそうです(48p)。

 

 アメリカの税の昔から累進性が弱かったわけではなく、1951〜63年まで所得税の最高限界税率は91%でした。

 アメリカでは憲法の問題もあって所得税の導入は遅れましたが、1913年に最高限界税率7%で導入された所得税は1917年にはそれが67%に引き上げられるなど、その累進性を急速に高めます。この背景には第一次世界大戦がありますが、それ以外にも「非民主的な富の集中」に批判が高まっていたことがあげられます。

 遺産税に関しても1916年に導入され、1931〜35年にかけてその最高税率は70%、さらに81年までは70〜80%に引き上げられます。これほど高い税率をかけていたのはアメリカくらいなものです。

 ニューディール期には、2万5000ドル以上の所得に100%の税を課そうとする試みもありました。一定の金額以上を稼ぐ金持ちの存在を認めないといった方針が模索された時期もあったのです。

 結局、最高限界税率は80%台に落ち着きましたが、1930〜70年代にかけて、税は所得の格差を大きく縮める役割を果たしました。

 また、法人税の税率も高く、1951〜78年まで企業利益に対する法定税率は48〜52%でした。

 

 これが大きく変化したのはレーガン政権のときです。1986年に成立した税制改革で、最高限界税率は一気に28%にまで引き下げられました。これには民主党アル・ゴアジョン・ケリージョー・バイデンも賛成しています(80p)。

 この背景には所得税の租税回避策が横行していたことがあります。ただし、この租税回避作が横行するようになったのも81年にレーガンが大統領に就任してからでした。損失を出す企業に出資して税を回避するタック・シェルターの手法などが広がり、さまざまな租税回避行為が生まれ、租税回避産業ともいうべきものが誕生したのです。

 政府も次第に租税徴収の穴を塞がなくなり、租税回避をなくすために提案されたのが所得税の最高限界税率の引き下げでした。

 

 1995〜2017年にかけて法人税の税率は変わっておらず、アメリカ経済が成長したにも関わらず、法人税の税収の国民所得に対する割合は30%も減少しました(111p)。これはさまざまな租税回避策、特にタックスヘイブンを利用した租税回避策がとられるようになったからです。

 そして2017年にはトランプ大統領によって法人税の税率は35%から21%へと引き下げられました。もちろん、トランプならではの政策とも言えますが、フランスのマクロン大統領も2018〜22年にかけて法人税を33%から25%に引き下げると明言しています。日本でも安倍政権のもとで引き下げが行われましたし、今や世界は法人税の引き下げ競争を行っている状態なのです。

 

 アメリカの法人税収の下落は、まず60年代後半から70年代前半にかけて起きています。これはインフレが進み、企業収益は悪化したからです。さらに70年代後半〜80年代前半にかけて租税回避産業の誕生とともに法人税収はさらに落ち込みました(115p図4−1参照)。

 さらに90年代になると租税回避はさらに広まり、多国籍企業は利益移転を駆使して法人税の支払いを逃れるようになりました。ロゴ、商標、経営助言といった市場価格のない資産やサービスを使って会社の利益をうまく移転するようになったのです。

 アップルもグーグルもその他の大企業も、四大会計事務所(デロイト、アーンスト&ヤング、KPMG、プライスウォーターハウスクーパース)などを通じて、租税回避をするようになりました。

 これらの租税回避のためにはアイルランドバミューダ諸島などが利用されますが(本書ではまとめてバミュランドと呼んでいる)、2016年にそうした地域にアメリカの多国籍企業が計上した利益は、イギリス、日本、フランス、メキシコに計上した利益を上回っています(125p)。そしてこれらの租税回避策はアメリカの企業だけでなく、世界の多国籍企業が行っています。

 国民所得に対する法人税の割合が高いのはマルタやルクセンブルクといったタックスヘイブンとして知られる国であり、割合が低いのはアメリカやイタリアやドイツです(134p)。マルタやルクセンブルクの収入はゼロサム的な金銭移動によって成り立っているのです。

 

 こうした中で、資本への課税がますます減り、労働への課税がますます増える状況となっています。

 1940年代から80年代まで、資本所得に対する平均税率は40%を超えており、労働所得に対する平均税率は25%もなかったですが、資本への平均税率はトランプ税制改革のあとには26%になり、2018年に労働所得に対する税率が資本所得に対する税率を逆転しました(145p図5−5参照)。

 さらにアメリカでは医療保険も考慮に入れると労働への負担はさらに重いと言えます。 この保険料は労働にのみ課され、これを考慮に入れると労働所得に対する税率は37%にまで増えます(151p図5−2参照)。

 

 経済学では、資本には課税すべきではないという考えも根強くあります。資本は投資にまわって労働者の生産性を高めます。めぐりめぐって労働者のためになるというのです。一方、資本に課税するとその分賃金が低下するというのです。 

 しかし、歴史を振り返ると資本所得への税率が高かった1950〜80年代にかけては貯蓄や投資の水準が歴史的に見ても高い時代でした。同時に資本所得への税率の引き下げが貯蓄や投資を生んでいるとも言い難いのです。

 

 この悪循環を止めるために、まず法人税をなんとかしなければなりません。法人税に関しては、税率を上げれば企業は海外に移転してしまう、利益を移転させてしまうと考えられていますが、著者たちは適正な課税は可能だと考えています。

 現在、OECDの取り決めの一環として、すべての大企業に国別の利益や納税額の報告が義務付けられています。こうした情報を使って、ある企業が税率5%のタックスヘイブンA国で10億ドル、税率0%のタックスヘイブンB国で10億ドルの利益を得ていたら、その企業の母国政府はが、A国の利益に20%、B国の利益に25%の課税をすればいいというのです。

 もちろん、多国籍企業が本社をタックスヘイブンに移す可能性もありますが、実際はなかなか難しいと言います。

 また、タックスヘイブンに本社がある企業に対しては、国ごとの販売利益を算出してそれに課税するという手もあります。実際、アメリカの国内では州の法人税の徴収に関してそのような方法がとられています。

 さらに法人税の最低税率を25%に設定して、各国がそれを守るという方法も考えられます。一見すると実現は難しそうですが、アメリカとEUが合意すれば、世界の企業利益の75%をカバーできると言います(190p)。

 

 本書では、租税回避策が抑制されていれば、課税対象所得の弾力性は低い(税率が上がればすぐに労働時間を減らすというわけではない)と考え、富裕層に対する限界最高税率を75%程度にしたときに税収が最大になると試算しています(この場合の富裕層とは上位1%、2019年だと年間所得が50万ドル(1ドル=105円で5250万円)を超える人々(202p)。

 これは最高限界税率で、所得の75%が税として差し引かれるわけではありません。平均税率にすると60%ほどになると本書では試算しています。

 

 しかし、これを実現するにはまず租税回避策を防がなければなりません。そこで著者らは租税回避産業を規制する公衆保護局の設置を提案しています。金融産業を消費者金融保護局が規制するように、税務関連サービスを公衆保護局が規制するのです。

 これによって租税回避のみを目的とする商取引を禁止し、また、タックスヘイブンに対しては制裁を課すべきだとしています。

 さらに、キャピタルゲインを含むあらゆる所得を累進所得税の対象とします。今までは資産の購入価格を当局が把握していなかったため、キャピタルゲイン課税には難しさがありましたが、現在の政府が把握している情報を使えば適切な課税は可能だと言います。

 

 それに加えて、企業の法人税と個人の所得税を統合する必要があると言います。現在でもオーストラリアやカナダはそうだと言いますが、法人税と個人の所得税を結合し、株主が企業利益の分配を受けるときに、株主が払った所得税額から会社が払った法人税額を控除するのです。

 これによって企業が法人税を回避しようとするインセンティブを劇的に低下させることができます。法人税を圧縮すれば、株主が払う税金は増えるからです。また、法人化による税逃れを防ぐこともできます。

 このやり方は企業活動のグローバル化とともに難しくなったと考えられていますが、筆者らは国際協力によって十分可能だと考えています。

 

 ただし、これだけでも富裕層への平均税率60%の課税は実現しません。。富裕層の中には莫大な資産を持ちながら課税対象所得が少ない人がいるからです。例えば、ジェフ・ベゾスウォーレン・バフェットがそうです。

 彼らから税を取るには彼らの資産に課税する富裕税の導入が必要です。例えば、5000万ドルを超える財産に2%、10億ドルを超える財産に3.5%の富裕税を課すことで、超富裕層からも60%以上の税を取ることが可能になります(221p図7−3参照)。

 未公開株など、評価の難しいものも多いですが、そうしたものは税務当局が現物で納める選択肢を与え、現物で納付されたらそれを市場で売却するという方法も考えられると言います。 

 

  ただし、やはり60%という税率は高すぎて経済成長を阻害すると考える人もいるでしょう。ラッファー曲線がいい加減なものだと思っていても、高税率がかえって税収を減らす可能性を心配する向きはあると思います。

 しかし、著者らは100%近い最高限界税率も可だと考えています。税収を増やす目的としてではなく、格差を縮小させる目的のために、こうした手段は有効だと言うのです。実際、1930後半〜70年代前半にかけて、非常に高い(平均78%)の最高限界税率が課せられていましたが、この時代には上位1%の所得のシェアは減少しました(231p)。

 アメリカの憲法制定に関わったジェームズ・マディソンは過剰な富の集中は戦争と同じくらい有害だと考えており、民主主義を破壊すると考えていました。

 

 富裕層に増税すれば経済成長が止まり、結局は労働者も貧しくなるという議論もありますが、著者はアメリカとフランスを比較しながらそれを否定しています。

 アメリカはフランスに比べて成人一人あたりの国民所得を比べると30%ほど高いですが、それはアメリカのほうが生産性が高いからではなく、労働時間が長いからです。現在の国民総生産を労働時間で割ってみると、アメリカもフランスも75ドル前後でほぼ同じです(243−244p)。

 ところが、所得階層の下位50%を比較すると平均所得はフランスのほうが11%高くなっています。金銭レベルだけを見てもフランス人のほうがよい暮らしをしているのです。ちなみにこれは課税や移転前の所得であり、社会保障制度は関係ありません。ここから、アメリカの労働者階級が苦境に陥っている要因は、技術の変化やグローバル化だけではないことがわかります(フランスの労働者も同じ問題に直面しているはず)。

 また、アメリカは先進国の中で唯一平均余命が短くなっている国で、そこからもアメリカのやり方に問題があることがうかがえます。

 

 一方、再分配がしっかりとできるならば、税において累進性は重要ではないという指摘もあります。実際、IMF世界銀行のアドバイスでも付加価値税(日本の消費税)の増税が推奨されてきました。

 しかし、著者らはこのやり方は適当ではないと言います。政策には政府への信頼が必要であり、富裕層よりも貧困層に多く課税しているような状況ではその信頼は維持できないと言うのです。

 また、付加価値税は所得ではなく消費に課税されます。低所得者ほど所得のすべてを消費に回すわけで、付加価値税は逆進的だと言えます。さらに、金融・教育・医療という現代経済の三大分野が非課税になっていることが多く(日本でもそうですね)、これらはアメリカの格差を拡大させている原因でもあります。また、給与税だけでは、資本所得を捕まえることはできません。

 これらを踏まえて著者らは次のように述べています。

 付加価値税や給与税にはこのような限界があり、格差が拡大しているこの時代に社会制度の資金をまかなう役割など果たせない。この二つの税がヨーロッパで人気を博していた戦後数十年は、格差が過去最低水準にあった時代でもあった。だがもはやそんな時代は過ぎ、これらの税は時代遅れになっている。税制にイノベーションを起こす必要がある。(272p)

 

 その上で、最後に著者らはすべての所得に課税する国民所得税を提唱しています。労働所得と資本所得のすべてに同じ形で課税するのです。これは一律6%ほどで構いませんが、この国民所得税と累進性の所得税法人税、富裕税によって国民所得の10%ほどの税収を生み出し、すべての国民に医療と教育を提供することが可能だとしています(278p図9−2参照)。

 

 このように本書は、「税」という1つのものから大きな社会転換を狙った本になります。ある種の無責任さから、社会政策の財源に関して「金持ちと大企業から取ればよい」という考えが披露されることがありますが、本書はそうした考えをきっちりと詰めた上で提示しています。

 また、税制というのは「財源」の問題だけでなく、「社会のあり方」の問題なんだという点を主張している点も刺激的です。例えば、財政学者の井手英策は消費税の増税社会保障の充実によって「誰もが生きやすい社会」の確立を目指しているわけですが(例えば井手英策『幸福の増税論』岩波新書)参照)、本書からするとそれでは不十分ということになります。 

  著者らの提唱する税制の実現性に関しては判断できないところもありますが、税による社会変革の道をかなり具体的に示している本であり、「格差は問題なのはわかった。じゃあどうするの?」という問いに答える内容になっています。