著者のアトキンソンは、ピケティによって「格差」や「不平等」が経済学の中心的テーマの一つとなる前から、長年、不平等について研究してきたイギリスの経済学者で、山形浩生による「訳者はしがき」によれば「ピケティの師匠格と言ってもいい存在」(xiiip)だそうです。
そんなアトキンソンが、一般向けの本として書いたのがこの本。
とにかく不平等を是正するための具体的な政策が数多くとり上げっれているのがポイントで、後で紹介しますが、この本ではイギリスを念頭に不平等を是正するための15の提案を行っています。
しかも、その提案の多くには数字的な裏付けがあり(もちろん、著者の想定通りいくとは限らないでしょうが)、スタンダードな経済学から寄せられるであろう反論にも答えています。
三部仕立ての本で、第一部では不平等の現状、歴史、測定の仕方などについて述べています。
このあたりはピケティの『二一世紀の資本』と重なっている部分も多いのかもしれません。自分は『二一世紀の資本』は未読なのですが、NHKのEテレでやっていた「ピケティのパリ白熱教室」を見たことがあって、それと重なっているなと思いました。
というわけで、この本の真価は具体的な提案を数多く行っている第二部以降になると思います。
以下、アトキンソンの提案を順に見ていきたいと思います。
提案1:技術変化の方向を政策立案者は明示的に検討事項とすべきである。イノベーションは労働者の雇用制を増大するような方向を奨励し、サービス提供における人間的な側面を協調すべきである。
格差の拡大の要因としてテクノロジーの進歩があげられるけど(ロボットの真価で工場の従業員がいらなくなった、等)、テクノロジーの進化の裏には国による研究助成があるのだから、それに働きかけることで雇用を奪わないようなテクノロジーの進歩を方向付けることが可能ではないか?というもの。
これはどうなんでしょ?
提案2:公的政策は、ステークホルダー間の適切な権力バランスを目指すべきであり、そのためには(a)競争的政策に明示的に分配的な側面を導入すべきであり、(b)労働組合が労働者を平等な立場で代表できるような法的枠組みを確保すべきであり、(c)社会パートナーや各種政府団体を含む社会経済評議会が存在しない場合には、それを設立すべきである。
これはいかにも左派的な提案だと思いますけど、1980年以来、イギリスでは弱め続けられてきた労働組合を法的にきっちりと位置づけ直し、さらに雇用者・労働組合・政府、さらにNGOや消費者グループによる社会経済評議会をつくろうというものです。この社会経済評議会というのは日本だとイメージしにくいですが(経済財政諮問会議とは違うだろうし)、大陸ヨーロッパでは多くの国が取り入れている制度でもあります。
提案3:政府は失業を防止・削減する明示的な目標を採用し、求める者い対して最低賃金での公的雇用保障を提供することで、この目標を具体化すべきである。
前半は、中央銀行はインフレ率だけではなく雇用も目標に入れるべきだとする主張。アメリカのFRBは雇用の安定も目標としていますよね。
後半は、政府が公的雇用を保証することによって失業をなくそうという考え。かなり思い切った提案に思えますが、アメリカでは1970年代まで、小規模ながらこうしたプログラムが追求されていた時期がありましたし(161p)、ベルギーは、2010年、GDPの0.3%を限定的な公的雇用の創出のために支出しています。
これについては、日本でも現在、非常に待遇の低い非正規の公務員の待遇引き上げ、引き上げたうえでの増員という形で政府が良質な雇用を創出するという方向性はありなんじゃないかと思います。
提案4:国民報酬政策を作るべきである。これは二つの要素で構成される。生活賃金で設定された法定最低賃金と、社会経済評議会を含む「国民的対話」の一部として合意された、最低賃金以上の報酬慣行規範である。
「最低賃金を上げろ」という主張とともに、国民的合意に基づいた賃金コードをつくり、「公正」な賃金体系を構築していこうという主張もしています。2013年、スイスでは「重役給与を同じ社内の最低給与の12倍未満に制限すべき」という国民投票がなされたそうですが(投票者の35%が支持したが否決)(173p)、こういった基準を国民的合意のもとでつくれないか、という提案です。
ピケティも言っていますが、金持ちがより金持ちになるのは、金持ちがより利回りの高い資産運用にアクセスできるからです。一方、資産をもたない人々には銀行預金くらいしかなく、それらはインフレで目減りしてしまうことがしばしばです。ですから、そうした人々向けに政府がインフレ連動債を発行して利回りを保証してあげようというもの。
個人的には、ここまでやる必要はないんじゃないかと思いますが。
提案6:成人時点で全員に資本給付(最低限相続)を支払うべきである。
実現可能性は低いかもしれませんが、もっとも面白いのがこのアイディアかもしれません。
親からの相続は不平等を生み出す一つの要因で、だからこそ相続税というものが存在しますが、アトキンソンはさらに一歩進めて、国民全員に遺産を与えることを提案しています。
「生涯資本受領税」という相続税と贈与税を合わせた税を導入し、そこで得られた財源を18歳になったすべての国民に最低限相続として給付しようというのです。これについて、アトキンソンは教育や職業訓練など、その使いみちに制限をかけてもいいと考えています。
なかなか難しい面もあると思いますが、政府がすべての若者に一定の金額を給付、または無利子に近い条件で貸与するというのは、機会の平等を実質的に保障することにつながっていくと思います。
提案7:公的な投資当局を作り、ソヴリン・ウェルス・ファンドを運用して企業や不動産への投資を保有し、国保有の純財産価値を増やすべきである。
国の資産は国民の資産でもあるので、産油国などのようにソヴリン・ウェルス・ファンドをつくって将来世代のために運用すべきだという考え。
これは日本だと市場について何も知らない人間が運用して損失出しそう…。
提案8:個人所得税の累進性を高める方向に戻す。限界税率は課税所得の範囲に応じて上がり、最高税率は65パーセントにして同時に税収基盤を広げるべきである。
ご存知のように70年代まで70%近くあった所得税の最高税率はどんどん引き下げられ、現在は40%台の国が多くなっています(イギリスの日本も現在45%)。これは、各国で税率を下げて経済を活性化させたほうが税収も上がるという考えが支持されたためで、最適な最高税率は40%だという研究もあるそうです(211p)。
しかし、アトキンソンはそれを65%に引き上げるよう主張します。何が最適な税率であるかというのは計算の仕方によって大きく変わってくるものですし、トップ1%の所得増加は結局はそれ以外の人々を犠牲にしたものにすぎないのではないか?というのです。
最高税率が高かった時代、管理職報酬は今のように巨額ではありませんでした。自らの報酬を増やしてもその多くは税金で持って行かれてしまったからです。しかし、最高税率の引き下げによって「彼らは自分たちの報酬やボーナスの増額へと努力を振り向け」、そのツケを配当の低下という形で株主が払う事になったというのです(214p)。
また、例えば、低所得者はある一定以上の金額を稼ぐことで今まで受け取っていた手当を失うことがあります。これは低所得者が高い限界税率(追加の所得に支払われる追加分の税率)に直面していることになります。こうしたことを考えると、高い最高税率は「公平性」にかなっているというのです。
アトキンソンの考えに簡単に白黒をつけることは出来ませんが、ここでは税というものを極めて包括的に考えており、興味深いです。
提案9:政府は個人所得税に勤労所得割引を導入すべきである。これは一番低い所得区分に限るものとする。
これは勤労所得割引とは勤労で得た所得の一定額を控除しようというもので、同じ所得がある場合、勤労者にとって有利になります。現在米国で行われている「給付付き勤労所得税額控除」お給付がない形になります。
提案10:相続や生前贈与は累進生涯資本受給税のもとで課税すべきである。
累進生涯資本受給税とは、少額をのぞくあらゆる相続と贈与にかかる税です。例えば、下限値が1人10万ポンドだとして、ある人物が叔母から5万ポンドの遺産を受け取った場合は無税、5年後叔父さんから8万ポンド受け取ったら、10万ポンドを超える3万ポンドが課税対象になり課税されます。その後、さらに2万ポンドを受け取ったら今度はその全額に課税されます。
このように個人の得た遺産や贈与を合算し、それに累進課税を行うというのがこの税です。しっかりとした相続や税の記録が必要になりますが、技術的には可能そうです。これは日本でも検討してみる価値があるのではないでしょうか?
提案11:最新の不動産鑑定評価に基づいた定率または累進的な固定資産税を設ける。
イギリスの現在の地方税は、きわめて逆進的なしくみですが、これを不動産鑑定評価に基づいた固定資産税にしようというもの。不動産鑑定評価の中身はともかく、日本は一応この仕組ですよね。
提案12:全児童に対し相当額の児童手当を払い、それを課税所得として扱うべきである。
アトキンソンは児童手当を一種のベーシック・インカムと考えていて、資力調査を行って貧しい家庭だけに手当を支給するというやり方に反対しています。
まず資力調査を行うやり方だと、一定以上の所得を上回ると手当が打ち切られ、一気に税率が上がるのと同じ効果を持つことになります。また、手当の対象でありながら申請しない人もでてきます。特に貧しい家庭にとっては「時間は希少な資源」(244p)であり、忙しさから申請できないケースも考えられます。
そして、まずは金持ちも含めて全員に配って、そこに課税して所得を調整するのです。一見、手間がかかるだけに思えますが、上記の理由からもメリットはありますし、佐藤滋・古市将人『租税抵抗の財政学』でも、資力調査によって受給できるか否かが決まる選別的な制度よりも、全員に支給する普遍的な制度のほうが多くの人が受益者となり、人々の社会保障政策への支持が広がることが指摘されていますし、これは方向性としても正しいと思います。
子供だけを対象にすることについては、「子供を持つのはライフスタイルの選択だ」という意見もありますが、これに対してアトキンソンは「子供は今ここにいるし、だから今日の勘定に入れるべきだ」(251p)と述べています。
提案13:全国レベルで参加型所得(PI)を導入し、既存の社会保護を補うようにして、いずれ全EUでの児童ベーシック・インカムを視野にいれるべきである。
これも一種のベーシック・インカムの提案なのですが、参加型所得(PI)となっているように、勤労、教育、育児、介護、ボランティアなど、何らかの社会的貢献をしている人にのみ支給される手当です。
この「社会的貢献」を規定する難しさに関しては、アトキンソンもそれを認めていますが、一日中サーフィンをしているようなひとは公的資金を受け取る資格はないといったロールズの考えには賛成だと言っています(256ー257p)。
これはやはり「社会的貢献」の規定が難しいと感じます。例えば、大学で教育を受けるのは将来への投資であり、社会的貢献といっていい面もありますが、サーフィンと同じように社会にあまり役に立ちそうにない研究を趣味にしているケースもあるでしょうから。
提案14:(提案13の代案)社会保険制度を刷新し、給付の水準を引き上げ、支払範囲を拡大すべきである。
これは読んでの通り、ベーシック・インカムがダメなら、年金や雇用保険といった社会保険の給付水準を引き上げ、支払い範囲を拡大すべきだというもの。
最後にアトキンソンは、豊かな国と貧しい国の格差に目を向けています。援助に関して否定的なアンガス・ディートンの意見なども紹介しつつ(ディートンの援助否定論はこちら)、「汚職や資金の流用に伴うかなりの漏れがあるにしても、援助の少なくとも一部がOECDの平均納税者よりはるかに現在の消費額の少ない人にトリクルダウンするのであれば、援助は「機能する」」(273p)と述べています。
さらに第三部では、これらの政策が果たして実行可能なのかを改めて検討しています。
特に「財源はあるのか?」というのがもっとも多くの人が感じる疑問だと思うのですが、それについては第11章でイギリスを例にして数字を上げながら検討しています。
イギリスの税制などについては詳しくないので、果たしてアトキンソンの試算が正しいのかどうかはわかりませんが、それほど無茶な想定をしている印象はないです。
また、「今のグルーバル経済のもとでは難しい」という意見に対しては第10章で反論しています。
もっとも、それなりに経済学をかじった人からの疑問は「平等の追求は効率を犠牲にしてしまうのではないか?」というものだと思います。いくら、平等になったからといってそれが経済成長を犠牲にして実現されるものであれば、貧しい人の生活は改善されないかもしれないからです。
これに対してアトキンソンは次のように述べています。
標準的な教科書では、最初の数章で生徒たちが学ぶのは、価格が需給を等しくする競争市場に参加した家計や企業だ。私が教科書を書くなら、むしろ市場支配力を持つ独占競争企業が、賃金について交渉を行うところからはじめ、労働者が失業している世界を扱うだろう。別にそういう教科書を書いているわけではないが、でもこの私の立場は「不平等を減らしつつ効率性を高められるか?」という問題への答えに影響する。各種の政府の介入の影響について、私が他の経済学者と違う見方をしている場合、それは経済の仕組みについての見方が違う点から出発しているせいもある。(282p)
経済学の想定する世界では効率性と平等性はトレード・オフの関係として捉えられていて、市場においてもっとも効率な状態が実現しており、それをいじることは効率性を犠牲にすると考えられています。
しかし、アトキンソンは現実の市場の多くは独占や情報の非対称性といったさまざまな問題から効率的な状態を実現できているわけではないと考えているのです。
いわゆる「市場の失敗」に対して政府の介入が必要なように、基本的に「失敗」を抱えている市場には何らかの介入が必要だというのです。このあたりはなかなか思い切ったスタンスだと思います。
日本で考えた場合、個人的に良いかなと思うのが、提案3、提案6、提案8(65%はやや高いように思いますが)、提案9、提案10、提案12ですかね。
逆に提案7は日本だと失敗しそうですし、提案13のPIは「社会的貢献」の中身を政府がコントロールすることの弊害のほうが大きいのではないかと思うので問題だと思います。
このようにとにかく不平等を是正するための具体的なアイディアが打ち出されているのがこの本です。
イギリスの例が多く、日本にそのまま当てはめられない部分もありますが、「格差は新自由主義のせい、小泉、安倍のせい」と念仏のように唱えていても格差がなくなるわけではないので、こういった本を読んで平等というものをどこまで政策的に追求していくかを考えていくことが必要なのではないかと思います。