ブランコ・ミラノヴィッチ『不平等について』

 副題は「経済学と統計が語る26の話」。グローバル経済における先進国の中間層の没落を「エレファントカーブ」と呼ばれるグラフで示し話題を読んだミラノヴィッチが、その前に書いた著作で、さまざまなトピックを通じて、単一のコミュニティ内の不平等、生まれた国や民族による不平等、グローバルな不平等という3つの不平等を分析しています。
 不平等という言葉は、ときに貧困問題と同一視され、「日本の不平等といっても、途上国の貧しい人の生活に比べれば…」みたいな事が言われますが、この本では不平等をいくつかの軸に沿って統計的に検討することによって、その内実を明らかにしようとしています。
 それぞれ興味深いトピックを通じて不平等の実態が探られており、面白く読めると思います。


 まず、第1章でとり上げられるのが単一のコミュニティ内の不平等です。
 以前はクズネッツ仮説に見られるように経済発展とともに不平等は解消していくと考えられてましたが、近年ではピケティの研究に見られるように一国内で不平等が拡大していることが確認され、それが大きな問題となっています。


 「1-1 ロマンスと富」と「1-2 アンナ・カレーニナはアンナ・ヴロンスカヤになれたのか」では、ジェイン・オースティン高慢と偏見』、トルストイアンナ・カレーニナ』の登場人物たちが、どのくらいの金持ちで当時の社会においてどの階層にいたかということが調べられています。
 「1-3 史上最高のお金持ちは誰か」では、古代ローママルクスクラッススオクタヴィアヌス、20世紀前半のアンドリュー・カーネギー、ジョン・D・ロックフェラー、現代のビル・ゲイツ、ロシアのミハイル・ホドルコフスキー、メキシコのカルロス・スリムといった金持ちの中で、誰が一番金持ちなのかということを彼らの資産から得られる収入で何人の同時代人を雇うことができるかということから計算しています。ちなみにスリムは44万人のメキシコ人を動員できるとのこと(51p)。
 「1-4 ローマ帝国はどれほど不平等だったのか」は、古代ローマにおける不平等について。古代ローマ初期のジニ係数は約41〜42ポイントだと推計されますが、これは現在の拡大EUとほぼ同じレベルです(56p)。しかし、皇帝や元老院の議員などは圧倒的な金持ちで、所得分布は極端な形をとります。

 
 「1-5 社会主義は平等主義だったのか」では、「社会主義は平等だったのか?」という問題がとり上げられていますが、単純な所得でいうならその答えはイエスです。ただし、不平等が存在しなかったわけではありません。特定の仕事には職権上の役得がある場合が多く、特に党内で重要な地位についた人物などには住む場所にしろ別荘にしろ運転手付きの自動車にしろさまざまな都県がありました。
 しかし、一方で仕事を失えばこれらの特権を失うことになります。社会主義国では在職中に私的な財産をつくって悠々自適に暮らすということは不可能でした。「私的財産は政府の専横に対する防壁であり、個人的自由を行使する手段」(62p)なのですが、社会主義国にはそれがなかったのです。そして、反体制派は仕事を解雇された上で、「浮浪罪」や「寄生罪」で投獄されました。


 「1-6 パリに住むなら、どの区に住む? 13世紀なら? 現代なら?」はパリの各区の所得格差について分析しています。
 「1-7 財政再分配で恩恵を受けるのは誰か」では、多数派である中間層が所得の再分配でそれほど利益を得ていないということが指摘され、その理由が探られています。
 「1-8 複数の国はひとつにまとまれるか」では、ソヴィエト連邦ユーゴスラヴィアといった複数の国家が集まった国の中の格差についてとり上げています。1991年のソヴィエト崩壊時、もっとも豊かなロシアともっとも貧しいタジキスタンの一人あたりのGDP比は約6対1、ユーゴスラヴィアではもっとも豊かなスロベニアともっとも貧しいコソボ州の一人あたりのGDP比は約8対1でした。これではなかなか一つの国家として統一的な政策を行っていくことは難しいです。著者はさらに、人民の平等を目指した社会主義も構成国間の巨大な所得格差を解消できなかったことに注意を向けています(77p)。


 「1-9 中国は2048年まで生きのびるか」は中国の国内の格差について。経済成長をつづける中国ですが、改革開放政策を始めてまもない1980年代はじめに30以下だったジニ係数は2005年には45にまで上昇しています(79p)。中国の豊かな地域と最貧の貴州省では一人あたりのGDP比で10対1の格差があるといいます(81p)。著者は「中国の国家的統一が驚異にさらされるとしたら、それは国内の経済的分裂に端を発するものとなる可能性が高いだろう」(82p)と結んでいます。
 「1-10 2人の不平等研究者、ヴィルフレド・パレートサイモン・クズネッツ」では、不平等について考察した二人の経済学者をエピソードを交えて紹介しています。


 第2章では、国と国の間の不平等をとり上げています。「今日の不平等は、19世紀および20世紀の大半の状況よりも、はるかに拡大して」(98p)います。中国とインドという大国が目覚ましい経済発展を遂げているために世界の貧困層は減少傾向にありますが、それは世界の不平等が解消されることを意味しません。
 確かに中国やインドは先進国を上回る経済成長率を見せていますが、もともとの値が違うために「米国の一人当たりGDPが1パーセント成長した場合、米国との絶対所得の差が広がるのを防ぐためには、インドは17パーセント成長する必要がある」(99p)のです。


 「2-1 なぜ、マルクスは道を間違えたのか」では 「万国のプロレタリアートよ、団結せよ!」とのスローガンがなぜうまく行かなかったのかが分析されています。
 1870年ごろ、グローバルな不平等を説明する要因として大きかったのは出身地よりも階級でした(108pの図2参照)。つまりどこの国に生まれるかよりもどこの階級に生まれるのかが重要だったのです。しかし、ちょうどマルクスの『資本論』の1巻が出版された頃から風向きが変わり始めます。イギリスの労働者の実質賃金が上昇を始めたのです。結果、どの階級に生まれるのかよりもどこの国に生まれるかが格差の原因となり、労働者のインターナショナルな団結は難しくなっていったのです。


 「2-2 今日の世界はいかに不平等か」では、世界の国同士の不平等を明らかにするために、国民を20の階層「ベンティル」に分けて考えます。米国のもっとも貧しいベンティルは世界の所得分布の下から68パーセンタイルに位置します。一方、インドのもっとも豊かなベンティル、つまり上位5%も世界の所得分布の下から68パーセンタイルに位置しています。インドの最富裕層と米国の最貧困層の所得レベルは同じなのです(111pの図3参照)。
 「2-3 「生まれ」は所得の決め手か」によると、世界の所得のばらつきの60%以上が生まれた場所で説明できてしまうそうです。さらに両親の所得階層で20%が説明できます。残り20%が、性別、年齢、人種、そして努力などの要因なのです(114p)。


 こうなると、貧しさから抜け出す手段として注目されるのが移民です。「2-4 世界は要塞都市になるのか」ではその移民の問題がとり上げています。例えば、メキシコと米国の一人当たりのGDP比は1960年には1対2.5でしたが2005年には1対3.6にまで拡大しています(118p)。それだけメキシコ人にとってアメリカへの移民は魅力的になったのです。しかし、受け入れる側にとって移民はときに歓迎されない存在でもあり、国境管理は厳しくなってきています。
 そんな中で、ヨーロッパでは「ハラガ」と呼ばれる人がいます。「身分証明書を燃やす人々」とも「国境を炎上させる人」とも言われる彼らをとり上げたのが「2-5 ハラガとは何者か」です。
 彼らはアフリカからヨーロッパを目指す主に男性の若者で、彼らは警察に捕まったときに簡単に母国に送還されないように身分証明書を焼きます。また、たどり着けずに亡くなる者もいますが、送り出した国は遺体の身元が確認できないということを理由に遺体の引き取りを拒否することもあります。この本はいわゆるヨーロッパの難民危機以前に書かれていますが、シリア内戦以前からこうした問題があったことがわかります。


 「2-6 オバマ家3代」はオバマ大統領の祖父、ケニア人のフセイン・オニャンゴ・オバマに注目し、植民地支配とその後のアフリカ諸国の独立について考察しています。
 「2-7 脱グローバリゼーションで世界は不平等になったのか」では、2度の世界大戦と世界恐慌というグローバリゼーションにストップを掛けた動きが世界の国々の不平等にどのような影響を与えたのかが分析されています。結果は特に影響せずですが、個々の国を見ると、米国やカナダ、オーストラリアといった西ヨーロッパの「子孫」の国々が戦争せ大きな利益を得て、世界恐慌で大きなダメージを受けた様子などが見えてきます。


 第3章では、第1章と第2章の議論を受けて、世界の市民の間での不平等を考えようとしています。現在、世界全体のジニ係数はおよそ70だといいます(138p)。
 今後の動きについて、著者は「1 国内の不平等は拡大しているのか、いないのか。」、「2 平均的に成長が早いのは、貧しい国々か、それとも豊かな国々か。」、「3 中国とインドは、豊かな国々よりも早く成長しているのか。」という3つの問いを提示し、現在は3の力が1と2の力と均衡を保っている状況だとしています(つまり、国内の不平等は拡大し、豊かな国々の成長が早いが、中国とインドの成長は目覚ましい(141p))。


 「3-1 あなたは世界の所得分布のどこにいるのか」では、それを調べる難しさ(そのようなネット上のサイトはあるけど)と、世界のトップに入るにはどのくらいの所得が必要かということが述べられています。
 「3-2 世界に中間層は存在するか」では、世界全体を見渡した場合、中間層というボリュームゾーンが想定できないということを指摘しています。世界の所得の平均値は2005年の購買力平価で1225ドル、一人あたり一日3.3ドルであり、豊かな国々の法定貧困レベルの1/4以下なのです(157p)。
 

 「3-3 アメリカ合衆国EUの違いは何か」では、米国とEUの格差の内実の違いが分析されています。2007年にブルガリアルーマニアEUに加盟したことで米国の不平等とEUの不平等のレベルはほぼ同じになりました。しかし、EUの格差の要因の多くが加盟国間の不平等に由来するにに対して、米国では州ごとの違いはあまりなく、一つの地域内に大きな格差があります。どちらがよいのかは簡単には決められませんが、著者は最後にポルトガルを例にあげ、今までEUは加盟国間の格差を縮小することに成功してきたことを指摘しています。
 「3-4 アジアとラテンアメリカが鏡像関係にある理由」では、アジアとラテンアメリカを比較し、国家間の格差が大きいアジアと国内の格差が大きいラテンアメリカという特徴を取り出しています。ラテンアメリカでもっとも平等な国とされるウルグアイジニ係数は45ポイントですが、これはアジアの中では下から3番目です(167p)。ラテンアメリカの不平等の原因は「階級」であり、アジアの不平等の原因は「出身地」なのです(168p)。


 「3-5 試合が始まる前に、勝者を知るには」は、ヨーロッパのサッカーチームの話。金満なビッグクラブだけが勝てるようになったという話で、「3-6 所得格差と世界金融危機」は、格差の拡大が金融危機を招いたという話。このあたりは耳にしたことがある議論でしょう。
 「3-7 植民地支配者は搾取の限りを尽したのか」では、実現可能なジニ係数を考えた上で、植民地ではどれくらいの搾取が行われていたのかを調べようとしています。ジニ係数は理論的には0(完全に平等)から1(一人の人間がすべての所得を独占)までの値を取りますが、実際問題としてジニ係数1では他の人間が死んでしまうのでこの数値になることはありえません。再生産の必要性を考えると、貧しい社会では一定上のジニ係数を取ることはできないのです。
 そこで本書では平均所得と取りうるジニ係数の最大値を考え、それを結びつけた曲線を「不平等可能性のフロンティア」とします。そこに過去の植民地をプロットすると、限界まで搾取を行っていた植民地支配の姿が見えていきます(181pの図7参照)。


 「3-8 なぜ、ロールズはグローバルな不平等に無関心だったのか」では、平等主義を主張したロールズがグローバルな経済格差については問題視していないことが指摘されています。移民に関してもロールズは否定的で、援助に関しても「秩序ある社会」ができるまでは援助をすべきだと言っていますが、国同士の経済格差を縮小させる必要性は感じていません。著者は現在の不平等の要因が出身地にあることを指摘してロールズの考えを批判しています。


 最後の「3-9 グローバル経済と地政学」では、今まで第三世界と呼ばれていた国々が冷戦終結後にどのような道をたどってきたかが分析され、今後の展望がなされています。
 まず、注目したいのが次のような中国に対する見方です。

中国の経済成長の顕著な特徴は、経済活動に関する「成文化された」ルールをまったく生み出していないことだ。中国の政策を他の国々で実施する方法を説明するためにパッケージ化しようとする試みは一切なされていない。(中略)中国がその成功から得られる教訓を簡潔にまとめて提示することができない限り、中国のイデオロギー的影響力は限定的なままだろう。(192ー193p)

 この本は原著が2011年に出版されているので、その後、状況も変わってきた部分があるでしょうが、著者はこうした中国の動きも踏まえて「世界各国を分類する試みを困難にしている主な原因は、アジアの多様性である」(193p)と述べています。
 そして、歴史的につながりのあるヨーロッパが中心となってアフリカを浮上させられるかということと、「いかにして中国を平和的に取り込むか、いかにしてラテンアメリカをその妄想から乳離させて現実世界に取り込むか」(195p)が鍵だとしています。


 それぞれのトピックは短いですが、その分読みやすいですし、それでいて不平等という難しい問題について考えるヒントを与えてくれます。お手軽ながらも充実した本ですね。


不平等について―― 経済学と統計が語る26の話
ブランコ・ミラノヴィッチ 村上 彩
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