2018年の本

 毎年恒例ということで、今年は小説以外の本から新刊(文庫化含む)を読んだ順で6冊、少し前の本から2冊を紹介したいと思います。

 小説に関しては去年にひき続いて今年もあまり読めず…という感じで、なおかつ突き抜けたようなすごい小説は読めなかったので、例年とは違い読んだ順で順位を付けずに5冊紹介します。

 なお、新書に関しては別のブログで「2018年の新書」をまとめています。

 

・ 小説以外の本

 

今井真士『権威主義体制と政治制度』 

 

 

 サブタイトルは「「民主化」の時代におけるエジプトの一党優位の実証分析」。権威主義体制がいかに成立し、またそれがいかなる時に「民主化」するのかということを主にエジプトを事例にあげながら分析した本になります。

 中東は今まで「民主化の失敗事例」として一種の逸脱として捉えられることが多かったですが、これを「権威主義体制の成功事例」と捉え、さらにその中でも一党優位制→「アラブの春」による一党優位制の崩壊→ムスリム同胞団自由公正党による一党優位制樹立の失敗、という展開をたどったエジプトを分析することで、権威主義体制が存続する条件と失敗する条件を探っています。

 もちろん、エジプトの話も興味深いのですが先行研究が詳しく紹介されており、権威主義体制を考える上での道しるべともなる本です。

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足立啓二専制国家史論』 

 

 

 中国社会を日本と対比させながら、中国の社会、政治、経済の特徴を鋭く抉り出した本として評判でありながら絶版だった本が、ちくま学芸文庫で文庫化。

 やや文体などには古さを感じる本ではありますが、この本を読むと、「習近平の 独裁強化」と「創意工夫に満ちたデジタルエコノミーの発展」という一見矛盾する現在の中国の2つの側面が成り立つ背景が見えてきますし、また、芝麻信用などの個人の信頼度を可視化させるシステムが中国社会で広がっているという理由も見えてくると思います。

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神林龍『正規の世界・非正規の世界』

 

 

 近年、論文が業績の中心となり、テクニカルな内容も増えている経済学の中で、「○○の世界」というタイトルの本はあまり見ないような気がします(社会学だとありそうですが)。  

 しかも、1972年生まれの著者にとってこれが初の単著。ずいぶん思い切ったタイトルだなと感じたのですが、そのタイトルにふさわしい内容とボリュームです。『あゝ野麦峠』の話から戦前の日本の職業紹介の制度を分析するという、「これが経済学の本なのか?」というテーマから始まり、「正規から非正規へと言われるが、実は正規雇用は大して減っておらず、自営が減って非正規が増えているのだ」という分析を中心として、日本の雇用を巡る問題を幅広く論じています。

 労働市場の分析にとどまらない射程を持った本で、経済学というカテゴリーにとどまらず、日本の社会科学にとって大きな成果と言うべき本ではないでしょうか。

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待鳥聡史『民主主義にとって政党とは何か』

 

 

 タイトルからは著者の『政党システムと政党組織』とかぶる内容を予想しますが、「政党論」のサーベイという色も強かった『政党システムと政党組織』に比べると、民主主義全般、現代の日本政治についても幅広く論じており、より幅広い読者に向けた内容となっています。

 「政党」という枠にとどまらず、広く民主政治や日本政治を論じており、「政党論」、「日本政党政治史」として読める一方で、政治学の入門書としても機能すると思いますし、近年、精力的な著作活動を行なっている著者の考えを知るための入口になる本としてもお薦めできます。

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 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン編『歴史は実験できるのか』

 

 

  物理学や化学などの理系の学問では仮説は実験によって確かめられ、科学的な真理として定着していきます。一方、歴史学ではタイムマシンでもない限り、ある出来事の原因を探るために実験をすることは不可能です。

 しかし、例えば進化生物学や天文学といった分野でも実験はできませんし、多くの人を伝染病にかからせたり、氷河を溶かす実験なども現実的とは言えません。そこで、これらの分野ではしばしば自然実験という手法が用いられています。たまたま起こった出来事を利用して、実験の代わりにしようというのです。

 これを歴史学にも応用しようとしたのがこの本。「実験」とは言い難いと思うものもあるのですが、奴隷貿易の影響やインドにおけるイギリスの統治の影響などを扱った章は非常に興味深いです。

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ケネス・シーヴ、 デイヴィッド・スタサヴェージ『金持ち課税』

 

 

  帯に「民主主義は累進課税を選択しない。選択させたのは、戦争のみだった」との言葉がありますが、これは本書の主張を端的に表している言葉といえるでしょう。  

 20世紀の前半には累進課税が強化されて格差の縮小が見られたが、後半からは累進課税の弱まりによって格差が拡大しつつあるということはピケティの研究などによって知られていますが、この本では、その累進課税の強化が戦争の犠牲に対する補償という論理で導入され、戦争による大規模動員がなくなるとともに支持を失っていったということを示しています。  

 貧乏人は常に累進課税の強化を望んでいるようにも思えますが、実はそうではないのです。

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ブランコ・ミラノヴィッチ『不平等について』

 

 

 副題は「経済学と統計が語る26の話」。グローバル経済における先進国の中間層の没落を「エレファントカーブ」と呼ばれるグラフで示し話題を読んだミラノヴィッチが、その前に書いた著作で、さまざまなトピックを通じて、単一のコミュニティ内の不平等、生まれた国や民族による不平等、グローバルな不平等という3つの不平等を分析しています。  

 不平等という言葉は、ときに貧困問題と同一視され、「日本の不平等といっても、途上国の貧しい人の生活に比べれば…」みたいな事が言われますが、この本では不平等をいくつかの軸に沿って統計的に検討することによって、その内実を明らかにしようとしています。

 ちょっと前に出た本ですが、これは勉強になりました

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アマルティア・センアイデンティティと暴力』

 

 

 これは良い本ですね。現代における理想主義の一つの完成形ともいえるような内容で、理想主義者はもちろん、理想主義を絵空事だとも思っている現実主義者の人も、ぜひ目を通して置くべき本だと思います。  

 著者はご存知、アジア人初のノーベル経済学賞を受賞したインド出身のアマルティア・セン。彼の講演をもとにしたもので、読みやすく、またセンの思考のエッセンスが詰まっています。「アイデンティティの軽視」と「アイデンティティの単一帰属」を批判し、共生の可能性を探っています。

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・ 小説

 

舞城王太郎『淵の王』

 

 

 文庫化を機に読んでみたのですが、これは面白いですね。「舞城王太郎の復活!」という感じです。

 まずは文体と会話に勢いがありますし、読後感は初期の名作『世界は密室でできている。』を思い起こさせます。ホラーテイストの中に舞城王太郎ならではの「圧縮された人生」が上手く描かれています。

 基本的にはホラーなのですが、それでもだんだんとホラーや謎解きよりも、人間の「倫理」のようなものがせり出してくるのが舞城王太郎ならでは。

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パク・ミンギュ『三美スーパースターズ

 

 

 中学生男子の「痛さ」と妄想を壮大なスケールで描いた『ピンポン』の作者・パク・ミンギュのデビュー作(訳者あとがきに書いてありますが、実はパク・ミンギュはほぼ同時に2つの新人賞を獲得しており、これはそのうちの1つ)。

 タイトルの「三美スーパースターズ」はかつて韓国プロ野球に存在した「伝説的」な球団です。何が「伝説的」かというと、その弱さ。その弱い球団のファンになった中学生が韓国経済とともに成長し、IMFショックで壁にぶち当たるまでをポップな文体で描いています。

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ケン・リュウ編『折りたたみ北京』

 

 

 副題に「現代中国SFアンソロジー」とあるように、現代の中国SFの短編を『紙の動物園』や『母の記憶に』のケン・リュウがセレクトし英訳したものの日本語訳となります。

 貧富の差によって三層のスペースに分割された北京を描いた表題作の郝景芳「折りたたみ北京」、テクノロジーによる老々介護を描く夏笳「童童の夏」、地球に生命を導入した「神様」が、ある日、宇宙船とともに地球に出現、20億人の「神様」の面倒を見てくれるように頼むという劉慈欣「神様の介護係」など、SF的アイディアを通じて現代の中国社会も見えてきます。

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ハン・ガン『ギリシャ語の時間』

 

  

ときどき、不思議に感じませんか。

私たちの体にまぶたと唇があるということを。

それが、ときには外から封じられたり
中から固く閉ざされたりするということを。(192p)


 主人公の一人はカルチャーセンターで古典ギリシャ語を教える男性の講師。若い頃はドイツで暮らしていましたが、その時から将来は視力を失うだろうといわれ、かろうじて視力を維持しています。
 もう一人の主人公は、生まれつき話せないわけではないが、離婚や子どもとの別れなどをきっかけに口を閉ざしてしまった女性です。
 この二人の間の人とつながりというよりは、つながりに至らない何か、つながろうとする何か、つながりを拒否する何か、といったものが描かれていまするのです。

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ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』

 

 

 全長1マイルにもおよぶ、巨大な竜グリオール。数千年前に魔法使いとの戦いに敗れたのちもはや動けなくなっているのですが、グリオールの思念が周囲の人間に特殊な影響を与えているという設定のもとに描かれた連作短編。

 もちろん設定も面白いのですが、それとともに場面場面の描写に力強さがあり、特に「嘘つきの館」の美しさと残酷さが交錯するラストは圧巻です。

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