中学生男子の「痛さ」と妄想を壮大なスケールで描いた『ピンポン』の作者・パク・ミンギュのデビュー作(訳者あとがきに書いてありますが、実はパク・ミンギュはほぼ同時に2つの新人賞を獲得しており、これはそのうちの1つ)が、晶文社の「韓国文学のオクリモノ」というシリーズから登場。
今作も痛くてポップで非常に面白い作品です。デビュー作ということでやや詰め込みすぎている感はありますが、韓国の80〜90年代の雰囲気をよく伝えてくれていますし、何よりも第一部の中学生時代の話は最高です。パク・ミンギュは男子中学生の話を書かせたら世界一の作家なのではないでしょうか。
タイトルの「三美スーパースターズ」はかつて韓国プロ野球に存在した「伝説的」な球団です。
1982年に韓国でプロ野球が始まり、主人公をはじめとする子どもたちはまだ見ぬプロ野球というものに途方も無い期待を抱くわけですが、主人公の地元の仁川を本拠地としたのが三美スーパースターズでした。
主人公は友人のソンフンやその他大勢と三美スーパースターズのファンクラブに入り、ジャンパーなどの三美スーパースターズのグッズをもらって意気揚々とプロ野球の開幕を待ちます。
ところが、この三美スーパースターズが「伝説的」に弱いのです。
82年のシーズンは15勝65敗で勝率0.188。シーズン最多失点の20失点の2回もやらかし、1イニング最多被安打9本、1ゲーム最多被安打38本など、数々の「伝説」を残すのです。
翌83年こそ、日本のプロ野球から韓国へと渡った張明夫(福士敬章:広島などで活躍)の30勝16敗6セーブという驚異的な成績で3位となりますが、翌年以降は再び定位置の最下位へ。とにかく弱いのです。
そして、弱いチームのファンこそ哀しいものはありません。特に多感な男子中学生ならばなおさらです。友人たちは1人また1人とファンをやめ、主人公とソンフンだけが意地になってファンであり続けるのです。
1982年は37年ぶりに韓国で夜間通行禁止例が解除された年で、反共独裁的な政治が徐々に民主化へと動き始めたころです。また韓国経済が力強い成長を始めた頃でもあり、プロ野球の開始は、「プロ」という言葉を流行させ、「今やプロだけが生き残れるのだ」という「プロにならなければ多分死んじゃうという、最後通牒の重みをもった福音」(87ー88p)なども生み出しました。
そして1985年に三美スーパースターズは消滅します。
第二部は主人公が大学に入った1988年の話。主人公の憐愛などが描かれていて面白いですが、ここは普通の青春小説っぽいです。
第三部は韓国がIMF危機にぶちあたった1998年の話。一流大を出て一流企業に入った主人公は、韓国経済もろともIMF危機にぶち当たり砕けます。
しかし、それを救うのが三美スーパースターズのファンクラブの会員であった友人のソンフンと三美スーパースターズなのです。
ソンフンは次のように言います。
だけど三美は、自らのやるべきことをすべてやりとげ、あの美しいプレイをみんなの胸の中に残していったんだ。まるでイエス・キリストが十字架にはりつけになった後も、その言葉が聖書によって人びとに残されたようにさ。
その「自分の野球」って何なの?
「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは捕らない」だよ。これぞまさに三美が完成した「自分の野球」だ。優勝を目的としていた他のチームにはできない ― たゆみない、不断の「野球を通した自己修養」の結果だよ。(295p)
この中学生的な妄想が突き抜けていく瞬間はパク・ミンギュならでは。ポップなだけではない強度がありますね。
三美スーパースターズ 最後のファンクラブ (韓国文学のオクリモノ)
パク ミンギュ 斎藤 真理子