ケン・リュウ編『折りたたみ北京』

 副題に「現代中国SFアンソロジー」とあるように、現代の中国SFの短編を『紙の動物園』や『母の記憶に』のケン・リュウがセレクトし英訳したものの日本語訳となります。
 収録作品は以下の通り。

序文 中国の夢/ケン・リュウ
鼠年/陳楸帆
麗江の魚/陳楸帆
沙嘴の花/陳楸帆
百鬼夜行街/夏笳
童童の夏/夏笳
龍馬夜行/夏笳
沈黙都市/馬伯庸
見えない惑星/郝景芳
折りたたみ北京/郝景芳
コールガール/糖匪
蛍火の墓/程婧波
円/劉慈欣
神様の介護係/劉慈欣
エッセイ/劉慈欣、陳楸帆、夏笳


 まず、SFとしてのアイディアに優れているのが、劉慈欣(リウ・ツーシン)の「円」と「神様の介護係」。
 「円」は荊軻が秦王・政(後の始皇帝)の暗殺を断念するところから始まり、許された荊軻は政に数学にこそ世界の秘密が隠されており、特に円周率にこそ究極の秘密があると説きます。そこから円周率を計算するための驚天動地の人力計算機の計画が動き出します。
 「神様の介護係」は地球に生命を導入した「神様」が、ある日、宇宙船とともに地球に出現、20億人の「神様」の面倒を見てくれるように頼むというもの。
 圧倒的な科学力を誇るはずの「神様」ですが、長年、自動機械に頼ってきたせいもあり、その知識や能力は衰えており、地球は大量の高齢者を抱え込むのとおなじような状況になってしまいます。その顛末をある家族のもとに転がり込んだ「神様」とその家族の関わりを通じて描いています。


 「神様の介護係」に関しては、やはり中国ならでは設定という気もします。
 序文でケン・リュウは収録作品を中国の現実とあまり重ねあわせないでほしいということを言っていますが(あまり「政治的」に読まないでほしいということだと思う)、それでもやはりSF的想像力が育つ土壌というものはあるわけで、中国の現実がSF的な想像力に影響を与えていることは否めないでしょう。


 例えば、夏笳(シア・ジア)「童童の夏」も高齢化社会を背景にした話です。
 ある夏、童童(トントン)のもとにおじいちゃんと介護ロボットがやってきます。非常に精巧に動くそのロボットは、遠く離れた場所にいる介護士が遠隔操作しているもので、介護士不足を補うための新たなテクノロジーです。このテクノロジーが老々介護の実勢にまでつながっていくのがこの作品のポイントで、これは現実的にも面白いアイディアと言えるかもしれません。


 陳楸帆(チェン・チウファン)の「鼠年」は、知性のある遺伝子改造ネズミを駆除する軍に入った若者たちの話なのですが、背景にあるのは大卒者の就職難。大学は出たけれど行くところのない若者たちがネズミ駆除のために軍に入って戦う姿とその閉塞感は、中国にとどまらず、東アジアの社会状況にしっくりくるものではないでしょうか。


 馬伯庸(マー・ボーヨン)「沈黙都市」は、2046年の未来を舞台に、もはや国が一つだけになった世界の中での言論統制が描かれています。そこでは、まずネガティブ・リストによって要注意語を使うことが禁止され、さらに健全語を使って話すことが求められています。つまり、一定の言葉が使えないのではなく、一定の言葉だけを使ってコミュニケーションを行わなければならないのです。
 どうしても現在の共産党政権による言論統制を思い出してしまうわけですが、普遍的なディストピア小説としても良くできていると思います。


 こうした中でSF的なアイディアと中国の現実が見事に融合しているのが表題作の郝景芳「折りたたみ北京」。
 貧富の差によって三層のスペースに分割された北京。第一スペースに住む500万人に割り当てられた時間は午前6時から翌朝の6時まで。この第一スペースの裏面には第二スペースと第三スペースがあり、第二スペースに住む2500万人に割り当てられたのは二日目の午前6時から午後10時まで、第三スペースに住む5000万人割り当てられたのは午後10時から翌朝6時まで。その後は再び第一スペースの時間になります。
 第一スペースに暮らす人々は裕福な人たちで、第二スペースは中間層、第三スペースに暮らすのは下層社会の人々であり、彼らは主に第一、第二スペースから出るゴミを処理して生計を立てています。
 このスペースの切り替え時には、北京の都市は巨大なルービックキューブのように回転し、今まで折りたたまれていた都市が姿を見せます。普通はこれらのスペース間を行き来することはできませんが、第三スペースに暮らす主人公は多額の報酬と引き換えに第一スペースへの侵入を試みます。
 中国の都市事情を知る者はどうしても中国の都市戸籍農村戸籍の問題を思い浮かべるでしょうが、それと驚くべきSF的な仕掛けに重ねる形で展開させているのが、この作品の素晴らしい点です。


 このようにこの作品集はSF小説しても、現代中国小説としても楽しめる内容になっています。この本には7人の作家の作品が紹介されていますが、いずえもレベルは高く、今後も中国SF小説の翻訳が出ることを期待したいですね。そして、政府による統制が及ばないことを願いたいですね。


折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)
郝 景芳 ケン リュウ
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