2020年の本

 例年通り、今年読んで面白かった小説以外の本(社会科学の本ばかり)と小説を紹介ます。

  今年はコロナの影響で自宅勤務になったりして「いつも以上に本が読めるのでは?」などとも思いましたが、子どもがいる限り無理でしたね。そして、小説は読むスピードが随分鈍りましたし、そのせいか長編が読めなくなったというか、読まなくなった。短編集ばかりを紹介しますがご容赦ください。

 なお、新書に関しては別ブログで2020年のベストをまとめています。

 

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小説以外の本(読んだ順)

 

木下衆『家族はなぜ介護してしまうのか』

 

 

 なんとも興味をそそるタイトルですが、本書は、認知症患者のケアにおける家族の特権的な立場と、それゆえに介護専門職というプロがいながら、家族が介護の中心にならざるを得ない状況を社会学者が解き明かした本になります。

 最終的には次のような答えが導き出されているのですが、そのプロセスも含めて面白いですし、実際に介護に直面している人が読んでも得ることの多い本だと思います。

 

では、なぜこうした事態が生じるのか。

 それは、私たちが新しい認知症ケアの時代に生きているからだ。新しい認知症ケアの考え方のもとでは、患者たちは、介護者たちの「はたらきかけ」次第で、患者たちの症状が改善することが強調される。そしてそのはたらきかけの際に重視されるのが、患者の「その人らしさ(personhood)」を徹底的に重視することだった。患者個々人のライフヒストリー、すなわち人生は、介護に関与する多数のアクターの中でも、特に介護家族が知っていると想定される。(187p)

 

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谷口将紀現代日本の代表制民主政治』

  

 

 本書は、著者と朝日新聞社衆議院選挙や参議院選挙のたびに共同で行っている「東京大学谷口研究室・朝日新聞社共同調査」をもとに、各政党、各議員のイデオロギー位置を推定し、さらに有権者への調査を重ねていくことで、「小泉以降」の日本の政治の変遷を分析したものになります。

 「00年代の激しい政治の動きが10年代になって奇妙な安定を見せているのはなぜか?」、「なぜ安倍政権はこんなに続いているのか?」、「なぜ野党はまとまれないのか?」など、ここ20年ほどの政治に関して、多くの人がさまざまな疑問を持っていることと思います。

 本書は上記の問いにずばり答えるようなものではありませんが、間違いなく問題を考える足がかりを与えてるものとなっています。

 

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酒井正『日本のセーフティーネット格差』

 

 

 今年のサントリー学芸賞、労働関係図書優秀賞を受賞した話題作ですが、内容は地味と言っていいくらい堅実だと思います。

 書名から「非正規雇用が増える中で社会保険セーフティーネットの役割を果たせなくなってきたことを指摘している本なのだな」と想像する人も多いでしょう。

 これは間違いではないのですが、本書の内容は多くの人の想像とは少し違っています。「日本の社会保険の不備を告発する本」とも言えませんし(不備は指摘している)、「非正規雇用の格差を問題視し日本的雇用の打破を目指す」といった本でもありません。

 本書はさまざまな実証分析を積み重ねることで、この問題の難しさと、改革の方向性を探ったものであり、単純明快さはないものの非常に丁寧な議論がなされています。特に仕事と子育ての両立支援を扱った第3章と、若年層への就労支援などを論じた第6章、最近流行のEBPMについて語った第7章は読み応えがあります。

 

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伊藤修一郎『政策実施の組織とガバナンス』

 

 

 副題は「広告景観規制をめぐる政策リサーチ」。タイトルと副題からは面白さは感じられないかもしれまえんが、「なぜ守られないルールがあるのか?」「なぜ政策は失敗するのか?」といった問いに変形すると、ちょっと興味が湧いてくるかもしません。

 そして、副題にもなっている広告景観規制は、ほとんどの地域で違反行為が放置されている一方で、京都のようにかなり実効性をもった規制が行われている地域もあります。「京都は歴史のある街で特別だ」という声もあがりそうですが、本書を読むと、京都市以外にも静岡県金沢市宮崎市などで効果のある取り組みがなされていることがわかります。

 実は著者は神奈川県の職員として広告景観規制の仕事を担当していたこともあり、「政策が実行されない事情」というものが実感的にわかるないようになっていて、そこも本書の面白い点だと言えるでしょう。

 

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アビジット・V・バナジーエステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学』

  

 

2019年にノーベル経済学賞を受賞した2人(マイケル・クレーマーも同時受賞)による経済学の啓蒙書。2人の専門である開発分野だけでなく、移民、自由貿易、経済成長、地球温暖化、格差問題と非常に幅広い問題を扱っています。

 著者らが得意とするのはRCT(ランダム化比較試験)を使った途上国での研究で、本書もマクロ経済学の理論に対して、ミクロ的な視点から「本当にそうなのか?」と問い直すものが多いです。

 特に経済学の想定と違い「人は移動しない」ということを念頭に置いた貿易問題や移民問題の分析、差別の問題をとり上げた部分が面白いですね。

 

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待鳥聡史『政治改革再考』

 

 

 平成という時代の政治を振り返ってみると、「改革」という言葉が飛び交い、実際に「改革」が行われた時代であったと言えるでしょう。小選挙区比例代表並立制が導入された選挙制度改革と、省庁再編、地方分権、司法改革、さらには日銀法の改正と、憲法の改正に匹敵するような改革が続きました。

 しかし、一方で2度の政権交代はあったものの、結局は自民党が政権を維持し続けており、次の政権交代が見えてこないという55年体制を思わせるような状況も続いています。司法制度改革なども当初の想定通りに進んでいるとは言えないでしょう。

 それはなぜなのか? という疑問に答えようとしているのが本書です。ここ30年の改革をひとまとまりのものと考え、その影響と想定通りにはいかなかった理由を考察しています。

 ずっと「安倍一強」「官邸支配」などと言われつつ、いざコロナが流行すると有効な手を打つことができなかった理由の一端も見えてくると思います。

 

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エマニュエル・サエズ/ガブリエル・ズックマン『つくられた格差』

  

 

 ピケティの共同研究者でもあるサエズとズックマンのこの本は、格差の原因を探るのではなく、格差を是正するための税制を探る内容になっています。序のタイトルが「民主的な税制を再建する」となっていますが、このタイトルがまさに本書の内容を示していると言えるでしょう。

 富裕層への最高税率が引き下げられたこと、法人税が引き下げられたことなどが格差の拡大に寄与しているということは多くの人が感じていることだと思いますが、同時に、富裕層への最高税率が引き上げられたら富裕層が海外へ逃げてしまう、法人税を引き上げたら企業が海外に逃げてします、経済成長にブレーキが掛かってしまうという考えも広がっています。そして、こうしたことを考えると結局は消費税(付加価値税)をあげていくしかないという議論の見られます。

 こうした考えに対して、本書は富裕層や企業からもっと税金を取るべきであり、それは可能であるという主張をしています。

 多くの人が格差が問題だと思っていながら、打つ手がわからない状況の中で、格差を縮小させる具体的な手段を提示した本と言えるでしょう(すべて実現するのは相当大変そうですが)。

 

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松永伸太朗『アニメーターはどう働いているのか』

  

 

 アニメーターは基本的にフリーランスですが、本書がとり上げているのはそうしたアニメーターが集まっているスタジオです。そこで、「なぜ、フリーランスでいいのに会社に所属しているのか?」、「なぜ、家でも作業はできるはずなのにスタジオに集まっているのか?」という疑問が浮かびます。

 本書は、実際にアニメ会社のスタジオで長期間の参与観察を行い、それをエスノメソドロジーの技法を用いながら分析することで、アニメーターの働き方と職場の秩序を明らかにし、同時に上記の疑問に対する答えを探っています。

 アニメーターというのはやや特殊な働き方ではあるのですが、そこから「なぜ企業は存在するのか?(すべて市場取引ではだめなのか?)」というロナルド・H・コース『企業・市場・法』で検討された大きな問題に接続して考えることもできますし、さらにテレワークの導入とともに浮上してきた「オフィスは必要なのか?」「オフィスはどうあるべきなのか?」という問題に対するヒントを見出すこともできます。

 さらにフリーランスの働き方、あり方を考える上でも重要な知見を教えてくる本だと思います。

 

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小説(読んだ順)

パク・ミンギュ『短篇集ダブル サイドA』

 

 

 『ピンポン』や『三美スーパースターズ』という2冊の長編が非常に面白かったパク・ミンギュの短編集。この短編集は2枚組のアルバムを意識しており、『サイドA』と『サイドB』が同時に発売されています。

 収録されている作品は、現代韓国を舞台にしたものとSFの2種類があり、SF作品は奇想系の作品に近いテイストです。

 個人的には現代韓国を舞台にした短編の面白さと上手さが印象的でした。そして、なんといっても気持ちがいいのがそのスピード感のある文体。基本的に小さなブロックごとに文章を作っていくようなスタイルなのですが、そこに短文を差し挟むことで加速するような文体をつくり上げています。「近所」、「黄色い河に一そうの舟」、「グッバイ、ツェッペリン」がオススメ。

 

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パク・ミンギュ『短篇集ダブル サイドB』

  

 

 『サイドA』が面白かったので、『サイドB』も読みましたが、こちらも面白い!

 収録作はバラエティに富んでいて面白いのですが、そんな中でもとりわけ上手さを感じるのが、「昼寝」と「星」。

 「昼寝」は妻を亡くし、家を処分して子どもたちに財産を分け与え、地元の施設に入った75歳の男性が主人公です。主人公はそこで高校時代のあこがれの女性と再開するのですが、彼女はすでに認知症になっていました。このように書くとかなり切ない話に思えるでしょう。実際、切ない話です。ただし、そこに笑いを挟んでくるのがパク・ミンギュならでは。しかもその塩梅が絶妙です。

  「星」はアルフォンス・ドーデの「星」という作品のカバーなのですが、主人公は人生に失敗し、運転代行業をやっている中年の男です。人生への恨みつらみが述べられた後に読者に秘密が明かされて、物語は急展開します。「誰かのそばに神がいないなら……人間でもいいから、いてやらなくてはならないだろう」(203p)との一節が刺さります。

 

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ケン・リュウ編『月の光』

 

 

 『折りたたみ北京』につづく、ケン・リュウ編の現代中国SFアンソロジーの第2弾。2段組で500ページ近くあり、しかもSF作品だけでなく、現在の中国のSFの状況を伝えるエッセイなども収録されており、盛りだくさんの内容となっています。

 2123年の自分から地球温暖化によって多くの都市が水没した未来を知らされ、その未来を救うための技術の概要を教えられるという『三体』の劉慈欣が書いている表題作の「月の光」ももちろん面白いですが、一番面白かったのは宝樹(バオシュー)の「金色昔日」。

 これは中国の歴史を逆回転させるという野心作になります。出だしは主人公の北京オリンピックの記憶から始まりますが、SARS零八憲章天安門事件文革と時代が戻って(進んで?)行きます。

 この逆さ回しの歴史の中で翻弄される主人公を描いたのが本作です。タイムトリップでもなく、『ベンジャミン・バトン』のように自分だけが若返っていくのでもなく、周囲の状況が反転していくというアイディアは秀逸ですし、何よりも中国を舞台にしているからこそ、荒唐無稽だけでは片付けられないリアリティがあります。

 

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ウィリアム・トレヴァー『ラスト・ストーリーズ』

  

 

 2016年に亡くなったアイルランド生まれの短篇の名手ウィリアム・トレヴァーの最後の短篇集。

 短篇というと、よく「何を書かないかが重要だ」といったことが言われますが、トレヴァーの短編は、まさにそれ。ただ、お手本というには本当にびっくりするほど「書かない」作風であり、常人が真似できるものではないですね。

  どの作品も面白いですが、特に長い人生を凝縮した作品である「カフェ・ダライアで」、「冬の牧歌」、「女たち」が面白いですかね。

 「冬の牧歌」はおそらく本書の中でも一番幅広く受け入れられるのではないかという作品。荒野の中にたたずむ裕福な農家の一人娘のメアリーと家庭教師としてやってきたアンソニーのひと夏の恋。それから10年以上経って結婚したアンソニーがふと思い立って屋敷を訪ねたことからドラマが始まり、そこからさまざまな物が壊れ始めます。そんな中で最後に残るものは? という話です。

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シェルドン・テイテルバウム 、エマヌエル・ロテム編『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』

 

 

 ここ最近、「グリオール」シリーズなどのSFを出している竹書房文庫から出たのが、この『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』。

 知られざるイスラエルのSFの世界を紹介するという意味では、中国SFを紹介したケン・リュウ編『折りたたみ北京』、『月の光』と似た感じですが、「イスラエル」というくくりだけではなく、「ユダヤ」というくくりもあるので、収録された小説の言語はヘブライ語だけでなく、英語、そしてロシア語も含まれます(翻訳は英語版からのもの)。

 中身は玉石混交という感じではありますが、ガイ・ハソン「完璧な娘」、サヴィヨン・ルーブレヒト「夜の似合う場所」、ヤエル・フルマン「男の夢」は非常に面白く、一読をおすすめします。

 

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